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2014年03月30日

『堕落論・日本文化私観』(坂口安吾 著)を読んで・・・〜現在、真に求められている文学あるいは感性についての考察〜

 『超人計画』というエッセイを読んで、滝本竜彦(『NHKへようこそ!』の原作者)が坂口安吾の愛読者であることを知り気になって文庫本を買ってみました。『堕落論・日本文化私観』は有名な『堕落論』「日本文化私観』を収録した全24篇のエッセイ集です。

 最近、文庫本で昔に書かれた本を読むのに凝っているのですが、いかんせん昔の本ほど内容が難解なものが多く、坂口安吾も「難解な文章ばかりだったらどうしよう?」と思っていたのですが、読んでみると意外と平易な文章で書かれていて、比較的すんなり読める内容でした。

 今回、特に気になって取り上げたいなと思ったのが、『青春論』という論考の中で書かれていた次のような一文です。

 魂の孤独を知れる者は幸福なるかな。そんなことがバイブルにでも書いてあったかな。書いてあったかも知れぬ。けれども、魂の孤独などは知らない方が幸福だと僕は思う。女房のカツレツを満足して食べ、安眠して、死んでしまう方が倖せだ。僕はこの夏新潟へ帰り、たくさんの愛すべき姪達と友達になって、僕の小説を読ましてくれとせがまれた時には、ほんとに困った。すくなくとも、僕は人の役に多少でも立ちたいために、小説を書いている。けれども、それは、心に病のある人の催眠薬としてだけだ。心に病なき人にとっては、ただの毒薬であるに過ぎない。僕は僕の姪たちが、僕の処方の催眠薬をかりなくとも満足に安眠できるような、平凡な、小さな幸福を希っているのだ。
(P 162)


 この文章を読んだとき、私はすぐさま、佐伯啓思さんが西部ゼミナールで語った、西田哲学についての解説を思い出しました。佐伯啓思さんが言うには、西田哲学とは、積極的な幸福や楽園を目指すようなボジティブな思想ではなく、むしろこの世の中や人生を苦痛に満ち、さらにそこから逃れることは容易ではないものだと考え、なんとかその苦痛をやり過ごすというような思想であると説明しました。どうやら、この思想は、西田幾多郎の苦難に満ちた人生と不可分の関係にあるようですが、この思想は安吾の考える文学と非常に似たものであるように思えます。

 翻って、現在の思想や文学を考えるとどうでしょうか?いわゆる左翼的なヒューマニズムといった人間性礼賛の思想や、基本的人権の考え方の中には、このような人生の根底に流れる苦痛や苦悩や悲しみといったものに対する洞察や理解は全く見られません。あたかも、「人間の人生は幸福や喜びに満ち溢れていなければ無意味だ!!」とでも言い出しそうな勢いで、人間の幸福や、あるいは人間に元来備わっている人間性の素晴らしさについて語りますが、おそらく、今日において、このような言論は、多くの日本人の一般的な感覚から大きく乖離しているのではないでしょうか?

 現代人のほとんど(特に若者における)多数派は、そこそこの幸福において妥協し、そのような現実となんとか精神的に折り合いをつけて生きていくか、平凡な生活をしつつ、その生活の中に不満を感じフラストレーションを抱えて生きているか、あるいは、本当に惨めとしか言いようのない生活の中で世の中を呪っているか、これらのうちのどれかに当てはまるのではないでしょうか?

 もし、世の中における多数派が、一番最初の例、つまり安吾の言うところの「女房のカツレツを満足して食べ、安眠して、死んでしまう」幸せな人間であれば、ヒューマニズム礼賛の思想でも構わないでしょう。しかし、残りの心の中に不満を抱え、あるいは自分の人生に絶望しつつ、世の中を恨むような人間の数が増えていくような世の中にあっては、安吾のような文学、つまり幸福追求の文学ではなく、心に病を抱えた人の催眠薬のような文学もまた求められているのではないでしょうか?

 私は、ここで何も、幸福追求の文学や、人間性礼賛の思想が必ずしも常に悪であるというつもりはありません。それらを説く人間が、あるいは、絶望や苦しみの中で、一筋の光としてそのような思想や文学を著す時、そして、その思想や言葉の裏に、人生の苦しみや悲哀への洞察を見出すだけの感性が読者に備わっているとき、それは必ずしも、害にはならないどころか、むしろ、直接的に表現された苦悩や悲哀以上に、それに触れた者の心に深く突き刺しうる可能性を秘めているでしょう。

 安吾は、宮本武蔵が語ったという「事に於いて後悔せず」という言葉について次のように述べています。

 いわば、僕が「後悔しない」と云うのは、悪行の結果が野たれ死をしても地獄へ落ちても後悔しない、とにかく俺の精一杯のことをやったのだから、という諦めの意味に他ならぬ。宮本武蔵が毅然として我「事に於いて」後悔せず、という、常に「事」というものをハッキリ認識しているのとは話が余程違うのだ。尤も、我事に於いて後悔せず、という、こういう言葉を編みださずにいられなかった宮本武蔵はどれくらい後悔した奴やら、この言葉の裏には武蔵の後悔が呪いのように聴こえてもいる。

 私は、現代において、安吾のような、つまり心に病を抱えた人の催眠薬のような文学が必要とされていると同時に、このような感性、つまり一見楽観的に思える言葉の裏に隠された人生における苦痛と悲哀を感じ取れるような感性が必要とされているのではないかと思います。そもそも、生まれつき楽観的で、いつでも前向きで、何も後悔しないような人間が「事に於いて後悔せず」などという言葉を発したり、あるいは読んだりしてみても、そこには何の感動もありません。ほとんど工事現場に貼ってある『安全第一』あるいは、水道に貼ってある『水を大切にしましょう』という張り紙とほとんど同じ程度に無意味です。

 ベートーベンの晩年について書かれた『「第九の合唱」と「不滅の恋人」』には、「ベートーベンは、偉大な神秘主義者にしか到達し得ない境地に到達した。そこには不調和はない。そこに至ることで、彼はこれまでのすべてを受け入れた。もはや、何も否定すべきことはない」とありますが、別に、金持ちの家に生まれて何不自由なく育ったお坊ちゃんが、「これまでの全てを受け入れた」などと言ったところで何の感銘も生みません。この言葉の意味は、苦痛と苦悩に満ちたベートーベンの生涯、当時のヨーロッパの身分制を心の底から憎み、また類まれな音楽の才能を有しながら、聴力を失い、絶望の底で自殺を考えながらも、それを乗り越えた、さらに作曲家としての高みへ上り詰めたというそれら諸々のバックグラウンドがあって初めて意味を成すものなのです。

 最後に、1802年(32歳)にベートーベンが二人の弟に残した、手紙を紹介して終わりにしたいと思います。
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『ハイリゲンシュタットの遺書/わが弟たちカール(とヨハンへ)』※原文は長文ゆえ今井顕氏の訳とNHK『その時歴史が動いた』を参考に抜粋要約。

私が意地悪く、強情で、人嫌いのように見えたとしても、人はその本当の原因を知らぬのだ。私の心と魂は、子供の頃から優しさと、大きな夢をなしとげる意欲で満たされて生きてきた。
だが6年前から不治の病に冒されたことに思いを馳せてみて欲しい。回復するのでは、という希望は毎年打ち砕かれ、この病はついに慢性のものとなってしまった。
情熱に満ち活発な性格で、社交好きなこの私が、もはや孤立し、孤独に生きなければならないのだ。
「もっと大きな声で叫んで下さい、私は耳が聞こえないのです」、などと人々にはとても言えなかった。
他の人に比べてずっと優れていなくてはならぬはずの感覚が衰えているなどと人に知らせられようか…おお、私にはできない。だから、私が引きこもる姿を見ても許して欲しい。
こうして自分が世捨て人のように誤解される不幸は私を二重に苦しめる。

交友による気晴らし、洗練された会話、意見の交換など、私にはもう許されないのだ。どうしても避けられない時にだけ人中には出るが、私はまるで島流しにされたかのように生活しなければならない。
人の輪に近づくとどうしようもない恐れ、自分の状態を悟られてしまうのではないか、という心配が私をさいなむ。
医者の言葉に従って、この半年ほどは田舎で暮らしてみた。そばに佇む人には遠くの笛の音が聞こえるのに、私には何も聞こえない。人には羊飼いの歌声が聞こえているのに、私にはやはり何も聞こえないとは、何と言う屈辱だろう。こんな出来事に絶望し、あと一歩で自ら命を絶つところだった。

自ら命を絶たんとした私を引き止めたものは、ただひとつ“芸術”であった。自分が使命を自覚している仕事(作曲)をやり遂げないで、この世を捨てるのは卑怯に思われた。その為、このみじめで不安定な肉体を引きずって生きていく。
私が自分の案内者として選ぶべきは“忍耐”だと人は言う。だからそうする。願わくば、不幸に耐えようとする決意が長く持ちこたえてくれればよい。もしも病状が良くならなくても私の覚悟はできている。自分を不幸だと思っている人間は、自分と同じ1人の不幸な者が、自然のあらゆる障害にもかかわらず、価値ある芸術家、価値ある人間の列に加えられんがため、全力を尽くしたことを知って、そこに慰めを見出すことができるだろう。

L. V. Beethoven 1802年10月6日
ハイリゲンシュタットにて
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(【 あの人の人生を知ろう〜ベートーヴェン編 】 http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/beethoven.html



↓韓国のパクリアニメに関する動画を作りました。一時期山野車輪さんの『嫌韓流』という漫画が流行りましたが、なんというか、嫌韓を通り過ぎると笑韓という新しい境地にたどり着くような気がします・・・そういう意味では鳥肌実は偉大なコメディアンであるかもしれません



ASREADに寄稿しました!!昔から書きたいと思ってた自己啓発批判の文章です。少々難解かもしれませんけど読んでもらえれば幸いです⇒ポジティブシンキングは人を幸福にするのか?その1〜ポジティブシンキングの問題点に関する考察〜 http://asread.info/archives/533




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2014年03月29日

「お茶吹いただろw」「やはり天性のお笑い民族w」 ⇒ 【北朝鮮】すべての男子大学生に金正恩ヘアスタイル要求

 今回は久しぶりに2ちゃんのまとめです・・・なんか台湾では貿易協定で大問題が起こっているのに、朝鮮半島ではこんな呑気な(しかし、ファッションを気にする若い男子学生にとっては悲惨な?)事件が起きていたとは・・・

「お茶吹いただろw」「やはり天性のお笑い民族w」 ⇒ 【北朝鮮】すべての男子大学生に金正恩ヘアスタイル要求

1: これをピンチと言わずして◆aoV9UPlvFw:2014/03/27(木)15:46:36 ID:mTxGgWocG
北朝鮮、男子大学生に金正恩ヘアスタイル要求=BBC

北朝鮮当局はすべての男子大学生に、金正恩第1書記と同じ髪型を要求している。2週間前に平壌市での実施が求められたこの規定は、現在、実施範囲が北朝鮮全土に広がった。英BBCが報じた。

規定には異議もあるようだ。BBCは匿名の北朝鮮人の話として、 「我々の指導者の髪型はかなり特別。人はそれぞれ顔や頭の形が違うから、この髪型はすべての人に適するとは限らない」ともっともな意見を伝えた。

