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2014年11月23日

【韓国車】 韓国人「アメリカでのKIAの評判がヤバ過ぎるwwwwwwwww」 【画像】




 さすが、ネット大国だけあって韓国ネチズンの書き込みは面白いです(*´∀`*)キャッキャ

このスレッドを読んだ韓国人の反応


名無しの韓国人曰く

・kia~


名無しの韓国人曰く

・キヤ~


名無しの韓国人曰く

・ああ...


名無しの韓国人曰く

・KIA~~~~~~~~~~~~~~


名無しの韓国人曰く

・とても面白いwwwwwwww


名無しの韓国人曰く

・欧州で貧民が乗る車。起亜・・・ドイツで起亜の新車発表会の時に招待されて行ったね。笑


名無しの韓国人曰く

・DO NOT BUYってどういう意味であることか


名無しの韓国人曰く

・黙れこのヤロウだよ


名無しの韓国人曰く

・これを理解できない奴がいるなら今すぐお風呂に水を貯めて頭を○して自○、おすすめ


名無しの韓国人曰く

・起亜車、絶対買わないだって


名無しの韓国人曰く

・購入しないでください・起亜車で合あってる?


名無しの韓国人曰く

・一つの起亜自動車を購入するなだ


名無しの韓国人曰く

・2台なら買っても良いですか?


名無しの韓国人曰く

・お前ら英語分かってるのかwwwwwwww


名無しの韓国人曰く

・キアは名前からとても貧乏臭い、キアの何がキアなのか


名無しの韓国人曰く

・オーナーがテロの被害にでも遭ったのかな?


名無しの韓国人曰く

・fucking kia


名無しの韓国人曰く

・起亜(キア)車を買わないでください


名無しの韓国人曰く

・わぁ、これを解釈できないと.....


名無しの韓国人曰く

・そんなにゴミかな?と思って購買誘導するのをご覧下さい


名無しの韓国人曰く

・ググポン(ネット右翼)が動揺


名無しの韓国人曰く

・黒人とヒスパニックの永遠の足


名無しの韓国人曰く

・解釈:起亜(キア)車を買ってください


名無しの韓国人曰く

・これは起亜車を買わなければならないということだ


名無しの韓国人曰く

・買うなこのkia!

                                                                         http://goo.gl/jNNpz9







ごめん・・・約束・・・守れなかったよ(´;ω;`)ブワッ



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俺は常に人の上に立つ男だ!!〜誰よりも高みを目指す男 田中秀臣の戦いは終わらない〜

 前回記事(『続・でもやっぱり選挙に行くほうが良いかもしれない』http://achichiachi.seesaa.net/?1416748698)で、怒涛の1日3回更新と書きましたけど、やっぱり4回更新で(笑)今度こそラストです(*´∀`*)



 なんでも某スレを見てみると、今回の討論でも田中先生がピカリと光るコメントを残してくれたそうな・・・

7 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2014/11/22(土) 23:25:00.59
討論見てるけど高橋と田中が下品すぎる

11 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2014/11/22(土) 23:27:07.17
田中秀臣 ?@hidetomitanaka ・ 18分18分前
青木さんは気の毒だったな。周りと政策議論の経験値が違いすぎた。

17 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2014/11/22(土) 23:29:29.61
田中秀臣@hidetomitanaka
青木泰樹氏の本はもらったんだけどブログに簡単にメモしただけで、あんまりおもしろくないので捨ててしまった。なんか

13 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2014/11/22(土) 23:27:21.81
>>7
part1見終わったけど田中の下品さが凄まじい
なぜ常に誰かを見下しているんだあの男は

高橋は下品というか子供っぽい

20 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2014/11/22(土) 23:30:05.18
>>15
上に立たないとハゲてるのが見えてしまうからね





どうでもいいけど、以前田中と倉山がケンカをしていた時期に、両方が上から目線で語ってるのを見て笑ってしまった。上から目線で批判する田中に対し、さらに上から目線でボロクソに叩く倉山、そんな両者を高みの見物の山賊たち・・・




???「視聴者を騙してもらうのであります!」

Σ(゚д゚lll)?!











