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2014年01月15日

言論人の芸人化現象・・・

 先日、とある保守的な政治思想を持っている人たちの飲み会の席でライターや雑誌の編集をやっているOさんという方とお話する機会があったので、今回は、その時の話について少し書いてみようかと。

 Oさんとお話をしていて、非常に印象に残った話の一つが、「言論人というのは所詮芸人であって、言論人にとっての言論とは、芸人にとっての芸に過ぎない」という話です。佐伯啓思さんの『学問の力』という本によれば、日本で初めに「言論人は芸人だ」ということを言いだしたのはニュー・アカデミズムの浅田彰らしいのですが、いよいよ、こういった感覚が保守の言論にまで共有されつつあり、おまけにそれが当然のこととして語られていることにある種の恐怖を感じました。

 と、同時に、私はこのブログやASREADの記事で、散々に言論人の言論の間違いや、おかしさについて指摘してきましたが、私はある程度真剣に批判しているつもりでも、そもそも批判される側としてはただのネタとしてやっているのかと思うと、一体自分は何をやっていたのだろうかと虚しくなります。

 しかし、それでは、じゃあ、「あいつらどうせふざけてやってるだけだから無視すればいい」というふうに構えればいいのかといえばそんなことはなく、言論人がどれだけふざけて言論活動を行ったとしても、それを受け取る側は、彼らがどれだけふざけているかなど知る由もなく、現実にそのふざけた言論によって政治や行政が動かされているという現実を直視するなら、それを放置しても良いということにはまったくならないでしょう。さらに、一つ付け加えるなら、言論人の言論は、芸人にとっての芸だと言いましたが、芸人はその芸を磨くために真剣に努力するように、言論人もその言論を磨くため、あるいは流行させるために必死の努力を行っています。

 オルテガは、「意見を述べるための努力をしないのに、意見を述べる権利を自分は持っていると考えるのが大衆である」と述べ、さらにそのような大衆が社会の中枢にまで影響を及ぼすようになる現象を「大衆の反逆」と名付けましたが、現代の時代はまさにどこを眺めてもこの「大衆の反逆」と呼ばれるような現象が見られます。

 あらゆる人々が、何の努力もすることなしに、投票権という政治を現実に動かす能力を持った権利を持ち、「多数参加の多数決で決定する民主主義は素晴らしい」というまさに根拠の定かならぬ神話をもとに、「皆で選挙に行きましょう!!」「皆で投票して、投票率が上がれば世の中が良くなります!!」と呑気に喧伝する人々、自分の半径数メートル以上のことにはほとんど一切の真剣な関心を抱くことのない大衆と、そのような大衆の雰囲気や願望を上手く汲み取る大衆的言論人、そして、そのような大衆的言論人の言説を受けてますます大衆的になっていく大衆人。さらには、情報技術の発達により、現在ではそのような大衆の中の大衆とでも呼ぶべき人間が、「自分の意見を自由に発信できるインターネットは素晴らしい!!」などと言いながら下らない妄言を撒き散らしているわけです(ああ、現実の知り合いたちとの小さなコミュニティーでのみひっそりとやり取りするのが主目的であったmixiの時代がどれだけ良かったことか・・・)。

 添田くんは、ASREADの『世の中がどうしようもないのは「わかりやすさ」のせい』(http://asread.info/archives/375)という記事の中で、青木大和という人物の「言うってことが大事だし、言いたい人は言えばいいのに、なんでタブー視されるんだろう。」というセリフを取り上げて批判していますが、仮にオルテガがこの疑問に答えるとしたらこのように述べるでしょう。なぜ、彼らは発言してはいけないのか?それは、「彼らには、そもそも発言する資格も権利もない上に、その権利を得るための努力もしないから」です。

 そもそも、私は表現の自由そのものに疑問を覚えずにはいられません、もちろん現代社会において、言論の自由を政治的、法律的に抑圧することは実際上不可能に近いですが、そういった事実とその理念そのものが素晴らしいかという話は別問題でしょう、果たして、「自分には何かしらの意見を主張する権利を生まれながらに有している」と考えている人間が、自分が何かしらの意見を主張するに足るだけの人間になるというそれだけのために真剣な努力を行うことがありうるでしょうか?

 なにか、こういうとあまりにもルサンチマン丸出しな言論になってしまって、申し訳ないのですが、正直言って、私はこのような現象の何もかもが気持ち悪いし、不愉快なのです。なんの努力もなしに「アナタは素晴らしい個人としての尊厳を持った人間だ!!文化的な生活を享受する権利、世界でたった一人の自分の考えを自由に表現する権利を生まれながらに持っているのです!!」などと言われて育ったガキどもも(そのガキの中には30代のガキも40代のガキも、中には50代60代もいるのですが・・・)、そんなガキどもの妄言をなにか素晴らしい個性の表現であるなどともてはやす連中も、そんなものをもてはやす大衆の精神や願望を汲み取りそれに迎合していく言論人の言論の姿勢も何もかもです。

 世の中の多数派が、本当に、こんなものを素晴らしいと感じているなら、あまりにも知性や感性の程度が低すぎるように私には思えますし、仮に、心の中では「こんなもの下らない」と感じているにも関わらず、そのような思いを心に秘めながら、表面上では、「いやあ、○○さんの言論はなかなか斬新で面白いねぇ」などとうすら笑いを浮かべながら語っているとしたら、それもまたたまらなく不快なわけです。

 仮に私が、「言うってことが大事だし、言いたい人は言えばいいのに、なんでタブー視されるんだろう。」という青木大和の言葉に同意するとするなら、このような連中やこのような連中をもてはやし、「なかなかの人物だ!!」「新しい、これからの世の中を変えていく若者たちだ!!」などと評価する、知性も品性も劣化しきった社会に対して「クソッタレ!!」と言ってやるような意見に対してならば、唯一「言いたい人は言えばいい」と共感を覚えるのです。


ASREADさんに記事寄稿しました!!こちらもよろしくお願いします!!⇒『アベノミクスで所得が増えない理由とは』http://asread.info/archives/338




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posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 04:25 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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