中国に住む脱北者は、金正恩氏の髪型は北朝鮮で人気がないとBBCに話した。「少し前まで、あれは中国密輸者の髪型と呼ばれていた」

金正恩氏は祖父の故金日成氏と同じ髪型をしている。一部の専門家は「金正恩氏は金日成スタイルを模倣することで最高権力者の地位を固める狙いがある」と分析した。

一方、金正恩氏の父の故金正日氏は背を高く見せるため、ふんわりとした髪型をしていたという。

北朝鮮当局は、女性に18種類、男性に10種類と、国民の髪型を制限している。最近国営テレビは、女性に「社会主義的生活にふさわしい」ショートヘアを推奨し、髪の毛を伸ばすことに反対するキャンペーンを行った。金正恩氏の髪型を「ファッショナブル」で「魅力的」とも称えている。

http://www.epochtimes.jp/jp/2014/03/html/d95183.html

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2: (・ω・` ) <;`Д´>(`ハ´#):2014/03/27(木)15:47:47 ID:bKhEjSPlR
 朝 鮮 人 民 総 刈 上 げ w

3: 名無しさん:2014/03/27(木)15:48:39 ID:7ltOgEcgo
ファッショナブルなカリアゲ

456bda2711b64a4d442470a9a7d1f3b8.jpg

4: 名無しさん:2014/03/27(木)15:50:34 ID:iy6tqy0Bs
普通は、逆じゃね?
毛沢東の髪型に似てるってだけで
坊主にさせられたとかって話は聞くけど

5: 名無しさん:2014/03/27(木)15:51:35 ID:PVhb7Hpy1
政治や軍事だけでなく、
ファッションでもリーダーになったのか

6: <丶Д>( ゚ω ゚ )(ハ  )@Open2ch:2014/03/27(木)15:56:02 ID:bcicaJQKL
刈り上げは置いとくとして
髪型がみんな同じだと、顔のいいやつが
えらい目立つ事になると思うんだがそれはいいのか?

7: 名無しさん:2014/03/27(木)15:59:52 ID:ACZjowHyv
はやりのツーブロックだし人民は甘受すべき

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8: 名無しさん:2014/03/27(木)16:07:35 ID:xug9cRz6V
なんか楽しそうだなw

9: 名無しさん:2014/03/27(木)16:19:12 ID:aHP6Bx6kb
正恩はお笑いのセンスが有るよねw

10: 名無しさん:2014/03/27(木)17:07:12 ID:hLZ4GE19D
カリアゲる髪が無いウリはどうすればいいニカ!?

11: 名無しさん:2014/03/27(木)17:11:20 ID:CPxfmrzJK
正恩よりイケメンかブサイクか
すごく分かりやすくなるね

12: 名無しさん:2014/03/27(木)17:16:00 ID:gdR3swFHG
そしてイケメンはいなくなった。

13: 名無しさん:2014/03/27(木)17:27:10 ID:7jaTpN4YL
カリアゲ豚の意味なき改革。

15: 名無しさん:2014/03/27(木)17:34:41 ID:Sg9MV04s6
奇抜な髪型で有名なバスケ選手と仲いいし眉毛を剃ったりもしてたよな
地味にファッション・アイコンになりたい願望がありそうw

16: 名無しさん:2014/03/27(木)17:34:44 ID:HeJ5gzcN1
今のうちに影武者候補を捜そうって意図か?w

17: 名無しさん:2014/03/27(木)17:38:32 ID:hLZ4GE19D
>>16
じゃあ 屋台のアイツを拉致ってくればいいんじゃね?
ちょこっとだけお直しすれば更にそっくりになるよ

18: 名無しさん:2014/03/27(木)17:44:18 ID:URZTXYuR1
中国で労働に勤しむ正恩氏

18.png

19: 名無しさん:2014/03/27(木)18:04:52 ID:35Nhvjaq5
ハゲは粛清されてしまうのか!?

20: 忍法帖【Lv=94,ひらがなめがね】:2014/03/27(木)18:06:43 ID:jTjqn6Nvq
こんなにどう反応していいかわからんのは、初めてかもしれん

21: 名無しさん:2014/03/27(木)18:20:53 ID:APqLw1Vbw
(´・ω・`) 影武者の大量生産でしょ
      あそこまで太ってるのはなかなか居ないと思うけど
      数揃えとけばある程度の目眩ましにはなるんじゃないかな

22: 名無しさん:2014/03/27(木)18:22:40 ID:ctMwuHoo3
お茶吹いただろw

23: 名無しさん:2014/03/27(木)18:29:17 ID:vocW5Zmv5
最近北朝鮮関連は飽きてきてたが、久々に強烈なネタがw

24: 名無しさん:2014/03/27(木)19:19:34 ID:7sN7YvWV4
真似されて嬉しいもんなのか?
自然発生のブームじゃない限り、多少の知性があれば
「馬鹿にされた!」と憤ると思うがね
まあ、こういう情動は人類の話であって、亜人である朝鮮人は適応外なのだろうさ

25: 名無しさん:2014/03/27(木)19:21:23 ID:eGJan9jqB
ま、一目でチョンだとわかるから良いんじゃないか

26: 名無しさん:2014/03/27(木)19:22:06 ID:tX1nexxLm
影武者無料制作作戦だな

27: 名無しさん:2014/03/27(木)19:22:54 ID:tX1nexxLm
つまりかりあげ数万が南に攻め込むというわけだ

28: 名無しさん:2014/03/27(木)19:23:51 ID:5WvD7WRzY
タコ焼きプレートに油塗るやつみたい

29: 名無しさん:2014/03/27(木)19:26:03 ID:DPD7Zjbq7
量産型19号だな

30: 名無しさん:2014/03/27(木)19:27:10 ID:FpD7NyR2k
無慈悲すぎる

33: 名無しさん:2014/03/27(木)20:11:32 ID:toLA7Z3De
無慈悲な刈り上げ

31: 名無しさん:2014/03/27(木)19:31:45 ID:iJVTZwBH5
これは久々の大ヒットw やはり天性のお笑い民族w

http://mizuhonokuni2ch.blog.fc2.com/blog-entry-1624.html


 面倒なので手抜・・・いえ、この記事は独裁国家による全体主義的体制の問題点について考察する上で非常に重要な資料だと感じたので、紹介させてもらいました・・・この事件から考察できることは・・・各自それぞれ考えるのが良いでしょう・・・では( ̄^ ̄)ゞ

↓動画も作ったんで、こちらもよろしくお願いしますm(_ _)m



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2014年03月27日

渡邉美樹「愛はお金じゃない」VS勝間和代 「金持ちが言っても説得力ない」論争について・・・

 なにやら、3月24日放送の「TVタックル」で、勝間和代と渡邉美樹の論争があったらしいです。この回の議論のテーマは、今の日本社会の格差と恋愛について。

 現在、非正規雇用の社会人や、フリーターが増加する中で、そこそこイケメンでも恋愛を諦めるような人が増えているという話をしている中で、渡邉美樹が「お話を聞いていると、淋しくなってきますね。夫婦とか恋愛って、お金じゃないでしょう」と発言。それに対して、勝間和代が「渡邉さんみたいに(お金を)たくさん持っている人に言われても説得力がない」と噛みついたとあるのですが、ここで注意したいのは、渡邉美樹の発言が、正論かとか、説得力を持っているかとかではないと思うんですね。はっきり言って、この渡邉美樹の発言はワタミの雇用形態、経営形態を弁護するためのポジショントークです。

 つまり、「ワタミは非正規の社員をこき使いすぎだ!!」「ワタミはブラック企業だ!!」という声に対して、「非正規で働くのも悪いことではない」「非正規社員でも恋愛は可能だ、恋愛はお金ではない」と弁護しているに過ぎないわけですね。まあ、この論争を全く見ていない私が言うのもなんですが、ほとんどこの発言もこの論争も単なる茶番であって、ほとんど見る価値もないのではないかと思います。

 ちなみに、共産党議員の小池晃氏は「淋しいかもしれないけど、それが現実」と述べたそうですが、まさしくこれこそが現実を直視した発言ではないかと思います。あまり、唯物論的な議論は好きではないですが、それでも全く打算のない純粋な男女の恋愛などというものはせいぜい中高生くらいまでではないでしょうか?結局、皆そこそこの年齢になって経験を重ねれば、色々と計算をしたり、まあ、自分の手に入れられる現実的な幸福を妥協的にでも享受していくようになるのではないかと思います・・・。

 それを認めないのは、よほど並外れた幸運の持ち主か、現実を直視できない幼稚なロマンチストか、それか、まあ何かしらの意図をもって発言をしているかのうちどれかだと思うのですが、渡邉に関しては明らかに3つ目でしょう。

 また、現在の非正規雇用が増加していく現状に関してコメント求められると渡邉は、「グローバル化で世界と戦うためにも、多様な働き方を用意すべき」と語ったそうですが、これも完全にポジショントークでしょう。要は「グローバルな市場で戦うために国内で低賃金の労働者を増やすべきだ」と言っているに過ぎません。なんだかここまでくると聞いてるだけでアタマが痛くなってきそうですね。とりあえず、こんなしょうもないポジショントークを、「成功した経営者の声」と称してありがたがって聞いている連中にも反吐が出る思いがします・・・


「愛はお金じゃない」と渡邉美樹氏 「金持ちが言っても説得力ない」と勝間氏噛み付く
http://careerconnection.jp/biz/buttyake/content_1247.html


↓中台協定に関する動画の第2弾です、こちらの方もよろしくお願いしますm(_ _)m



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2014年03月25日

中台サービス貿易協定の内容がヤバすぎる件・・・そのB



↑今回も、中台サービス協定について。上の動画では中国語で解説がされているのですが、日本語の翻訳もついているので、翻訳をそのまま載せます。

お腹がすいたらご飯を食べます だから有毒な飯は食えますか?

景気が悪くてサービス業貿易協議は必要なんです だからブラックボックスの貿易協議の内容を採択できますか?

この頃の記録を見ましょう

2013.6.21 シャンハイでサービス業貿易協議を締結しました

2013.12.25 半年後大統領は公聴会はただ時間の無駄と言いました

2014.1.4 経済開発委員会の官員はサービス業貿易協議を読んだことなかったと自白しました

2014.1.4 労働委員会はサービス業貿易協議について就職市場の影響でも未完成であると言いました

だが、両岸(台湾と中国)サービス業貿易協議はもう半年前締結しました

評価など全然ありませんが、政府は台湾の人たちに絶対大丈夫ですと教えてあげました

この法案を締結したらなにを影響しますか?

雑貨、庶民料理、パン、文房具、眼鏡、金の飾り、

スポーツ、日用品、家電、服、ブックなど

中国の数千の職種は台湾に開店することができます

街で歩いたらコンビニとか量販店とか

デパートとかブランドショップとかショッピングセンターとか販社とかどれでもいいです

中国の資金は円滑な台湾に投資することができます

日常生活の中で、買う本とか読む情報とか使うインターネットとか見る番組とか

送る小包とか個人的な金融とか受ける治療とか旅とか

建物さえすべて中国産になれます

こんなに深い影響がある協議には、ほかの国はどう締結しましたか?