いや、しかし、あの正真正銘の人間のクズと言っていい田中まで引っ張り出してきてまで安倍擁護するってどうなのよ?実際・・・(ーー;)



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続・でもやっぱり選挙に行くほうが良いかもしれない

 前回の記事(『でもやっぱり選挙に行くほうが良いかもしれない』http://achichiachi.seesaa.net/article/409443943.html)の続きです。怒涛の1日3回更新( ̄▽ ̄;)

 前回のエントリーでは、「まあ確かに自分が特定の政党や候補者に1票入れたところで選挙にも政治にもなんの影響も与えないかもしれないんだけど、世間に「投票もしないような人間に政治を語る資格はない!!」みたいな考えが蔓延してる以上、まあ、政治的言論とか議論とかする上では一応カタチだけでも投票はしておいた方がいいんじゃね?」的な結論でまとめたのですが(ちなみにこの論法だと、別に実際に投票する必要はなく、嘘が絶対にバレないのであれば、投票してなくても「私は投票しましたよ」と言うだけでもいいことになります)、だからといって別に川端さんのエントリーを批判するつもりはありません。

 なぜかというと、エントリーの最後に箇所を見ると

投票所に行ったぐらいで「立派な政治参加を果たしている」なんて勘違いするのはやめるべきだと思う。
http://kawabata.hatenablog.com/entry/2014/11/22/152901


と書かれており、どちらかというと、選挙で投票しても意味がないので、この結論の方が、「選挙に行くべきか否か?」という問題以上に重要なのではないかと思います。

 つまり、『民主主義が独裁に変わる瞬間』(http://achichiachi.seesaa.net/article/409428306.html)でも解説したように、とりあえず一定数の有権者が投票していること、特にしっかりと統計的に民意が反映されているといえる水準以上の投票率(おそらくこの基準は現在の投票率よりずっと低い水準にあっても充分クリアーできると思う)に達していれば、本当に重要なのは、実際の投票行動よりも政治的議論や言論、意見交換の方だということです。

 つまり、ワールドカップ期間中だけ日本代表選手を熱烈に応援するサッカーファンのように、(そんな人がどの程度の数いるかは分かりませんが)普段政治には全然関心もないくせに、選挙期間になると突然「選挙に行きましょう!!」「投票することは国民の義務です!!」「選挙にも行かないような奴は政治について語る資格はない!!」などというような人間を批判しているワケです。

 なので、簡単にまとめるとこうなります

1 ある人が選挙に行って投票しても政治にも選挙結果にも全く影響を及ぼさない
2 私の考えでは、それでも選挙に行くことには意味が有る
3 しかし、投票所に行ったぐらいで「立派な政治参加を果たしている」なんて勘違いするのはやめるべき


てな感じです。まあ、「選挙に行くべきか?」という点では少し考え方は異なるのですが、投票所に行ったぐらいで「立派な政治参加を果たしている」なんて勘違いしてる連中に注意を促すためには面白い論考だったのではないかと思います(まあ、最も政治にも選挙にも全く興味がないような人間がこの論考に辿り着く可能性は万に一つもないのではないかと思いますが(笑))。

 それから、最後に、私の「選挙に行ったほうがいい」という結論に条件を付けるとすると、一つには、実際には選挙に行ってなくても「私は投票しましたよ」と平気で嘘をついて、さらにその嘘をしっかりと騙し続けられる人間は、選挙に行く必要はないです。嘘を付けばいいだけですから。それから、政治的議論や言論、意見交換に全く興味がない方も行く必要はないです。あくまで、選挙に行く目的は、自分の1票で政治を動かすことではなく、情報発信したり周りの人を説得するときに、より説得力を持たせることが目的ですから。ただし、先の二つの条件のどちらかに当てはまったとしても、「非常識で非社会的な人間だ」と周りの人達に思われたくない人も投票に行ったほうがいいでしょう。ただし、これに関してもすでに20代の投票率が5割を切ってる現在では、投票に行かなくても特に非難されるような社会的状況ではないので、まあ、特に気にしない方は気にしなくても良いかもしれません。



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でもやっぱり選挙に行くほうが良いかもしれない

 前回の記事(『民主主義が独裁に変わる瞬間』http://achichiachi.seesaa.net/article/409428306.html)で、川端さんのブログ記事(『選挙に行くほうが馬鹿かもしれないし、一票の格差に目くじらを立てなくてもいいかもしれない』http://kawabata.hatenablog.com/entry/2014/11/22/152901)を紹介したところ、次のようなコメントが書き込まれました。

