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2014年04月06日

殺人論・・・

 先日、『人を殺したけど質問ある?刑期は終えてでてきた』という2ちゃんねるのスレッドのまとめ動画を作成しました





 まあ、内容を簡単に説明すると、金のために銀行員だった父を騙して、死に追いやったAという人物に復讐して殺してやったというお話(細かい内容は実際に動画を見ていただければ幸いですm(_ _)m)。ただ、話の中に色々とつじつまの合わない部分も多かったので、おそらくはつくり話かと思います。

 この話の趣旨としては、殺人を犯す側にもそれなりの理由がある場合も多いので、「殺人を犯したらすぐさま死刑だ」という短絡的な思考はやめてほしいとのことでした。なんとなく、私がこのスレを読んで思い出したのが、坂口安吾のエッセイの中に書かれていた芥川龍之介と農民作家との次のようなエピソードです。

 晩年の芥川龍之介の話ですが、時々芥川の家へやってくる農民作家―この人は自身が本当の水呑百姓の生活をしている人なのですが、あるとき原稿を持ってきました。芥川が読んでみるとある百姓が子供をもうけましたが、貧乏で、もし育てれば、親子共倒れの状態になるばかりなので、むしろ育たないことが皆のためにも自分のためにも幸福であろうという考えで、生まれた子供を殺して、石油缶だかに入れて埋めてしまうという話が書いてありました。
 芥川は話があまり暗くてやりきれない気持になったのですが、彼の現実の生活からは割りだしてみようのない話ですし、いったい、こんな事が本当にあるのかね、と訊ねたのです。
 すると、農民作家は、ぶっきらぼうに、それは俺がしたのだがね、と言い、芥川があんまりの事にぼんやりしていると、あんたは悪いことだと思うかね、と重ねてぶっきらぼうに質問しました。
 芥川はその質問に返事することができませんでした。何事にまれ言葉が用意されているような多才な彼が、返事ができなかったということ、それは晩年の彼が初めて誠実な生き方と文学との歩調を合わせたことを物語るように思われます。(中略)
 とにかく一つの話があって、芥川の想像もできないような、事実でもあり、大地に根の下りた生活でもあった。芥川は、その根の下りた生活に、突き放されたのでしょう。いわば、彼自身の生活が、根が下りていないためであったかも知れません。けれども、彼の生活に根が下りてないにしても、根の下りた生活に突き放されたという事実自体は立派に根の下りた生活であります。(『堕落論・日本文化私観』 P95)


 三島由紀夫は、文学とは蟹のように現実と関わらずに、蟹のように引きこもって生きるには最適な職業だと述べていますが、芥川龍之介もカニのような生き方をしてきたのでしょうか?もしかしたら、蟹のように穴に引きこもっていたにも関わらず、この農民作家の根の下りた現実に触れることで言葉を失ったのかもしれません。もっとも、安吾はその根の下りた生活に突き放されたという事実自体が立派に根の下りた生活なのだと述べていますが・・・。

 だから、何と言うつもりもないんですけどね。ただ、なんとなく、この話は現在の日本の堕胎の状況とリンクしているようである種の気持ち悪さを感じました。あまり話題になることは多くないですが、日本では年間の堕胎件数が30万件近くになっています。97年以降長いあいだ自殺者数が3万人を突破していたということはよく言われますが、堕胎件数はその約10倍です。

 もちろん、堕胎と殺人は違うのですが、妊娠した女子高生が、生まれた赤ちゃんをトイレに流したという事件で「これは恐ろしい事件だー!!」と大騒ぎする一方で、10代の女子が妊娠した場合半分以上が堕胎を選択するという事実はほとんど問題視しない姿勢はあまりにもアンバランスであるように感じます。生まれてくる前に胎児の四肢をペンチで切り取り、頭を潰してお腹から引きずり出すことには無関心で、生まれてきた直後にトイレで流すことには、あたかもそれが現代社会の歪みを象徴するような出来事であるかのように捉えて大騒ぎする様にはある種の偽善や気持ち悪さを感じます。

 世の中どうしようもないことが多いのも事実ですけど、どうしようもないと考えても問題は解決しないし、どうしようもないからと解決への努力を放棄するのも不謹慎なのかなと思います。かといって、どうしようもない問題を、どうしようもないくせに、なにか深刻に悩んでるようなポーズを取るのも何か偽善的な嫌らしさを感じてしまうのは事実なわけで、結局何が正しいですかね?「この世の中に正しい正解なんて何もないんだよ」などと言って悟った振りをするほど、偽善的になることも、偉そうにすることも出来ないですし、まあ、やはり人生って正しく生きようと考えると、どこまでも難しいと思います・・・。


ASREADに寄稿しました!!⇒『ポジティブ病を治す方法』 http://asread.info/archives/537




↓全然、話の内容がまとまってないんですけどねー、なんか厨二っぽい問いに浸りたい気分なんです(笑)応援よろしくお願いします(σ≧∀≦)σ


posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 04:32 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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