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2014年02月28日

佐藤健志の『僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された』から考える失恋論

 佐藤健志さんの『僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された』の話を聞いていたら、なんとなく思いついたので書いてみようと思います。普段、恋愛論とか、恋愛観とか書いたり語ったりするのって、あんまり好きじゃないんですけどね。まあ、情緒的というより少しロジカルな感じで説明してみようかなと。

 佐藤健志さんは、日本人の心理として、戦後大きな破局を迎えた時に、必ず日本人は敗戦時に心理的に回帰し、何度も敗戦を繰り返すということを説明しています。それを表す象徴的な言葉が「第2の敗戦」という言葉ですが、この「第2の敗戦」という言葉、実は、最初に使われたのはオイルショックが起こった1975年、これが日本人にとっての最初の「第2の敗戦」だったわけです。その後、震災とオウム事件が発生した1995年が2度目の「第2の敗戦」で、そして、2011年の東日本大震災が3度目の「第2の敗戦」と呼ばれました。

 この「第2の敗戦」という言葉は、まさに象徴的で、この戦後の敗戦は、決して何度も積み上がって、第2の敗戦から、第3の敗戦、第4の敗戦と回数が積み上がっていかないのです。つまり、日本は戦後大きな破局を迎えた時に、必ず敗戦時にまで精神的に回帰するという心理的特性を持っているのです(これは、なにか、日本が改革を行う際に、常に維新という言葉を持ち出し、変革期において、必ず幕末の維新期に精神的に回帰するということと非常に共通点があるように思えるので、佐藤さんには是非その辺についても分析して欲しいです)。

 そして、問題は、なぜ日本人が戦後、破局を迎えた時には必ず敗戦時に心理的に回帰するのか?ということなのですが、ひとつの要因として、佐藤さんは日本の戦争の負け方が悪かったということを指摘しています。

 つまり、「あとに続くを信ずる」と述べて敵の艦隊に特攻していった仲間たちの姿を見ながら、残された者達は、「彼らだけを死なせるわけにはいかない・・・」という想いを抱きながら、1億総玉砕となる本土決戦の覚悟を決めていたわけです。しかし、戦争は2度の原爆投下という悲劇の後、本土決戦を経ずして終結してしまうのです。

 さて、ここで、たしかに生き残った人々は、破滅的な結果でなったであろう本土決戦を回避することとなったのですが、当然、ここですぐさま「ああ、良かった自分たちは破滅的な結果になったであろう本土決戦を回避出来てラッキーだった」などと考えられるほどに人間は単純でも下劣でもないわけです。「あとに続くを信ずる」と述べて特攻した仲間たちの姿を見て、「彼らだけを死なせはしない」と自分も死ぬことを決意した彼らは、たとえその後本土決戦を回避し、自分たちが生き残ったのだと理解しても、もうすでにその時には肉体も感情も精神も死を覚悟していたわけです。精神的、感情的に死を覚悟した者達は、そう簡単に、「そうですか、私たちは幸運でしたね」と納得して、普通にその後の日常生活を営んでいくわけにはいかないのです。

 なんとなくですが、相当に話の次元が低下することを承知しつつも、個人の次元で言えば失恋体験に似ているのではないかと思います。一人の女性、あるいは男性が、あるパートナーに対して、「この人と一生を過ごそう」あるいは「この人のために私の一生を捧げよう」と決意したとします。その時、相手から捨てられた場合、個人の人生としては、ひとつの破局的体験となりうるのではないでしょうか?つまり、「自分の一生は、この人のためにある」と決意しながら、その人に捨てられるという体験は、単純に言って、自己の人生の意義の喪失であるわけです。そう考えると、失恋を期に自殺する人や、人生の(善きにせよ、悪きにせよ)転換点とする作家や芸術家が存在するということも理解できるのではないでしょうか?特に、作家や芸術家は、内面の大きな感情の変化を表現する手法に長けているため、それを大きな転機としうるのではないかと思います。

 まあ、この失恋体験の場合には、戦友との死別とは違い、多くの場合次の恋愛体験により、ショックを消したり、和らげたりすることが多いのですが、そのような体験を経ない場合、長い時間に渡ってショックが継続することが多いのです。

 実際、一部の際立った美男美女などを除けば、限られた青春時代において出会う真剣な恋愛感情を抱ける異性との出会いや恋愛体験というものも限られていますので、案外失恋による精神的ショックを長い期間引きずる人は多いのではないかと思います。ちなみに、私の好きな著述家のニーチェもキルケゴールも恋愛に対して強いトラウマを持っています。ニーチェは異性にモテなかったし、しかもショタホモの疑惑があり、キルケゴールは婚約者との婚約を破棄し、その体験を一生引きずることになります。ニーチェはルサンチマンを批判し、キルケゴールは絶望を批判するのですが、このような経緯を知りつつ彼らの作品を読んでみると、「お前らこそまさに、絶望とルサンチマンに支配されているではないか?!」と思わず突っ込みをいれたい衝動に駆られます。バキふうに言えば「アンタは違うのかい」といったところです。

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↓さすがに、敗戦と失恋体験を結びつけるのは無理やり過ぎですかね?まあ、せっかく思いついたので書いてみました。面白いと思っていただけた方はポチっとお願いします(σ≧∀≦)σ


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不幸論

 最近、鬱っぽいエントリーが多くて申し訳ないですが今回も欝エントリーで・・・。

 最近、妙に、昔のことを思い出したり、なぜか昔のことを振り返ったりしたくなるのですが、「なんでだろうか?」と考えると、例の好きだった子に彼氏ができて、なんとなく昔よく感じていた不幸感というものを思い出したからだと思うんです。

 考えてみれば、自分は、昔はずっと不幸感を抱いていたなあと思います。以前書いた記事(『小説家 滝本竜彦について・・・』http://achichiachi.seesaa.net/article/389590610.html)で、高校を中退して引きこもってた時期を暗黒時代と呼びましたが、実は、俺が「自分は不幸だなぁ・・・」と感じていたのは、それ以前からで、中学生の時から、ずーっと自分は不幸なのだと感じていました。別に、勉強はそこそこ出来たほうだと思うし、友達もいたのですが、何故か「自分は不幸だ」という感覚を抱き続けていました。