普通には評価して、公告して、それぞれの意見を集めて、修正して、公聴会を開いてそしてまた修正します

すべての方面もう考えたら相手と折衝し始めて協議を重ねます

台湾の場合は、契約する前に影響されそうのすべての中小企業、皆知らされてない

中国出したの条件、すべて許諾されている。

契約する前になぜ公聴会やらない?半年後また適当にやって、お知らせすればいい。

会議の内容でも、政令を提唱するだけでいい。

官僚に演説して、その場で歩いたり、意味もないのスローガンでみんなのテンションを上がってく。

学者さん質問出した時、官僚たちきっと寝てるように黙る。

例えば、サービス業貿易は食品業界を成長する。

実際、中国の食品も店も人も台湾に来ることができる、滞在時間も延長できる。

こっちから行ったら?すみませんが、それはできない。

産業の構成で見れば、中国の大企業いっぱい来るでしょ。

台湾なら、産業の中に99.7%は中小企業、

職員が少ないの中小企業どうやって中国に行けばいい?成長も難しいし。

中国で成長出来そうの企業は「財団」くらいでしょう、政府庇いたいのも「財団」だけです。

さらに、中国との契約ある時間経ってば、「自動有効になる」

ブラックボックスの中どうな内容、それはもう分かりやすい、(※絵を見て推測するに分からないの誤訳かも・・・)

それでも政府は、専門家や国民の言いたい話、何も聞いてくれない。10年後の生活とか、官僚は何も感じない。

国民ども、いつでも政府のやることちゃんと見てよ、権利利益ちゃんと使って!

最後に、腹が減っでも違法食品食べちゃダメ。

経済に必要あるでも、ブラックボックスのサービス業貿易協議許諾しちゃいけない。


その他に、ネット上の解説では、この協定の非対称性について言及し、次のような記述もあります

特に問題とされたのは中国側と台湾側の非対称性であり、

・中国での台湾サービス業開業には中国の法律が適用され、中国との合弁会社でなければ設立できない
・台湾での中国サービス業開業には台湾の法律が適用され、そのため(比較的)参入し放題である

という点にある。つまり、台湾で中国支社を開業することが容易で、国富を中国に吸い上げるのも容易だった。しかも対価として提出された中国への台湾支社の進出は、必ず中国への献金を要求するものだった。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%81%BB%E3%81%88%E3%81%BB%E3%81%88%E3%81%8F%E3%81%BE%E3%83%BC


 しかし、前回の記事(『中台サービス貿易協定の内容がヤバすぎる件・・・そのA』http://achichiachi.seesaa.net/article/392513964.html)では中国人の方がコメントしていて、

中国人ですが、台湾に統一とか并合とかぜんぜん興味ない。そのサービス貿易&協定は明らかに台湾側に有利と思う。その定には、大陸人(中華人民共和国公民)台湾に移住(中華民国の公民になること)することが不可と明記され、投票権ないの大陸人が何ができる? おまえが中国語をできるなら、こっちのブロクや掲示板に見に行けばいい、大陸人はみんなこのバカな協定を反対な意見を持ち、政府に「なぜ国民の利益まで犠牲にして、台湾の愚かな反中エリア(おれは台湾を国家(仮国家)と認知をしますが、99%のひとはそうは思えない)の人にその様なの「好待遇」のか?」との愚痴も結構います。
そもそも、台湾という弱小国、消費市場になれない、技術も韓国(相当の領域では大陸にも負け)に負け、農業しかできないアホな国、何の価値もない。因みに俺はソニー制品愛用、サムソンと大陸プランドも買うが、台湾のものは一つも持ていない。台湾はもはや過去、見にする価値もない。
それに、いまは台湾の民主というものも軽蔑します。なぜなら、法治国家ではないからだ。昔の強大な民主国家台湾は死んでる。 
Posted by さかい at 2014年03月25日 16:19


 このコメントが本当であれば、実は、台湾人のみならず、中国人もこの協定には反対しているようです。なんとなく、この状況は、日本国内でもアメリカ国内でも反対運動が起きているにも関わらず、着々と締結に向けて交渉が進んでいるTPPと似ているように思えます・・・( ̄◇ ̄;)

 ともあれ、いまのところ、この中台協定に関しては全然情報が入っていないので、まあ今後も情報が入り次第、解説してみたいと思っています。

↓中台協定に関する動画を作成しましたのでこちらの方もよろしくお願いしますm(_ _)m



ASREADに寄稿しました!!⇒『僕たちは戦後史を知らない―日本の「敗戦」は4回繰り返された』(佐藤健志 著)から考える日本人の戦後精神史 http://asread.info/archives/511




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2014年03月24日

中台サービス貿易協定の内容がヤバすぎる件・・・そのA

↓中台サービス貿易協定についての解説動画アップしました!!もしよかったら見てみてください。



 前回の記事(『中台サービス貿易協定の内容がヤバすぎる件・・・』http://achichiachi.seesaa.net/article/392394226.html)でも説明しましたが、この中台協定のもっとも重要な問題は『外国人参政権付与+移民の大量受け入れ』にあります。一説では受け入れる移民の数は180万人を超えるとも言われており、これほどの移民全てに参政権を付与するとなるとあっという間に外国人に国家を乗っ取られます。現在の植民地支配は主に金融による支配に置き換わっているなどと言われますが、これだけの数の外国人に選挙権を与えれば文字通り政治的な支配権を外国人に明け渡すことになります。

 台湾の人口は約2300万人ですが、この人口規模の国家で180万人の外国人移民に参政権を与えるということは、日本で言えば1000万人程度の移民を受け入れて、そのすべての移民に参政権を付与するということになります。前回の参院選の投票率は52・61%、そして与党自民党の得票率が34.7%であったことを考えると、1000万人規模の移民に参政権を与えれば、まったくもって容易に外国人に政治的に支配されるということが理解できます。

 参議院議員である佐藤正久氏はこの事件に関してブログで

本サービス協定は、中台間のサービス分野の市場開放を目指すもので、中国が80、台湾が64分野を相互に開放するとの取り決めで、与野党が対立していた。野党は本協定は「弱小産業切り捨てにつながる」などとして反発してきた。(中略)
市場開放と産業保護、これはどこの国でも両立は難しい問題だ。日本のTPP論議も然り。ただ、だからと言って立法院占拠は、零細産業保護の自己主張体現が目的とはいえ、どうかと思う。政府側の武力による解決だけは、避けなければいけない。早めの与野党間協議に期待したい。
http://ameblo.jp/satomasahisa/entry-11801723852.html


と述べていますが、驚く程危機意識が低いことに愕然とします、国会議員ですらこの程度のレベルであることを考えると、一般の認識は推して知るべしでしょう。

 政府側の武力による解決だけは、避けなければいけない?私には、どう考えても台湾人にとって避けるべきは、中台協定をそのまま締結して台湾が中国に飲み込まれないようにすることであるように思えるのですが如何でしょうか?


ASREADに寄稿しました!!⇒『僕たちは戦後史を知らない―日本の「敗戦」は4回繰り返された』(佐藤健志 著)から考える日本人の戦後精神史 http://asread.info/archives/511




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2014年03月23日

中台サービス貿易協定の内容がヤバすぎる件・・・

 どーも、久しぶりの更新です。最近は結構動画作成の方に力を入れていたこともあり、ブログの更新の方は遅くなってしまいました。今現在、ニコニコ動画ではクリエイター奨励システムという制度があり、YouTubeに動画を上げて再生数が増えると広告費が入ってくるように、ニコ動の方でもアップロードした動画の再生数やコメント数やマイリス登録数に応じて現金が入ってくるシステムが導入されました。まあ、調子的には「こんなもんか・・・」といった感じですね。一つの動画を作成するのにおおよそ10分くらいかかっているのですが、大体一つの動画につき100円くらいお金が入ってくる感じです。

 ちなみに、今現在ニコニコ動画の政治カテゴリーでトップクラスの人気を誇るKAZUYAチャンネルのKAZUYA氏は、5分程度の動画をいくつも上げていて、一つの動画で多い時には10万再生ほど再生数が伸びるので、その場合だとYouTubeから1万円、ニコニコ動画から1万円で計2万円ほどお金が入ることになります。なんとなく生放送をやりながら「いーなー、5分の動画一本上げるだけで2万円も入るなんて・・・毎日1本ずつ上げれば、それだけで月収60万円じゃん」とつぶやいてみたら、すかさずコメントで「お前言ってることは、宝くじに当たったら良いなー、と言っているのと同じレベルだ!!」と突っ込まれました・・・まあ、その通りですね、変に「これくらいお金が入ればなー」などと考えずに、とりあえず地道にコツコツやっていきたいと思います・・・。

 ところで、今回の本題は現在立法院の占拠が続いている台湾の中台サービス貿易協定の問題です。事件直後にはほとんど情報がなかったのですが、だんだんとその内容が明らかになってきました。

【緊急拡散】中国が狙う台湾乗っ取り政策「中台協定」の中身がとんでもなくヤバいぞ!!!これまさに「外国人参政権+移民の大量受け入れ政策」そのものだわ…

この一連の騒動の原因となった「中台協定」は、どうヤバいのか?
その詳細について現地メディアの最新情報が投下された。
一言で表すと「外国人参政権+移民の大量受け入れ」
あれ、これって…。

◆その詳細を箇条書きにすると、
・中国人の台湾投資が容易に
・中国人にも健康保険適用
・中国人にもIDカード付与
・IDカードには選挙権が自動的に付与される=外国人参政権
・移民の数は180万人を超えるかも
といった具合。
これ単なる投資協定という枠組みを超えてるぞ…。


◆これまでは主に「経済的な乗っ取り」を危惧されていた。
中国は経済と政治が密接に結びついているから、
経済的な乗っ取りは危険という所までは把握していた。
だが、ここで「経済関係なく政治的に乗っ取れる」事も分かってしまったのだ。
つまり、中国の富裕層だけでなく、貧乏人も大量にやってくると。
最低投資額がいくらなのかは不明だけど、金額によってはヤバい。
「〇〇万元投資すれば台湾の選挙権獲得」と大々的にキャンペーン打ったら
180万人どころか何千万人単位で移民が来る可能性もあるのでは?
そりゃ国会占拠してでも止めないといけないわ…。


◆台湾の馬英九総統は中国共産党の傀儡であることは有名。
台湾でいう総統は、一般的な国家の大統領に位置するため、
日本で言えば「天皇陛下のいない状態で小沢一郎が全権を握った」ようなもの。
全ての国家機関、警察、軍隊、消防も総統の味方。
既に国会を取り囲み、学生を強制退去させる準備も進んでるらしい。


◆さらに目を疑うような書き込みも。
国会を取り囲む警備隊の中には
「本 土 の 人 民 解 放 軍」も含まれるとか。
どういうことだよ…これ事実なら完全に領土侵略状態じゃないか。
ソース無しのため本当かどうかは怪しい。嘘であると信じたい。


◆この件は日本も危機感を持たねばならないと思う。

http://www.news-us.jp/article/392305973.html


 実はASREADの方で、TPPの議論と絡めて、この中台サービス貿易協定の問題に関する記事を書いたのですが、どうやら、TPPや米韓FTAとは比較にならないくらいエグい内容になっているようです。TPPの議論では、ISD条項等に絡めて、「これは主権の問題である」と保守方面では大騒ぎになりましたが、この中台協定に関しては主権の侵害どころか、明確に乗っ取りを目的としています。完全に侵略のための下準備のようなものになっているようですね。

 まあ、ただ、日本も学ぶべきは、密室で秘密裏に行われた協定は、その中身がどうなるかは本当に開けてみるまで分からないということです。かつてTPP推進派の人間たちは、「TPP交渉にとりあえず参加してみて、不利になりそうだったら途中で抜ければいい」などと述べていましたが、そもそもその交渉の中身が分からないのでは抜けるべきかの判断すらつかないのではないでしょうか。米韓FTAでは韓国の国会で催涙弾が投げられました、中台協定では学生団体による立法院の占拠、さて、TPP問題に関して日本ではどうなるでしょうか・・・まあ、せいぜいプラカードを掲げて国会の周りでワーワー騒いで終わりになってしまうような気がしますが・・・

