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2014年03月14日

『死に至る病』『現代の批判』(キルケゴール)を読んで・・・そのA〜アイロニーの天才キルケゴールについて〜

 『死に至る病』が相当に難解だったため、『現代の批判』も難しい(というか分かりにくい)内容かと思っていたのですが、そうでもないようでホッとしました。大雑把に言うと、『死に至る病』はニーチェっぽくて、『現代の批判』はオルテガっぽい記述が多い印象があります。ただし、オルテガの『大衆の反逆』もキルケゴールの『現代の批判』も共に近代における大衆社会批判(キルケゴールは大衆化のことを平準化と呼んでいます)なのですが、大きく違うのはキルケゴールは終始アイロニーを用いて、現代(といっても、この文章が書かれたのは1845年ですが)を揶揄しながら批判するという手法を用いています。

 中野剛志さんは、評論集『反官反民』に収録されている『マスメディアと大衆』という文章の中で、『現代の批判』中の

 公衆は退屈しのぎに一匹の犬を飼っておく、この犬は文学界の卑劣漢である。いまだれかちょっとした人物が現れたるとする、おそらく傑出した人間ならもっとおあつらえ向きだろう。するとその犬がけしかけられて、退屈しのぎがはじまる。この犬は人にかみつく癖があるので、その人の上着のすそをひっ裂き、無礼ないたずらのかぎりをつくす―ついには公衆のほうが飽きてしまって「もうたくさんが」と叫びだす。これで公衆は水平化をなしおえたことになる。

という文章を引用しているのですが、実は、この文章の次の一文が物凄く皮肉が効いていて面白い。

 少し強い男、ちょっとすぐれた男は、ひどい目にあったものだ、―そして犬のほうは、むろん犬のほうはどこまでも犬のままである。

 思わず、「そりゃそうだ!!」と心の中で突っ込まずにはいられませんが、思わず突っ込みたくなるボケこそ、良いボケなのであります(BY デストラーデ高校 山口ノボル)。

 ちなみに、この『現代の批判』は、キルケゴール自身が、ある風刺紙の標的とされて、大衆の笑いものとされた経験から書かれたものなのですが、それを踏まえて、先の文章を読むとなんとも大胆な批判であることが理解できます。つまり、マスメディアの愚劣な記者などというものは所詮犬であり、犬は、どこまでも犬のままであるという痛烈な批判なのです。

 一方、このちょっと「すぐれた男」(まあ、つまりキルケゴールは自分のことをこのように称しているわけですが)はどうなるのか、次の文章を読むとよく理解できます。

 このような関係にわが身を置いて考えてみる人は、おそらく、ひどい目に会った善良なほうの人に注意を向けて、あの人はひどく不幸せな目に会ったものだ、と言いたくなることだろう。この見方には、わたしは全然賛成できない。というのは、最高のものに達するように助勢してもらいたいと思う人にとっては、このような不幸に堪え抜くことこそ身のためになるのだと思うからである。

 つまり、先の文章と合わせて読むなら、ちょっとすぐれた男(キルケゴール)はこのような不幸に耐えることで最高のものに達するための一つの契機とするのに対し、無礼ないたずらのかぎりをつくす犬(雑誌記者)はどこまでいっても犬のままだと述べているわけです。

 まあ、もっとも、大衆紙に風刺され公衆から馬鹿にされた経験から、ムキになってこのような批判の文章を書いてしまっているわけですから、本当にキルケゴール自身が本当に、このように達観した心境に達していたかは大いに疑問ですが、ただ、批判の中には、このようなアイロニーを織り込ませることができるということは、やはり一定の精神的余裕を確保していたのでしょう。

 他にも、いくつも非常に皮肉の効いたユーモラスな現代社会批判の文が書かれているのですが、最後に特に面白かった箇所を一箇所だけ紹介したいと思います。

 日ごと日ごとに自制力を積み重ねていって、深い宗教的な見地から世と世にあるもの諦めるなどということは、現代の青年たちには思いもよらないことであろう。ところがそのかわりに、神学生の二人に一人は、そんなことよりもはるかに驚異的なことをやってのけるだけの老練な手腕をもっているだろう。つまり彼らは、堕落した人間を一人残らず救済することを正真正銘の目的とすると称する、協会なるものを計画することができるだろう。

 なんというか・・・色々な課外活動に手を出しまくって、本業が疎かになって留年する意識の高い系の学生みたいな奴が19世紀にもいたんだろうなぁということがわかります(笑)しかも、神学生の二人に一人は協会を設立できるだろうではなく、協会を計画することができるだろうという点がなんとも物悲しさと滑稽さをこの上なく上手く表現できているのではないでしょうか・・・。


まだ、勉強会の席余ってますんで、興味がある方はよろしくお願いします⇒【告知】3月15日 京都で佐伯啓思先生の勉強会を開催します!!テーマは「ニヒリズムと日本思想」です!! http://achichiachi.seesaa.net/article/390968740.html

ASREADに寄稿しました!!⇒『僕たちは戦後史を知らない―日本の「敗戦」は4回繰り返された』(佐藤健志 著)から考える日本人の戦後精神史 http://asread.info/archives/511




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posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 03:08 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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