 実際のところ、私の読書歴は、「この不幸感をどう克服するか?」という一点を目的にさまざまな書物を読みあさることから始まりました。「なぜ、自分はこんなに不幸なのか?」「どうすれば、この不幸から抜け出せるのか?」今思うと、ほとんど何の根拠もない強迫観念に近いものだったのではないだろうか?とも思えるのですが、当時は真剣でした。しかし、人間の思いというものは思いのほか強い影響を及ぼすもので、結局その後「自分は不幸なのだ」と強く思い続けた結果、高校を中退して、友達もほとんどいなくなり(もちろん、恋人などもってのほかです)本当に、周囲の人から客観的に見ても十分納得いくほどに不幸な状況になりました・・・。

 その後、大検を取得して、大学に入学し、友達も出来て、空手の試合でも活躍できるようになって、ネットビジネスを始めたり、時には女の子と付き合ったりもして、まあ、色々と楽しいことをしたり、集中できることを見つけたりしてハイになって9年ほど過ごしたのですが、なにかこう、先日例の女の子に振られたことで、妙にテンションを上げてハイになってた何年間かが一区切りついたように感じられました。

 結局、ハイになって過ごしていた数年間は、自分の不幸感から目を逸らし続けた期間に過ぎなかったのではないだろうか?やはり、中学〜高校を中退していたあの時期に抱き続けていた不幸感、あれこそが俺自身の本質なのではないか?とまあ、今となってはそのように感じられるわけです。

 結局、今の状況を眺めてみれば、空手も、仕事も、あるいは友人や恋人との付き合いも何一つものになってはいないではないか。いろんなことに手を出してみたものの、はっきりと満足のいく成果はなにも出してないではないか?と、まあそんなふうにも思えるわけです。

 もちろん、まあ、新しく集中できることを見つければ、また再びハイになって、活動的になることも出来るのかもしれませんが、一方で、この不幸感というものが、善きにせよ、悪しきにせよ、自分にとって重要な感情、あるいは実感であるならば、そこから目をそらすような気晴らしを見つけて楽しく過ごすことよりも、この何年間か、無視してきたその感情をしっかりと直視し、それとどう付き合うか?如何に折り合いをつけるか?ということについて、少しの間じっくり考えてみるのも良いかなとも思うのです(もちろん、それは恐ろしく辛く苦しいのですが・・・)。先日、キルケゴールの『死にいたる病』を本屋で購入し、今読んでいるのですが、それもやはりそのようなことを潜在的に感じ取っていたのではないかと思います。

 それから、この不幸感を表現する方法としては小説は優れた方法なのではないかとも思っています。もし仮に、この自分の今の不幸感、絶望感を、自分の体験した事細かなエピソードを添えて書いてみたところで、ほとんど自慰行為のような虚しさ、不毛さのみが残りますが、小説というカタチで表現することでひとつの作品としてそれを表現できるのではないかと思います。

『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』では、私たちが現実だと思っているものについて、それは、現実に存在に紐付けられた我々の想像であると述べていますが、そのように考えるなら、創作と現実の考察というものは私たちが感じているほどの決定的な差異はないのではないかと思います。この本の著者は、現実とは存在に紐付けられた想像であると述べていますが、想像や創作においても、それが完全に現実と遊離することはできず、人間が行う創作は、やはりどこかで現実と紐付けられているのです。そういう意味では、現実と、創作の違いは、現実の存在からの距離、あるいは結びつきの強さの違いでしかないではないか?このように考えるのは、少々妄想的過ぎるでしょうか?


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2014年02月27日

消費税問題に関する若干の考察・・・

 さきほど、たまたま過去に自分が書いたブログのエントリーを読み返してみたのですが、2012年の6月に書いた消費税問題についての記事が、なかなか的確に的を得た批判を展開しているので、まあ、なんというか自画自賛を込めて(?)紹介してみたいと思います(笑)

 今回の消費税問題に関しては、言っておきたいポイントはいくつもあるが、真っ先に思ったのは「自民党は馬鹿な判断をしたな」という事。

 評論家の中には、「自民党は次に衆議院の選挙を行って、自分たちが政権復帰する前に、このやっかいな消費税問題を片づけておきたいのだ」などと言っている者もいるが、これを真に受けて
「そうだな、民主党政権である今のうちに消費税増税を決定してしまった方が都合が良い」
などと考える議員がいたとしたら、全くもって愚かだとしか言いようがない。理由は簡単で消費税が実際に上げられ景気に悪影響を与えるのは2014年以降、つまりは、自民党が政権復帰しているであろう、まさにその時に景気が悪化するであろう確率が非常に高いからである。自分たちが政権を担当している時期に、景気がみるみる悪化していくような状況で、
「いや、今現在景気が悪化しているのは、民主党政権時代に消費税増税を決定させたからだ!!」
などと言い訳したところで、
「そうか、それなら仕方ない、自民党は悪くないのだ・・・」
などと納得してくれるほど、国民はお人好しでも馬鹿でもない。衆院で消費税増税に全員で賛成したのは自民党であるし、何より、おそらくその時には民主党など党ごと空中分解して無くなっているであろうから。
(『消費税問題について・・・』http://achichiachi.seesaa.net/archives/201206-1.html


 現在の時点では、消費税増税がどの程度、経済にマイナスのインパクトを与えるかは定かではないのですが、景気に対して相当の悪影響を及ぼすであろうという現時点での予測を踏まえると、自画自賛で申し訳ないですが、この記事を書いた時点での俺の予測はほとんど全面的にあたっていると考えて良いのではないかと思います。

 実際に、もはや、消費税増税の問題の責任は完全に自民党、もっといえば安倍首相の責任にほぼ全面的に押し付けられており、今更、「いや、この消費税はそもそも民主党が・・・」などと言ってみたところで、妙に物分りの良い一部の自民党支持者、安倍支持者を除くなら、ほとんどの国民は納得しないでしょう。

 さらに、民主党は第一野党の立場すらも確保できなかったことを考えれば、もはや実質的に消滅に近い状態ですし、いくら「消費税は、民主党政権の時代に・・・」と言ったところで、消費税の決議では自民党の議員すべてが賛成に票を投じたことを国民は覚えています。

 まあ、この程度のことは自民党の議員の多くも予測できていたことでしょう。しかし、このようなまずい状況に追い込まれることを承知で、それでも党議拘束で賛成票を投じなければならなかったというのは、果たしてどういうことなんでしょうか?まあ、私には、到底理解できない何かしらの政治力学のようなものが働いていたのかもしれません?