↓動画をいくつかアップロードしたのでよろしくお願いします







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2014年03月19日

佐伯啓思先生の勉強会の動画をアップしました

 えー、先日からKAZUYAチャンネル的なことをしてみたくて動画投稿にチャレンジしております( ̄▽ ̄;)

 というわけで、第二回目の投稿は、佐伯啓思先生の勉強会の感想をアップしました。



前回の記事(『佐伯啓思先生の勉強会開催しました!!』http://achichiachi.seesaa.net/article/391639304.html)では

 最後の質疑応答で、私が、
「僕は今、思想や哲学について学んでいるのですが、たまに、ふと、実はこういった思想や哲学の体系は、実際には、あらゆる物事に法則を見出そうとする人間の本能の生み出した壮大な誇大妄想に過ぎないのではないかなと思うことがあります」
と、それまでの講義の内容を一からひっくり返すような発言をしたんですが、佐伯先生は笑いながら、
「まあ、そういう突き放した観点から、自分の試みや考えを客観的に眺めてみる視点というのも必要でしょうね」
と答えてくださいました。この受け答えを聞いてさすが大人物だなと感心しました(笑)


と書きましたが、まあ、このようにある程度突き放した目線で自分のやっていることを客観的に眺めることで、「自分は物凄く難しくて高度な学問をしている立派な、あるいは高尚な人間だ」などというおかしな勘違いをしないようになるのではないかなとこの動画の方で述べさせてもらいました。

 僕は、かつて、自己啓発にハマり、セミナーなんかにも参加してた時期もあったのですが、やはりそういうところでもそうですし、政治活動の場でも「私たちは、一生懸命国のことを考えてる立派な人間なんだー!!」と妙な思い込みをする人がやっぱり一定数いるんですね。一体、どうしたらこういう妙な思い込みや自意識過剰な状態を脱することが出来るのか?なんてことを以前から常々考えていたので、これは、まあ、その疑問に対する一つの答えであったりするわけです。

 えー、今後はこのブログに加えて、動画の方をビデオブログ的な意味に捉えて更新していこうかと思います。なんというか理想的には、「ブログと動画と併せて見たり、読んだりするとより理解が深まる」とかそんな感じにしていければいいなと。喋りはまだ全然下手くそなんですけど、文章も書き続けているうちにそれなりに上達したのと同じように、喋りの方も「動画をアップし続ければ上達するかなー」などと考えながら気楽に続けられればと思うので、今後は動画の方もよろしくお願いしますm(_ _)m


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2014年03月16日

佐伯啓思先生の勉強会開催しました!!

 どうも、本日は京都から更新です(*´∀`*)

 昨日は京都で佐伯啓思先生の勉強会を開催しました。

 現在の日本や世界の政治や経済社会の問題点から始まり、現在の世界の問題が歴史的、思想的観点から見て、どのような経緯で発生し、そして、それを現代の世界の人々、あるいは現在の日本人がどのようの克服していくべきかといった問題について2時間半に渡って講義をしていただきました。

 最後の質疑応答で、私が、
「僕は今、思想や哲学について学んでいるのですが、たまに、ふと、実はこういった思想や哲学の体系は、実際には、あらゆる物事に法則を見出そうとする人間の本能の生み出した壮大な誇大妄想に過ぎないのではないかなと思うことがあります」
と、それまでの講義の内容を一からひっくり返すような発言をしたんですが、佐伯先生は笑いながら、
「まあ、そういう突き放した観点から、自分の試みや考えを客観的に眺めてみる視点というのも必要でしょうね

と答えてくださいました。この受け答えを聞いてさすが大人物だなと感心しました(笑)

 今回は、撮影や録音は遠慮して欲しいとのことでしたので、講義内容をアップはできないのですが、今後はASREADの企画として、様々な先生をお呼びして勉強会を開催していく予定なので、もしかしたらネット上に講義内容をアップロードして公開できるようにするかもしれません。

 勉強会の後、二次会、三次会と飲んで、その後に、ニコ生関係のお友達のきむちさるかさんのお店にお邪魔しました。3年ぶりに行ったのですが、すごく繁盛してるようで驚きました。3年前にオープンしたお店ですけど、今ではバイトの子も雇って毎日忙しくしているそうです。


↓ニコニコ動画に動画を投稿しました!!今はクリエイター奨励制度というシステムがあり、再生数やコメント数に応じて換金可能なクリエイター奨励ポイントというものがもらえるそうなので、再生してくれると非常にありがたいです(>人<;)



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2014年03月14日

『死に至る病』『現代の批判』(キルケゴール)を読んで・・・そのA〜アイロニーの天才キルケゴールについて〜

 『死に至る病』が相当に難解だったため、『現代の批判』も難しい(というか分かりにくい)内容かと思っていたのですが、そうでもないようでホッとしました。大雑把に言うと、『死に至る病』はニーチェっぽくて、『現代の批判』はオルテガっぽい記述が多い印象があります。ただし、オルテガの『大衆の反逆』もキルケゴールの『現代の批判』も共に近代における大衆社会批判(キルケゴールは大衆化のことを平準化と呼んでいます)なのですが、大きく違うのはキルケゴールは終始アイロニーを用いて、現代(といっても、この文章が書かれたのは1845年ですが)を揶揄しながら批判するという手法を用いています。

 中野剛志さんは、評論集『反官反民』に収録されている『マスメディアと大衆』という文章の中で、『現代の批判』中の

 公衆は退屈しのぎに一匹の犬を飼っておく、この犬は文学界の卑劣漢である。いまだれかちょっとした人物が現れたるとする、おそらく傑出した人間ならもっとおあつらえ向きだろう。するとその犬がけしかけられて、退屈しのぎがはじまる。この犬は人にかみつく癖があるので、その人の上着のすそをひっ裂き、無礼ないたずらのかぎりをつくす―ついには公衆のほうが飽きてしまって「もうたくさんが」と叫びだす。これで公衆は水平化をなしおえたことになる。

という文章を引用しているのですが、実は、この文章の次の一文が物凄く皮肉が効いていて面白い。

 少し強い男、ちょっとすぐれた男は、ひどい目にあったものだ、―そして犬のほうは、むろん犬のほうはどこまでも犬のままである。

 思わず、「そりゃそうだ!!」と心の中で突っ込まずにはいられませんが、思わず突っ込みたくなるボケこそ、良いボケなのであります(BY デストラーデ高校 山口ノボル)。

 ちなみに、この『現代の批判』は、キルケゴール自身が、ある風刺紙の標的とされて、大衆の笑いものとされた経験から書かれたものなのですが、それを踏まえて、先の文章を読むとなんとも大胆な批判であることが理解できます。つまり、マスメディアの愚劣な記者などというものは所詮犬であり、犬は、どこまでも犬のままであるという痛烈な批判なのです。

 一方、このちょっと「すぐれた男」(まあ、つまりキルケゴールは自分のことをこのように称しているわけですが)はどうなるのか、次の文章を読むとよく理解できます。

 このような関係にわが身を置いて考えてみる人は、おそらく、ひどい目に会った善良なほうの人に注意を向けて、あの人はひどく不幸せな目に会ったものだ、と言いたくなることだろう。この見方には、わたしは全然賛成できない。というのは、最高のものに達するように助勢してもらいたいと思う人にとっては、このような不幸に堪え抜くことこそ身のためになるのだと思うからである。

 つまり、先の文章と合わせて読むなら、ちょっとすぐれた男(キルケゴール)はこのような不幸に耐えることで最高のものに達するための一つの契機とするのに対し、無礼ないたずらのかぎりをつくす犬(雑誌記者)はどこまでいっても犬のままだと述べているわけです。

 まあ、もっとも、大衆紙に風刺され公衆から馬鹿にされた経験から、ムキになってこのような批判の文章を書いてしまっているわけですから、本当にキルケゴール自身が本当に、このように達観した心境に達していたかは大いに疑問ですが、ただ、批判の中には、このようなアイロニーを織り込ませることができるということは、やはり一定の精神的余裕を確保していたのでしょう。

 他にも、いくつも非常に皮肉の効いたユーモラスな現代社会批判の文が書かれているのですが、最後に特に面白かった箇所を一箇所だけ紹介したいと思います。

 日ごと日ごとに自制力を積み重ねていって、深い宗教的な見地から世と世にあるもの諦めるなどということは、現代の青年たちには思いもよらないことであろう。ところがそのかわりに、神学生の二人に一人は、そんなことよりもはるかに驚異的なことをやってのけるだけの老練な手腕をもっているだろう。つまり彼らは、堕落した人間を一人残らず救済することを正真正銘の目的とすると称する、協会なるものを計画することができるだろう。

 なんというか・・・色々な課外活動に手を出しまくって、本業が疎かになって留年する意識の高い系の学生みたいな奴が19世紀にもいたんだろうなぁということがわかります(笑)しかも、神学生の二人に一人は協会を設立できるだろうではなく、協会を計画することができるだろうという点がなんとも物悲しさと滑稽さをこの上なく上手く表現できているのではないでしょうか・・・。


まだ、勉強会の席余ってますんで、興味がある方はよろしくお願いします⇒【告知】3月15日 京都で佐伯啓思先生の勉強会を開催します!!テーマは「ニヒリズムと日本思想」です!! http://achichiachi.seesaa.net/article/390968740.html

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2014年03月12日

『死に至る病』『現代の批判』(キルケゴール)を読んで・・・〜神を弁護する罪について〜

 先日、以前からずっと読みたいと思っていたキルケゴールの『死に至る病』を書店で購入し、読んでみたのですが、さっぱり内容がわかりませんでした・・・キリスト教批判というか、当時のデンマークにおけるキリスト教について批判した文章なのですが、やはりキリスト教の知識がほぼ皆無である私には少々難解でした。

 実存主義の祖としてニーチェと並び称されることもあるキルケゴールですが、なんとなく『死に至る病』はニーチェっぽいです。ただし、ニーチェはキリスト教そのものを批判しているのに対して、キルケゴールは基本的にはキリスト者でありながら、当時のデンマークにおけるキリスト教のあり方を批判したという点で、やはり大きな違いはあるわけですが、やはりキリスト教批判という文脈においては似てる気がします。ただし、もしかしたら、私がよく内容を理解できない抽象的な文章をとりあえず大雑把に「なんか、ニーチェっぽいよね」と適当に分類しているだけの可能性もあるので、そのあたりは色々と察してください・・・

 ところで、キルケゴールは、この『死に至る病』の後半部分で、神を弁護する行為について痛烈に批判しているのですが。その批判の仕方がなんとも皮肉が効いていて面白い。

 牧師たる者は、もちろん、信仰者でなくてはなるまい。では信仰者とは!信仰者とは、もちろん恋する者である。いやしかし、恋するすべての者のうちで最も熱烈に恋する者でも、信仰者に比べると、その感激の点では、実はほんの青二才でしかない。
 いま、ひとりの恋する者を考えてみよう。彼は、くる日もくる日も、明けても暮れても、自分の恋を語ることができるだろう。だがしかし、恋していることは実にたいしたことであるということを、三つの理由を挙げて証明しようなどと、そんなことを彼が思いつけると君は思うだろうか、そんなことが彼に可能だと君は思うだろうか、そんなことは口にするのも彼にはいまわしい気がするだろうとは、君は思わないだろうか。
 牧師が、祈るのは有益であるということを、三つの理由から証明するとしたら、それとほぼ同じことである。これでは、祈りの値うちは、その信望をほんの少しでもつなぎとめるために三つの理由が必要であるまでに下落したことになる。あるいはまた、も少し滑稽なだけで結局は同じことだが、祈りはあらゆる悟性を超越する浄福であるということを、牧師が三つの理由を挙げて証明しようとするとしたら、これもまた同じことである。


