新ブログ作成しました⇒当分期間当ブログと同時更新を続けますが、一定期間経過後、新ブログをメインで使用します

http://ameblo.jp/kattann2525

現在、評論家古谷経衡氏 倉山満氏等を中心とする言論人グループと係争中です。
横浜銀行 横浜若葉台支店 
店番号 387 普通預金口座番号 1258646
タカギカツトシ



多額の弁護士費用とかかりますので、どうか、もしよろしければご支援の方よろしくお願いしますm(_ _)m

2014年04月06日

藤井聡さん×佐藤健志さん×西部邁さんの鼎談のレビュー動画を投稿しました



 以前、投稿した台湾の国会占拠事件に関する動画(制作時間約2時間)が全然再生数が伸びなかったので、「政治系動画はダメかな」と思っていましたが、藤井聡さんと佐藤健志さんと西部さんの鼎談のレビュー動画を上げたところ意外にも再生数が伸びています。なんというか何が再生されるのかよく分かりません。

 今は、政治系の動画ですとKAZUYAチャンネルのKAZUYAが話題になっていますが、今後はもしかしたら素人が上げた政治系の動画が人気になったりするんですかね?ブログなんかだとプロの物書きよりもレベルの高い記事を書いているブロガーもいるので、もしかしたら、そういうこともありうるのかな?とは思っています。

 ちなみになぜ顔出しをしなのかというと、単純に部屋が汚くて清潔感もカケラもないからです。ただ、カメラ画像を使わない代わりに、テキストと、画像やイラストを組み合わせてより分かりやすくするように工夫しているのですが、それが案外好評だったりします。ただ、汚い部屋を映したくないというだけの理由で苦肉の策としてテキストと画像を使ってみたのですが・・・本当に何が流行るのかさっぱりわかりません。

 えー、基本的に今回上げた動画の内容としては、ほとんど、以前書いた記事(『藤井聡さん×佐藤健志さん×西部邁さんの鼎談を見て・・・』http://achichiachi.seesaa.net/article/393506358.html)のまんまなのですが、少し補足すると、動画では、いわゆる自分の欠点を自覚できない大衆的な人間の抱える問題に関して、「オルテガはそれを社会現象という側面から論じ、坂口安吾は個人の生き方の問題としてその問題点に関して論じた」と単純に二分した説明をしているのですが、実際には、オルテガも個人の生き方の問題に関しても詳細に論じています。あくまで、これは「どちらかといえば、オルテガは社会現象として論じ、安吾は個人の生き方として論じる傾向が強かった」という表現のほうが適切だったかもしれません。

 また、藤井聡さんは、『大衆社会の処方箋』の共著者の羽鳥氏との対談の中で、どちらかといえば、ニーチェは完全に大衆に対して失望しているのに対して、オルテガは、常に大衆に向けて最後通牒、つまり、「お前らは本当にそういった生き方でいいのだな?」という問を投げかけ続けたのではないか?と論じています。

 ニーチェとオルテガと坂口安吾、それぞれ全然違った論者であるように思えますが、大衆社会批判という文脈では、どこか通じるところがあると同時に、それぞれまた別の違ったスタンスからこの問題について論じている点などにも注目するとまた面白い読み方が出来るかもしれません。


ASREADに寄稿しました!!⇒『ポジティブ病を治す方法』 http://asread.info/archives/537




↓応援よろしくお願いします(σ≧∀≦)σ


posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 20:43 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

殺人論・・・

 先日、『人を殺したけど質問ある?刑期は終えてでてきた』という2ちゃんねるのスレッドのまとめ動画を作成しました





 まあ、内容を簡単に説明すると、金のために銀行員だった父を騙して、死に追いやったAという人物に復讐して殺してやったというお話(細かい内容は実際に動画を見ていただければ幸いですm(_ _)m)。ただ、話の中に色々とつじつまの合わない部分も多かったので、おそらくはつくり話かと思います。

 この話の趣旨としては、殺人を犯す側にもそれなりの理由がある場合も多いので、「殺人を犯したらすぐさま死刑だ」という短絡的な思考はやめてほしいとのことでした。なんとなく、私がこのスレを読んで思い出したのが、坂口安吾のエッセイの中に書かれていた芥川龍之介と農民作家との次のようなエピソードです。