 しかし、まあ、それでも納得できませんけどね。せめて、自民党があの時反対していれば、色々と状況は違ったものになっていたでしょう。たとえ、そうすることでマスコミが「自民党が国会運営の邪魔をしている!!」などと騒いだとしても、悪い決断を止めることはわることではなく、むしろ良いことなのですから。かりに、「自民党のせいで消費税増税が決定できずに、国家運営を進めることが出来ない!!」などと野田が言おうものなら、「ならば、まず先に解散して国民に信を問うべきだ!!」とでも言い返せば良かったわけです。たしかに、当時の状況では自民党も準備不足ではあったでしょうが、それでも鳩山⇒菅によるめちゃくちゃな政権運営により民主党はボロボロで、まともに選挙をできるような状況にはありませんでした。あの時期に選挙を行っていれば、たとえ自民党の準備不足を考慮したとしても、なお自民党の圧勝だったでしょう。

【経済】日本の給与レベルは16年ぶりの低水準、アベノミクスが新たな壁に直面=海外メディア

米メディアはこのほど、日本の給与水準が低下し続けているため、給与の引き上げなどを通じてデフレの脱却を目指す「アベノミクス」が新たな壁に直面しているとの見方を示した。また、多くの中小企業の賃上げが見送られている中、一部の大手企業のベースアップだけで4月の消費税引き上げの悪影響を解消できるかどうか現時点では不明だと指摘した。

このほか、英経済学者トム・オーリック氏も最新リポートで、日本の少子高齢化の進行が給与水準を低下させる主因だとの見方を示した。顧客の絶対数が減少している中、賃上げの実施はほぼ不可能だと分析した。

統計によると、2013年12月の日本の平均基本給与(ボーナスと残業代を除く)は前年同月比0.2%減の24万1525円にとどまったという。給与水準は19カ月連続で低下し、16年ぶりの低水準を記録したという。
http://kabutan.jp/news/marketnews/?b=n201402100116


 さて、ここまで一定の成果を収めたとされる安倍政権の経済政策であるアベノミクスは、明らかに新たな試練に直面しています。この状況をどう乗り越えるのか、あるいは乗り越えられないのか?によって、今後の状況が大きく変化していくことは間違いないでしょう。


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2014年02月26日

小説『笑わないセールスマン』第二話〜いっさいの書かれたもののうち、血で書かれたもの〜前編 解説&ネタバレ

 以下、ネタバレになりますので、読んでない方は先にこちらの記事をお読みいただければ幸いです⇒小説『笑わないセールスマン』第二話〜いっさいの書かれたもののうち、血で書かれたもの〜前編http://achichiachi.seesaa.net/article/389532483.html

 今回もネタバレをしてしまうと、この話の元ネタは、俺が以前書いた短編です。

タイトル「ある小説家の物語」 http://achichiachi.seesaa.net/article/77222223.html

 これを書いたのはたしか大学生1年生の時で、当時流行していたmixi日記に載せてました。昔は、そこそこ面白い物語を書けたと思ってたし、仲間内ではそこそこ好評だったのですが、今読むと、あまりにも内容がチープで薄っぺらいと感じますね。「昔がダメだった」とは思わずに、今の自分の方が感性が鋭くなったのだと信じましょう!!そうやってポジティブに考えていかないとやっていけませんねハイ(笑)

 それで、まあ今回はこの文章を大幅に手直ししたんですけど、話の大筋は、ほとんど残して、主人公の心理と内面描写にこだわってみました。昔書いたやつの方が、簡潔で、しかも読み手に色々と想像の余地を残す一方で、今回のは、妙にくどい感じもしますが、まあ私としては、今回のバージョンの方が好きです。というか、いわゆる小説的な表現やレトリックはほとんど使えないので、今のところ、内面描写で色々と頑張るしかないんですね・・・そのへんも上達するように頑張りたいです・゜・(ノД`)・゜・

 大体、登場人物の設定があると、なんとなく、「こういう奴だったら、きっと心の中でこういうことを考えてうだろうな」とか、「もし、俺がこういう立場だったら、こういう精神状態になるだろうな」とか色々考えるので、その分内面描写が多くなるんですよ。でも、やっぱりそうなると当然俺の精神状態が登場人物に反映されるから、やたらとルサンチマンを満たされない精神を抱えた20代の青年か、もしくはアラサー男みたいなキャラばかりになるんです。まあ、基本的には自分の分身ですね・・・w

 なんというか、自分が思ったり、考えたりしてるけど、直接表現すると、どうしてもチープになりがちな子供っぽい想いや、願望を登場人物に代弁させてる感じです。そういう側面が多分にあるんで、できれば、俺のブログの読者の方にはできるだけ、小説とかがあまり好きではない人にも読んで欲しいなと思ってます。社会評論とか、経済分析とか、精神分析と、この小説とかは、一応私の中では表裏一体というか、互いに足りない部分を補うような感じで書いてるんで、最近では、なにか頭の中で考えが思い浮かんだ時には、それをそのまま文章にした方がいいか、物語仕立てにしてみたほうがいいのか?なんて、考えてたりします。なので、まあ根本は一緒なんですね。同じ頭が思いついた考えを、そのまま文章にするか、物語仕立てにするかっていう表現方法の差だけです。


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2014年02月25日

『NHKにようこそ!』(滝本竜彦 大岩ケンヂ)を読んで・・・

 今回は、珍しく漫画のレビューで。『NHKへようこそ!』は昔、小説版と漫画版両方読んだのですが、先日、マンガ版を読み返してみたので、感想を書いてみようと思います。

 前回の記事(『小説家 滝本竜彦について・・・』http://achichiachi.seesaa.net/article/389590610.html)で書いたんですけど、高校を辞めて引きこもってた時期に読んだ引きこもり時代に読んだ、引きこもりを主人公とした小説だったので、読みながら、昔の引きこもり時代のことを強烈に思い出しました。

 何故かよくわからないんですけど、俺は、昔の記憶とか、思い出ってあんまりないんですよ。小学校とか、中学校とかの同級生とかと会って昔話とかすると、俺は全然昔のことを覚えていないのに、友達は色々と「こんなこともあったよなー」とか話したりするので、「あー、そういえばそんなこともあったなー、よく覚えてるな」と思うことが多いんです。

