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2014年12月31日

カルト×全体主義×選民思想

 正月は糞ヒマでやることもないので色々本を読もうと決めてるのですが、今現在読んでいる本はサイエントロジーに関するドキュメント本の『ハリウッド・スターはなぜこの宗教にはまるのか』という本。サイエントロジーはアメリカのSF小説家L・ロン・ハバードが創設した新興宗教みたいなもんです。

 その本の中で、ロバートリフトンの『思想改革の心理』(邦訳はないっぽいです)という本に書かれているカルトと洗脳についての解説があるのですが、これがなかなか面白い。

「ある環境がこうした八つの心理的テーマを表し、それらが明確であればあるほど、その環境はイデオロギー的全体主義に似てくる。こうした全体主義的手法を用いて人間を変えようとすればするほど、それは思想改造、あるいは『洗脳』に似てくるのである」

と、解説し、さらに洗脳であるかどうかを見極める八つの項目を紹介しているのですが、今回は特にそのうちの最初の二つについて解説してみたいと思います。

 第一は「環境コントロール」である。リフトンは著書の中でこう指摘している。「思想改革の最も基本的な特徴、つまり他の一切がされに依存する心理的流れは、人間的コミュニケーションをコントロールすることだ。この環境コントロールを通して、全体主義的環境は個人の外界(その人が見、聞き、読み、書き、経験し、表現するものすべて)とのコミュニケーションだけでなく、(コントロールがその人の内面生活に浸透するという点で)その人とその人自身とのコミュニケーションと言えるようなものに対しても、主導権を握ろうとする。こうしてその環境はジョージ・オーウェルの『一九八四』に奇妙なまでに似た雰囲気を作り出す」。

 外的な接触のみならず、内的な接触との断絶が洗脳に有効であるという指摘は結構重要なんじゃないかと思います。現在の世界では、拉致して監禁して外界との接触を断ち切った状況で個人に特定の思想を植えつけるなどということは法律上不可能に近いですが、内的な接触との断絶というのは、それよりはるかに容易であるように思います。例えば、都市化に伴う隣人との断絶や、インターネットという選択的な情報の取り込みによる情報との断絶等、物理的な距離感はそれまでと変わらないにも関わらず(あるいは情報との距離は縮まる一方でありながら)、心理的な距離は引き離され断絶されるというような現象は現代社会においてむしろ茶飯事であると言えます。

 以前、ある元大手マスコミのジャーナリストだった人物がWeb上に公開されている講義で、現在のインターネットの情報環境を皮肉って次のように述べたことがあります。

「最近の若い連中の中には、マスコミは嘘ばかり報道している!!信じられない!!などと言いながら、ワケのわからん活動家のような人物の情報を鵜呑みにしている子もいる」

と。全く、笑ってしまうような皮肉ですが、まさにその通りでしょう。おそらく、情報空間の遮断や、他者とのコミュニケーションの希薄化が進行すれば、このような現象はより頻繁に現れてくるでしょう。

「マスコミに出てくる評論家は信用できない!!上武学派(※注 この学派は架空の存在です( ̄▽ ̄;))のピカティ教授(※注 この教授も架空の存在です)の分析を信用しよう!!」

みたいなね┐(´ー`)┌

(※ まあ、他にも色々と例は上げればキリがないものの諸般の事情により自粛させていただきますm(_ _)m)

 まあ、この辺は、洗脳や全体主義の基本中の基本なのでいいでしょう。今回この本を読んでて特に気になったのは二つ目の条件です。

 第二の基準は「神秘的な人間操作」である。リフトンによれば、信奉者は「人間操作を正当化するだけでなく、義務的なものにする神秘的雰囲気に突き動かされる。この雰囲気の中には『高尚な目的』が含まれる・・・自分たちの神秘的雰囲気の道具になることによって、彼らは人間操作の機関ー党、政府、組織ーの周りに神秘的な目的』を実行すべく(歴史や神や他の何らかの超自然的力によって)『選び出された』代理人であり、その神秘的な命令の遂行は、礼儀や直接的な人間の幸福といったものについての一切の配慮に優先されなければならない」

 うーむ、なるほど、現役の事務次官クラスの官僚の悪質なコラをバラ撒いて、「なんちゃら戦役!!」とかやってた、完全に○○が××な集団がかつてありましたが、おそらく、彼らは『選び出された』代理人として礼儀や直接的な人間の幸福といったものについての一切の配慮に優先して、コラをネット上に拡散していたワケですね。ちなみに、その団体は、現在ある個人ブロガーを社会的に抹殺する使命に燃えているとかいないとか(笑)ここまでくるとカルトとしか言いようがないんですけど、まあ、それは置いておきましょう( ̄▽ ̄;)

 普通にごく健全な生活を送っている方には、どの程度馴染みがあるのかはわかりませんが、この「選民思想」というのは、ある種のカルトじみた集団の内部に入ったことのある方には非常に馴染み深い感覚なのではないかと思います。

