新ブログ作成しました⇒当分期間当ブログと同時更新を続けますが、一定期間経過後、新ブログをメインで使用します

http://ameblo.jp/kattann2525

現在、評論家古谷経衡氏 倉山満氏等を中心とする言論人グループと係争中です。
横浜銀行 横浜若葉台支店 
店番号 387 普通預金口座番号 1258646
タカギカツトシ



多額の弁護士費用とかかりますので、どうか、もしよろしければご支援の方よろしくお願いしますm(_ _)m

2014年01月12日

表現者塾のシンポジウムに参加してきました!!

 先日行われた表現者塾のシンポジウムに参加してきました。西部邁さん、藤井聡さん、富岡幸一郎さん、水島社長の4人でのパネルディスカッションが中心のイベントでしたが、とても素晴らしい内容でした。

 出演者の皆さんが、それぞれ非常に面白い話をしていましたが、特に強く印象に残ったのが西部さんの「もはや、日本はバカだらけであり、政治も社会もどうしようもないほどに劣化しきっている」というお話でした。

 西部さんは、そこでオルテガの言葉を引用し、「バカは死んでも治らない」という事をおっしゃり、もはや、どれだけこの日本列島に済む日本人の知性が劣化しているかという問題について堂々と論じ、表現する知識人が出てくるべきではないのか?と話していました。

 ちなみに、「バカは死んでも治らない」とはオルテガが『大衆の反逆』にて用いた表現なのですが、前後を含めて正確にはこのように論じています。

 したがって、愚か者と炯眼の士とのあいだに永遠に存在する差異と同じものを、ここに見るのである。炯眼の人は、自分が愚か者とつねに紙一重であることを知って驚く。だから、目前のばかげたことを避けようと努力するし、その努力のなかに知性が存する。それにたいし、愚か者は、自分のことを疑ってみない。自分がきわめて分別があるように思う。ばかが自分の愚かさのなかであぐらをかくあの羨むべき平静さは、ここから生まれるのである。住んでいる穴から外へひきだしようのない昆虫みたいなもので、愚か者をその愚行から解き放ち、しばらくでもその暗闇から出して、いつもの愚かな見方を、もっと鋭い見方と比較してみるように強制する方法はないのである。愚か者は終生そうであって、抜け穴がない。
 だからこそアナトール・フランスは、愚か者は邪悪な人間より始末が悪い、といったのだ。つまり、邪悪な人間はときどき邪悪でなくなるが、愚か者は死ぬまで治らないからだ。(P81)


 私は、他人にこの『大衆の反逆』の内容を伝えようと思ったときには「この本の内容は一言で言えば、バカが偉そうにしゃしゃり出てくな!!ということを説いた本です」と説明します。しかし、残念ながら、それを実現することは難しいでしょう。

 オルテガに言わせれば、バカは、自分の馬鹿さを自覚する能力の欠如ゆえに馬鹿なのですから、その自分自身の馬鹿さ加減を自覚し、おとなしく、また同時につつましく身の丈にあった振る舞いを行うように強制することは不可能なのです。
「邪悪な人間はときどき邪悪でなくなるが、愚か者は死ぬまで治らない」
ともありますが、これも理由は明白でしょう。邪悪な者は、自分の邪悪さを自覚するがゆえに、時々気まぐれのように良いことでもしてみようかと思うときもあるでしょうが、一方で、自分の馬鹿さを認識することが不可能である愚か者は、その自分の愚かさを一切省みることができないために、死ぬまで愚かな振る舞いを継続するのです。

 また、西部さんは、どれだけ日本人の知性が劣化しているかという問題について堂々と論じ、表現する知識人の出現を望んでいました。確かにそれが非常に望ましいことであるとは思いますが、しかし、仮にそのような知識人が一定数現れてきたとしても、わたしはその効果は限定的であるのではないかと思います。なぜなら、自分自身の愚かさを感じ取ることが不可能な愚か者は、どれだけ日本人の知性の劣化を訴える知識人の言説を聞いたとしても、大抵の場合「ああ、いるいる、いるよねー、そういう馬鹿な奴!!」とだけ感じ、まるで自分はそのような愚かさの感染を免れた特殊な免疫の持ち主であるかのごとく勘違いするか、もしくは、仮に自分の愚かさを自覚したとしても、「なによ?皆愚かなんでしょ?皆愚かなのに今日も地球は回っているのだから、それで何か問題でもあるのかしら?」としゃあしゃあと抜かし、その後はこの不愉快極まりない言論を綺麗さっぱり忘れて、翌日からはせっせとまた愚かな振る舞いを繰り返すかのどちらかでしょう。

 オルテガは、
 現時の特徴は、凡庸な精神が、自己の凡庸であることを承知のうえで、大胆にも凡庸なるものの権利を確認し、これをあらゆる場所に押しつけようとする点にある。
と述べていますが、現代人のほとんどすべての人間は、自分が知的エリートだと信じて疑うことのない愚か者と、自分の凡庸さに関して完全に開き直り、その凡庸なままに様々な権利を主張する(驚くべきことに、それは要求ではなく、そもそもそれはあって然るべきだとする要求するまでもない権利に関する主張なのです)凡人のどちらかなのです。

 西部さんは、演説の中で、「もはやどうしようもない」としきりに語っていましたが、確かに、この世の中のすべての人々がこの2種類の人間のうちのどちらかでしかないとするなら、まさにそのように「どうしようもない」でしょう。

 あるいは、仮に、なにかどうにかしようがあるとするならば、それは、その愚かさにも、凡庸さかにも浸かり込むことなく、健全でいようと不断の努力を行い、自らが社会の免疫となろうと努力するような人間の存在なのではないかと思いますが、1億2千万人のほとんど全てが気が狂ったような、あるいは無気力であらゆる分野で事勿れ主義に陥ってしまっているような状況にある中で、たった一人だけでも精神の独立性を保つ、そのような強靭な人間など存在しうるのでしょうか。


ASREADさんに記事寄稿しました!!こちらもよろしくお願いします!!⇒『アベノミクスで所得が増えない理由とは』http://asread.info/archives/338




↓応援よろしくお願いします


posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 16:17 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿が無いブログに表示されております。