 しかも、高校を辞めて引きこもってた時期なんかは、そんな思い出話をして、昔を思い出すような機会もほとんどないのでほとんど覚えてることってないんです。もしかしたら、あまりにも黒歴史過ぎて脳が積極的に忘れようとしてるのかもしれない(笑)

 漫画は、前半は比較的原作に忠実で、後半は多少アレンジを加えた感じになってました。まあ、いわゆる引き伸ばしってやつなんですかね?俺としては、かなり原作に思い入れがある作品なんで、できれば後半も原作に忠実に描いて欲しかったです。あと、やっぱり残念だったのが、ラストで、結構普通にハッピーエンドを迎えてしまっていて「それはないだろおおおおおおおおお!!!!」と思わず心の中でツッコミを入れてしまいました。

 まあ、あんまり原作の内容も正確に覚えてないんですけど、たしか、結構バッドエンドで、「まあ、なかなか良い事ってないけど、それでもとりあえず生きていこう・・・」みたいな、そんな感じでまとめてた記憶があるんですよね。そういうラストがすごく好きだった。

 あと、まあ漫画版で印象に残ったシーンは、主人公が実家に連れ戻された時に、主人公が親の起きている昼間にずっと寝たふりをしているシーン。なんで、これがそんなに印象的だったのかというと、実は、俺も引きこもり時代に全く同じことをしていたから(笑)うちの親は共働きなんで、二人共仕事に出かけるんですけど、母親は結構出るのが遅い。それで、母親が家から出るまでは、なんとなく気まずくてずっと寝ているふりをしていたのをなんとなく思い出しました。こんなものも、過ぎ去った今となっては良い思い出に・・・ならないですね。多分、あと何十年経っても嫌な思い出として胸に刻まれ続けると思います・・・。

 しかし、ヒロインの岬ちゃんは良いですね。今は、もう手に入らないかもしれませんが、ソフトカバー版の表紙の岬ちゃんが一番好きです。

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 あと、やはり読んでいて自分の中で創作意欲が沸いてきました!!俺も頑張って色々と書いてみたいと思います。


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2014年02月24日

小説家 滝本竜彦について・・・

 えー、実は私は小説というものをほとんど読まないのですが、最近このブログで小説を書く事になったので、とりあえず「何かしら読んでみよう」と思って、何冊か気になった小説を注文してみました。その中の一つが滝本竜彦という小説家の作品なんですけど、この人の作品は実は結構想い出深い作品だったりします。

 多分、このブログでも過去に何度か書いたことがあったと思うので、知ってる人もいるかもしれませんが、私は高校を中退しました。そしてまあ、その後、高認(当時は大検という名前でした)の資格を取って大学にいったものの、大学も中退したので、われながら、「何をやってるんだ?」と思いますが、まあ、なんとか今日まで生きてるのでよしとしましょう。

 それでまあ、俺がその高校を中退して見事なほどに典型的なひきこもり型ダメ人間な生活をしていた時に、実は滝本竜彦の『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』『NHKにようこそ!』『超人計画』の3冊を読んだわけなんですけど、『NHKにようこそ!』に関しては感動して泣きました。いや、もう本当に何年も前に読んだから、後半の内容は全然覚えてないんですけどね、ただなんとなく猛烈に感度して泣いたことだけは覚えてるんです。

 漫画化、アニメ化もした有名な作品なんで、ストーリーを知ってる人は多いと思うんですけど、一応説明すると、引きこもりの主人公の佐藤と、ちょっとメンヘラな不思議ちゃんキャラの岬ちゃんが出会って恋する物語なんですけど、二人ともすごく不器用で、本当は素直で純真なんだけど、お互いにその想いを素直に上手く伝えることが出来なくて、いつも一緒にいるのにずーっとすれ違ってるんですよ。そういう二人の不器用な性格から色々と上手くいかなくなってくる。そういうのが物凄く切ないんです。なんていうか、今時の子って、わりと恋愛や人間関係にクールだったり、器用だったりする子が多いんで、多分、そういう今時の子を描こうとする作家には、こういうのを表現するのって結構難しいんじゃないかと思います。

 それから、まあ、やっぱり私が実際に引きこもってた時期に読んだからっていうのもあるんでしょうけどね。なんというか、やっぱりひきこもりって辛いんですよ(まあ、ひきこもりを脱した今でも色々と辛いんですけどねw)。一般に、ひきこもりっていうのは、辛い現実社会から逃げてひきこもりになってると思われてるでしょうし、実際にそういう奴もいるんだとは思うんですけど、でも、それじゃあ、現実社会から逃げて引きこもったら楽になるのか?っていうと、やっぱりそんなことはない。引きこもっても基本的にはますます状況は悪くなってどんどん苦しくなっていくんです。

 今の若い作家は、引きこもりの青少年を主人公にした作品を書きたいと思ってる人も結構いるらしいのですが、あの気持ちは実際に味わってみないとわからないんじゃないですかね・・・。まあ、人生で色々と過去に辛いこともありましたけど、あの時期の辛さは結構別格で、ためらうことなく暗黒時代だったと今でも言い切れます。

 滝本竜彦さんは、7年ぶりに出した新刊『僕のエア』で『NHKへようこそ!』で投げかけた問いの一つの回答を出しているのだそうですが、私の感覚としてもやはり、当時の引きこもり時代に抱いたルサンチマンのようなものをどう乗り越えていくのか?あるいは、乗り越えられないならば、せめて、それとどう折り合いをつけるのか?なんて問題が生涯続く課題になるのではないだろうかと予感しています。

 昔読んだ本は全て図書館で借りて読んだのですが、せっかくなので今回は新刊と昔読んだ古い作品も同時に注文してみました。さて、もう10年ほど前に読んで、いたく感動した作品なのですが、今読み返すとどんな感想を持つんでしょうかね?10年前と同じような感想を抱くのでしょうか?それとも何か違ったことを思うでしょうか?新作もですが、古い方の作品も、結構、届くのが楽しみだったりしています。