 なんともカワバタ氏の考えは20代の私の考えみたいで、賛同しかねますね。
 私の会社で先日こういう会話がありました。
同僚A「今の年金、団塊世代で20万円もらってる人が自分らの時には12万円になるらしい。」
同僚B「もう俺たちの世代は死ねということだな。」
 この二人の同僚は更に以前こういう会話をしてました。
同僚A「選挙は義務ですよ。私は行かないけどw」
同僚B「選挙に行って500円くれるなら行く。」
 恥ずかしいレベルで外部には漏らしたくないのですが、この二人が政府に対していくら不満を言ったところで、その理屈は説明するまでもなく完全に破綻してるわけだと私は思います。
 確かに文句を言う権利は言論の自由であるのですが、常識のある人は誰もそんな連中の言うことなんか相手しないと思います。(後略)

Posted by ひろのり at 2014年11月23日 16:14


 この、ひろのりさんの主張が正しいかはさておき、実は私も似たような理由で、基本的には選挙には行ったほうが良いのではないかと思っています。

 その理由は、「あなたの一票が日本を変えるから!!」ではなく、単純に、多くの人は選挙に行く人と選挙に行かない人の二人から、政治についての意見を言われた場合、どうしても選挙に行った人の意見の方に説得力を感じるのではないかと思うからです。

 先のエントリーを読むと

政治学では古典的な議論として、「有権者が何万人もいると、自分の1票が勝敗を左右することはあり得ないから」という(選挙に行かない)理由が挙げられている。私は大学生のころ政治学を専攻していて、べつに頑張って勉強した覚えはないので記憶が曖昧なのだが、たしか選挙制度論の入門的な講義の最初の回で教授が、「選挙に行っても、自分の1票は何の効果も持たないのだから、投票率が低いことは政治学者にとってなんら不思議ではない。むしろ、1票を投じても何の意味もないのに、なぜ人々は投票に行くのかというのを説明するほうが、非常に難しいのだ」としゃべっていた。

とあります、詳しくはエントリーを読んで欲しいのですが、とりあえず、ここで重要なことは、私が選挙に行って1票投じたところで現実の政治には何の影響も及ぼさないということです(人口が少ない地域の地方選挙や、人口が非常に少ない小国の選挙の場合は別です)。

 そこで川端さんは、前回も紹介した民主政治の三層構造に触れ、

 まず、普通選挙制度が実現しており、しかも「みんなが投票に行く」という習慣付けが行われていて、これが第一階層をなしている。個々人にとっては投票に行くことはまったく合理的な行動ではないのだが、そういう習慣付けが行われることで、全体としては投票システムが機能するようになっている。 
 その上で第二階層では、色々な組織やオピニオンリーダーが意見を戦わせることを通じて、票が集まったり動いたりするという現象が起きている。その結果として、代議士が選出される。
 そして第三階層では、代議士(政治家)たちが議論をして、具体的な政策を立案したり実行したりしていく。


そして、次のように結論します。

 こう理解した上で、民主主義がまともなものであり得るか否かを考えた時、けっこう第二階層が大事なんじゃないかなと私は思っている。だから、「投票」(普通選挙)という制度は、いったん実現すればそれ自体を神聖視するのはやめたほうがよくて、むしろ民主主義にとっては言論の風通しを良くすることとか、人々が集まって政治的な意見を闘わせることのほうが、はるかに大事なんじゃないかなと。

 つまり、一定数の選挙民が投票を行っているという前提条件の下では、実際の投票行為よりむしろ、様々な議論や言論活動、あるいは小さなコミュニティー内部における話し合いや説得の方が重要なのではないかということです。ここで、先の説得力の問題に戻ってくるのですが、やはり一般には、「選挙なんて言っても無駄無駄!!どうせ誰が政治家になったって変わらないって!!」みたいに言う人よりも、「皆さんしっかり投票に行きましょう!!私も投票に行きます!!」と宣言する人の言うことの方が受け入れやすいし説得力も持ちやすいということがあります。

 確かに、厳密に議論すると、私個人が誰に投票しても何も変わりません。そして、私が投票に行くか行かないかは、私が書いたり喋ったりする政治的議論の正しさとは何の関係もありません。ちゃんと投票に行くけど、全然政治について理解してない人間もいれば、西部邁さんのように、選挙には行かないけど、鋭い見識の持ち主もいます。さらに言えば、先のように合理的な判断や、こちらのエントリーの執筆者(『リバタリアンな棄権主義 「選挙に行かないやつは政治を語るな」への反論 - 二十一世紀日陰者小説』http://d.hatena.ne.jp/akabeko8/20130925/p1)のように、自身の政治的信念から投票に行かないという選択をあえて決断している人もいることも考えればなおさらです。

