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2013年12月12日

市場原理主義は正しいのか?

 以前書いた記事(『金銭崇拝教』http://achichiachi.seesaa.net/article/382361805.html)のコメント欄で、面白い議論がなされていたので、今回はそれを紹介してみようと思います

何によってその人の正当な報酬とすべきかというと、その人が創造した付加価値に基づくということに尽きるでしょう。
ホリエモンが批判されたのは商売人だからではなく、真っ当に商行為という付加価値創造によって所得を稼がず、金融テクニックを駆使して付加価値創造によらない、つまりは他の付加価値創造をした誰かが得るべき所得を掠めることで所得を稼いでいたからでしょう。
土建屋、医者、政治家、天下り官僚らが得る所得が彼らが創造した付加価値に見合うものではない、富の分配の偏りが存在するというのは大きな問題ですが、それは既得権者と庶民の間にだけ存在するのではなく、庶民の中にも存在するものです。
デフレのために労働の価値が下がっていることに乗じて労働者の所得が不当に引き下げられ、経営者や株主ばかりが肥え太るということも、創造した付加価値に見合った所得の分配がなされていないという搾取、弱肉強食の構造です。
「自分だけ」「今だけ」という利己主義の極地ですが、これを正当化する論理がさも自明の理のごとく流布されてしまっている現状です。
それで世の富の総量が増やせるならそれでもいいでしょうが、正当な報酬が得られない世が続けば行き着く先は李氏朝鮮のような中世社会への退行でしょう。
この問題は市場原理主義や競争至上主義のような利己主義を正当化する論理では解決することは出来ません。


 この記事や、その前後の記事では、おおよそ金銭崇拝的、市場原理主義的な価値観に対して否定的な見解を示していますので、(必ずしも私と全く同意見ではありませんが)こちらのコメントでは私の主張に対して好意的なコメントを書いてくれているわけです。次に、この私の主張に対して好意的なコメントに対する反対意見が書き込まれます。

では市場で稼いだ所得が適正所得ではないとすれば、国家が個人の労働付加価値を適正価値を判断して所得を決めればいいんですか? 共産主義でしょ。
資本主義で自分だけ儲けるのが悪い、と言うなら、

じゃあアナタはどうなんですか。資本主義社会の体制に安んじて、市場で創造された富を得て生きている。

個人資産を貧窮者に分け与えることも、スラム街で奉仕活動するわけでもない。

アナタは、自らが批判する「利己的な金持ち」と同罪なんですよ。

子どもが、親に養われながら、親が悪いと言ってるようなもんですね


市場で稼いだ所得が適正所得ではない判断し、国家が個人の労働付加価値を適正価値を判断して所得を決めればいいなどとは、一行も書いておらず、全くの妄想に基づいて、共産主義であると断じているあたり、何を言っているのか分からないとしか答えようがないのですが、この後、さらにこの意見に対する反論のコメントが書き込まれているので紹介したいと思います。

政府が付加価値に基づいて富を適正に配分することは困難でしょう、そのために規制があり税制があります。
これらを強めたり弱めたりしつつ全ての国民が自らが創造した付加価値に見合う所得を得る、望ましい配分状況に徐々に近づくようにする他はありません。
これは共産主義では全くありません。
強者が弱者の得るべき富まで吸い上げることを是とするのは、資本主義であろうと共産主義であろうと認められる論理はありません、あるとすればそれが拝金主義です。
それでもそういう状況が存在するのは資本主義に生じた歪みなわけですから、それを是正する努力を払わなければなりません、それは「資本主義社会の体制に安んじて、市場で創造された富を得て生きている」者の責務でしょう。


 いやはや、全くおっしゃるとおりだと思います。別に、市場原理主義を的なあり方を否定することは、市場原理を完全に否定し、計画経済の体制に転換しろという主張とは全く違います。それは市場原理で一定程度決定される所得に対して、その分配に歪があればそれを税制や各種の規制を使って制限する。これだけ単純な主張にどうもアレコレと噛み付いてくる人がいるのが不思議なのですが、まあ、橋下や竹中、大前研一といった人たちを未だに評価している人々がいることを考えればやむを得ないかもしれません。

 しかし、やはりこれらの人々の主張が間違っているのは明確で、市場原理主義を徹底的に突き詰めれば行き着く先は産業革命直後の18世紀後半から19世紀のイギリスの状況です。環境は徹底的に破壊され、労働者は資本家に徹底的に搾取され、幼児労働は公然と行われ一切の規制が入らない。このような状況に戻りたいと思う人はまさかいないとは思いますが、結局市場原理主義の人々の主張を突き詰めれば、そうなってしまうわけです。

 だからこそ、道義的観点や経済の効率性等々、様々な観点から適正な基準を設け、場合によっては再分配を強化する必要もあるわけです。

 面白いのが、真ん中の批判的なコメントをした方が最後に「子どもが、親に養われながら、親が悪いと言ってるようなもんですね」と書いているのですが、まさに、再分配は子供と親の関係に例えられるべきで、例えば、稼ぐ力を持った親が、稼ぐ力をそれほど持たない子供に対して、ろくに食費や衣服代、教育費を出さずに放置すれば、それは道義的に大いに批判されるべきで、言うまでもなく親は、子供に対して適正な範囲で必要な金銭的な援助をする責任を担っているわけです。

 まあ、要は適正な仕組みとはどのようなものかという観点から常に、最善の解を探り続けるのが保守の経済のあり方と言えるのではないでしょうか。そして、付け加えるなら、その最適さというものは絶対普遍のものでは決してなく、常に状況と共に最適なあり方は変化しうるものであるという観点も不可欠であると思います。

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posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 17:51 | 神奈川 ☀ | Comment(4) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私が批判しているのは、「国民を平等にしてやるのだ、正しい方向に"善導"してやるのだ」と称して規制や重税搾取を行い、官僚や政治家がとうてい平等でも公平でもない富を得、権力を集中させていることです。

新興ブルジョアジーが儲ける事を批判しながら、官僚・医者・土建屋・政治家・東電など旧勢力と庶民の格差・搾取関係はスルーしようと言うのなら、規制や再分配の推進論は、「民間勢力の金持ちが儲けることが気に入らない」という個人的な嫉妬の表明にすぎません。
Posted by at 2013年12月12日 19:08
カツトシ様へ

今回の内容に関して、材料を与えてくれそうな
面白い書物があります。
アンドレ・オルレアン氏の「価値の帝国」です
5500円する本ですが、立ち読みでも良いので是非。
中野先生のファンであるブログ主様には
とっくにお馴染みかも知れませんがw
Posted by ホワホ at 2013年12月12日 22:27
>2013年12月12日 19:08 の方
そうですね
「反市場原理」を主張する再分配規制強化派(官僚派)は、格差が悪いと言いながら、何倍までの所得・資産差なら良いのかも定義できません。「悪質な金儲けが悪い」というなら、どのような職種や経営形態が「悪」なのか、明確に定義できるはずです。
明確な定義も無しに「金儲けは悪だ」「競争は悪だ」と言えば、共産主義と認定されるのは当然です。
Posted by 自由主義者 at 2013年12月12日 23:42
能力によって格差が決まる市場原理主義のほうが、身分によって格差が決まる官僚社会主義よりマシでしょう。
Posted by 小沢太郎 at 2013年12月13日 12:06
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