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2015年01月19日

人間にとって最もよいこととは何か?

 ミダスはシレーノスを捕まえて、古代の知恵を聞き出そうと強く迫った。「人間にとって最もよいこととは何か」とミダス王は問う。シレーノスはミダス王を一目見て、浅はかで欲深い暴君であることを見抜いた。そこで、いかにも酔っ払いらしく、王の老い先の短さをあざ笑い、「人間にとって最も良いことは、この世に生まれてこないこと、そして次によいことはできるだけ早く死んでしまうことだ」と、哲学的な答えを返した。

(『21世紀の貨幣論』フェリックス マーティン  著 より)


 『21世紀の貨幣論』は、最近読んだ本の中でも、特に衝撃を受けた本なのですが、不思議なもので、一番印象に残っているのは、こんな本筋とは何の関係もないちょっとしたエピソードの紹介だったりします。

 多分、このシレーノスの返答を聞いて、思想や哲学を少しかじった多くの厨二病的な読書家なんかは「うむ、なるほど」とか「これは深い含蓄に富んだエピソードだ」とか考えたり、さらに厨二病を拗らせちゃってる奴なんかだと、「なるほど、その通りだ!!」なんて考えたりすると思うんですよ。

 だけど、もう一歩踏み込むなら、やっぱり、「じゃあ、これを読んで納得しながら、今すぐ自殺しない俺はなんなんだ?」とか「なんで、人間にとって最も良いことは、この世に生まれてこないことなのに、今日も人類は生きて存在して活動してるんだ?」とか考えなきゃいけないと思うんですよね。


人類が誕生したのは神のいたずら?生命体の進化の結果?

人類の存在は偶然?それとも必然?

そもそも、偶然って何?必然ってどういうこと?

人間とか、人類の存在に意味ってあるの?それとも意味って最初から存在するものではなくて創造(or想像?)するもの?



なんて・・・まあ、やっぱり答えとか正しい正解なんてないんですけどね(笑)まあ、こんな忙しい時代ですし、たまには哲学的な問いかけで空想に耽ってみるのも悪くないかとヾ(≧△≦)ノ彡☆力"ノヽノヽノヽノヽ!!



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『リベラリズムの再生―可謬主義による政治理論』著 施光恒 から考える、チャンネル桜水島総及び古谷経衡の知的貧困及び精神の幼稚性(※注 知的な貧困感じて震えてるHGとは一切関係ございません<(_ _)>)

 以前、東谷暁さんが、施光恒さんとの対談で絶賛していた『リベラリズムの再生―可謬主義による政治理論』という本なのですが、先日、図書館に行ったら置いてあったので、借りて読んでみました。

 可謬主義とは、つまり、世界の様々な情報や現象には限りがないのに比較して、認知能力に限界を持った人間は誤りを犯しやすいという前提を重視する考え方で、いわゆる人間の理性による無謬の価値の発見を前提とした設計主義的合理主義を否定する考えの一つです。この本では、この可謬主義をもとに、現在様々な批判や課題を抱えているリベラルの理論を再構築し、さらに、その新しいリベラリズムの思想を実現するための精神的な内的条件と、環境的、社会的、政治的な外的条件を整備するには何が必要であるか?という問題について考察しています。

 そこで面白かったのが、次のような記述です。

 内的条件の要請する心理的能力とは次の二つからなると考えられる。一つめは、@自己客体視の能力、つまり、自分自身や自己の置かれた状況を「客観的に」見つめることができる能力である。二つめは、A認知的柔軟性、つまり、異なる見解を受容し、それとの比較の上で自己の既存の認識や判断に内在する誤りを認め、柔軟に修正していく能力である(中略)
 加えて、既存の善き生の構想の吟味を行うためには、Aの能力も求められる。既存の構想の批判的吟味を開始する際には、自己の見解と異なる見解を受容し、それを検討できなければならない。また、そうした異なる見解の参照を通じて自己の見解に含まれる誤りを認識し、自己の見解を柔軟に修正していくことも必要である。社会心理学的研究によれば、このAの能力を欠いている者は、異なる見解から目をそらし、自己の見解に含まれる誤りを認めず、自己の既存の見解に固執しがちである。そのため、異なる観点との関連で自己の古い見解を柔軟に修正し改善していくことができないと言われている。


