最近、文庫本で昔に書かれた本を読むのに凝っているのですが、いかんせん昔の本ほど内容が難解なものが多く、坂口安吾も「難解な文章ばかりだったらどうしよう?」と思っていたのですが、読んでみると意外と平易な文章で書かれていて、比較的すんなり読める内容でした。
今回、特に気になって取り上げたいなと思ったのが、『青春論』という論考の中で書かれていた次のような一文です。
魂の孤独を知れる者は幸福なるかな。そんなことがバイブルにでも書いてあったかな。書いてあったかも知れぬ。けれども、魂の孤独などは知らない方が幸福だと僕は思う。女房のカツレツを満足して食べ、安眠して、死んでしまう方が倖せだ。僕はこの夏新潟へ帰り、たくさんの愛すべき姪達と友達になって、僕の小説を読ましてくれとせがまれた時には、ほんとに困った。すくなくとも、僕は人の役に多少でも立ちたいために、小説を書いている。けれども、それは、心に病のある人の催眠薬としてだけだ。心に病なき人にとっては、ただの毒薬であるに過ぎない。僕は僕の姪たちが、僕の処方の催眠薬をかりなくとも満足に安眠できるような、平凡な、小さな幸福を希っているのだ。
(P 162)
この文章を読んだとき、私はすぐさま、佐伯啓思さんが西部ゼミナールで語った、西田哲学についての解説を思い出しました。佐伯啓思さんが言うには、西田哲学とは、積極的な幸福や楽園を目指すようなボジティブな思想ではなく、むしろこの世の中や人生を苦痛に満ち、さらにそこから逃れることは容易ではないものだと考え、なんとかその苦痛をやり過ごすというような思想であると説明しました。どうやら、この思想は、西田幾多郎の苦難に満ちた人生と不可分の関係にあるようですが、この思想は安吾の考える文学と非常に似たものであるように思えます。
翻って、現在の思想や文学を考えるとどうでしょうか?いわゆる左翼的なヒューマニズムといった人間性礼賛の思想や、基本的人権の考え方の中には、このような人生の根底に流れる苦痛や苦悩や悲しみといったものに対する洞察や理解は全く見られません。あたかも、「人間の人生は幸福や喜びに満ち溢れていなければ無意味だ!!」とでも言い出しそうな勢いで、人間の幸福や、あるいは人間に元来備わっている人間性の素晴らしさについて語りますが、おそらく、今日において、このような言論は、多くの日本人の一般的な感覚から大きく乖離しているのではないでしょうか?
現代人のほとんど(特に若者における)多数派は、そこそこの幸福において妥協し、そのような現実となんとか精神的に折り合いをつけて生きていくか、平凡な生活をしつつ、その生活の中に不満を感じフラストレーションを抱えて生きているか、あるいは、本当に惨めとしか言いようのない生活の中で世の中を呪っているか、これらのうちのどれかに当てはまるのではないでしょうか?
もし、世の中における多数派が、一番最初の例、つまり安吾の言うところの「女房のカツレツを満足して食べ、安眠して、死んでしまう」幸せな人間であれば、ヒューマニズム礼賛の思想でも構わないでしょう。しかし、残りの心の中に不満を抱え、あるいは自分の人生に絶望しつつ、世の中を恨むような人間の数が増えていくような世の中にあっては、安吾のような文学、つまり幸福追求の文学ではなく、心に病を抱えた人の催眠薬のような文学もまた求められているのではないでしょうか?
