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2015年01月28日

自己の本質を求める問い

 これは言うまでもなく、人間の尺度に基づく価値である。だが人間にはほかにどうすることができようか。ディープエコロジストは、表層的な価値をどんどん剥がしていって最後に残る本質的なものが人間の存在意義だと考えているらしい。だが実際には逆である。人間の価値を次々に剥がしていったら(そんなことができるとは思えないが)掘り尽くした石炭や原油の鉱脈のような具合で、本質的な価値など何も残るまい。あらゆる価値は、象徴主義のヴェールを通してしか見られない。このヴェールを剥ぎ取ったら、見えるのは荒れた地表と裸の岩だけだろう。
(『じゅうぶん豊かで、貧しい社会:理念なき資本主義の末路』ロバート スキデルスキー (著) エドワード スキデルスキー (著))


 施光恒さんの『リベラリズムの再生―可謬主義による政治理論』によると、状況や社会との関係性から切り離された、自己の本質というものが存在するというような考えは、欧米特有の考え方らしいです。なんとなくですけど、日本の世間やお天道様という概念と比較すると、欧米はやはり神と自己という世俗から離れた観念と自己との関係性を考える上で、状況というものを二義的であり、非本質的なものであるとの考えが生まれやすかったのではないかと推測します。

 ところで、不思議なもので日本でもかつて「自分探し」とかが流行ったり、「自分探しの旅」なんてものがもてはやされた時期がありました。「自分探しの旅」があれだけもてはやされたワリには、「私はこの旅で真の自分を発見してきたワ!!」と目標達成して帰ってきた人を見たことも聞いたこともありません。

 ほとんどの人は、椅子とか机とか、あるいは犬とかうさぎとかについて考えるときに、「真の机の姿とは?!」とか「客観的状況から分離したこの犬そのものの本質とは?!」とか考えないわけじゃないですか?だけど、何故か、自分だけは、どこか今の自分は本当の自分ではないような気がしたり、どこかに真の自分が存在するんじゃないかと漠然と思ったりする。だけど、隣近所のおっさんは、どこまでいってもとなりのおっさんに過ぎないし、ムカつく同僚や上司だって、彼らが実はかりそめの姿で、実は真実の上司の姿とか、同僚の真の本質みたいなのがどこかにあるかもしれないとは思わない。だから、凄く人間中心的であって、それ以上に自分本位だったりする。

 酷く独りよがりで、おそらく空虚な誇大妄想に過ぎないわけだけど、そういうことに眉間にシワ寄せながら考えてる方がなにか真面目な青年のように感じたりもする。

 でも、やっぱり多分違うんだ。そこの机がどこまで行っても、ただの机に過ぎないように、自分とはどこまで行っても自分であって、その椅子がどこまで行っても、人間が座るために存在するように、多分、自分も誰かの為に存在してたり、社会の歯車の一つになることで、歯車って言葉の響きが悪いなら、社会の一構成要素となるようなカタチでしか存在できない。

 うーん、なんかイマイチまとまりが悪いんだけど、今回はこの辺で・・・また、気が向いたらこんな感じのテーマで他に考えてることをアレコレ書くと思います( ̄▽ ̄;)



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この記事へのコメント
沢村直樹さんが21時から放送されるのですが、カツトシさんに時間があれば視聴されるか対談なされては如何でしょう?
先ほども放送されていたのですが、安倍信者が大漁でしたよ。
Posted by 白菜かけますね at 2015年01月28日 19:35
剥ぎ取ったら何も残らないって、キャベツか玉ねぎみたいなものですね。
Posted by at 2015年01月28日 19:54
先ほどの神様の話しとかと合わせて考えると、人間も玉ねぎも変わらないのかな?
私は食べることが好きなので、玉ねぎがどうして玉ねぎなのかを考えるよりも、玉ねぎをどう調理したら美味しくなるのかを考えてしまいます。
そういえば最近変な夢を見ました。
モニターに写る黒ずくめの男がクラヤマ国と名乗り、ある人に向けてこう要求していました。
クラヤマ国の男「◯◯◯◯よ、我々に300万円を支払うのだ!支払わなければお前を社会的に抹茶してやるぞ!」
ここで目が覚めて、さっさと絨毯爆撃されろと思いましたよ。
Posted by 付加価値 at 2015年01月28日 20:05
ようは今の環境と違う環境を置くことによって自分を見つめ直すってことじゃないの?
自分探しの旅が流行った時期は、それこそ情報が溢れてた時期だし
Posted by at 2015年01月28日 20:13
21時から始めると言っていた沢村さんの放送始まらないですね、事情が挟んだのかな?
Posted by 白菜かけますね at 2015年01月28日 21:10
思春期中盤か後半から青年期に覚える上から押し付けられて受け継がれるべき大人としての社会性と常識を教えてもらえなかった何でもありの自由に放り出された人が陥る状態じゃないですかね。
古典落語をよく聞きますのでそう思うのは落語の影響が有りますが。
Posted by ああああ at 2015年01月29日 22:43
確かに、隠れた本性が何かの拍子に顕れる、というのも分からないではない。

しかし、その人全体を貫いていないようなものが、本質とか本性とかいう名に値するだろうか。
Posted by at 2015年01月30日 07:54
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