 この、自己の既存の見解に対する批判的検討能力の欠如という問題に関しては、また機会があれば、じっくりと解説してみたいと思うのですが、とりあえず、この文章を読んで最初に思いついたのは現在のチャンネル桜の水島総氏の現在のアクロバティック安倍擁護の問題です。安倍政権発足当初から、「TPP断固反対、安倍政権絶対支持」を掲げ、多くの視聴者から「何言ってんだ?」という批判と嘲笑を浴びたワケですが、現在においてもその姿勢はほとんど変わらず、最近の討論では、かつてあれほど熱烈にチャンネル桜と水島氏を応援していた西部邁さんに「こんな状況で、水島さんのように麗しき日本人の精神性などと言われてもねぇ」と皮肉を兼ねたジョークで小バカにされている始末です。

 まあ、別に安倍政権支持をするならするで別に構わないのですが、最近では、その方法もあまりにもお粗末なやり方で、反対派の人々に対して「ハエのような連中であります!!」だの「あいつら反対派は、全体の状況やこれまでの歴史の流れを全然わかっていないのであります!!」だのと、全く抽象的な反論しか出来ない状況になっています。「いやいや、保守派で反安倍を言ってる連中は、そういう全体状況とかこれまでの流れとかを考慮したうえで反安倍やってんだよ(^^;」と言いたくなりますが、残念ながらそんな声は安倍に恋する女子大生状態の水島氏の耳には全く入ってきません。彼(彼女?)にとっては、安倍批判をする人間は、「憧れのあの人」をボロクソに貶す、酷くデリカシーのない、意地悪で悪質なハエのような人間に見えるそうで、残念ながら、反安倍を掲げている人間の見解を少なくとも一回は虚心坦懐に聞き入れ吟味し、その上で、それまでの「安倍断固支持」の自分の見解と比較検討してみるような知的な能力も、それだけの精神的な余裕もないようです。「あの人の悪口なんて少しでも言ったら、あの人に嫌な男(女?)だって思われそう・・・」なんて、思っている彼には、とてもとても安倍批判に耳を貸して吟味検討することなんて不可能なわけです。

 それから、もう一つ思い出したのは古谷経衡氏ですね。彼は、自身がTwitterで行ったネトウヨに関する独自調査をもとに、小林よしのりのネトウヨ負け犬論を徹底的に批判し、「小林よしのりは、ネトウヨの実態を全く理解していない!!私の調査では、ネトウヨは比較的裕福な○○層が多い!!これを前提にしない小林よしのりのネトウヨ批判は全く馬鹿げている!!」みたいなことを書いていたんですが、これなんて、おそらく本人は「だから、俺の方が小林よしのりより凄い!!」なんてアピールしたかったのかもしれませんが、少し理解力のある人間からしてみれば、ほとんどただのいちゃもんに過ぎないんですね。

 まず、調査方法がクソ過ぎるという問題があって、ツイッターだけでは明らかにサンプルが偏るという問題を彼は理解できていない。つまり、彼の調査はTwitterをやっているネトウヨに関する調査であれば、一定の意義があるかもしれないけど、それだけでネトウヨ一般の実態や傾向を測れるかは分からないんですね(ついでにいうと、現時点で誰一人としてこの調査について追加調査を行った人がいないためにその正確性も全くあてにならないというのが客観的に妥当な評価でしょう)。それから、次にネトウヨの定義の問題があって、そもそもネット上ですらネトウヨという言葉が様々な意味に使われていて、ほとんどしっかりと定まった定義はないというのが現状です。なので、小林よしのりが使った「ネトウヨ」という言葉と古谷経衡が使っている「ネトウヨ」という言葉の定義が違う可能性だって十分にあり得る。そんな状況で、小林のネトウヨ評は間違っていると断言するためには、まず「小林よしのりのネトウヨという言葉の定義が間違っていて、古谷経衡のネトウヨという言葉の定義の方が正確である」か、もしくは「小林よしのりと古谷経衡は同じ意味でネトウヨという言葉を使っていて、その上で古谷経衡の認識の方が客観的に見て正しい」ということを示す必要があるわけですが、今のところ、そのような比較検討を行った様子は全くない。