 なんとなく、これはニーチェの同情批判に似ているような気がします。ニーチェの同情批判とは、物凄く簡単に説明すると、つまり相手に同情をするというということは、相手を哀れな人間だと見做すことと同義であるということなんですね。弱さを弁護するそれまでの思想や宗教や哲学を否定し、強者のための思想を展開するニーチェにとって、相手を惨めな弱者として憐れむこの同情という感情は、最も忌避すべき感情であったわけです。

 これは、キルケゴールの弁護に対する批判と非常に似てないでしょうか?おそらくニーチェであれば、この神への弁護について、「これはすなわち神への同情である」と喝破したのではないでしょうか?その証拠となるかはわかりませんが、やはりニーチェはデカルトやスピノザの神の存在証明について、それこそが神を殺したのだとして、徹底的に批判しています。

 神の存在を論理的に弁護するという行為そのものが神を殺したのだとするニーチェの思想は、キルケゴールの祈るのは有益であるということを、三つの理由から証明することが、祈りの値うちを、その信望をほんの少しでもつなぎとめるために三つの理由が必要であるまでに下落させると考えたキルケゴールの考えに酷似しているように思えます。


まだ、勉強会の席余ってますんで、興味がある方はよろしくお願いします⇒【告知】3月15日 京都で佐伯啓思先生の勉強会を開催します!!テーマは「ニヒリズムと日本思想」です!! http://achichiachi.seesaa.net/article/390968740.html

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↓次回は、同じくキルケゴールの著作である『現代の批判』について解説します・・・応援よろしくお願いします(σ≧∀≦)σ


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2014年03月09日

【告知】3月15日 京都で佐伯啓思先生の勉強会を開催します!!テーマは「ニヒリズムと日本思想」です!!

 3月15日に京都大学教授の佐伯啓思先生の勉強会を開催いたします!!
 テーマは「ニヒリズムと日本思想」になります。


日時 3月15日 13時半開場 14時〜開始

場所 YIC 京都工科大学校264号教室(2号館6階)

参加費 社会人2500円 学生2000円


参加ご希望の方は 「佐伯啓思勉強会参加希望」と書いて、名前を書いてこちらのアドレスまでメールをお願いします⇒enshiro66@yahoo.co.jp


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2014年03月08日

『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』(トール ノーレットランダーシュ 著 柴田 裕之 訳)を読んで・・・そのC〜存在と認識の問題〜人間という認識者が存在しないところには、あらゆる物質はその存在が成り立たないのではないかという問いについて〜

 最近の夢は、いつか誰からも判別がつかないくらいに顔を整形して、誰も自分のことを知る者がいない町に移住し、物書きとして、極力他者との接触を避けて一人生きていき、孤独に死ぬことです。どうも管理人です(ゝω・)vキャピ

 最近は、すっかり哲学的な問いや抽象的な問題ばかり考えるようになりました。今回も、まあぼんやり考えた哲学的な問に関しての考察を書いてみようかと思います。もしかしたら、私と同じこと、同じようなことを考えた先人もいるかもしれませんが(というか多分いるのでしょうが)、まあ、知っている人も適当にお付き合いいただければと思います。

 今回の話題は、以前書いた記事(『『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』(トール ノーレットランダーシュ 著 柴田 裕之 訳)を読んで・・・そのA〜世界を認識する方法〜』http://achichiachi.seesaa.net/article/387079996.html)と深い関わりがあるので、もし時間のある方は、こちらの記事を先に読んで頂ければ理解しやすいかと思います。ただ、この記事単体でもしっかりと内容が理解できるよう配慮は致します。

 えー、以前、政治や哲学について詳しい知人と、存在について議論したことがありました。その知人は、「人間が認識しない限りにおいてあらゆる物質は存在しない。存在に先立って人間の言語や認識が存在し、その逆はありえない」というようなことを言っていたので、「何を言ってるんだ?この人は?」と思ったのですが、なんとなく最近はこういった問いが自分の中でホットな話題になってきているので、この問題に関して少し突っ込んだ議論を展開してみようかと思います。

 まず、最初に断っておくと、私は、このような議論に同調するつもりは全くありません。一般的な意味においては、明らかに物質的な存在は、人間の認識以前に存在していて、物質的な存在に対して人間が認識を行うのであり、その逆は基本的にはありえません。「それは違う!!」という哲学者もいますが、まともな頭の持ち主ならば誰でも理解できるように、物質は人間の認識とは無関係に存在します。

 しかし、今回は、あえて議論の視点をずらすことにより、人間の認識が存在に先立つ、つまり人間の認識なしには物質の存在はありえないという仮説(というか屁理屈?)を無理やりでっち上げようという試みます。

 ここで、参考になるのは、有名な「誰も人間(あるいは生き物)が存在しない森で木が倒れた時、その木が倒れた音はするのか?」という問いです。哲学的には、この答えは決定していて正解は「誰も生き物がいない森で木が倒れても音はしない」となります。理由は簡単で、音とは、空気の振動が鼓膜を揺らした時に、その振動をある方法において感知したものが音であるからです。つまり、空気の振動によって鼓膜を揺らさない限り、そしてその鼓膜の振動を脳が音として認知しない限りは、木が倒れた時に発生する空気の振動は単に空気の振動であり、音ではない。つまり、誰もいない森で木が倒れても音は発生しないのです。

 さて、では、次に色というものについて考えてみたいと思います。次に考えてみたいのは、誰も人間(あるいは生き物)が一度も発見したことのない湖というものについて考えてみます。では、この湖に色は付いているでしょうか?素朴に考えれば、答えはもちろんイエスですよね?別に人間が発見しようがするまいが、その湖にはそんなこととは関係なしに他のあらゆる物質と同じように色が付いているはずです。しかし、多くの懸命な読者の方々は、「いや、人間が一度もその目で見たことのない湖には色は存在しない」というかもしれません。理由は、先ほどの音の例と全く同じです。実は、色というのは、光の反射を人間が目で、ある方法において認識したものでしかなく、一度も人間(あるいは別の色を識別することが可能な生き物)がその目で見たことがない湖には色はなく、ただ、他の物質と同じように光を反射させているだけなのです(ただし、他のほとんどの物質は、人間に認識されることにより色という属性を付与されていますが、この湖には色という属性が付与されていないという違いがあります)。

 ここまで読んで、「ふん、なんて下らない、ナンセンスな問いだ!?こんなものどうしようもないひねくれ者の屁理屈に過ぎない!!」と憤慨した方もいるかもしれませんが、次が本題なので、もう少々お付き合い頂ければと思います。

 最後に、存在に問題です。さて、それでは、この世からすべての人間が消え去ったと仮定しましょう(いやぁ、我ながら大胆な過程だと感心します(笑))。その時、この世界に物質は存在するか?という問題です。やはり、ここでも素朴に考えれば、物質は存在すると誰もが思うでしょう。

 しかし、ここで、先の二つの問いと同様に考えるとすれば、やはり存在というものは、人間がある方法によってそのもの自体を認識する方法に過ぎないのです。つまり、人間は、ある物質の存在を存在というあり方において認識する。なんと表現すればいいのか難しいのですが、存在というのもやはり人間の物自体の認識の仕方に過ぎないのです。そうなれば、存在を認識する人間という主体が存在しなければ、やはり物質は、存在しないことになるのです。

 もちろん、こんなものはある種の屁理屈と捉えることも可能で、存在というものを、「人間が物自体を認識する方法のこと」ではなく、「人間が存在として認識したものそれ自体」であると定義するなら、やはりその意味においては全人類が消滅してたとして物質の存在は消えません。しかし、人間は、物質の存在を存在というあり方でしか認識出来ない以上、人間が消滅しても残るであろう、人間の認識を超越した意味における物質の存在は、我々が考え、普段から感じ取っている存在とは全く違ったものであるはずです。

 もちろん、これは認識する観察者からの観点であり、観察される物質の側は、人間が存在しようがしまいが、そんなこととは関係なしに、存在しているのですが・・・。


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2014年03月06日

雑記〜いつもの8割増で頭がおかしくなってきました〜

 今回は雑記です。最近このブログにしては珍しく政治ネタ経済ネタが少ないのですが、滝本竜彦作品を読みあさってるせいだと思います、なんというか外界の出来事への関心が薄れもっぱら内的世界、精神だのなんだののことばかり考えています。最近、ショッキングな出来事が続いたのと、おかしな本を読み漁ってるせいで、いよいよもって脳と精神がおかしくなってきました・・・

 最近、ブログでもASREAD記事でもツイッターでも『ユーザーイリュージョン』という本を面白いとおすすめしてていましたけど、あれって読み方によっては結構危険な書なのかもしれないです。特に精神力が弱い人が読んだり、普通の人でも精神が弱ってる時に読むのは危険です。

 簡単に説明すると、自我も、自分が現実だと思ってる世界も実は全て脳が作り出したイリュージョン(幻想)に過ぎないって本で、普通の人は、「まあ、そんな考え方もあるのか」って読み流す内容なのですが、精神的に弱ってると、ものすごい世の中の本質であるかのような妄想に囚われます。

 まあ、もっとも、仮に自分が現実だと思っている世界が幻想だとしても、その現実だと思っているものが重要ではなくなるわけではないんですけどね。なにしろ、人間は、それが現実だと思っているような仕方でしか世界を認識できないわけで、本来の人間の感覚を経由しないで直接に存在そのものを感知するなんてことは不可能なので、やはり、たとえ本当は幻想だとしても、それ以外の真の現実は存在しないのと同じなんです。

 そうだと、わかってはいても・・・まあ、あまりにも弱りきった精神状態においては、そんな「自分たちが現実だと思ってる世界は虚構、まやかしに過ぎないのだ」というテーゼがたまらなく慰みになってしまうわけです。おそらく、ついさきほど読み終わった滝本竜彦の作品『ムーの少年』も、そのような問題がテーマだったんだと思います・・・。

 まあまあ、そんなわけで、『ユーザーイリュージョン』を読んだ後に滝本竜彦作品をすべて読むと、おおよそ精神的に立派な廃人が誕生します。てか、しました。今、ここでキーボードをカチャカチャ打ってる俺はある意味精神的廃人です。最近、「現実と妄想の区別って、そんなにくっきりと二分出来るものなのか?」などと考えてるうちに、どんどん現実から現実感というものが失われていっています。きっとそのうち俺の体はだんだんと薄くなっていき、そのうち消えてしまうと思います。でも、安心してください、きっとその時には、皆の記憶の中かからも俺の存在はなくなってるはずなんで何も悲しくはありません・・・。え、「お前なんて消えたって全然悲しくない」って?そうですか、それを聞いて僕が今悲しくなりました・゜・(ノД`)・゜・

 そういえば、いつの日か中野剛志さんが、飲み会の席で「思想は、扱い方を間違えると危険だ」って言っていたことがあったんですけど、なんとなくその意味がわかった気がします。

