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2014年02月04日

『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』(トール ノーレットランダーシュ 著 柴田 裕之 訳)を読んで・・・

 今回は、レビュー記事で、バキファンの間では有名な1冊『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』という本について取り上げてみたいと思います。この本は500P以上の大著で内容も多義にわたっているので、複数回に分けてレビュー記事を書いてみたいと思います。

 この本の帯では、「意識は0.5秒遅れてやってくる。」とありますが、今回は、一体この意識の0.5秒の遅れとは何かという問題について簡単に解説してみたいと思います。

 人間の認識は、

感覚器官からの情報のインプット⇒インプットされた情報の圧縮・編集⇒意識化

というプロセスを辿ります。すなわち、人間の意識は五感から情報を取り入れてからそのままその情報を意識化するのではなく、脳内で0.5秒の情報の編集を経て意識化を行います。では、なぜ感覚器官からの情報入力の後に0.5秒の情報の編集が必要なのでしょうか?

 理由は複数ありますが、まず第一には、人間が入力可能な情報量と比較して、意識下可能な情報の量が格段に少ないので、意識下がされる前に不要な情報を切り捨てる必要があるためです。人間は感覚器官から毎秒1000万ビット以上の情報を受け取ることが可能ですが、一方なんと意識は毎秒40ビット以下、おそらくは16ビット以下の情報しか受け取ることができないというのです(ただし、この意識下されない情報は完全に切り捨てられるわけではなく、意識化はされなくとも、無意識の領域において情報が処理されます)。このため、膨大な量の情報を入力しても、その情報をすべて意識化することは不可能であるため、ほとんどの情報は無意識の領域で処分し、非常に重要で優先度の高い情報のみが情報の選別を経て意識化される必要があるのです。

 私は知らなかったのですが、どうやら人間の精神に存在する無意識の領域というものは何も19世紀にフロイトが発見したわけではなく、さまざまな実験により、人間が意識化可能な情報量は非常に限定的であり、膨大な量の情報は意識化されないままに処理される(この意識化されない情報を処理する脳、あるいは精神の領域こそが無意識です)ということはフロイトが無意識の概念を提唱する以前から認識されていたようです。

 次に、情報の意味付けです。現在では、人間以外の動物が、人間とは違った様々な方法で世界を認識していることが分かっています。意外に思われますが、この世界は、私たちが「これこそだ世界だ」と認識するようなあり方においては存在していません。

 私たちが見たり、注意したり、感じたり、経験したりする世界は、錯覚なのだ。私たちの周りの世界には色も音も匂いもない。それらは私たちが経験するものだ。だからといって、世界がないということではない。実際にある。だが、世界はただ存在するのみなのだ。
 人が経験しないかぎり、世界には何の属性もない。少なくとも、色や匂いや音のような属性はない。
(前掲書 P 358)


 音のことを考えてみれば理解しやすいでしょう。音とは現実には空気の振動に過ぎません。これを音として認識するのは、人間がその音の振動を鼓膜で感じ取ることによって認識するのであって、音というものは世界に存在する属性そのものではありません、ただ人間が空気の振動を音という属性として情報処理しているだけなのです。同様にあらゆる人間の認識は、世界をありのままに体験しているのではなく、世界の人間固有の認識の仕方によって認識しているに過ぎません。このように、世界の認識を、人間固有の、あるいは私たちひとりひとりの固有の認識に転換するためにも情報を編集する時間が必要となります。

 そして、最後にそれぞれの感覚の同期化という問題があります。もし仮に、意識が情報の編集を経ずに、そのまま情報の入力をダイレクトに意識化する場合、例えば視覚から得られる情報が脳に到達するのに0.1秒かかり、触覚から得られる情報が脳に到達するまでに0.2秒かかるとしましょう。そうすると、もし自分が何か熱いものに触ってしまった時に、先に、目で何かに触ったことを認識し、その後遅れて触覚で暑いものに触れてしまったことを認識することになります。これは、非常に気持ち悪いでしょう。ピカっと光ってから音が鳴る落雷のような現象を想像すると理解しやすいかもしれません。あるいは転倒することを考えてみても良いのですが、視覚と平衡感覚からの情報がバラバラだったとすると、まず先に自分の体が倒れていくのを感じ、その後に、目で自分が倒れていくのを確認するというようなことにもなります。このような感覚の時差を調整するために脳はそれぞれの感覚の同期化を行います。これによって、タイムラグを調整し、平衡感覚で自分が倒れていっていることを認識すると同時に視覚でも自分が倒れていることを認識できるようにするのです。このような同期化にも時間はかかるでしょう。

 もちろん、この3つだけの情報処理に限られませんが、ともかくも脳は、感覚器官から情報を入力された後に、これらを含んだ情報の編集を経て意識化を行います。

 おそらくは、ここで一つの疑問が思い浮かぶでしょう。仮に、意識に0.5秒の遅れが存在するなら、私たちは皆、0.5秒前の過去の世界を体験しているのでしょうか?

 この疑問の答えは、イエスでもあり、ノーでもあると言えるでしょう。確かに、意識は0.5秒の遅れが発生するのですが、実は、意識は現実には0.5秒遅れて意識した体験を、ちゃんと意識が発生する0.5秒前の情報の編集によって意識化される0.5秒前に体験したように認識するのです、ですから人間はこの0.5秒の遅れを認識できません。

 頭が、こんがらがってきそうになりますが、脳は経験を意識化するために0.5秒の遅れを発生させますが、その0.5秒のタイムラグを修正するために、何かが起こったときにその出来事を、あたかもその出来事が起こった時に合わせて体験し、認識したように再調整するのです。

 この時間と認識の調整機能のために、人間は、常に0.5秒前の世界を認識し続けるという、なんとも間抜けな事態を回避することが可能なのです。ただし、現実には、その時の世界をありのままに体験しているのではなく、その時の世界を同期的に体験しているような錯覚を抱き続けているだけなのではありますが・・・


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posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 02:21 | 神奈川 ☁ | Comment(1) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ベクトルが逆なだけでやってることの本質はネトウヨと変わらない単なるヘイトブログ
Posted by at 2017年07月11日 22:26
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