【藤井聡】「まどかマギカ」って、「戦後脱却」物語?
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/12/24/fujii-68/
ちなみに、ここで藤井聡さんが述べている戦後は佐藤健志さんの『僕たちは戦後史を知らない』における戦後史観をベースにしているので、まあ、よかったら先に、こちらの記事『『僕たちは戦後史を知らない―日本の「敗戦」は4回繰り返された』(佐藤健志 著)から考える戦後精神史』(URL http://asread.info/archives/511)を読んでもらえると幸いです。(それから、私自身も過去に『まどかマギカ』の分析記事を書いてるんでよかったらこちらも参考にしてください⇒『『魔法少女まどか☆マギカ』と仏教思想(ネタバレ注意)』http://achichiachi.seesaa.net/article/407420567.html)
「この記事を先に読むなんて面倒くさいよー」という方のために、簡単に解説すると、佐藤健志さんは戦後日本人の精神分析として、その精神が回帰性を持っているということに注目します。具体的に言うと、敗戦以来日本人は、日本が大きな政治的、社会的、経済的、あるいは物理的な破たんをきたすたびに、その破綻を「第二の敗戦」と名付け、精神的に敗戦時に回帰するという特徴を持つと指摘します。一番最初には、オイルショックが起こった1975年、これが日本人にとっての最初の「第二の敗戦」だったわけですが、その後も、震災とオウム事件が発生した1995年が2度目の「第二の敗戦」で、そして、2011年の東日本大震災が3度目の「第二の敗戦」と呼ばれることになります。
つまり、敗戦以降、日本人は精神的に、
大きな破綻⇒ゼロからの出発と奮闘⇒再び大きな破綻⇒破綻への精神的回帰⇒ゼロからの出発
という経験を繰り返しているわけなんですね。佐藤健志さんは、このような精神的特徴を戦後日本人の重要な特徴として強調します。これを踏まえたうえで、藤井聡さんの『まどかマギカ』の解釈を読んでみると非常に面白い。
ネタばれに少々配慮しつつ、抽象度を上げてちょー概説すると、この「まどかマギカ」、次の様な四段階のお話でした。
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(1) 社会の中のワルイ奴らを、人知れずやっつける方々(戦士A、と呼びましょう)がいる、
(2) でも、そんな戦士達は、ワルイ奴らをやっつけている内に、ミイラ取りがミイラになるように、ワルイ奴になってしまう。で、その結果、その社会はメチャクチャになる「破滅」を迎えてしまう(注:ただし!その社会の外部にいる特定の人々(別の社会)は、その破局によって巨大な利益を得るように仕組まれている)
(3) 。。。。っていう事に気付いた戦士Bが「世の中は結局メチャクチャになってしまう」っていう「破滅」の帰結を変えるために、何度も何度も「歴史」をやり直して、真っ当な結末を探る。。。(けれど、何度やっても失敗する)
(4)。。。。。っていうリピートを何度も繰り返している内に、超人的な能力を身に
付けた戦士Cが現れて、社会のあり方を根底から「変える」ことに成功する。
(※。。。っていう事を通して、戦士Aが普通に報われる、筋の通った真っ当な世の中になる!)