 しかし、特定の主張の客観的な妥当性と、その主張の持つ説得力は全く別物です。例えば、恋愛に関するアドバイスで「女は押しに弱いんだから、徹底的に押しまくれば落とせるもんだよ」と言う二人の男がいる場面を想像してみてください。このように、全く同じ主張をしていたとしても、おそらく凄腕のナンパ師が「押しまくれ!!」と言った場合と、38歳童貞ニート、エロ動画収集と日課である1日三回のオナニーだけが人生の楽しみです、みたいな男が「押しまくれ!!」と言った場合では、客観的にはそのアドバイスの妥当性は全く同じであるはずなのに、おそらくほとんどの人が、前者が言った場合に比べて後者が言った場合は「全く説得力がなく、取るに足らない意見だ」と感じるでしょう。

 なので、やはり、他人を説得するためには自ら実践というか、とりあえず、「私は、ちゃんと選挙に行きましたよー」と言うのが手っ取り早かったりするわけです。もちろん、選挙で投票することと、しっかりとした政治的な見識を持っていることとは何の関係もないかもしれないですが、それでも、結局、「選挙に行かない人間には政治について語る資格がない!!」というコンセンサスが世間に浸透している以上は、やはり選挙に行っておいたほうが、政治的発言力や影響力が増す可能性が高いという理由で選挙には行っておいたほうがいい、というのが無難ですが私の結論です。

(長くなったので、次回に続きます・・・)



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民主主義が独裁に変わる瞬間

 知人のブログ記事がかなり面白かったので紹介です。

選挙に行くほうが馬鹿かもしれないし、一票の格差に目くじらを立てなくてもいいかもしれない
http://kawabata.hatenablog.com/entry/2014/11/22/152901


民主主義と選挙に関する記事です。

選挙に行かない男と、付き合ってはいけない5つの理由
http://kawabata.hatenablog.com/entry/2014/11/22/152901


というブロゴスの記事に対して、政治学の基本的な理論を用いて反論しています。こちらの議論も非常に面白いので、また別の機会に取り上げて解説したいと思うのですが、今回取り上げたいのは民主主義政治における誠司さんのレベルを三段階に分けて分類している次の記述です。

 ベストな政治制度であるかどうかは別にして、とりあえず現行の民主政治のシステムというのは、次のような三層構造で成り立っていると考えればいいんじゃないだろうか。
 まず、普通選挙制度が実現しており、しかも「みんなが投票に行く」という習慣付けが行われていて、これが第一階層をなしている。個々人にとっては投票に行くことはまったく合理的な行動ではないのだが、そういう習慣付けが行われることで、全体としては投票システムが機能するようになっている。 
 その上で第二階層では、色々な組織やオピニオンリーダーが意見を戦わせることを通じて、票が集まったり動いたりするという現象が起きている。その結果として、代議士が選出される。
 そして第三階層では、代議士(政治家)たちが議論をして、具体的な政策を立案したり実行したりしていく。
 まぁ他にもいろいろな層があるわけですが、投票制度に関してはこの3段階ぐらいの理解でいいんじゃないだろうか。


最近、ワケあって彼と話したり議論をする機会が多いのですが、非常の頭が良い上に、特定の概念や考え方のコンセプトなどを知識のない人間にも分かりやすいように説明するのが抜群に上手く、話をしていて目から鱗がボロボロ落ちてくるような思いがします。

 この三層構造も、非常に面白い概念で、言われてみればなるほど当たり前だと思えるほどシンプルなコンセプトなのですが、実はこの説明を用いると、民主主義の理解が深まると同時に、また独裁政治の構造も見えてきます。

 一般に独裁政治とは、先の三層構造の一層目の投票システムと二層目の組織やオピニオンリーダーによる政治的議論が存在せず、唯一三層目の一部の政治的決定権を持つ人間のみが具体的な政策を立案実行する権限を独占する状態だと考えられています。ナチスや戦争後期の日本やソ連、それから現在の共産党一党支配の中国などがその典型的な例です。

