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2014年08月06日

私の絶望は、西部先生の絶望に匹敵するのであります、だから何?

 前回の記事(『もっと絶望をくれ!!』http://achichiachi.seesaa.net/article/403256736.html)では、「自分自身の絶望が深いことそれ自体は、誇るべきことでも賞賛すべきことでもなんでもない」ということを説明したのですが、少し補足しておいた方がいいかな?と思うので今回は続編です。

 まず、いきなり前回の話と矛盾するようなことを言うのですが、実は、私は絶望すること自体は、ある状況においては必要であると思っています。オルテガは、『大衆の反逆』の中で「ひとたび、ある文明がデマゴーグの手に落ち込むほどの段階に達したら、その文明を救済することは、事実上、ほとんど不可能である」と述べていますが、また逆説的ですが、「しかし、唯一、そこから救済される可能性があるとするならば、多くの人々が、この文明を救済することは不可能であるという事実の前に絶望することである」というようなことも述べているそうです。

 また、前回紹介したキルケゴールも、「自分自身の絶望が深いことそれ自体は、誇るべきことでも賞賛すべきことでもなんでもない」と述べ『死に至る病』の第一編の表題を「死に至る病とは絶望である」としながらも、同時に少し注意深く読むならば、明らかに絶望というものをポジティブな側面からも論じていることが理解できます。そして、三島由紀夫は、自決するおよそ半年前に産経新聞に寄稿した『果たし得てゐない約束』という文章の中で、「二十五年間に希望を一つ一つ失つて、もはや行き着く先が見えてしまつたやうな今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であつたかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使つてゐたら、もう少しどうにかなつてゐたのではないか。」と書いています。

 やはり、非常に優れた洞察力の持ち主の多くは、ほとんど一様に「圧倒的な、ほとんど事実上解決が不可能に思われる問題を前にした時、まずは、その困難さに打ちひしがれ、絶望する」という過程が不可欠であると感じたのではないでしょうか?

 ここで、
「それじゃあ、やっぱり絶望することにもポジティブな側面はあるのではないか?」
と思う方もいるかもしれませんが、私なりに解釈するには、先の、キルケゴールの
「自分自身の絶望が深いことそれ自体は、誇るべきことでも賞賛すべきことでもなんでもない」
という指摘は、端的に言えば、いちいち自分が絶望していることを誇らしげにアピールすることはバカだということを言いたいのではないでしょうか?

 つまり、もっと具体的に言ってしまうと

私の絶望は、西部先生の絶望に匹敵するのであります!!だからこそ安倍内閣絶対支持なのであります!!

とか

私は佐藤健志とは違って、安倍首相に大して期待していないのであります!!だからこそ安倍内閣絶対支持なのであります!!

とか、そりゃあちょっとオカシイんじゃないか?と、まあそんな風に思うのであります(`・ω・́)ゝ


 本日の教訓!!

圧倒的な困難を前に一人静かに絶望しよう・・・

しかし、自分の絶望をひけらかすのはバカっぽいからやめよう・・・



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posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 18:05 | 神奈川 ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
殴り合いを始めた「倉山満」と「田中禿臣」の絶望についても取り上げて、また笑わせてください。
Posted by kanata at 2014年08月07日 14:42
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