私は、ここで何も、幸福追求の文学や、人間性礼賛の思想が必ずしも常に悪であるというつもりはありません。それらを説く人間が、あるいは、絶望や苦しみの中で、一筋の光としてそのような思想や文学を著す時、そして、その思想や言葉の裏に、人生の苦しみや悲哀への洞察を見出すだけの感性が読者に備わっているとき、それは必ずしも、害にはならないどころか、むしろ、直接的に表現された苦悩や悲哀以上に、それに触れた者の心に深く突き刺しうる可能性を秘めているでしょう。
安吾は、宮本武蔵が語ったという「事に於いて後悔せず」という言葉について次のように述べています。
いわば、僕が「後悔しない」と云うのは、悪行の結果が野たれ死をしても地獄へ落ちても後悔しない、とにかく俺の精一杯のことをやったのだから、という諦めの意味に他ならぬ。宮本武蔵が毅然として我「事に於いて」後悔せず、という、常に「事」というものをハッキリ認識しているのとは話が余程違うのだ。尤も、我事に於いて後悔せず、という、こういう言葉を編みださずにいられなかった宮本武蔵はどれくらい後悔した奴やら、この言葉の裏には武蔵の後悔が呪いのように聴こえてもいる。
私は、現代において、安吾のような、つまり心に病を抱えた人の催眠薬のような文学が必要とされていると同時に、このような感性、つまり一見楽観的に思える言葉の裏に隠された人生における苦痛と悲哀を感じ取れるような感性が必要とされているのではないかと思います。そもそも、生まれつき楽観的で、いつでも前向きで、何も後悔しないような人間が「事に於いて後悔せず」などという言葉を発したり、あるいは読んだりしてみても、そこには何の感動もありません。ほとんど工事現場に貼ってある『安全第一』あるいは、水道に貼ってある『水を大切にしましょう』という張り紙とほとんど同じ程度に無意味です。
ベートーベンの晩年について書かれた『「第九の合唱」と「不滅の恋人」』には、「ベートーベンは、偉大な神秘主義者にしか到達し得ない境地に到達した。そこには不調和はない。そこに至ることで、彼はこれまでのすべてを受け入れた。もはや、何も否定すべきことはない」とありますが、別に、金持ちの家に生まれて何不自由なく育ったお坊ちゃんが、「これまでの全てを受け入れた」などと言ったところで何の感銘も生みません。この言葉の意味は、苦痛と苦悩に満ちたベートーベンの生涯、当時のヨーロッパの身分制を心の底から憎み、また類まれな音楽の才能を有しながら、聴力を失い、絶望の底で自殺を考えながらも、それを乗り越えた、さらに作曲家としての高みへ上り詰めたというそれら諸々のバックグラウンドがあって初めて意味を成すものなのです。
最後に、1802年(32歳)にベートーベンが二人の弟に残した、手紙を紹介して終わりにしたいと思います。
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『ハイリゲンシュタットの遺書/わが弟たちカール(とヨハンへ)』※原文は長文ゆえ今井顕氏の訳とNHK『その時歴史が動いた』を参考に抜粋要約。
私が意地悪く、強情で、人嫌いのように見えたとしても、人はその本当の原因を知らぬのだ。私の心と魂は、子供の頃から優しさと、大きな夢をなしとげる意欲で満たされて生きてきた。
だが6年前から不治の病に冒されたことに思いを馳せてみて欲しい。回復するのでは、という希望は毎年打ち砕かれ、この病はついに慢性のものとなってしまった。
情熱に満ち活発な性格で、社交好きなこの私が、もはや孤立し、孤独に生きなければならないのだ。
「もっと大きな声で叫んで下さい、私は耳が聞こえないのです」、などと人々にはとても言えなかった。
他の人に比べてずっと優れていなくてはならぬはずの感覚が衰えているなどと人に知らせられようか…おお、私にはできない。だから、私が引きこもる姿を見ても許して欲しい。
こうして自分が世捨て人のように誤解される不幸は私を二重に苦しめる。
交友による気晴らし、洗練された会話、意見の交換など、私にはもう許されないのだ。どうしても避けられない時にだけ人中には出るが、私はまるで島流しにされたかのように生活しなければならない。
人の輪に近づくとどうしようもない恐れ、自分の状態を悟られてしまうのではないか、という心配が私をさいなむ。
医者の言葉に従って、この半年ほどは田舎で暮らしてみた。そばに佇む人には遠くの笛の音が聞こえるのに、私には何も聞こえない。人には羊飼いの歌声が聞こえているのに、私にはやはり何も聞こえないとは、何と言う屈辱だろう。こんな出来事に絶望し、あと一歩で自ら命を絶つところだった。
自ら命を絶たんとした私を引き止めたものは、ただひとつ“芸術”であった。自分が使命を自覚している仕事(作曲)をやり遂げないで、この世を捨てるのは卑怯に思われた。その為、このみじめで不安定な肉体を引きずって生きていく。
私が自分の案内者として選ぶべきは“忍耐”だと人は言う。だからそうする。願わくば、不幸に耐えようとする決意が長く持ちこたえてくれればよい。もしも病状が良くならなくても私の覚悟はできている。自分を不幸だと思っている人間は、自分と同じ1人の不幸な者が、自然のあらゆる障害にもかかわらず、価値ある芸術家、価値ある人間の列に加えられんがため、全力を尽くしたことを知って、そこに慰めを見出すことができるだろう。
L. V. Beethoven 1802年10月6日
ハイリゲンシュタットにて
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(【 あの人の人生を知ろう〜ベートーヴェン編 】 http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/beethoven.html)
↓韓国のパクリアニメに関する動画を作りました。一時期山野車輪さんの『嫌韓流』という漫画が流行りましたが、なんというか、嫌韓を通り過ぎると笑韓という新しい境地にたどり着くような気がします・・・そういう意味では鳥肌実は偉大なコメディアンであるかもしれません
ASREADに寄稿しました!!昔から書きたいと思ってた自己啓発批判の文章です。少々難解かもしれませんけど読んでもらえれば幸いです⇒ポジティブシンキングは人を幸福にするのか?その1〜ポジティブシンキングの問題点に関する考察〜 http://asread.info/archives/533
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