 一方で、これとは全く違ったカタチの専制政治の構造を考えた人間もいます。アレクシ・ド・トクヴィルはそれを多数者の専制と呼びました。トクヴィルは近代における民主主義の進展、つまり地位の平等化の中に、伝統的な個人間の社会的絆が引き裂かれ無力化した結果、自律的主体的に社会参加、政治参加をする意志を喪失した諸個人が大勢の意見に引き寄せられるような現象を見て取ります。

かれによると,地位の平等化はフランスの社会に次のような事態をもたらした。
 
 @ 伝統的中間集団の崩壊
 中世の社会では,教会,ギルド,自治都市,村落共同体などの集団が,国家と個人の中間にあって,社会秩序の骨組みとなり,成員に心理的安定を保証していた。このような集団のことを「伝統的中間集団」という。地位の平等化の進展は伝統的中間集団を崩壊させ,個人を「原子化」する過程であった。
 
 A 国家的中央集権の強化と個人の無力化
 トクヴィルは,地位の平等化は民主主義を促進すると同時に,中央集権化をうながす傾向があるという。貴族政治では,貴族の集団が国王の権力濫用を制限した。教会,ギルド,自治都市などがもつ封建的特権も,国王は無視できなかった。これらの集団が衰えると,個人は,ばらばらになった状態で(以前よりはるかに強大になった)国家と向かいあうようになる。つまり,民主主義の進展の背後で,国家権力の強化と個人の無力化が進む。かれの見方によると,フランス革命は地位の平等化を実現したと同時に,フランス革命以前の旧制度(アンシャン・レジーム)のもとですでに進んでいた国家的中央集権を完成させる革命であった*。
 
 B 多数者の専政
 地位の平等化が進むことによって,これまでエリートにまかされていた政治に民衆が関与するようになる。この結果,民主政治は,最大多数のひとびとの意見に依存するようになるので,理性的で一貫した選択よりも,一時的な感情に流された決定が生まれやすくなる。慎重で抑制された政治的発言は,感情的になった圧倒的に多数者である民衆によって排斥されがちである。このような事態を,トクヴィルは「多数者の専政」とよぶ。
 
 C 政治的アパシー (政治的無関心) の進行
 経済における平等によって,市民はすべて生活のために働く必要が生じる。また,ひとびとは旧中間集団のようなきずなをもたないので,個人の利益だけに関心をむける狭い個人主義になりがちである。こうした事情から,民主主義のもとでは,ひとびとは平穏な時期には政治に無関心になりがちである(逆に,危機的な場面では,過度に感情的な判断がもちこまれやすくなる)。
http://www.hkg.ac.jp/~sawada/kougi/05/05.htm


この多数者の専制に関しては、正直わかりにくい部分も多いのですが、先の民主政治の三層構造をもとにシンプルな解釈をするなら、一層目の投票システムが存在するが、二層目と三層目の政治的議論の質が劣化するような現象を指すと理解できるのではないでしょうか。このような状況において、三層目の議会における議論の質の劣化は、二層目の段階の議論の劣化とそれの影響を受けた一層目投票選択の劣化が原因であると考えると、やはりその本質は中間団体の崩壊による社会の大衆化と議論の質の劣化にあると言えます。ここに、トクヴィルが非常に中間団体の存在を重視した理由があると思われます。

 これで、一般人が多数者の専制という言葉を聞いたときに覚える違和感も説明できるます。多くの人は、一般にイメージされる独裁と、多数者の専制とは真逆じゃないか?と考える。先の三層構造で説明するなら、独裁は三層目の力が圧倒的に強く一層目と二層目が弾圧される。一方で、多数者の専制は、全体のフワッとした空気に一層目の投票行動が支配され、二層目と三層目の議論が著しく劣化する。このような明らかな違いがありつつも、同時にその本質は、二層目の崩壊劣化にその本質が存在するという意味で共通しています。

 つまり、中間団体の崩壊した社会においては、三層目の権力者が全権を握る独裁か、一層目の投票行動のウェイトが異常に大きくなる多数者の専制に陥らざるを得なくなるということです。おそらく、ナチスが政権を獲得する以前のナチスが当時世界で最も民主的な憲法と言われたワイマール憲法を採用していたにも関わらず、一気にナチスによる独裁政治に振り切れたという現象などはこのことを象徴的に示しているのではないかと思われます。



↓韓国人のキムさん(仮)に在特会会長桜井誠と大阪市長橋下徹のガチバトルについての感想を聞いてみました!!Youtubeチャンネル登録等していただけるとありがたいです(*・人・*) オ・ネ・ガ・イ♪






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