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2014年02月23日

小説『笑わないセールスマン』第二話〜いっさいの書かれたもののうち、血で書かれたもの〜前編

第一話⇒http://achichiachi.seesaa.net/article/389252432.html


 東京都渋谷区のとある女子高での朝礼にて

「えー、すでに話題になっていますので皆さんご存知と思いますが、ここ渋谷区内で2ヶ月の間に3件の誘拐殺人事件が起きております。そのため皆さん決して夜遅くには出歩かないように・・・・」

「ねえねえ、知ってる?」
「何を?」
「この事件の3人の被害者ってみんな・・・・なんだって。」
「ウソ、何それ怖ーい。」


7ヶ月前 

「はあ、ダメだ。」
 俺は小山純次、18歳で小説家を目指して家を出て東京に、結局東京に来て分かったことは、フリーターはみじめだという事、それから・・・それから俺に小説家になる才能は無いという事。 結局、それなりに居心地のよい職場でバイトを続けて、もう今年で34歳になる。

 なにが、悲しいかといえば、地方の片田舎でダラダラとつまらない人生を送ろうとしていた昔の地元の仲間たちに半ば呆れ、そしてもう半分では軽蔑し、そして俺だけは、こんな下らない連中と同じような人生は歩むまいと決心して東京に出てきたこの俺が、今では昔の仲間たちのうちの誰よりも惨めな人生を送っているという事実である。

 地元に戻れば、昔のつるんでた仲間たちは皆、おおよそ定職に就いて結婚している。東京に出て、定職も就かずにフラフラしている俺に、どこか遠慮がちに接するようになったあいつらの態度がどうにも気持ち悪さを感じるようになって以来、地元に帰ることもほとんどなくなってしまった。

 それも自業自得か?おそらく、今俺が奴らのよそよそしい態度をなんとなく感じ取り、それに対してなんとはなしの不快感を感じるように、おそらく、奴らも俺に対して不快感を感じ続けていたのだろう。そう、地元でつまらない仕事を見つけ、大したこともないしょーもない女と結婚して、それで「まあまあの人生だよ」なんて言いながら、酒場で仲間と安い酒を飲みながらぬるま湯の中で、互いに「これでいいんだ」と納得し、納得させ合うような人生を歩むことを良しとする彼らを密かに軽蔑する俺に対して。

 いや、もしかしたら、そんな形式的な、慣習的な儀式すら彼らには不要なのかもしれない、もはや、彼らはそのほかの可能性を感じ取れないくらいには麻痺していて、それを受け入れることに疑問を持たない程度には絶望しつつ、しかもある意味で大人なのだ。


ピンポーン

(来客か、珍しいな)
「はい」

「どうも、今日は面白いものをお持ちしました」

 妙に、青白い顔をしたセールスマン、なんとなく気味が悪かった。いつもなら、さっさと追い返すところなのだが、なんとなく彼の話を聞いてみようと思ったのは、彼のその独特の雰囲気ゆえだったのだろうか。

 男が持ってきた品物は万年筆と注射器だった。なんでも、その万年筆には不思議な力が込められており、あらゆる文筆家の才能を開花させてくれるとか。なんともよく聞くような話で、ゴシップ誌の広告にある金運を上昇させる財布や、幸運を呼ぶペンダントと同じような類のものか?と半ばうんざりしていた。しかし、それではこの注射器は?

「この万年筆の使い方は実に簡単で、付属の注射器で採血していただき、その血液をインク代わりに使っていただければ結構です。そうすれば、必ずや、あなたの中に眠っている真の才能が開花することでしょう」

「・・・(何言ってるんだコイツは?)」

「もう、こんな安アパートで、下らない、うだつの上がらない人生を送るのは散々でしょう。」

(こいつ、俺のことを知っているのか?)

「平々凡々な何の面白みもない人生を歩むことに、疑問すら持たない地元の仲間たち、そんな彼らを軽蔑して、東京に出てきたものの、馬鹿だったのが自分で、ドラマチックではないけども無難なほどほどに幸せな生活を手に入れるという正しい選択をしたのが実は地元に残った彼らだったなどと認めることがあまりにも屈辱的であり、それを認めないことだけで、自分の安いプライドを保ってる」

「・・・ちょっと何言ってるんだか、よくわかりませんね。」

「もう、あなたもいい加減気づいているでしょう。あなたが望む人生を手に入れられるのは、極めて希な才能を持ったごく一部の人間しかいないということ。そして・・・あなたにはその才能がないこと。このペンは、あなたの想い描いていた人生をつかむための最後のチャンスですよ。」

 批判というものは、その批判が的を得ていればいるほどに、そして的確であれば的確であるほどに、人を苛立たせるものだ。彼の言葉によって大変気分を損なったために、俺はそんなもの必要ないと言い張ったが、「お代はいりませんから、とにかく置いておくので気が向いたら使ってみてください」と言って男はその万年筆を置いていった。

(さて、あの時、男の申し出を断ろうと、そんなものいらないと言ったのは、そんな万年筆に不思議な力が込められているはずがないという意味だったのか、それとも、もはや俺は自分が過去に思い描いた人生を実現することすら必要ないという意味だったのだろうか・・・?)

 えてして、人は自分の考えや、心すらわからないことがしばしばある。それは客観視が出来ない分、もしかしたら、他人が考えていること以上に、自分が考えていることはわからないのかもしれない。

 なにとはなしの反発からか、日常生活の忙しさ、あるいは惰性からか、一週間ほどは放置していたのだが、とある時、説明書通りに使ってみた。使えばすぐさま奇跡が起こった。自分が書いているというより手が、いやペンが勝手に動き出しているような感覚に囚われた。採血のしすぎでクラクラしてきたときには短編小説1冊分の物語が出来上がっていた。
そして、ワープロで打ち直した(もちろん血で書かれた原稿をそのまま持ってはいけないので)原稿をコンクールへ投稿。
最優秀新人賞を取ったときには取った時、このペンが本物であることを確信した。


 ピンポーン

 玄関を開けるとあの男が立っていた、この万年筆を持ってきた、青白い顔をしたあの男だ。

「小山さん、非常に申し上げにくいことですが、このペンを使い続けたら、あなたは死にます。限度はあと15回といったところでしょう。ただちに使用を中止してください」

 もちろん気づいていた、このペンを使い続けて約5ヶ月、体はどんどん痩せ細り体調もどんどん悪化していた。そう、まるでこのペンに生命力を吸い取られているかのように・・・。
 もはや、よい小説が書けるか書けないかは問題では無くなっていた、このペンを使いただ無心に物語を書き綴る。それが至福の時であり、唯一の癒しでもあった。そして、なにより、このペンを使うのをやめることで、希望もなく、なんの意味があるかもわからないままひたすら物語を書き続けるあの時の生活に戻ることに心底恐怖した。しかし、どうやらあと数回しか使えないようだ、男の警告以上に自分の体がそう伝えていた。

