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2014年03月08日

『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』(トール ノーレットランダーシュ 著 柴田 裕之 訳)を読んで・・・そのC〜存在と認識の問題〜人間という認識者が存在しないところには、あらゆる物質はその存在が成り立たないのではないかという問いについて〜

 最近の夢は、いつか誰からも判別がつかないくらいに顔を整形して、誰も自分のことを知る者がいない町に移住し、物書きとして、極力他者との接触を避けて一人生きていき、孤独に死ぬことです。どうも管理人です(ゝω・)vキャピ

 最近は、すっかり哲学的な問いや抽象的な問題ばかり考えるようになりました。今回も、まあぼんやり考えた哲学的な問に関しての考察を書いてみようかと思います。もしかしたら、私と同じこと、同じようなことを考えた先人もいるかもしれませんが(というか多分いるのでしょうが)、まあ、知っている人も適当にお付き合いいただければと思います。

 今回の話題は、以前書いた記事(『『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』(トール ノーレットランダーシュ 著 柴田 裕之 訳)を読んで・・・そのA〜世界を認識する方法〜』http://achichiachi.seesaa.net/article/387079996.html)と深い関わりがあるので、もし時間のある方は、こちらの記事を先に読んで頂ければ理解しやすいかと思います。ただ、この記事単体でもしっかりと内容が理解できるよう配慮は致します。

 えー、以前、政治や哲学について詳しい知人と、存在について議論したことがありました。その知人は、「人間が認識しない限りにおいてあらゆる物質は存在しない。存在に先立って人間の言語や認識が存在し、その逆はありえない」というようなことを言っていたので、「何を言ってるんだ?この人は?」と思ったのですが、なんとなく最近はこういった問いが自分の中でホットな話題になってきているので、この問題に関して少し突っ込んだ議論を展開してみようかと思います。

 まず、最初に断っておくと、私は、このような議論に同調するつもりは全くありません。一般的な意味においては、明らかに物質的な存在は、人間の認識以前に存在していて、物質的な存在に対して人間が認識を行うのであり、その逆は基本的にはありえません。「それは違う!!」という哲学者もいますが、まともな頭の持ち主ならば誰でも理解できるように、物質は人間の認識とは無関係に存在します。

 しかし、今回は、あえて議論の視点をずらすことにより、人間の認識が存在に先立つ、つまり人間の認識なしには物質の存在はありえないという仮説(というか屁理屈?)を無理やりでっち上げようという試みます。

 ここで、参考になるのは、有名な「誰も人間(あるいは生き物)が存在しない森で木が倒れた時、その木が倒れた音はするのか?」という問いです。哲学的には、この答えは決定していて正解は「誰も生き物がいない森で木が倒れても音はしない」となります。理由は簡単で、音とは、空気の振動が鼓膜を揺らした時に、その振動をある方法において感知したものが音であるからです。つまり、空気の振動によって鼓膜を揺らさない限り、そしてその鼓膜の振動を脳が音として認知しない限りは、木が倒れた時に発生する空気の振動は単に空気の振動であり、音ではない。つまり、誰もいない森で木が倒れても音は発生しないのです。

 さて、では、次に色というものについて考えてみたいと思います。次に考えてみたいのは、誰も人間(あるいは生き物)が一度も発見したことのない湖というものについて考えてみます。では、この湖に色は付いているでしょうか?素朴に考えれば、答えはもちろんイエスですよね?別に人間が発見しようがするまいが、その湖にはそんなこととは関係なしに他のあらゆる物質と同じように色が付いているはずです。しかし、多くの懸命な読者の方々は、「いや、人間が一度もその目で見たことのない湖には色は存在しない」というかもしれません。理由は、先ほどの音の例と全く同じです。実は、色というのは、光の反射を人間が目で、ある方法において認識したものでしかなく、一度も人間(あるいは別の色を識別することが可能な生き物)がその目で見たことがない湖には色はなく、ただ、他の物質と同じように光を反射させているだけなのです(ただし、他のほとんどの物質は、人間に認識されることにより色という属性を付与されていますが、この湖には色という属性が付与されていないという違いがあります)。

 ここまで読んで、「ふん、なんて下らない、ナンセンスな問いだ!?こんなものどうしようもないひねくれ者の屁理屈に過ぎない!!」と憤慨した方もいるかもしれませんが、次が本題なので、もう少々お付き合い頂ければと思います。

 最後に、存在に問題です。さて、それでは、この世からすべての人間が消え去ったと仮定しましょう(いやぁ、我ながら大胆な過程だと感心します(笑))。その時、この世界に物質は存在するか?という問題です。やはり、ここでも素朴に考えれば、物質は存在すると誰もが思うでしょう。

 しかし、ここで、先の二つの問いと同様に考えるとすれば、やはり存在というものは、人間がある方法によってそのもの自体を認識する方法に過ぎないのです。つまり、人間は、ある物質の存在を存在というあり方において認識する。なんと表現すればいいのか難しいのですが、存在というのもやはり人間の物自体の認識の仕方に過ぎないのです。そうなれば、存在を認識する人間という主体が存在しなければ、やはり物質は、存在しないことになるのです。

 もちろん、こんなものはある種の屁理屈と捉えることも可能で、存在というものを、「人間が物自体を認識する方法のこと」ではなく、「人間が存在として認識したものそれ自体」であると定義するなら、やはりその意味においては全人類が消滅してたとして物質の存在は消えません。しかし、人間は、物質の存在を存在というあり方でしか認識出来ない以上、人間が消滅しても残るであろう、人間の認識を超越した意味における物質の存在は、我々が考え、普段から感じ取っている存在とは全く違ったものであるはずです。

 もちろん、これは認識する観察者からの観点であり、観察される物質の側は、人間が存在しようがしまいが、そんなこととは関係なしに、存在しているのですが・・・。


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posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 18:03 | 神奈川 ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
有名なシュレディンガーの猫理論ですね。
量子力学では電子の位置は観測するまでどこに存在してるか不明で、電子があると思われる所全てに存在してると仮定するんだとか。
Posted by at 2014年03月09日 06:10
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