 晩年の芥川龍之介の話ですが、時々芥川の家へやってくる農民作家―この人は自身が本当の水呑百姓の生活をしている人なのですが、あるとき原稿を持ってきました。芥川が読んでみるとある百姓が子供をもうけましたが、貧乏で、もし育てれば、親子共倒れの状態になるばかりなので、むしろ育たないことが皆のためにも自分のためにも幸福であろうという考えで、生まれた子供を殺して、石油缶だかに入れて埋めてしまうという話が書いてありました。
 芥川は話があまり暗くてやりきれない気持になったのですが、彼の現実の生活からは割りだしてみようのない話ですし、いったい、こんな事が本当にあるのかね、と訊ねたのです。
 すると、農民作家は、ぶっきらぼうに、それは俺がしたのだがね、と言い、芥川があんまりの事にぼんやりしていると、あんたは悪いことだと思うかね、と重ねてぶっきらぼうに質問しました。
 芥川はその質問に返事することができませんでした。何事にまれ言葉が用意されているような多才な彼が、返事ができなかったということ、それは晩年の彼が初めて誠実な生き方と文学との歩調を合わせたことを物語るように思われます。(中略)
 とにかく一つの話があって、芥川の想像もできないような、事実でもあり、大地に根の下りた生活でもあった。芥川は、その根の下りた生活に、突き放されたのでしょう。いわば、彼自身の生活が、根が下りていないためであったかも知れません。けれども、彼の生活に根が下りてないにしても、根の下りた生活に突き放されたという事実自体は立派に根の下りた生活であります。(『堕落論・日本文化私観』 P95)


 三島由紀夫は、文学とは蟹のように現実と関わらずに、蟹のように引きこもって生きるには最適な職業だと述べていますが、芥川龍之介もカニのような生き方をしてきたのでしょうか?もしかしたら、蟹のように穴に引きこもっていたにも関わらず、この農民作家の根の下りた現実に触れることで言葉を失ったのかもしれません。もっとも、安吾はその根の下りた生活に突き放されたという事実自体が立派に根の下りた生活なのだと述べていますが・・・。

 だから、何と言うつもりもないんですけどね。ただ、なんとなく、この話は現在の日本の堕胎の状況とリンクしているようである種の気持ち悪さを感じました。あまり話題になることは多くないですが、日本では年間の堕胎件数が30万件近くになっています。97年以降長いあいだ自殺者数が3万人を突破していたということはよく言われますが、堕胎件数はその約10倍です。

 もちろん、堕胎と殺人は違うのですが、妊娠した女子高生が、生まれた赤ちゃんをトイレに流したという事件で「これは恐ろしい事件だー!!」と大騒ぎする一方で、10代の女子が妊娠した場合半分以上が堕胎を選択するという事実はほとんど問題視しない姿勢はあまりにもアンバランスであるように感じます。生まれてくる前に胎児の四肢をペンチで切り取り、頭を潰してお腹から引きずり出すことには無関心で、生まれてきた直後にトイレで流すことには、あたかもそれが現代社会の歪みを象徴するような出来事であるかのように捉えて大騒ぎする様にはある種の偽善や気持ち悪さを感じます。

 世の中どうしようもないことが多いのも事実ですけど、どうしようもないと考えても問題は解決しないし、どうしようもないからと解決への努力を放棄するのも不謹慎なのかなと思います。かといって、どうしようもない問題を、どうしようもないくせに、なにか深刻に悩んでるようなポーズを取るのも何か偽善的な嫌らしさを感じてしまうのは事実なわけで、結局何が正しいですかね?「この世の中に正しい正解なんて何もないんだよ」などと言って悟った振りをするほど、偽善的になることも、偉そうにすることも出来ないですし、まあ、やはり人生って正しく生きようと考えると、どこまでも難しいと思います・・・。


ASREADに寄稿しました!!⇒『ポジティブ病を治す方法』 http://asread.info/archives/537




↓全然、話の内容がまとまってないんですけどねー、なんか厨二っぽい問いに浸りたい気分なんです(笑)応援よろしくお願いします(σ≧∀≦)σ


posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 04:32 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿が無いブログに表示されております。