「もうダメだ。コレがなくては生きていけない。」
「しかし、もうこれ以上は血を使うことができない。」
「前の作品はドラマ化まで決まったんだ。今更、これのペンを捨てることなど出来ない。死ぬ気で・・・いや、このペンで書く作品のためなら死んでもいい・・・もともとゴミのように、あるいは地に這いつくばる蛆虫のように下らない人生だったのだから」

 そう、このペンは地を這いつくばっていた蛆虫の精神に、蝶のような軽やかさと野生動物のような力強さを与えてくれた。オリンピックに出場するアスリートの多くは金メダルを取れるなら、それと引き換えにメダルを獲得した一年後に死ぬことになったとしても構わないと言う。それと同様、仮に、残りの寿命が10分の一になると宣告されても俺はためらうことなく使い続けただろう。だが、言うまでもなく死んでしまえば作品は書く事が出来ない・・・そう思い悩んでいた、ある考えがその男の頭に浮かんできた。

「もしかしたら、これは自分の血である必要はないんじゃないか?」




 東京都渋谷区のとある女子高での朝礼
「えー、すでに話題になっていますので皆さんご存知と思いますが、ここ渋谷で2ヶ月の間に3件の誘拐殺人事件が起きております。そのため皆さん決して夜遅くには・・・・」

「ねえねえ、知ってる?」
「何を?」
「この事件の3人の被害者の死体は皆、全身の血液を抜かれた状態で発見されたんだって。」
「ウソ、何それ怖ーい。」


 第二話⇒http://achichiachi.seesaa.net/article/389532483.html

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2014年02月22日

三島由紀夫から考える現代自殺論

 リルケが書いていますが、現代人というのはドラマチックな死というものができなくなってしまった。病院の一室で細胞の中の蜂が死ぬように死んでいく、というようなことをどこかで書いていたことを記憶しますが、今現代の死は病気にしろ、交通事故にしろなんらのドラマがない。英雄的な死というようなものもないような時代に我々は生きています。
(三島由紀夫さんの貴重なインタビュー映像です。 http://www.youtube.com/watch?v=rTCiR7p_MCE より)


 現代の死というものには、なんらドラマチックなものがない。この後、三島は続けて葉隠の著者が、
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
と説きながら、著者自身は長生きして畳の上で死んだことを例にとり、当時の時代においてすでに武士ですらも華々しい死というものがなくなっていたことを説明します。

 そして、それと比較した時、現代の若者というものは、スリルを求めることもあるが、生が死というものを前提とした緊張した状態にないとも述べています。

 言うまでもなく、人間の一切の生の活動というものは、刻一刻と死へと向かっていく過程なのです。ある哲学者は、人間のあらゆる活動は破局の先延ばしであると述べます。歩くということは、自分の体が前に倒れようとするのを支えることで成り立つ行為であり、同時に、呼吸というものは死のうとするのを先延ばしにする活動であるというのです。

 このように考えたとき、あらゆる一切の生は、「死ぬ前に何をするのか?」という問いであり、活動であり。同時にその生は「どのように死ぬのか?」という問いに包摂される問いへの返答なのです。

 つまり、「どのようにして生きるのか?」という問いは「どのように死ぬのか?」という問いと表裏一体であるどころか、むしろ「どのように死ぬのか?」という問いそのものであると言えるでしょう。

 なんとなく、死について考えることはネガティブで悪いことであり、生、つまり人生について考えることはポジティブであると一般には考えられていますが、よくよく考えてみると、そのような思い込みはあまりにも無邪気で短絡的な思考であることに気付かされます。つまり、生について考える人と、死について考える人の違いは、その人物の思考がポジティブか、ネガティブかという問題ではなく、単に死について自覚的かつ意識的であるか、もしくは逆に死について無自覚かつ非意識的であるかの違いでしかないのです。ただし、現代の精神医学では、一般人が普段気にも留めないような不安やネガティブな事柄に対して自覚的であることについて欝という診断を下すのではありますが。

 また、三島由紀夫は自決する前から、死、あるいは自殺というものに並々ならぬ関心を持っていたようで、自殺についてもさまざまな意見を述べています。

怠惰な新聞記者が、人が自殺すればノイローゼの一言で片付けることですむ現代社会と違って、昔の人々は生の深い問題性をいつも死の問題性と対置させることを知っていたのである。-革命哲学としての陽明学-

たとえば芥川みたいなスタティックな作家は、もし自殺しなければ、彼の文学的イメージに行動性は全然ない。死んだことによって「河童」など行動化され評価される。-人間と文学-

自殺すると文学全体が行動化される、それが魅力になるんだな。-人間と文学-


 三島由紀夫は、なぜこれほど自殺というものにこだわったのでしょうか?難しい問題ではありますが、一つには三島が死に方というものに非常に強くこだわっていたことがその理由の一つに挙げられるでしょう。現代の死は、病気にしろ、交通事故にしろ、全て成り行きにまかせた死、あるいは偶発的な死でありますが、自殺だけは唯一自らその死に方を選択する余地を残した死なのです。

 しかし、それほどまでに、死に方というものにこだわった三島ですから、当然自殺についても、ただ自殺すれば良いとは全く考えていなかったようです。

やっぱり自殺というものはある意味で芸術ですよ。その状況が整わないでやるとえらい失敗をする。-人間と文学-

 状況が整わないでやる自殺とはどういうことでしょうか?これは、つまり、おそらくは自ら自覚的に選び取った自殺以外のものを指しているのではないでしょうか?たとえば、中学生や、高校生のいじめを苦にした自殺などがそうです。彼らは、たしかに形式上自殺という死に方を選び取っているように見えますが、実際にはこれは自殺を選ばされたということであり、実質的には殺人と変わらないのです。いじめ抜くことで、精神を殺し、その後に身体を殺すのですから、ある意味では通常の殺人より、はるかに酷い殺人であり、そのようないじめを苦に自殺した少年少女たちはそのような極めて残酷なカタチにおける殺人の被害者なのです。

