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2014年10月02日

WJFの多元論批判及び、二元論批判批判

 今回は、あまり関わりたくない人ランキング暫定王者のWJFの「多元論」論について批判したいと思います。ニコ生では「言論人が特定の政治家や利益団体と結託することの是非」についてのWJFとの見解の相違についても何度か喋っているのですが、そっちは文字にすると結構骨が折れるので、今回はWJFがよく述べている(らしい)「多元論」について私なりの考えを述べて、そのうち時間がある時に、「言論人が特定の政治家や利益団体と結託することの是非」についても解説したいと思います。

 まず、最初に述べておくことが、私自身は、WJFの述べている多元論的認識についてちゃんと説明を読んでいるわけではありません。なので、厳密な批判は出来ないということと、おそらくWJFはこういう意味のことを述べているのでだろうという推測のもと批判を展開します。

 ええと、WJFは聞くところによると、多くの人々が陥りがちである二元論、つまり二項対立的な思想を嫌い(例「日本の保守派の言論人は愛国者で良識派のリアリストで、左翼は平気でデマを垂れ流して反日的な言説を垂れ流す売国奴だ!!」「安倍首相を応援する人たちは愛国者で良識派でリアリストでバランスの取れた思考能力の持ち主で、反安倍の人間は売国左翼か、保守の振りをした似非右翼だ!!」等々)、より柔軟で多様性を持った思考である多元論的な思考を身に着けることが重要であると考え。多くの二元論的な思考しか出来ない哀れな言論人や文化人、あるいはニコ生主やブロガー共を批判しては、自身の思考能力の優位性を誇示しているそうです。

 しかし、ここで少し考えてほしい点が一つあって、実は人間の思考や認識は本来、究極的には二元論的にしか物事を捉えられないという点です。例えば、仏教では、人間の持つことの出来るあらゆる認識や概念は全て対になる概念を持つという考え方があります。つまり、熱いという概念には冷たいという対概念が存在し、高いという概念には低いという対概念が存在する。つまり、人間の概念や認識は分解していくと究極的には、必ず一つ(あるいは複数の)対概念を持つ二項対立的な概念に行きついてしまうわけなのです。

 では、「人間は多元論的思考は不可能なのか?」と問われれば、その答えは「ノー」です。簡単に言えば、本来二元論的である認識や思考や概念を複雑に組み合わせることによって、特定個人の持つ認識や思考をトータルには、複雑で豊かで奥深い(あるいはそのように見える)多元論的思考にすることは可能です。例えば、絶対的な二項対立的を段階的にしてみたり、グラデーションにしたり、あるいは横軸のみで二象限にしている認識や区分に縦軸を加えて四象限にしたり、さらに高さの軸を加えて三次元的構造にしたり、さらにはそれを組み合わせたり、新たな概念を追加することによって、より複雑な認識形態にしたりと、人間の認識は(理論上は)無限に複雑化していくことが可能です。

 しかし、一見どれだけ複雑に見えても所詮それは二項対立的な概念の複雑な組み合わせ形態に過ぎないため、その複雑な認識の二項対立的な要素を抜き出して「彼はこのような二元論的な認識に陥っている!!」と批判することは可能です。ちなみに、この論法を使えば、(理論上は)如何なる概念も全く同じ形態による批判が可能になります、「彼はA=A’とB=B’という二元論的思考に陥っている!!」というカタチで、つまり、一見有効に見えるこの二元論的批判も実際にはほとんど意味を持っていないんですね。いうなれば、木と鉄筋とコンクリートとプラスチックで出来ている家のプラスチックの部分を取り出して「この家はプラスチックなんかで出来ている!!こんなプラスチックで出来ているなんて全くダメな家だ!!」と批判するようなものです。まあ、ちょっとした心理的テクニックみたいなものですね。タネ明しをしてしまえば実に単純で「なんだ、そんなことだったのか・・・」とがっかりしてしまうような小細工ですが、WJFブログの読者であれば、「二元論=悪 多元論=正義」という(それこそ二元論的な)認識が染みついているでしょうから、意外と有効でコロッと引っかかってしまうのではないかと推測します(もちろん、WJFブログ読者にも色々な人がいて、「そんなこと、とっくにお見通しよ!!」という方もいるでしょうが)。

