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2013年12月22日

保守はなぜ古典を読むべきなのか?

 今回も、こちらのブログに書き込まれたコメントを参考にアレコレ考察してみたいと思います。

 ところで「大衆の反逆」の日本語訳のくだりとしてカツトシさんは
「文明といい文化といい、すべては変幻極まりない現実をなんとか安定させようという試みであり、その仕掛けであり、その結実である。だが大衆人はそれらをあたかも空気や水のように無償の恵とみなしてしまう。」
 という部分を取り上げていらっしゃいますが、これはそもそも文明、文化が自己破壊的な側面を持つことを暗に示しているのではないでしょうか。
 例えば石器時代や縄文時代のような、「変幻極まりない」厳しい環境にさらされていれば、今日明日の命をつないでいくことそのものに不安があるわけです。その状況を何とか安定させよう、衣食住に困らないようにしようと懸命に足掻き、試行錯誤した結果、農耕を始め、灌漑設備を作り、家を建て、強固な堤防を作り・・・ と進歩していき、現代に至っては今日明日の命を心配しなくても生きていけるようになりました。 ところが皮肉にもその努力の結果として安定された生活が約束されるようになったが故に「日常」が退屈なものとなり、 “大衆人”が発生し、自分の社会基盤、文明を支えている人たちを退屈しのぎとして叩くようになってしまう と。 縄文時代のようにそもそも“退屈”になる余裕がなければ大衆人など発生しないはずで、発生しても(市場原理を信奉する人の言葉を借りるなら)淘汰される運命にあります。


 左翼の唯物史観、進歩主義的な歴史観を否定する保守の人間の多くは、時代は先に進むほどに良いものになっていくという素朴な歴史観を異を唱え、より良き明日を実現するため、あるいはせめてこの世の中にある良き伝統、良き価値観を破壊から守り保守するためには不断の努力が不可欠であると信じます。

 しかし、それでも人間や社会は常に劣化を続け、あたかも一人の人間が成長し、肉体的にも精神的にも立派に成長しながらも、同時に疲労や身体的ダメージの蓄積や、あるいは老化によって段々と衰弱していくかのように、人間や社会は活力を失っていく必然性を内在しているように思えます(もっとも、この考えも行き過ぎれば、裏返しの唯物史観ともなりかねないために十分な注意が必要ではありますが)。

 つまり、私自身は過去の時代に生きた多くの人々は、「より良き明日を信じ、そして、そのより良き明日の実現を願い精一杯生きていたのだ」と信じますが、残念ながら、ほとんどの場合その期待は無残なほどに裏切られ、人も社会もどうしようもなく腐っていってしまうワケです。明治の時代を築き上げた幕末の志士たちや、祖国の誇りのためと思って死んでいった特攻隊の人々が、現在の日本の状況を見てどう思うのか?とひとたび想像してみれば、どれだけ否定したくとも、これは容易には否定できない事実でしょう(もっとも、特攻隊の人たちを軍国主義による哀れな時代の犠牲者であるとしか捉えることのできない、おそらくこれ以上に哀れな人間はいないのではないかと思われるようなある種の人々にとっては、あるいは容易に否定が可能であるかもしれませんが・・・)。また、同様に、おそらく、文明のどん詰まりの状況に生きているかに思われる現代の我々もまたより良き明日のために全力を尽くして生きたとて、おそらくその期待は裏切られるのでしょう。

 それでは、多くのより良き明日を信じて生きた過去の多くの先人たちの期待に応えたいと切に願いながらも、それは到底、容易には叶えられないと知る保守の人間に出来ることとは一体なんなのでしょうか?もちろん、一つには、それがどれほど困難であろうと、そのほとんど不可能に思えるような困難を実現しようを最大限の努力を行う必要があることは言うまでもありません。

 そして、もうひとつの取るべき行動として、やはり優れた古典の書物を読むという事が挙げられるのではないでしょうか?古典の知恵というものは、偉大であり、歴史の風雪に耐えた古典の知恵の中に、現代に通じる知のエッセンスとでも呼ぶべきものが随所に散りばめられているということは言うまでもありません。

 しかし、同時に古典の中には、先人たちの切なる想いもまた込められているのです。歴史や伝統を重視する保守の人間にとて、この先人たちの想いをできる限り汲み取ろうと努力するというのは、それだけで十分な価値を持つのではないでしょうか?もちろん、靖国神社に参拝することも重要ですし、歴史問題おいて、先人たちの名声を回復させようと努力することも重要でしょう。しかし、また先人たちが願った世界を実現することが非常に困難であるという現実を前にして、保守の人々は、せめて古典の優れた書物の中に、先人たちの想いや理想を可能な限り汲み取ろうと最大限の努力を行うという程度の知的な誠実性は要求されてしかるべきではないでしょうか?


ASREADさんに記事寄稿しました!!こちらもよろしくお願いします!!『ネット時代における大衆社会批判』http://asread.info/archives/289




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posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 18:49 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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