 新興宗教の教義とかが典型的ですが、一見どれだけ常識外れで馬鹿げた妄想のような考えにも、完全に無矛盾に説明しうる理論って付与しうるのです。この世界は、「完全にまやかしで幻想なのだ!!」というような荒唐無稽な考え方も実は、完全に無矛盾な反証不可能な論理を形成しうるわけで、衰弱しきった今の私には、そんな論理がたまらなく魅力的に感じられるのです。まあ、その体系内で無矛盾であるからといってその命題が真であるという十分条件にはなりえないのですけど。

 かつて、マックス・ウェーバーの『職業としての政治』を読んで以来、「神秘主義者にはなるまい」と心に誓ったつもりでしたが、今の私の思想は、結構神秘主義に近いと思います。

 ああ、きっとどこかにこの野卑な下らない現実とは違ったより高い次元の真実の世界が・・・あったらいいですね・・・ふぅ・・・

 ところで、凡庸なつまらない思想を称して「毒にも薬にもならない」と言いますが、真に人間の意識やら精神やらに変革を迫るような思想は限りなく毒に近いのではないかと思います。たとえそれを提唱した人物が薬のつもりで説いていたとしてもそうです。

 そもそも、意識の変革を迫るような思想というのは、つまり既存の秩序を破壊するような思想でしょう。この世界で当たり前に受け入れられていた秩序、疑うことなど夢にも思わなかった常識、良識、そういったものを根こそぎぶち壊す思想こそが革新的な思想なのだとすれば、それが、安全であるわけはないでしょう。

 革新的な新しい考えを発表した人間のうち悲惨な末路をたどった人間はやはり少なくなく、地動説を唱えたガリレオは異端審問にかけられ軟禁状態での生活を送りますし、反キリストの思想を唱えたニーチェは梅毒で頭がおかしくなって死にました。それまでのソフィストたちと徹底的に戦ったソクラテスは「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」などの罪状で公開裁判にかけられ死刑になりました。

 今は、これだけ言論の自由が広く保証されているにも関わらず、彼らほど革新的な思想を発表する人間は皆無でしょう。時間が経つごとに、エントロピーが拡大し、暖かい空気と冷たい空気が混ざり合い、全体がぬるい空気と化すかのように、時代が下った今の時代は知的精神的に限りなく平べったい時代になったのではないかと思います。


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2014年03月05日

なぜ京都大学の哲学科は自殺者数が多いのか?〜人生の生きる意味について考察してみる〜

 最近滝本竜彦作品を読みあさっているのですが、なんとなくこの人の作品を読み続けていると、妙に鬱っぽい気分になります。欝気分のついでになんとなく「死にたい」でネット検索をしてたら(って、おい、大丈夫か俺?/(^o^)\)、京都大学の哲学科の人は異常に自殺率が高いという情報を目にしました。そこでは、「頭が良すぎて『生きてる意味なんてない』っていう結論にいきついちゃうんだってさ...」と書かれていたので、「本当にそうなのか?」と疑問に思ったので、少し考察してみたいと思います。ただ、今回は「生きていることに意味はあるのか?」という根本的な問題については考察しません。あくまで、本当に京都大学の哲学科の人たちが「頭が良すぎて『生きてる意味なんてない』という結論にいきついたから」自殺したのか?という問題について考えます。

 結論から言うと、俺の考えではこれは間違いですね。だって、普通に常識的な感覚で考えてみてください。仮にノーベル賞の中にノーベル哲学賞なるものがあったとして、世界で最高の哲学者にその賞が贈られるとします。そうなれば、おそらくは、人間の生きる意味についてもっとも深く学術的に、論理的に考察しているのは、おそらくその賞の受賞者になりますよね?

 では、例えば、このノーベル哲学賞を受賞した世界で最高の哲学者が、「人生には全く生きている意味が存在しないことが、論理的、数式的に証明されました」という声明を発表し、さらにその論理を誰でも理解できるレベルまで噛み砕いて説明し、世界中で、その論理が発表され、全世界の人間が、「そうだ人生には全く生きている意味はないのだ」という結論に達したとしましょう。果たして、その時、世界中の人間が同時に自殺することなんて有りえますか?それは絶対にありえないでしょう。

 人間は、仮に「論理的人生の生きる意味が全く存在しない」という結論に達したとしても、それが理由ですぐさま自殺することなんてありえないのです。だって、人生に生きている意味がないということと、自殺するということには、実は直接的な論理的な繋がりはないのですから。

 そうなると、京大の哲学科の人が自殺する理由は、他のところにありそうな気がします。まあ、私の考えた結論を簡単に言ってしまうと、「答えの出ない問いについてずっと考えすぎることによって気が狂って自殺した」と、まあそういうことになります。

 2ちゃんねるの有名なコピペで、ナポリタンのコピペというものがあります。内容は次のようなものです

ある日、私は森に迷ってしまった。
夜になりお腹も減ってきた。
そんな中、一軒のお店を見つけた。
「ここはとあるレストラン」
変な名前の店だ。
私は人気メニューの「ナポリタン」を注文する。
数分後、ナポリタンがくる。私は食べる。
……なんか変だ。しょっぱい。変にしょっぱい。頭が痛い。
私は苦情を言った。
店長:「すいません作り直します。御代も結構です。」
数分後、ナポリタンがくる。私は食べる。今度は平気みたいだ。
私は店をでる。
しばらくして、私は気づいてしまった……
ここはとあるレストラン……
人気メニューは……ナポリタン……


 いわゆる意味が分かると怖いコピペと呼ばれているもののうちの一つなのですが、実はこれ、なにも意味がないんです(一応、検索すると色々と解説も出てきますが、基本的には全てこじつけであって、本当は意味はありません)。それで、まあこのコピペは、この全く意味のない正解のない問題の答えについて延々と考え続けると気が狂うというということが言われているんですね(これが元ネタで、以後、答えのないナンセンスなのになにか意味ありげなコピペのことはナポリタンと呼ばれています)。

 それで、まあ、要は私が言いたいのは、「人生の生きる意味とはなんなのか?」と延々と考えることは、このナポリタンの答えのないコピペに対して延々謎解きをするようなものなんじゃないかと、そして、ほとんどの人はその問いを前にしたときには、このナポリタンのコピペを目にした時と同じような態度、つまり「もういや、分からないから考えるのはやめよう」と思うのですが、結局、京都大学の哲学科の人たちは、本来どこかで「もういいや」と思うべきであった問いについて止むことなく考えた結果として気が狂ってしまったのではないかと、そのように思うんですね。

 でも、やっぱり人生の生きる意味ってのは、論理的には絶対に導き出せないんですよね。そのあたりは神の存在証明に近い気がします。誰か、昔の哲学者が神の存在について言っていたのは、
「神は理性によって、その存在を証明することは出来ない。しかし、我々は信仰によってその存在を感じ取ることができる」
と。結局、生きる意味というものも、この神の存在証明に近いのではないでしょうか?それは理性によっては証明できないけれど、困難なやりがいのある目標に到達しようと努力しているとき、あるいは愛する仲間やパートナーと素晴らしいひと時を過ごしたとき、あるいは広大な自然や、素晴らしい芸術に触れて思わず感動してしまったとき。このような時に、人は理性ではなく、感性として人生の生きる意味を感じ取るのではないでしょうか?そこで、じゃあ、自然と触れ合うことに意味が有るってどう論理的に証明するのですか?などと問うのはどう考えても野暮な行いでしょう。

 また、世界的な名著である『夜と霧』を書いたフランクルは、『人間とは何かー実存的精神療法』という本の中で、人生の意義について次のように例えています。つまり、豚や牛のような家畜は、自分が何のために生きているのか理解ができない(実際には、人間に食されるために生きている)、そして殺される時にも何のために殺されるのかを理解できない。しかし、家畜を飼う人間との信頼関係によって、牛や豚は自分たちの生と死に意義があるのだと感じ取ると。フランクルは人間も同じようなものだと言うのです。つまり、人間は自分自身では自分の人生の生きる意義を理解することは出来ない。しかし、自分より大きな存在(おそらくは神のことでしょう)は、その存在意義を理解しているし、その大きな存在との信頼関係を構築することによって、人間は自分の人生に意義があるのだと感じ取ることが出来るのだと。

 また、特殊性と普遍性という問題もありますし、多様性の問題もあります。例えば、特殊性と普遍性の問題では、教師の仕事をしているAさんにとっては、教え子たちを立派な大人にするために教育するのが人生の意義目標あり、政治家であるBさんにとっては国民や国家を導いていくという意義目標があり、また宗教家であるCさんにとっては、宗教的な教えを人々に説くことが意義目標であったりするでしょう。しかし、このAさんBさんCさんに共通の普遍的な人生の意義というものを考えるのは困難なのです。もちろん、抽象的にはそれは説明しうるかもしれませんが、具他的な人生の意義は個別的にしか存在しないのです。そして、多様性で言えば、教師であったAさんは家庭に帰れば妻に対しての夫であり、子供に対しては父親であるかもしれません。また友人の中に入ってみれば、そこでの立場というものが存在するでしょう。そして、それぞれの立場において、それぞれの存在意義があるわけです。

 しかし、科学の分野でよくありがちな現象ではありますが、このような具体性、個別性の認識を欠いた状態における、普遍的な生の意義「人生の生きる意味はなんなのか?」という問いは、ほとんど確実にどこかで袋小路に陥ります。それでも、頑張って解答を見つけようとするなら、やはりその人はナポリタンのコピペについて延々考え続ける人と同じで、どこかでどうしても気が狂わざるを得ないのではないでしょうか?私にはそのように思えるのです。


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小説『笑わないセールスマン』第三話〜ニーチェかく語りき〜

 第二話⇒http://achichiachi.seesaa.net/article/389532483.html

「ねーねー、しんちゃん!!何、ずっと本読んでるの?」
「ん?何って?ああ、ニーチェの『善悪の彼岸』だけど・・・」
「もー!!そういうことじゃなくってさ!!せっかくこんなに小動物みたいにキュートでプリティーで愛らしい彼女が部屋に来てあげてるんだからちゃんと構ってよ!!」

 こいつの名前は、紗南由紀、SNSのオフ会コミュニティーでの飲み会で知り合って、その後、2回目のデートで付き合うことになった。

「ねー、しんちゃん。あのさ、私たちって付き合ってるんだよね?」
「?!」

 出会ったオフ会も入れて、まだ3回しか会っていなかったし、それまで、どちらも付き合おうと切り出したことはなかったのだが、どうやら、いつのまにか俺たちは付き合っていたらしい。「付き合ってください」ではなく「付き合ってるんだよね?」って、新しい告白?

「うん、突然何言い出すんだよ?俺たちラブラブカップルじゃないか!!」

 結構顔も可愛くてスタイルも良かったし、なによりちょっとバカっぽい言葉遣いが俺のツボだった。断る理由は何一つなかったので、俺は付き合うことにした。いや、付き合ってることにした・・・か?