 これらの点から、分かるのは、彼は「異なる見解を受容し、それとの比較の上で自己の既存の認識や判断に内在する誤りを認め、柔軟に修正していく能力」が欠如していて、そのために「異なる見解から目をそらし、自己の見解に含まれる誤りを認めず、自己の既存の見解に固執しがちである。そのため、異なる観点との関連で自己の古い見解を柔軟に修正し改善していくことができない」か、もしくは、そもそも様々な社会的な調査の方法や統計の基礎といったジャーナリストにとって基本的な能力が欠如している、あるいは、そのような訓練を学生時代に完全に怠っており、その上、現在に至るまで全くそのような能力の欠如を自覚することなく、その当然の結果として、やはりそのような訓練を行っていない。もしくはその両方である可能性があるということです。

 えー、最近は、こちらのブログでもニコ生でも、現在の保守論壇を批判することが多く、最近私のブログを読み始めたり、ニコ生の放送を観るようになった方のうちには、私が保守嫌いの左翼だと思っている方もいるようですが、私は、保守や保守思想そのものを批判したことはありません。私が批判しているのは、あくまで現在の保守論壇と、その質とレベルの低さであって、保守思想そのものをオカシイと批判したことは一切ありません。

 それから、ついでに補足すると、今回は具体例として水島総氏と古谷経衡氏の2名を挙げましたが、彼を個人攻撃したり意図的に彼らの言説を貶めたりする意図も一切ございません。ただ、単純に、現在の保守論壇の低劣さを良く表している一例として今回は彼らを取り上げさせていただきました。




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億万長者と精神病〜『じゅうぶん豊かで、貧しい社会:理念なき資本主義の末路』ロバート スキデルスキー (著), エドワード スキデルスキー (著)を読んで〜

 以前から読んでいて、生放送でも何度か紹介させてもらっている『じゅうぶん豊かで、貧しい社会:理念なき資本主義の末路』ですが、かなり面白いです。

 筆者のロバートスキデルスキーはケインズ研究の大家ということで、現在の経済状況に照らして、ケインズ主義的な経済政策の有効性などを説いた本なのかな?と想像していましたが、全然違っていて良い意味で期待を裏切られました。一番の主題は、ケインズが描いた、人々の生産性が向上し十分に豊かになり、労働時間が現在の半分以下になるような世界の構想と、なぜそれが実現しなかったのか?という問題について経済思想や哲学的な面から解説しています。つまり、よく人々が思い浮かべる素朴な疑問ですが、「なんで日々技術は進歩し様々な業務は効率化し、生産性は格段に向上しているにも関わらず、現代人はこんなにも慌ただしく生きているんだろうか?」という問題について、様々な思想家や哲学者の考えを参照しつつ読み解いていきます。

 それで、まあ、やはりその原因の一つとなっているのは強欲なんですね。

 アリストテレスからケインズにいたるまで、交換価値、あるいはまさにそれを体現する貨幣は、追及の対象としては疑わしいとされてきた。ヴェルギウスは憎むべき金への執着を語り、ケインズは「現実の生活や楽しみのための手段」としてではなくひたすら「所有する」ための金銭愛を「半ば犯罪的で半ば病的な性癖であり、精神科医に見てもらうほうがよい」代物だと述べた。

 うーむ、なるほど。そういえば、私は、最近「億万長者専門学校」なるセミナーに参加して、「一体、なんで、そもそもそんなに金が欲しいと思ったり、億万長者になりたいと思うんだよ!?」という疑問を抱いたということを説明しましたが、まあ、少しは、ケインズが述べたような精神科医にみてもらうべき病気から離れた地点にいるということなんですかね(そういえば、当のケインズ本人は、莫大な財産を死後はほとんど全て寄贈したとか)?

 それから、この本ではまた、人びとが飽くなき富の追求や、やたらと金銭に執着する傾向を示すようになった原因として他にも、「善き生のモデルの喪失」を挙げています。つまり、この善き生、望ましい暮らしというもののモデルが機能している状況においては、人びとがそれ以上の富の過剰な追及に走る傾向は抑止されるのですが、善き生のモデル、つまり生活や人生における価値基準が喪失した時に、その尺度を金銭の多寡に求めることとなり、人間を飽くなき富の追求に向かわせるということです。

 実は奇遇なことに、これまた最近読み始めた施光恒さんの『リベラリズムの再生―可謬主義による政治理論』という本でも、この「善き生」という問題が最重要のテーマの一つになっています(ちなみに、現在4冊ぐらいいろんな本を並行して読んでいます(^^; )。まあ、この辺りの問題も自分の中で考えがまとまってきたら発表したいなと思います。




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