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(1)は言うまでもなくマミさんですね。『まどかマギカ』のストーリーはまず、主人公のまどかがマミさんという魔法少女と出会うところから始まります。マミさんは、魔法少女として魔女と戦うのですが、魔女は普段は結界の中に隠れているので、世間の人々は魔法少女の存在も魔女の存在も知りません。
(2)しかし、魔法少女は、魔力を使いごとに穢れを蓄積していき、一定量の穢れが溜まった時点で、魔力に取り込まれて魔女になってしまいます。魔女の力は、魔女化した魔法少女の魔力に比例するので、より強力な魔女を倒すために魔法少女が力を手にすればそれだけ、魔女化した時に強力な力をもって社会を破滅させます。しかし、魔法少女は死ぬか、魔女化するまでまで魔女と戦うことが義務付けられているので途中で強力な魔女を倒した時点で魔法少女をやめることは出来ないんですね。ここで、行くも地獄帰るも地獄みたいな状況が発生します。
(3)の戦士Bは時間を操る魔法少女のほむらちゃんです。ほむらちゃんは、この抜け出せない悲劇のループの構造に気付き、何度も破綻を繰り返すたびに、まどかが魔法少女になる以前まで時間を戻して、ハッピーエンドの結末を探ります。
(4)の戦士はまどかです。ほむらちゃんが時間を何度もリピートさせるたびに、因果のなんちゃらかんちゃらのパワーが蓄積されてまどかが超常的な力を手にします。でもって、最後にまどかが自分の存在と引き換えに、魔法少女が魔女化しない世界に変えるんですね。そして、最後に魔女が存在しない世界では、魔法少女は、人間の負の感情が生んだ魔獣と戦うことで世の中を良くしていきます。まあ、正義の味方が悪を成敗するという普通のヒーローモノの世界になるということですね。
で、この佐藤さんのご本のポイントは、簡単に図式化してしまうと、次の様になります。
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(A) 日本人は大東亜戦争敗戦後、その負けた事実を真正面から受け止められず、何ともメチャクチャな欺瞞に満ちた物語を作りあげ、それを潜在意識下で、信じ込んでしまっている。その結果、戦前と戦後に全く「筋」が通らなくなっている。
(B) 。。。ということで、戦後日本人は自分たちの歴史に筋を通すことが全然できなくなっており、したがって、一生懸命、「経済成長」を遂げるための「戦い」に従事しても、結局は、「破滅的な結果」しかもたらされない(オイルショックによる高度成長の終了、バブル崩壊による好景気の終了、構造改革の失敗。。。)。その度に、何度も同じ事を繰り返す「リピート」がかけられることになる。
(C) おそらく、戦前と戦後の間の「筋」を通さない限り、このリピートは、無限に繰り返されてしまう。
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。。。。いかがでしょうか?「まどマギ」そっくり、でしょ?
『まどマギ』の解釈としては、非常に面白いのですが、強いて気になった部分を挙げると、やっぱり『まどマギ』の物語って、解決がどこか安易で超常的過ぎるんですよね。いきなり宇宙の因果の法則を変えてしまって、それで世界が真っ当になるわけです。しかし、やっぱり現実世界では、どうしても漸進的にしか社会は改善しないし、ある種の妥協や譲歩を必要になるのではないかと個人的には思います。
もうちょっとかみ砕いて、両者のストーリーのポイントをまとめると、次の様になります。
※( )内には、今の戦後日本の状況を意味する言葉を入れてみます。
・この世界(=近代日本)にはそもそもの「筋」が通っていないので、
・目の前の人々を助けるための戦い(=経済成長)は、それをやればやるほど、破滅(=経済破綻)に向かっていく。。。。
・しかも、その破滅(=経済破綻)は、外部の人々(=諸外国やグローバル企業)に大きな利益をもたらしてしまう、という構造にある、
・そんな状況だから、日々の戦い(=経済成長のための戦い)そのものが、ばかばかしく見えてくる、
・とはいえ、ここで闘わなければ、愛する人達が見殺しにされてしまう事になっちゃうので、黙ってみている訳にもいかず、結局は、ばかばかしいと思いながらも、日々の戦い(=経済成長のための戦い=例えば、言論戦)に身を投じざるを得ない。。。
という事であります。
ね?ちょっとややこしいですけど、そっくりでしょ?