 さらに、付け加えると、人間は自分の考えを他者に説明しようとする際には、どうしても二元論的な傾向が強くなります。つまり、先ほど述べたような非常に複雑な二項対立的な概念の組み合わせによる認識をそのまます全て余すことなく説明をしようとすると、その内容が膨大になってしまうだけではなく、説明を受ける相手は内容も理解しにくいし、何より(説明する側には分かっても)いくつもある論点のうち、どれが最も重要な論点で、どれが比較的重要度の低い論点なのかが理解できないのです。ですから、どのような複雑な認識や理論も、他社に説明する際にはできる限り論点を絞って単純化します(ちなみに、過度にスピードや効率性や分かりやすさが重視されがちな現代社会においては、これが出来ない人物は、往々にしてバカあるいは、何が言いたいのかよくわからない人というレッテル貼りがされます)。なので、この説明のためにある概念を便宜上単純化した瞬間こそ、二元論批判の絶好のチャンスとなります。ちなみに、WJF以外にも、上念司氏などはこの手法を得意としていて、説明のために便宜上単純化して説明の部分を抽出して「○○は間違っている!!!」とやることが非常に多いです、大抵の場合、このテクニックを使う際には「正確に引用しない」という手法も合わせて用いられます。

 まあ、別に「こんな卑劣な心理テクニックを用いているWJFはけしからん!!」とか批判するつもりもないのですが、まぁ、どんな言論人などの話を読んだり聞いたりする際にも、100%鵜呑みにしたりせず、時にはこんなふうに注意しながら読んだり、聞いたりしてみるのも良いですよ。と、最後に物凄く凡庸なアドバイスを添えて終わりにしたいと思います。


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posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 18:59 | 神奈川 ☁ | Comment(5) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます。

今回のカツトシさんのご主張は多元論について議論を深める上で一度は議題に挙げなければならない鋭いご指摘だと思います。私も多元論について僭越ながら私見を述べさせていただきます。

さて、「麻婆豆腐」という料理がありますよね。「麻婆豆腐」には“辛味”“痺れ”“食感”“香り”“濃淡”“見た目”等々、あらゆる要素が混在しています。では、「八宝菜」はどうでしょうか。この料理にも“塩味”“旨味”“食感”“香り”“濃淡”“見た目””といった様々な要素が混在していますね。
しかし、この“辛味”や“食感”という個別の概念も「辛いか辛くないか」「滑らかであるか滑らかでないか」というような二項対立的な概念であり、そのような概念が重層的に複雑に絡み合って「麻婆豆腐」や「八宝菜」が形成されているとも言えます。

では、この異なる二つの料理を二項対立的に「どちらが美味いか」「どちらが料理として優れているか」を考えてみます。私は、この問いはナンセンスの極みだと思いますが、さりとて突き詰めて思慮すれば、やはり究極的には二元論的な結論が導き出されるのかもしれません。
私は、カツトシさんの仰っている「人間の思考や認識は本来、究極的には二元論的にしか物事を捉えられない」と云う主張も一理は認めざるを得ません。

ですが、私はそれでも二元論的なものの見方を明確に否定します。
私は、ものごとが「二元性」を孕むこと、そのこと自体を否定しません。私たちは「二元性」から無縁ではいられません。
しかし、私たちは「ものの見方」を選択することはできます。「二元性」があることを認めつつも、「多元的な世界」の住人になることは決して不可能ではないと考えます。
「麻婆豆腐」と「八宝菜」はどちらも様々な要素が重層的に複雑に絡み合った素晴らしい料理であり、それだけで良いのです。
「麻婆豆腐」と「八宝菜」を二項対立的に論ずることは“正しい姿勢”ではないと私は考えます。

では、「麻婆豆腐」と「八宝菜」を『安倍 晋三』と『石破 茂』や『自民党』と『民主党』に置換して考察するとどうでしょうか。
“政治家”や“政党”、これらを形成する概念や要素は料理とは比べものにならないほど多岐に渡ることは明白ですね。そしてそれらは「二元性」を大いに内包しています。
しかし、いや、だからこそ、それらを二項対立的な「ものの見方」に依って、善悪や優劣を決めることは、甚だ短絡的で扇動的で杜撰で横暴でナンセンスで危険なものといえるのではないでしょうか。
私は“政治”に於いても、やはり、「自民党(善)vs民主党(悪)」に代表されるような二項対立的な姿勢は唾棄すべきものであると思います。どちらがより「マシか」といった比較論でさえ嫌悪します(選挙は別です。選挙に於いては比較論に依る消去法的な選択基準を設けることは致し方ないと考えます。料理でいえばコンテストですね)。