「ごめんな、ちょっとどうしても、仕事の関係で今日中に読んでおかなきゃいけないんだ。読み終わったら・・・な、ずっと構ってあげるから、ちょっと待っててな」

 俺は、現在小説の執筆の他にも、いくつかの雑誌とWEBサイトでもコラムの連載を持っている。というよりも、小説を書いても大した金にはならないので、むしろ仕事としてはそちらがメインである・・・

「もー、ところでさ、そんな本を読んで面白いの?」
「ああ、面白いよ。ニーチェは、この善悪の彼岸でさ、過去の哲学者たちが道徳性について考察するときに、批判的感覚が欠けていた疑いがあること、特にカントとかルターとかの哲学者や宗教家たちがキリスト教の諸前提を盲目的に受け入れていたことについて批判してるんだ。うーん、難しいかな?もっとわかりやすく言うと・・・」
「いやっ!!もういい!!聞きたくない!!」

 あーっと、またやってしまうところだった・・・。中高一貫の男子校に通っていた俺は、女の子と、いわゆる恋人らしい会話をするのが苦手なのだ。悩みを相談されると、つい哲学的観点、や実存的問題を踏まえつつ精神分析をしてアドバイスをしたり。あるいは、由紀の「世の中おかしいよね?」という一言に反応して、現代の社会の問題と政治の行き詰まりについて解説してみたり。そういえば、ある時は、仲が良かった女子高生の女の子(名前は里沙ちゃんといった。ちょっと大人びた感じだったので、年上の俺とデートすることで同級生の友達たちに対してちょっとした優越感を感じたかったのかもしれない。ちょっとしたアイドル並に可愛い顔で、そして何より高校2年生にしてGカップのバストの持ち主というのが素晴らしかった。俺はこの子にメロメロだった)とデート中の食事の席で、「今の日本経済って大変なんだよね。デフレスパイラルって、怖いんだよね。」という一言に反応し、俺の経済及び、経済学の知識をフル動員し2時間に渡る「日本経済が如何にして現在のデフレ不況を脱却するべきか?」につての講義をしてしまったことがあった。講義中、何度も「ふーん」と言っていた彼女は、2時間に及ぶ講義が終わったとき、今まで見たこともなかったような満面の笑みで「へー新一君って何でも知ってるんだね!!すごいね!!」と言っていた。

 異常なまでに鈍感な俺でも、この今まで彼女の見たこともない、何とも言えない満面の笑みによる一言で、この上ない皮肉を言われたことに気づいた・・・そして、同時に「しまった!!」と思ったが、もう遅かった。

 その後、プラネタリウムに行き、別れた後、メールで「今日は、楽しかったよ!!また、今度暇なとき遊びに行こうね」と送ったが・・・
「私ってさ、馬鹿であんまり難しいこととか分からないからさ、新一君みたいに頭良い人とは合わないのかもしれない。新一君はさ、もっと頭の良い、難しい話も理解できるような女の子と一緒にいたほうがいいよ」
という返事が来た・・・文章の最後に、その日あの子が見せた満面の笑みそっくりの顔文字が付けられていたのがなんとも印象的であった。

 うーん、やはり、この対応は明らかにまずかったな・・・と、しかし、「あれはダメだった!!」とただ嘆くだけの愚か者ではない俺は、さまざまな参考資料(『モテる技術』『モテる話術』『LOVE理論』etc・・・)を読みあさった俺は、あの子が「今の日本経済って大変なんだよね。デフレスパイラルって、怖いんだよね。」と言った時、どのような対応を取るのが正解だったのか、どう反応するのがベストの対応だったのかについての完璧な解答を導き出した!!そう、彼女が「今の日本経済って大変なんだよね。デフレスパイラルって、怖いんだよね。」と言ったとき、俺はただ一言・・・
「うーん、そうだよね。けど、里沙ちゃんはすごいね!!そんな難しいことまで考えてるんだね!!」
と言ってあげれば良かったんだ。いや、むしろ、それ以上のことは全く期待していなかったし、里沙ちゃんはそれ以上細かいことをごちゃごちゃ言われたくはなかったのだ!!

 こうして、俺はひとつの真理を学んだ。女の子は、論理的な会話などしたくないのだ。女の子にとって会話とは知的刺激を受けるための娯楽や作法ではなく、感情の交流なのだと、ありていに言ってしまえば、「そうだね、そうだね、○○ちゃんは大変なんだね!!でも、そんな大変なのに頑張ってる○○ちゃんは凄いね!!偉いね!!天使みたいだね!!」と言ってやれば良いのだ。もちろん、誠実な男は、真剣に好きな相手にそんな適当なおべんちゃらをペラペラと言ってやることなどデキはしない、だからこそこの世の中では不真面目で、適当で、チャラついた男がモテるのだ!!

 まったくもって世の中間違っている!!そんな女の子に適当におべんちゃらを並べ立てて、適当に良い気分にさせておいてあわよくばワンチャンセックスを狙ってるようなふざけた男どもより、俺のように、ニーチェやキルケゴールやウィトゲンシュタイン等のさまざまな思想家、哲学者の書いた難解な書物を愛読し、人生についての深い真理を得ようと欲する俺のような男のほうが、ずっと真面目で誠実で、魅力的で、精神的にも、そして人間のランクとしてもずっとずっと格上のはずなのに!!そんあ俺のほうが、もっとずっとたくさんの女の子から「きゃー新一さんって知的で素敵でインテリジェントでワンダフォーで魅力的です!!今すぐ私とセックスしてください!!馬鹿で無知で無教養な私のマン○に、新一さんの知的で教養ある思慮深い肉棒をズボズボと突き刺してください!!」と言い寄られてしかるべきなのに!!何故?!何故、里沙ちゃんはあの日から、俺に会ってくれなくなったのだ?!何故、俺は、あのはち切れんばかりの魅力的なGカップの乳房に手を触れることすら叶わなかったのか?!人生とは、なんと不条理であることか?おお神よ!!なぜ、あなたはこのような苦難を私に授けたもうたのか?!ああ無情・・・

「ねー、ところで、ニーチェってそんなに面白いの?」

 由紀の一言が、完全に過去にタイムスリップしていた俺の精神と魂と現在に引き戻した。

「うん、まあ面白いよ」
「ふーん、ところでさ、その本を読んだら、なにか人生で役に立つの?」
「うーん、どうだろうなぁ・・・」

 非常にありふれた問いではあるが、その時、何故か俺には、その問いが非常に本質的な問題のように思えた。俺の読書歴の始まりは中学二年生の時に、父親の本棚に置いてあった『日常で使える心理学』という本であった。何気なく、手に取った本であったが、読み進めるうちにどんどんハマっていき、読み終わったあとにはすっかり心理学の虜になって、近くの市立図書館で心理学関係の本を片っ端から借りて読んだ。最初は、あまり難しい本は理解できないので、実用書的な内容の本が多く、常に、この本に書かれている内容は、日常生活にどう役に立つのだろうか?あるいは、どうすれば役に立つように応用できるのだろうか?という視点から読んでいた。

 しかし、最近はどうであろうか?たしかに、昔よりも難しい本の内容を理解できるようになって、もっとずっとレベルの高い内容の書物を読むようにはなった・・・しかし、これらの難解な書物は、果たして俺の日常に役に立っているのだろうか?もしかしたら、俺が現在行っている読書は、哲学書ならば、哲学のための哲学、あるいは思想の本であれば、思想のための思想として読んでいるのではないか?つまり・・・現実の日常生活から読書というものが乖離しているのではないだろうか?という不安に苛まれた。

 ある偉い哲学者が言っていた「知識が生の原理、つまり日中の営みから乖離していったとき、人はホモデメンス、つまり気が狂った狂人となる。知と生の乖離が人間を狂気に誘い込むのだ」と。では、果たして、哲学のための哲学的思索を行い、思想のための思想的思索を行う俺は、すでに極めてホモデメンス・・・すなわち狂人に近い存在なのではないか?

「なあ、由紀。由紀は、俺のことをどこかオカシイと思ったことってあるか?」

 俺はおそるおそる由紀に尋ねてみた。すると、「え、何をいっているの?」といった表情で由紀はこう答えた

「えー、しんちゃんは、初めて会った時から、変わった人だなーって思ってたよー。多分、しんちゃんくらい挙動不審な人ってネットでもなかなかいないよ、一発でこの人やばそうだなーって思った(笑)」

 そうか・・・やはり俺はすでにホモデメンスと化していたのだ。まさに、知と生の乖離こそが俺を狂気へと誘ったのである。ニーチェは、言った「大地と繋がれ!!」と・・・人間が人間らしく生きるためには、大地とのつながり、自然とのふれあいこそが重要なのだ。そう、俺のように一日中アパートの一室で、読書と文章の執筆に励む生活は、容易に人間を狂気に追い込むのである。こんな不健全な生活をすでに二年以上も続けている俺は、今こそ生活を改めるべきなのだ!!そうだ、今から農家に転職しよう!!そうだな、やはり人間性を取り戻すには、広大なあの北の大地こそがふさわしい、そこで農作業にたずさわり自然と触れ合うことで、俺は喪失しかかった人間性、生の原理を取り戻すのだ!!

「なあ、由紀」
「ん?」
「あのさ、もし、俺が今から北海道に行って、農業を始めると言ったら、お前もついて来てくれるか?」
「えー、嫌だよ。だって、寒いもん」
「そうか、たしかに北海道は寒いもんな・・・」

 その後、寒いけど、冬にはスキーもスノボーの出来るよ!!夏は涼しくて快適だよ!!と様々説得を試みるも、「えー、やだよ。第一北海道とかダサいし」という一言ですべてが終わった・・・こうして、俺の人間性を取り戻す試みは早々に挫折した。


 久しぶりに、小説の続き書きました!!滝本竜彦作品を何冊か読んで刺激を受けたので、今後はバリバリ書いていきたいんですけど、やっぱり慣れないとちょっと大変ですねー。まあ、今後もマイペースで書いていくんでよろしくお願いします( ̄▽ ̄;)


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2014年03月03日

『NHKにようこそ!』(滝本竜彦 著)を読んで・・・そのA〜『NHKにようこそ!』の主題について〜

 以前から話題にしている『NHKにようこそ!』の小説版を読み終わりました。いやぁ、面白かったですね。ただ、まあ昔読んだ時は結構感動して泣いたんですけど、今読むとやはり相当にラノベ特有のチープさも感じられて、さすがに感極まって涙するということはありませんでした。

 しかし、まあ私としては、一時流行したいわゆるセカイ系の物語よりは、こっちのほうが好感が持てますね。原作ではヒロインの少女である岬ちゃんが飛び込み自殺を試み、主人公がそれを止めようとしつつも、果たして、自分は彼女の自殺を止めることが出来るのか?と思い、こう自問自答します。

 俺は少しだけ、彼女の苦悩を知っている。俺が知っているのは、その苦しみのごくごく上辺だけだが、それでも俺には、なんとなくわかる。
 彼女はもう、どうしようもない。彼女の苦しみは、一生消えない。
 だけどもそれは、当たり前のことなのだ。岬ちゃんの苦しみは、おそらく人類の共通事項。ありふれた苦悩なのだ。
 誰しもが似たようなことで悩んでいる。ついでに俺も悩んでいる。
 生きていても、どうしようもない。
 苦しいだけだ。
 それを知りつつ、ダイブを止めるのか?止める権利があるものなのか?