 かくいう、私も以前自己啓発セミナーにハマっていた時期があったのですが、そのある種のカルトじみた集団に疑問を持つきっかけになったことの一つが、この選民意識に対する違和感です。

 要は、「そのセミナーの参加者の一員である」というだけで、何故か人間のランクが一段も二段も上がったかのような感覚を共有することになります。これは、なんとも説明しにくいんですが、とにかくそうなるんです「○○さんのセミナー参加している私たちは他の人たちより素晴らしい!!」っていう。うーん、宗教のアレなんかに近いんですかね?ともかく、そういう感覚を小さなグループ内で共有するんですが、普通に考えて「それはオカシイ!!」ってなるワケですよ。他の参加者がどうだったのあかはよくわかりませんが、少なくとも私は、「なんでウン万円払ってセミナーに参加するだけで人間としてのランクが二回級昇進するんだよ?!」と思ったわけなんですね。で、ふと、そう思ってしまえば最後で、その「私たちって凄いよね!!」っていうその組織の内部で共有している空気感が堪らなく気持ち悪く感じてくる。

 ちなみに、これは、政治や経済の問題に関しても同じような認識を持っていて、例えば、均衡財政論的な考え方に凝り固まっていた状態からすると、三橋さんや廣宮さんの本を読むと、それまでの自分の認識が全く間違っていたことに気づくわけです。そうなると、途端に均衡財政論にとらわれている人間が馬鹿であるかのように思えてきて、逆に新らしい認識のブレイクスルーを成し遂げた自分は何かすごいことをしたかのような感覚になったりもするのですが、やっぱりそれはおかしくて、それは単に三橋さんや廣宮さんの思考をなぞってるだけに過ぎないんですね。もちろん、それを最初に思いついた人は凄いし、偉いとも思うんだけども、フォロワーはそれを後から真似しただけに過ぎない。つまり、先に道を切り開いてくれた人がいて、その人が切り開いた道をのそのそ歩いていってるに過ぎないんです。だから、はっきり言いって凄くもなんともない。むしろ重要なのは、その考え方をそう活用したり、展開したり、あるいは解釈したりするかが重要になってくるわけです。

 まあ、あと、最後に先の二つと微妙に似てるんですけど、指導者が学習者の質問にしっかりと答えられるか、それとも全体主義的な空気で質問自体を圧殺しようとするか?ってのも個人的には重要な要素なんじゃないかと思っています。

 先の、自己啓発セミナーに関してなんですが、実はそのセミナー内で講師が教えていた考えについて当時mixiが流行ってたんで、mixi日記の方に、「○○先生の××という考え方は△△という理由でおかしいんじゃないかと思う」みたいなことを書いたことがあります(うーん、昔から相も変わらず今みたいなことやってたんですねぇ( ̄▽ ̄;))。

 すると、どうなったのかというと、その質問に直接的に回答を出すことはせず、ただ「そういう質問はしちゃいけないよぅ」とか「そういう解釈はダメなんだよぅ」というような何とも言えない全体主義的な圧迫感を出してくるんですね(笑)

「この感じは一体何なんだろう?」と同時は、ただただ気味の悪さだけを感じていたのですが、色々と勉強した今なら分かります。まさにあの気持ち悪い空気感こそ全体主義の雰囲気そのものなんですね。

 なので、まあ、自己啓発自体は完全に否定するわけではないんですけど、仮に自己啓発の講師のもとで何かを学びたいと思うなら、まず、その先生に色々と質問をしてみるのがいいんじゃないかと思います。もちろん、納得のいく回答を出してくれるような先生なら、付いて行くべきだと思うし、少なくとも、ハードな質問に対して真正面から受け答えをしてくれるような先生であれば、おそらくその人物から何かしらの物事を学ぶことが出来るかもしれません。しかし、全体主義的な空気感によって、その質問や、質問する行為自体を封じようとするような人間は詐欺しかペテンの確率が高いのでやめておくべきでしょう。

 まあ、あんまり人間関係やら人間性やらの話で偉そうなことを言えるような人間ではないのは重々承知ですが、人間一人じゃ生きていけないし、自技術や知識の習得においても、やはり人間は他者の協力や支援などを受けなければ難しいことも多いと思うので、まあ、私なりに、信頼できる人物と出来ない人物の見分け方について解説してみました。



 最後に、言うまでもありませんがtwitterなどで異常な程にブロックを多用するような人物は論外ですね。師としてどうとか言う以前に、人間として終わってると思います\(^ω^)/



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posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 09:47 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今回のエントリーの内容がより分かりやすくなる映画を紹介します。「The Wave」というタイトルのドイツ映画です。ドイツの高校で独裁をテーマに授業が行われ、もうドイツでは独裁は起こらないか?という疑問に足して実験してみようという話になり、最初はお遊び程度だったのがだんだん授業を指導した教師ですら制御できなくなって行き・・・・と言うストーリーです。もし良かったら見てください。
Posted by at 2014年12月31日 11:26
現在でも尚「ソフィスト」は巷に溢れて居る。
Posted by at 2014年12月31日 14:36
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