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2014年04月09日

坂口安吾的な何か・・・

 前回、恋愛エッセイっぽい文章を書いてみたんですけど、完全に坂口安吾の影響です。坂口安吾の恋愛論的なものがすごく好きで、「お、俺もこんなの書いてみたいな」と思って書いてみました。ちなみに、俺自身は恋愛もさることながら恋愛論を書いたり語ったりするのも苦手で、かつて知り合いの女の子に「政治だろうが経済だろうがなんでも論じていいが、恋愛論と男女論だけは語らないでくれ」と言われた経験があります・・・( ̄▽ ̄;)。oO(酷いこと言う子だよなぁ)

 なんというか、政治思想では、「バランス感覚が大切だ」などといっちょまえに言っているにもかかわらず、恋愛論になると、物凄くロマンチックで夢見がちな理想論か、やたらと俗っぽい嫌らしい話になってしまうんですね・・・うーん、そのへんの恋愛的なバランス感覚は多分一生身につかないんじゃないかと思います(笑)

 まあ、それはさておき、坂口安吾のエッセイから恋愛に関する俺が気に入った箇所を少し紹介してみますね。

 昨日、私は、素子(安吾の小説のヒロイン)は矢田津世子だと云った。これは言い過ぎのようだ。やっぱり素子は素子なのだ。手を休めるとき、あの人を思いだす、とても苦しい。(略)
 今から十年前、私が三十一のとき、ともかく私達は、たった一度、接吻ということをした。あなたは死んだ人と同様であった。私も、あなたを抱きしめる力など全くなかった。ただ、遠くから、死んだような頬を当てあったようなものだ。毎日毎日会わない時間、別れたあとが、悶えて死にそうな苦しさだったのに、私はあなたと接吻したのは、あなたと恋をしてから五年目だったのだ。その晩、私はあなたに絶縁の手紙を書いた。私はあなたの肉体を考えるのが怖しい、あなたに肉体がなければよいと思われて仕方がない、私の肉体も忘れて欲しい。そして、もう、私はあなたに二度と会いたくない。誰とでも結婚してください。私はあなたに疲れた。私は私の中で別のあなたを育てるから。返事も下さるな、さよなら、そのさよならは、ほんとにアヂューという意味だった。そして私はそれからあなたに会ったことがない。(略)

 私は筆を休めるたび、あなたを思いだすと、とても苦しい。素子の肉体は、どうしても汚い肉慾の肉体になってしまう。素子は女体の汚さ、もろさ、弱さ、みにくさを知りすぎているので、客間で語る言葉にならないのではないか、と書いて、筆を投げ出したとき、私はあなたの顔をせつなく思いつづけていた。あなたは時々、横を向いて、黙ってしまうことがあった。あのとき、あなたは何を考えていたのですか。


 うぅ・・・切ない・・・切なすぎるよ安吾先生ヽ(;▽;)ノ

 この恋人と別れた後、津世子の母親から、この人が死んだという通知が届いたのだが、その通知には津世子は「幸うすく」死んだ、との一句が書かれていたそうです・・・。

 しかし、安吾の魅力はこのような切ない恋愛描写にとどまりません。同じ、恋愛のことについて、小林秀雄に関する論評の中ではあっさりとこのように書いています。

 だから、坂口安吾という三文文士が女に惚れたり飲んだくれたり時には坊主になろうとしたり、五年間思いつめて接吻したら慌ててしまって絶交状をしたためて失恋したり、近頃はデカダンなどと益々もって何をやらかすか分かりゃしない。もとより鑑賞に堪えん。第一奴めが何をやりおったにしたところで、そんなことは奴めの何者でもない。こう仰有るにきまっている。奴めが何者であるか、それは奴めの三文小説を読めば分る。教祖にかかっては三文文士の実相の如き手玉にとってチョイと投げすてられ、慘又慘だるものだ。

 このように、小林秀雄を持ち上げて、自分を卑下するかと思えば、続いて、小林秀雄の「死後の名声」や「歴史の必然」という言葉に触れ、あなたは大層ご立派なことを仰りますが、そんなものはただの大げさな虚仮威しか、嘘っぱちに過ぎない。現実は、今ここにある現実しかないんだといって、足払いをかけようとする。

 まさに変幻自在というか、型にとらわれない発想の持ち主だと思います。今の、教条主義的な「保守かくあるべし」「左翼かくあるべし」といった下らないルールに囚われた論客が多い中で(まあ、この「型に囚われるな」という言論自体が非常に型に囚われたチープな物言いではありますが・・・)、安吾のような、全く読めない論客、右と見せかけて、上と見せかけて下、あるいは褒めてるのか、おちょくってるか、貶してるのか畏れているのか分からないよな言論を行う人間などというのはほとんどいないわけで、これらのエッセイはもう何十年も前の作品であるにも関わらず、全く古さを感じさせないどころか、むしろ斬新さすら感じさせる不思議な作品であります。

 最後に恋愛論に戻ると、実のところ安吾が恋愛や男女関係というものについて、どのように考えていたかは、じつのところ分からないところが多いです。しかし、一つ言えるのは、彼は、諧謔の中に悲しみを、悲しみの中に諧謔を紛れ込ませる稀有な作家一人であったということだけは確かであると思います。

↓中野剛志さんと佐藤健志さんのゴジラ対談のレビュー作成しました。やはり真面目な話を口でバーっと喋って説明するのは難しくて、まだまだ慣れないです・・・( ̄▽ ̄;)



ASREADに寄稿しました!!最近決まり文句のように言われる、「思想を左右で分ける時代は終わった」という言葉に疑問を持っていたので書いてみました⇒右翼と左翼という分類はほんとうに死んだか | ASREAD http://asread.info/archives/568




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posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 17:10 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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