これをもう少し具体的に、現在の状況に当てはめると、デフレや社畜などの現象がこれに相当するかなと思います。いわゆるブラック企業の従業員なども、「これを続けることが自分の幸せにつながる」とか「この仕事を一生懸命頑張ることで自分は社会に貢献している!!」とか全然思わないワケだったります。それでも、とにかく、生活のために仕事はしなきゃいけないし、場合によっては、養わなきゃいけない家族なんかもいるかもしれない。だから、どれだけ、「こんなこといつまでも続けててもなぁ・・・」とか、「なんか世の中、間違ってないか?」なんて思っても、とにかく頑張り続けるしかない。結局、「イマドキの連中は・・・」と若者に苦言を呈するようなジジババはこのあたりの精神的負荷に全く無頓着だと思うんですね。やっぱり、終戦直後は、たとえ貧しかったとしても、「今日よりも明日はもっと良くなる」と思えただろうし、自分の努力という個人の物語と、戦後の焼け野原からの復興という国家のポジティブな物語を重ね合わせて考えることが出来た。高度成長期も同様で、猛烈に頑張る自分と、急成長していく日本の物語のシンクロがあった。その点で行くと、現在の物語は、どれだけ奮闘しても上手くいかない個人と国家の現在進行形の物語のシンクロがあり、また同時に未来が全く見えないという未来の物語やビジョンの不在という現実がある。まさに、辻褄の合わない破綻物語を生きているわけで、やっぱり、現代社会の生きづらさを考える時には、この点を考慮しなくてはいけない。
まどマギそれ自体は、今、超絶に人気のあるアニメなわけですから。。。。
ってことは、やっぱりみんなどっかで、
「世の中、ワルイ奴いっぱいいるよなぁ。。。」
「だからやっぱワルイ奴らと闘わなきゃいかんよなぁ。。。」
「でも、そいつ等と闘ってても、結局、この世の中根底から腐ってるよなぁ。。。」
「だから結局、どんだけ闘ってても、無意味だよなぁ。。。。なんかシラケちゃうよなぁ。。。。」
「だから、何とか、『どんだけ闘っても、結局は、無意味になっちゃう』なんてシラケ構造から抜け出せねぇかなぁ。。。。」
なんて事を、潜在意識の中で思っていてて、だからこそ、このまどマギが超絶に人気があるんだろぉなぁ。。。。と感じてしまう訳であります。
(※ でも。。。「だからって、そんな戦い、かわいい少女にやらせて満足してんじゃねぇよぉ!男共が闘えよ、このヤロォ!!!」って思わなきゃダメですよね。やっぱ 笑)
よく政治について趣味でアレコレ文章を書いたり、議論をしたりしてると「お前が政治や経済についてアレコレ言ったところで何も変わらねーよ(笑)」とか「社会について考えるよりも、自分の仕事とか生活についてもっと頑張ったら?」とかいう人もいて、政治とかに関心のある人は、こういう言動にほとんど反射的に反発しがちではあるけれど、やっぱり、こういう意見にも一理はあるわけです。とかく、どうしても、政治や社会について強い関心を持つ人間は、あまりにも「もし、社会がこうだったら」みたいなことを夢想しすぎる傾向があるかもしれない。そうなると、「そもそも憲法9条があるからダメなんだ!!」とか「日本は核武装できなきゃどうにもならない」みたいことを言って、その他の問題は全てにおいて妥協的になりがちな、根本病患者の右翼論者のごとく、「社会がこうじゃないからダメなんだ!!」となりかねない。
しかし、一方で、個人主義の人間もやっぱり不幸で、自分自身の努力と、国家などの共同体の繁栄が完全に切り離されていることをどこかで感じつつ、そのような現状に対して、自分の努力は無力であると感じている。政治的無関心層の多くの人が「どうせ、自分が政治に関心を持ったところで何も変わらないじゃん」というような発言をするのが多いことも、このような心理状況を良く表してると思います。
そんなわけで、今の世の中って、「国家がー」「日本がー」「愛国心がー」「反日朝日新聞がー」と叫ぶ熱血愛国者君も、やたらと個人主義的で、上昇志向の強いクールなグローバル人材君もどちらも別の理由で不幸なんですね。でもって、その根本には、やっぱり現在の辻褄の合わない物語がある。まあ、要は、現代人の多くは、多かれ少なかれどこかこの魔法少女たちと似通った苦悩や悩みを抱えてるんじゃないかと思うんですね。だから、無意識にあるそういう精神的なシンクロがやっぱり『まどかマギカ』の大ヒットの裏にあるんじゃないかと、そう思うわけです。
というわけで、もういっそのこととりあえずここは皆で叫んでみましょう
俺が魔法少女だ(*゜ロ゜)ノ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
と・・・。
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