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2015年01月20日

ドグマティズムとリフレ派超理論

 今回も『リベラリズムの再生―可謬主義による政治理論』から、色々アレコレ考察します。

 ところで、この本なんかも読んでて思うのは、やっぱり才能ある言論人ってのは、30くらいになればかなり凄い文章とか書いちゃうんだなぁということです。この『リベラリズムの再生―可謬主義による政治理論』という本は、2003年に出版されていて、大体施光恒さんが30くらいの時に書いたものなのですが(筆者の2001年に書いた博士論文を元にしているので、もとの文章自体は2001年)、かなり本格的な政治理論の本を書いているんですね。『反官反民』に収められている中野剛志さんの30代前半に書いた評論集なんかも凄い文章を書いていますし、藤井聡さんが自身の著作の中で最高の出来だったと言っている最初の著作『社会的ジレンマの処方箋―都市・交通・環境問題のための心理学』も35歳の時に書いています。

 まあ、もちろん、年齢を重ねるごとに深みが増していく著述家なんかもいくらでもいると思うんで、必ずしも、若くして良作を残せない奴は見込みがゼロだと言い切ることは出来ないんですけど、「この若さにしては鋭い見識の持ち主だ!!」とか「この年齢でこれほどの文章を書けるのは凄い!!」というのは、少なくとも30を超えてる人間には当てはまらないと思うんですね。私が中学〜高校時代に大量に読んでた加藤諦三なんかもおそらく20代の時に書いてた本の方が売れてたでしょうし、西部さんがソシオエコノミクスを書いたのも36歳です。

 だから、まあ何が言いたいのかというと、要は、30を超えたような人間が書いたゴミエッセイやら駄文やらと称して「新進気鋭のなんちゃらの労作!!」やら、「若き評論家のうんちゃら!!」とか、それこそちゃんちゃらオカシイって話なんですよね(俺の好きな滝本竜彦なんて20代前半で書いた『NHKにようこそ!』と『超人計画』で完全に才能枯渇させちゃってましたからw)。

 中川淳一郎さんなんかは、「若き○○!!」とか「新進気鋭の××!!」みたいなのをプロ若者と呼んで揶揄してたワケですけど、なんつーか、確かに教養の衰退とか、何でもお気軽お手軽にサラッと読めちゃうライトでポップな文体がもてはやされるブログ文化、ケータイ小説文化以降、若い連中がゴミみたいな文章やらエッセイしか書けなくなってる現状でも、なんとか、若いスターを出したいって気持ちは分からなくもないんですけど、もうちょっとしっかり探して地力のある実力派の若手を見いだせないもんかね?とか思ったりします。

 まあ、ちょっと前置きが長くなったんですが、本題はサラッと済ませます(笑)

 最近のリフレ派は、ほとんど金融政策に言及していないクルーグマンの著作をリフレ派の教科書的な位置づけで解説したり、「ピケティの主張は日本のリフレ派とほとんど一緒」みたいなことを言ったりして、本当に頭が禿げて・・・ではなくて、頭がイカレてるんじゃないか?と思う発言が本当に多いのですが、このような、全くリフレ政策やリフレ理論とは無関係であったり、場合によっては全く相反する見解を無理やりリフレ的に解釈するこの怪奇現象について、『リベラリズムの再生―可謬主義による政治理論』のなかで、関係する記述があって面白いと感じたので紹介したいと思います。

 ミルトン・ロキーチも権威主義の研究から明らかにされた権威主義的パーソナリティの認知的特性に注目した。ロキーチは、この認知構造のあり方を研究するために、反動的保守主義や反ユダヤ主義などの権威主義者のイデオロギーのあり方からは独立した、認知スタイルのみを測定することを目的とした「ドグマティズム」という社会心理学的変数を開発した。ロキーチは、「ドグマティズム」は、「外界から受け取った有意味の情報をどの程度、その人の内部あるいは外部に起因する無意味なものに妨げられずに受け取り、その真価を問い、それによって行動できるか」を測定するものであると規定している。「ドグマティズム」の値の高い者は、自己の既存の認識を防衛的に保持するために、その修正を迫るような新しい情報を既存の認識に沿うように歪めて受容すると考えられるのである。実際、「ドグマティズム」の値の高い者は、経験や情報を受け取る際に、自己の既存の信念や認識に影響されやすく、それらに沿うような形に新しい経験や事実を歪曲してしまうということを示した実証的な研究結果が多数報告されている。

 ここで、反動的保守主義や反ユダヤ主義などの特定の政治的イデオロギーから分離したカタチの権威主義的な認知傾向を「ドグマティズム」と呼んでいるのですが、これを読めば、何故リフレ派などが、様々な状況的、理論的データから、金融政策万能主義的な論理が否定され、財政政策の有効性が示唆されるような根拠が示されても、彼らが頑なに考えを改めず、データを歪曲したり、曲解してまで自己の既存の見解に固執するのかが理解できるのではないかと思います。

 不安の経験と曖昧さに耐えられない認知スタイルとの間の因果関係は、ほぼ次のように説明することが可能であるといわれている。人間の心理には、自分の能力によって対処できないようなあまりに脅威的な事実や経験に直面した場合、それらの脅威的な事実や経験を意識化せず認識しないことによって、あるいは、より脅威的ではないものとしてそれらの事実や経験を歪曲して受容することによって、主観的な安定感を維持し、自己を防衛するメカニズムが存在している。(中略)彼らは、自分にとって否定的なものと感じられる、自己の既存の認識や信念に矛盾し対立する経験や事実が現れた場合、それらの事実や経験から絶えず自己を防衛していくために、それらとの接触を回避するような、あるいは既存の認識や信念に適合するようにそれらを歪曲して受容するような認知スタイルを発達させ身に付けてしまうのである。したがって、認知的柔軟性を欠いた硬い認知スタイルを持つ人は、脅威的で不安な事実や経験に対処する自己の能力に対して不信感を有し、自己自身について否定的な評価を行っている人々であると推測される。硬い、曖昧さに耐えられない、ドグマティックな認知スタイルは、自分を一時的にでも否定するように感じられる脅威的で不安に思われる事実や経験から、自己を主観的に防衛するための機能を果たすために発達したものと考えられるのである。

 なるほど、彼らがむやみやたらと自己の見解に否定的な他者を手当たり次第に非難罵倒する様子も、普通に考えれば全く不可解であると言わざるを得ませんが、彼らが、自己の見解に否定的な意見を、自分自身に対する重大な脅威であると感じ、それに対する防衛的な反応として、あのようなヒステリックな非難罵倒や誹謗中傷を繰り返しているのだと考えれば、あのような不可解な言動にも納得がいくのではないでしょうか?




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ASREADに寄稿しました!!今回も文学論について!!⇒『金閣寺』から見る三島由紀夫の美の追求 | ASREAD http://asread.info/archives/1374
posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 19:14 | 神奈川 ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
リフレ派ってのは、「金融緩和好きの新自由主義者」ですね。
Posted by うずら at 2015年01月22日 11:40
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