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2014年11月06日

エッセイ的批評と一般原則

 TwitterのTLに流れてきたこんなツイート見て少し思ったことを・・・




 あまりにも理屈っぽくてウザいと言われそうですが、最近、物事のほんの一側面を取り上げて、さも一般原則であるかのように語る人物や言説が気になって仕方がありません。

 例えば、上の陰口の例で言えば、確かに陰口は、レベルの高い人間に対する嫉妬心から出てくることも多いですが、またやはり劣った人間を蔑むことで、「自分たちは、あのような劣った人間とは違うんだ」という安心感や、あるいは反吐が出るような性質ではありますが、陰口を言い合う仲間との連帯感を求めようとする行為でもあり得るわけです。言っている人間の側の心情はある程度似通っているかもしれませんが、しかし、言われている側の人間の性質は、(他者と違っているという共通点はありますが)他者より優れているから陰口を言われるのと、他社より劣っているから陰口を言われるのという大きな違いがあるわけで、一概に、「陰口はレベルが低い人が高い人に向けて言う」ものだというようにひとくくりにすることは不可能です。

 つまり、先の言い方で表現すると、この言葉は、「陰口はレベルが低い人が高い人に向けて言う」ものもあるという一側面を取り上げて、さもそれがあらゆる陰口の全てであるかのように一般化してしまっているという間違いを犯しているワケなんですね(ちなみに、日常生活で、こういう細かいことを突っ込んでいくとかなりの確率で「理屈っぽい人」「ウザい人」というなんともありがたくないレッテルを貼られること必至なので、「それってオカシクね?」と思っても適当に聞き流しておくのが得策です)。

 まあ、それが特に気になるようになったきっかけは、某保守系の新進気鋭の若手評論家様の書いた、「脱非モテ」に関するエッセイなわけなんですが、そもそもコレを読もうと思ったのは、この連載のタイトルが「ぼっち道」なのに、その回のテーマが「脱非モテ」だったので、「ぼっち道なのに、非モテとはコレ如何に?」と思って読んでみたワケなんですね。まあ、内容を見てみると、「美人の恋人をつくりたいと思って合コンやらオシャレやらにアクセクするより、むしろ仕事に打ち込んだり、趣味に没頭して一人の時間を充実させる方が、結果としてモテますよ。」というような内容だったので、一応、まあ「ぼっち道」という連載タイトルの内容との整合性は取れていたワケなんですが、それでもやっぱり「いや、オカシイだろ!!」と思ってしまうワケです(なんでこんなに気になるんでしょうかね〜?病気でしょうか?)。

 オカシイと思う理由は、まさに先に紹介したツイートに対する突っ込みと同じで、「「美人の恋人をつくりたいと思ってアクセク努力するより、むしろ一人の時間を充実させる方が、結果としてモテる可能性もありますよ」という可能性に関する言及をさも一般原則であるかのごとく語ってしまっている点なんですね。おそらくこれは、『だめんず・うぉ〜か〜』作者の倉田真由美さんの「男は仕事を一生懸命やっていればモテる」と同じ意見だと思いますが、それにある程度同意しつつも、やっぱりそれを「モテ」の一般原則にするのはおかしいんですよ。

 例えば、平均的なイケメンに分類される大学生などを考えてみれば、やっぱりそれなりに合コンとかやったり、人と話をするときに場の空気を読んだり会話を盛り上げたり、オシャレしたり、交際費を捻出するためにバイトに精を出したりしてるワケです。コレって、やっぱり一人の趣味に没頭するような行動習性とはやっぱり違いますよね?他にも、実質的プー太郎のようなクソみたいな生活しててもやっぱりモテる奴はモテるし、他人から客観的に見たら社会のゴミか鬼畜としか思えないような人間が明らかに平均以上の「モテ力」を発揮してるケースも往々にしてあるわけです。

 もちろん、私は、モテようと思って色々努力したけど、どうにも上手くいかない、というような人に対して、「ちょっと考え方を変えて、もっと一人の時間を充実させるような生活に変えてみたら?」とアドバイスをすることは非常に有益だと思っています。思い通りの結果をもたらさない努力や行動習性に固執するのはバカのやることだと思いますし、むしろ、趣味や仕事に没頭することで、新しい出会いがあるかもしれませんし、人間的な魅力や奥行きが増すような可能性もあるでしょう。何より、恋人を作ろうとアクセク努力して、結果として恋人も出来なければ、「一体、俺の努力はなんだったのだ?」という徒労感と虚無感だけが残るかもしれません。しかし、仕事や趣味に没頭した結果、仮にぼっち度が増しただけだとしても、きっと仕事や趣味の時間を通じて有益な何かを得られるはずです。

 しかし、それでも、「脱非モテのためには、むしろ一人の時間を充実させるべし!!これこそがモテの一般原則であるm9(`・ω・´) ドン」とやられると、「いや、それはあくまでもモテ非モテの一側面でしかないだろう」と思ってしまうワケです。

 えー、どんどん理屈っぽくなってきてますね、脱非モテを目指す皆さんは、是非こういう理屈っぽい男にならないよう注意しましょう。と、言いつつ、こっからさらに理屈っぽい話を・・・(笑)

 もう一つ、似たようなことで、最近気になったことの一つが、先日のチャンネル桜の宗教討論の加瀬英明氏の発言です。加瀬氏は聖書の記述のうちのいくつかを取り上げて「私に言わせれば、キリスト教とは愛の宗教ではなく、憎しみの宗教である」などと言っていたのですが、どう考えてもそれは単にキリスト教の一側面でしかなく、「そんな一言でキリスト教を集約できればそもそも神学も宗教学も必要ないよ・・・」と思えるほどの単純極まりない発言だったんですね。おまけに、タチが悪いことに、わざわざ、明らかに聖書の中の(現代の価値観からすると)残忍な側面を意図的に抜き出してやってるワケです。そんな恣意的な解釈をもとに「私に言わせれば、キリスト教とは愛の宗教ではなく、憎しみの宗教である」なんて言われたらキリスト教者からしたらたまったもんじゃないですよ。

 聖書というのは、そのように一言に集約できるような単純なものではなく、「Aの時にはA'をしなさい」「Bの時にはB'しなさい」というようにケースバイケースで色々な事が書かれている、ある意味で非常にプラグマティックな側面を持っています。なので、たしかにある側面を意図的に強調すれば、どのような解釈も可能になるのですが、そんなことしても何の意味もないでしょう。

 まあ、今回何が言いたかったのかというと、素人のTwitterの書き込みはおろか、プロとして評論活動を行っているような人間でさえ、こんな基本的な議論や論理の組み立てのルールさえ押さえられていないということです。

 ここで、「国語教育がー」だの「ディベートの技術がー」だのと、結論付けるのは簡単ですが、しかし、そもそも、実際にプロとして文章を書いてる人間のレベルがコレなのですから、(やらないよりはマシですが)教育でどうのこうのできるのかというと相当疑問です(論理性を欠いたバカの書いた文章をいくら読んだところで馬鹿が量産されるだけでしょう)。「国語学」より、むしろ「常識学」のようなものでも作るか、その「常識学」を教えられる常識や良識を持った人材がいないのであれば、農業体験でもやらせて、まともな人間性を回復させることの方が重要なのではないでしょうか?




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posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 17:29 | 神奈川 ☁ | Comment(1) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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