 少年少女達が世界の命運を背負って戦う。二人の世界における精神的問題が世界の問題とシンクロしていく。そのようないわゆるセカイ系的な物語の主人公を描き出す作家などについて、「現代の若者達の精神の葛藤を非常に上手く表現している」などという評価が与えられることもあるのですが、なんというか、やはり今の多くの若者悩みというのは、そんな特別でもなく、もっと普通のありふれた悩みなんじゃないかと思います。だけども、ありふれているからこそ同時に普遍的でもある。この『NHKへようこそ!』の主人公は、引きこもりのニートなのですが、この引きこもりは別になにか重大な精神的トラウマによって引きこもったわけではないのです、ただ、なんとなく過敏になり、そしてあまりにも自意識過剰になりすぎたが故に悩んでいく。極限的な状況において、人間の真理や本質が表れうるということは否定しませんが、また、このようなありふれたチープな物語の中にもやはり真理は含まれているように思います。

 あまりに自分たちの悩みや苦悩、葛藤は、平々凡々でありふれていて、それでもそのあまりにもありふれた悩みでここまで苦しむ自分は一体なんなんだろう?と思い。そうして、人はその悩みを物凄く刺激的でドラマチックなものにして欲しいと心のどこかで願う。それが、セカイ系では、自分たちの苦悩と世界の危機がシンクロしていくことによってそれを実現化するのであるけど、『NHKへようこそ!』では、「自分たちの苦悩が世界の巨悪による陰謀のせいであってくれ!!」と思いつつも、そんなことはありえないと知って、行き場のない思いを募らせやりきれない虚しさに包まれる。ドラマチックな生を期待しながら、あまりにも平凡すぎる日常に苦悩する、そんな心理を描写してるんじゃないですかね。

 宇野常寛は「メンヘラ女子が自分の傷を男根で癒して〜ってやってこないかな〜」という小説だと評したそうで、まあ、そういう論評を否定するつもりもないですが、ただ、やっぱりそれはこの小説の持つ一側面に過ぎないと思うんですよね(まあ、その一面が99%を占めているという可能性を否定もしませんが・・・)。

 まあ、次回以降で、もう少しこの滝本竜彦氏の作品を突っ込んでレビューしてみようかなと思います。

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2014年03月02日

『NHKにようこそ!』(滝本竜彦 著)を読んで・・・〜陰謀論と、ルサンチマンと、負け犬精神について〜

 先日、まとめて注文した滝本竜彦の本が届きました。早速、昔読んだ『NHKにようこそ!』と『超人計画』を読んでいるんですけど面白いですね。鬼才です、マジで、「平成の太宰治」いや、「平成の坂口安吾」と言っても過言ではないのでないでしょうか!!

 全体のレビューは、まあおいおい書くとして、『NHKにようこそ!』の序文の陰謀論に関する記述が面白かったので、少し解説してみたいと思います。

 この世には、「陰謀」が存在する。
 しかし、他人の口からまことしやかに語られる陰謀は、九十九パーセント以上の確率で、ただの妄想、もしくは意図的な大嘘に過ぎない。
 本屋に行けばよく目にする「日本経済をダメにしたユダヤの大陰謀!」「宇宙人との密約を隠すCIAの超陰謀!」などという本も、すべてはつまらない単なる妄想である。
 だが―
 それでも我々人類は「陰謀」が大好きだ。
 陰謀。
 その甘くせつない響きに、我々はどうしようもなく魅了されてしまうのである。
 たとえば「ユダヤ陰謀論」が作り出される過程を例にとって考えてみよう。
 ユダヤ陰謀論を書こうとしている人間は「どうして俺は貧乏なんだ?」「どうして生活が楽にならないんだ?」「どうして俺には彼女ができないんだ?」等々の、ひどいコンプレックスとルサンチマンを抱えている。彼の精神と肉体は、絶えず外部と内部からの圧迫に晒されている。
 そして鬱積する怨念、尽きることのない社会への憎悪。怒り。
 しかしそれらの怒りは、そのほとんどが自分自身のふがいなさに由来している。
 貧乏なのは、自分に金を稼ぐ能力がないためだし、彼女がいないのは、自分に魅力が無いからだ。だが、その事実を認めて自らの無能さを自覚する作業には、かなりの勇気を必要とする。人間ならば誰しも、自分の汚点を見つめたくはない。
 そこで陰謀論者は自らのふがいなさを外部に投影する。
 自らの外に、架空の「敵」を作り出してしまう。
 敵。
 僕らの敵。社会の敵。
 敵がどこかで悪い陰謀を繰り広げているおかげで、僕は幸福になれない。
 陰謀のおかげで、俺に彼女ができない。
 そう!悪いのは全部ユダヤ人だったのだ!
 ユダヤ人がどこかで悪だくみしてるから、俺は幸せになれないのだ!
 くそっ、ユダヤ人め!許さないぞ!
 ・・・まったく、ユダヤ人もいい迷惑である。
 すべての陰謀論者は、もっと現実を見つめるべきなのだ。
「敵」は外部に存在しない。「悪」は外部に存在しない。あなたがダメ人間なのは、すべてあなたにその責任がある。決してユダヤ人の陰謀ではないし、CIAの陰謀でもないし、当然のことながら、宇宙人の陰謀でもない。
 まずはそのことを、しっかりと肝に銘じて生きていくべきだろう。


 別に、誰しもが、自分の惨めさ、あるいは理想と現実のギャップを自分の外部に求めるというわけではないんですけどね、ただやはり、人間どこかで、「自分のこの惨めさの原因は自分の外部に存在するのではないか?」あるいは、「存在して欲しい!!」と願ってしまう弱さを心に抱えていて、そういう心の隙を陰謀論などは上手〜く満たしてくれるわけです。藤井厳喜さんは『這い上がれない未来』という本の中で、このような陰謀論あるいは自己啓発本や成功本に引っかかってしまう人間の心理を次のように解説しています。

 「陰謀論」の本は、前記した「競馬必勝本」「パチンコ必勝本」と同じである。あなたは負けが込んだとき、こういう本を読み、慰めにしているのである。
この手の本で、あなたはいままで知らなかった「必勝法」を知る。
「まさか、そんな方法があったのか」と思って驚く。そして次に「そうか、これを知らなかったからオレは負けたのか」と、負けたのが自分のせいではないことを知って安心する。
人間は、誰しも自分の失敗や不幸を自分のせいにはしたくない。だから、勝つ方法を知らなかった、成功する方法を知らなかったと思わせてくれる本は、下流には大切な愛読書になる。(中略)
このように見てくれば、「下流マインド」の共通性がよくわかるだろう。それは、物事をけっして自分のアタマで考えない。代償行為で満足する。いつも、何らかの言い訳を探しているということだ。


 実は、このような心理状態に関して、私は物凄く理解できるのです。このブログでも何度か書いているのですが、私はかつて大学生時代に自己啓発セミナーに通っていたことがありました。そこでは、いい年してやたらテンションが高くてノリノリの講師の人が、人生の成功法則なるものを説いてくれました。ある人は「こんな素晴らしいお話を聞けて私は幸運です!!」と語り、また別の人は「こんな素晴らしい話を聞けない普通の人たちは可愛そうだ!!」と世間に同情してみせます。そして、大学生、たしか当時18歳だった私に対して「こんな素晴らしい話を、こんなに若い時期に聞けて、君は実に幸運だね!!」と語りかけられたりもしました。

 彼らは、明らかに洗脳されていましたが、別に無理やり洗脳されているようでもなく、むしろ自ら進んで洗脳されているようでしたし、洗脳されることに快感を感じているようでもありました。

 彼らは、今までの自分たちの人生が思ったようにいかなかったのは、「この成功法則を知らなかったからだ!!」と考えていたようでしたし、また同時に「こんな素晴らしい教えを知れたからには、今後の自分たちの人生はきっと上手くいく!!」と明るい希望に満ち溢れているようでもありました。

 それじゃあ、なんであなたたちはいつまでも、こんなところでくすぶって、仲間内で励まし合って「私たちは素晴らしいですね!!」「そうですね!!ハッピーですね!!」なんて言い合ってるんだ?と皮肉の一つも言いたくなりましたが、まあ、「幸せとは、自分のことを幸せだと思うこと、幸せだと感じることだ!!」という教えに感動して打ち震えている彼らに、その幸福感や、希望に満ち溢れたビジョンはただの幻想か錯覚なんじゃないですか?などと言ったところで無意味だったでしょう。

 あー、でもそんな中から一人だけ成功者も出ましたね。このブログでも過去に何度か紹介している池田貴将君は、なにやら『覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰』という本を出して20万部以上のベストセラーになったそうです。まあ、要は、自己啓発屋の弟子として、自己啓発屋になって成功したわけですが・・・

 まあ、教えそのものはほとんど下らなかったんですけど、色々と考えさせられることもありました。特に面白かったのが、結構普通に一流企業に就職した美人のOLさんとかも参加してたのが印象に残ってました。他にもサラリーマンや自営業として成功して結婚してるような人も結構いて、別に、人生の敗残者が救いを求めて駆け込んできたという印象はそれほどなかったですね。逆に言えば、「ああ、これだけ外から見て人生上手くいっているように見える人も、何かしら人生に疑問を持つものなのだな」と感じました。まあ、当たり前と言えば当たり前ですが・・・。

 しかし、未だに、自己啓発業界や、成功本、金持ち本業界は盛り上がってるみたいですね。一時は『ビジネス書大バカ事典』等の反自己啓発本などもブームになったので、自己啓発業界も下火になるのかな?とも思いましたが、未だに自己啓発本も売れているし、人によってはセミナーも好調なようです。まあ、このあたりはバカの壁というか、右翼の人間があまり左翼の書いた本を読まなかったり、左翼の人が右翼の人の書いた本を読まなかったりするのと同じで、自己啓発大好きな人は、反自己啓発本を読まないのかもしれないですね。おそらくは「自己啓発大好き!!○○先生の教えは素晴らしいです!!」となっている人にこそ読んで欲しいと思って、半自己啓発本を書いているのでしょうが、それが、「自己啓発とかくだらないよね?あんなのバカが読む本でしょ?」と、ある意味一番自己啓発の世界から一番縁がなさそうな人にばかり読まれているのだろうなと思うと、人間同士のコミュニケーションの難しさというか、溝の深さというものを感じさせられます。

 まあ、別にいいんですけどね。どんなに一時的に気分を盛り上げてくれるだけのほとんど無意味なセミナーに何十万、何百万も金を出して、「私はハッピーだああああ!!!!」と幸福感を満喫したければそれでいいし、もしかしたら中には先の池田君のように師匠の真似をして自己啓発本を出してヒットする人もいるかもしれないですし。それに、なかなか思い切った決断ができずに悩んでる人や、本当に精神が弱って、どうにもならなくなってるような人に、勇気を出して人生を一歩踏み出すきっかけを与えてくれるような可能性がないわけでもないですから、あるいは、私のように、ネット上でこうしていつまでもルサンチマン丸出しの社会論評や精神分析、あるいはエッセイなどを延々書き連ねているより、毎日「私は、いつでもハッピーだああああああああ!!!!」と騒ぎながら、明るく楽しく生きていった方がよほど健康だとも思いますし。

 ただ、まあ私としては、「自分のこの惨めさはどこか、自分の外部にあるのだ」とかいう幻想を抱いたり、あるいは、一時的にハイな気分を獲得するために何十万も金を払い続けるのは、ちょっとバカバカしいんじゃないか?とそんなふうに思うだけなんです。


ASREADに寄稿しました。都知事選の論評ですが、あえて田母神さんではなく、左派の家入氏に焦点を当てて分析を行いました!!こちらもよろしくお願いします!!⇒『なぜ、都知事選で家入一真は惨敗したのか?〜ネットリベラルと左翼の共通の陥穽について〜』http://asread.info/archives/482




↓応援よろしくお願いします(σ≧∀≦)σ


posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 01:29 | 神奈川 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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