勿論、「人間は自分の考えを他者に説明しようとする際には、どうしても二元論的な傾向が強くなります」とカツトシさんが仰っているように、人に何かを伝えるときは、論点が拡散しないように適切に取捨選択することも必要ですが、その際には本当に細心の注意を払わなければなりません。何故なら取捨選択することで「あるがままの事実」から乖離してしまう危険性があるからです。

「多元性」が意味することの一つは「事実に付く」という姿勢であるとWJFさんは言います。

民主党が余りに酷かった為、私たちが再び自民党に期待を寄せたことは半ば当然の帰結だといえるかもしれませんが、そのとき二項対立的に「自民党(善)vs民主党(悪)」という誤った姿勢を伴ったことは私たちの目を著しく曇らせました。自民党が長年に渡って竹島を放置していたことや、河野談話や村山談話を踏襲し続けたことや、小泉政権が大規模な構造改革を断行したことなど、様々な自民党の売国的行為、つまり「あるがままの事実」が見えなくなりました(カツトシさんは違ったのかもしれませんが、当時私も含めそのような人々は大勢いました)。

極論かもしれませんが、「多元論と二元論」とは「事実と事実ならざるもの」と言い換えることが可能です。これらは善悪で論じるべきものではないと私は考えます。
「二元論は悪だ!多元論こそ善だ!」と言っているわけではなく、私たちは「二元性」から無縁ではいられないからこそ、二元論的思考法が単純で人々を扇動し易いからこそ、人にものごとを伝えようとするときに二元論的な傾向が強まるからこそ、その危険性を周知する必要があるのではないでしょうか。言論人がそのことを充分に理解しているのならば尚更問題であると思います。

みぬさよりかずさんやカツトシさんの言う「WJFやそのシンパは、『多元論(善)vs二元論(悪)』という二元論に陥っている」という主張は、言葉の枝葉末節にのみ拘った揚げ足取りであり、それこそ「この論法を使えば、(理論上は)如何なる概念も全く同じ形態による批判が可能になります」というカツトシさん自身の正鵠を射た主張が反駁していると思います。皮肉として仰っているのでしたら理解できますが。

また、上念司氏が詭弁を弄する言論人であることは重々存じております。しかし、それとWJFさんを抽象論で以って同列に論じられるのは不適当です。WJFさんは「便宜上単純化された概念や説明を恣意的に抽出」して非難を浴びせているわけではないと思います。
カツトシさんは上念氏の詭弁に正面から反論なさっていたではありませんか。WJFさんに対しても正面から個別具体的に理路整然と反論なさるべきです。
下記の記事への反論はまだなされていませんよね?

三橋貴明は政治家と癒着しているゆえに擁護されるべきか (2014年09月19日) http://wondrousjapanforever.blog.fc2.com/blog-entry-480.html

だらだらと取り留めのない冗長な文章になってしまい申し訳ありません。
コメントを反映してくださってありがとうございます。
以上です。
Posted by 伊武谷 at 2014年10月03日 09:23
アホのWJFに一泡吹かせてやりましたねw
これぞ典型的な身から出た錆ww
自業自得だわなwwwwwwwwww
Posted by WJFきもすぎw at 2014年10月04日 19:40
「多元性」なんて、何の役に立つんですかね?

二項対立を極端に恐れるキチガイは、単に、その一方を「善」とし、もう一方を「悪」だと規定せねばならないという、極めて幼稚な二元論に陥っていることに気付けていないだけです。
Posted by うずら at 2014年10月04日 20:48
カツトシさんやWJFブログに注目する人の半分以上は
そんな真剣に深く考えてないと思いますがね
三橋氏にしろ、WJFにしろ、とりあえず活動する分には頑張ってくれればいいって態度です
そんな態度の僕は
「WJFってなんでこんな三橋にキレてんの????」
って感じです。
WJFは二元論とか多元論とかじゃなく、単純に平衡感覚を失ってるということで
Posted by おんぽ at 2014年10月05日 05:38
批判になっていないと思います。元の議論を正確に読まずにどうこう言うのは公正でない。

そもそも多元論者は、二元論自体を否定していない。
Posted by それは違うでしょう at 2016年07月03日 22:20
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