 生に関して、それを死を前提とした強い緊張関係を持たせること、そのによって生は死の一部であり、同時に死は生の一部であるという強烈な自覚が芽生えます。死は生の最後のクライマックスであります。序盤から中盤にかけてどれほど面白い物語も、クライマックスがチープで面白みを持たないものであればかならず精彩を描き、素晴らしかったはずの物語全体すらをも色褪せさせます。

 同様に、もしかするなら、無自覚で、成り行き任せになった現代の死の様式が、本来なら充実していたはずの生を、のんべんだらりとしたつまらないものにしているのかもしれない、と考えることが許されるならば、自殺した人間を惨めな人生の敗残者として切り捨て、あるいは憐れむばかりではなく、それについて積極的な意義を見出しうるのだということを心のどこか片隅にでも置いておく必要はあるのではないでしょうか?


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2014年02月21日

小説『笑わないセールスマン』第一話 解説&ネタバレ

 以下、ネタバレになりますので、読んでない方は先にこちらの記事をお読みいただければ幸いです⇒『小説『笑わないセールスマン』第一話』http://www.mitsuhashitakaaki.net/2014/02/18/fujii-76/

あんまり、解説&ネタバレを短編を書いたのと同じブログで書くのも良くないかなぁと思うのですが、まあやっぱり小説を書き慣れていなくて表現も稚拙なので、まあ、何を伝えたかったのかを別で解説しておいた方が良いかなぁと思って書く事にしました。

 元ネタは、リチャード・マシスンという小説家の短編集の一つ『運命のボタン』です。なんでも、テレビドラマ化されたり、映画化されていたりしてそれぞれ細かい内容は違うそうな。それでも、まあ、大筋の内容は同じで、謎の男からスイッチを渡されて、「このボタンを押すと、あなたの知らない人が一人死にますが、そのかわりあなたは大金を手に入れます」と言われる。主人公が押すと大変なことが起こる。とまあ、そんな内容です。物凄く有名な話だそうで、実は2ちゃんねるのコピペにもなってるんですね。

ある日のこと

一人の男の前に
紳士が現れ言いました。


「このスイッチを
押していただければ
あなたに1000万ドル
差し上げましょう。」


男は怪しみ、尋ねました。


「そのスイッチを押すと
どうなるのだ?」



紳士は答えました。

「どこか遠くの地で
あなたの知らない誰かが死にます」



男は考えた末
スイッチを押し
巨額のお金を紳士から
受け取りました。

「ありがとうございました」

「どこへ行くのだ?」



「どこか遠くの地で、
あなたの知らない誰かに
スイッチを押してもらうよう
頼みます」


 TVドラマ版では、困窮に貧した主人公がわずか1000ドルのお金のためにスイッチを押してしまうという設定だったので、一応それに合わせてもらえる額は20万円にしておきました。まあ、20代前半の若者の月収くらいの金額です。

 今回、俺は主人公にスイッチを押させないことにしました。もちろん、物語に連続性を持たせたいので、第一話で主人公を殺してしまったらどうしようもないので(まあ、俺の大好きだった幽遊白書は第一話でいきなり主人公が死にますが・・・まあ、それはさておき)、主人公はスイッチを押しません。

 でも、やっぱり現代の状況を考えれば、こんな怪しげなスイッチ誰も押したがらないんじゃないかなぁ?と思いますね。だって、フラグビンビンじゃないですか(笑)どんなに間抜けな登場人物だって、「きっと何か裏があるに違いない!!」って思いますよ、こんな条件付き出されたら。

 しかし、まあ裏のあるなしを別にしても、やっぱりね、今の普通の若者は、そんなたかだか何十万のために見知らぬ人とはいえ人を殺したりしませんよ。かつて、日本の神風特攻隊は、国家を守るために自分が死ぬことを選びましたけど、そういうのとは違う意味で、今の若者は、目の前の人間を殺さなければ、自分が死ぬ・・・という状況では、「別に死ぬは俺の方でもいいや」といった感じで自分が死ぬ方を選ぶのではないかなぁと、なんとなくそんなふうに思います。

 ネガティブな話をすると、死ぬほど虐められて、相手を殺さないと自分が殺されるなんて状況で、自殺する子もいるし、年老いた親の介護で、自分が死にそうになる人だってたくさんいるわけじゃないですか。なんというか、自分が他人を殺してでも、はした金を受け取ってなんとか生き延びようとするようなガッツってあんまり今の若者って持ってないような気がするんですよね。まあ、そんなこんな考えながら書いてみました。

 今後も、色々と話を書いていこうと思うんでよかったらお付き合いいただければ幸いです((☆´∇)从(∇`★))

小説『笑わないセールスマン』第一話 http://achichiachi.seesaa.net/article/389252432.html


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なぜ、突然小説を書こうと思ったのかについて

 前回の記事(『小説『笑わないセールスマン』第一話』http://achichiachi.seesaa.net/article/389252432.html)で小説を書いてみたんですけど、実は、昔何個か短編の小説を書いたことがあったんですね。たしか、大学1年生の時だったからもう7、8年くらい前。

ショートストーリー@ http://achichiachi.seesaa.net/article/77222223.html
ショートストーリーA http://achichiachi.seesaa.net/article/77342721.html
ショートストーリーB http://achichiachi.seesaa.net/article/77434034.html
ショートストーリーC http://achichiachi.seesaa.net/article/77507412.html
ショートストーリーD http://achichiachi.seesaa.net/article/77572187.html
ショートストーリーF前編 http://achichiachi.seesaa.net/article/77763601.html
ショートストーリーF中編+名前変更のお知らせ http://achichiachi.seesaa.net/article/77847128.html
ショートストーリーF後編 http://achichiachi.seesaa.net/article/77972813.html

 mixiが流行ってた時期にmixi日記で書いてたんですけど、結構仲間内では好評だったんですよ。しかも、結構書いてて面白かったんですけど、ネタが切れてからはもう書かなくなってしまった。

 それで、まあなんで今回また書こうかと思ったかというと、最大の理由のひとつは滝本竜彦みたいな作品を書いてみたいと思ったんですよ。『NHKにようこそ!』とか『超人計画』とか昔めちゃくちゃハマったんですけど、今は滝本竜彦さんは活動してないみたいで、でもどうにかしてこういう文章を書いてみたいな思ったんですけど、どうしてもやっぱり小説形式じゃないとこういうのは表現できないなと。

 それから、どうしても俺の書く文章は堅苦しい印象が強いんで、少しでもソフトで読みやすくて取っ掛かりやすいカタチで自分の思想を表現するには小説形式が良いかなと思ったのと、それから評論っぽい文章にすると、どうしても結論とか自分の考えとかをはっきりと表現しないといけないんですけど、小説形式だと哲学的な問いについて、答えを出さずに、ただ問いのままで出せるのではないかなと思ったことも一つです。

 とりあえずは、ショートショート仕立ての形式で、その中に哲学的な問いや実存的な問い、そっからさらに生命倫理なんかについて問うていけるような、なんというか軽いのか重いのか良くわからないような感じの物語を書いていければと思っています。

 まあ、表現も稚拙だし、あまり物語を書くのも慣れていないのですけど、書いていくうちに上達していくと思うんで、まあ、暖かい目で見てくれれば思います。

 かの三島由紀夫も「小説は、一定のレベルまでは、才能がなくても体力さえあれば到達できるのではないか?」と言っているので、とりあえず体力を使って書きまくって上達していければなと思っております。


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2014年02月20日

小説『笑わないセールスマン』第一話

「ねえ、皆、しんいちのことなんだけど・・・やっぱり、あの子少し変なんじゃないかしら・・・」

 ドアの向こうから母親の声が聞こえる・・・何を話しているのかと思いながら、ふすまの隙間から覗いてみると、どうやら俺以外の全員で家族会議を開いているようだ。

「そうか?まあ、たしかに少し落ち着きのない子だとは思うが・・・」

 父親は、いつも大体無関心だ。親から干渉されないことは、子供にとっては嬉しいことなのだが、果たしてそれが本当にその子のためになるのかはわからない。

「いや、おかしいわよ絶対に!!全然落ち着きがないし、いつもいろんな子と喧嘩ばかりしてるじゃない!!やっぱり、一度カウンセラーの先生に相談してみたほうがいいわよ!!」


ピピピ〜 ピピピ〜

 ケータイのアラームの音と同時に俺は起きた
「また、この夢か・・・」
 もうほとんど何も覚えていないくらい昔の、子供の時の記憶・・・。幼稚園で他の子供としょっちゅう喧嘩しては泣いて帰ってくる俺を心配して、母親が開いた俺を除いた家族会議。この続きも覚えていないし、興味もないが、きっと、こんな話を自分に秘密で皆でしていることにショックを受けて聞かなかったことにして寝たふりでもしていたのではないだろうか?まあ、もはや思い出すことはかなわないのだが・・・

 何度も、何度も繰り返し見る嫌な夢。そして、大抵この夢を見た日には何か嫌なことが起こる。

ピンポーン

 珍しい来客だ。
「はい、どちらさまでしょうか?」

「あの、今日は面白いものをお持ちしました」
なんだ、このセールスマンは?営業をやっている人間のくせして、妙に青白い顔をしていて見るからに不健康そうだ。

「今日、お持ちしたのは、こういったモノなのですが・・・」
男がカバンから取り出したのは、赤いスイッチがひとつだけついたスイッチだった。

「あの、こちらのスイッチなのですが、あなたに1週間お貸ししたいのです。もし、あなたがこのスイッチを1週間以内に押した場合、一週間後、私がこのスイッチを回収する時に、20万円差し上げます」

「はあ?」
(一体、何なんだ?)

「しかし、このスイッチは不思議な機能がありまして、このスイッチを押すと、あなたの全く見知らぬ人が一人死にます」

「え?」

「でも、安心してください。死ぬのは、本当にあなたとは全く関係のない人ですし、死んだところで、あなたの人生にはなんの影響も与えないことは保証しますから、ではまた1週間後にお会いしましょう」


 とんでもないことに、なったな。どうやら、さっきの男が言っていることが本当なら、俺は人間を一人殺すことが出来るスイッチを手に入れたらしい。そして、スイッチを押した場合、20万円をあの男が持ってきてくれる・・・。何も知らないように見せかけていたけど、おそらくあの男は、俺の経済状態を把握していたのだろう。俺の所持金は、現在700円・・・俺は、ほとんど売れてない小説家なのだが、次の雑誌の原稿料が入るのは3週間後だ・・・つまり、あいつがもう一度うちに来る前に、ボタンを押せば、俺は人殺しになる代わりに、1週間後には20万円の金を手に入れてなんとか凌げる。しかし、押さなければ、俺は飢えて死ぬかもしれない・・・と。しかし、ちょっと待ってくれ、このボタンを押すと俺は人殺しになるのか?


1日後・・・

水と、10円の飴玉10個で、人間なんとか凌げるものだ・・・水と、糖分さえあれば、すぐに死ぬことはない。ただ、消費税で余計なお金を使いたくないからという理由で、10円の飴を1つ持って10回レジに並ぶというのは、なかなか人間の精神を萎えさせるものだ。

3日目・・・

小説家という仕事は、いいものだ。椅子に座っても、寝転がってもPCでカチカチ文章を書くだけでいいのだから、もし、水と飴玉だけで肉体労働の仕事に従事していたら、俺は今頃死んでいたんじゃないかと思う。ただ、脳の糖分が完全に消費し尽くされているような感覚がするが。

7日目・・・

ピンポーン

「どうも・・・ボタンを回収に来ました」

「あ、はい、それじゃあ返しますね」

「どうやら、このボタンは使われなかったようですね。」

「ああ、もう何も食べるものがなくて、俺は死にそうなんだけどな・・・なんで、俺はボタンを押さなかったと思う?」

「さあ?そういったことには興味はありませんから」

「そうか、ところであんた、そのボタンを持っていってどうするんだい?」

「はい、これからあなたの全く見知らぬ誰かのもとへこのボタンを渡しに行きます」

「そーか・・・」

そうか、そういうことだったのか・・・じゃあ、押さなくてよかったのかもな・・・ああ、それにしても、ハラが減って死にそうだ・・・

トゥルルルル・・・トゥルルルル・・・

「なあ、太田・・・」

俺は友人の太田啓思に電話をかけた。

「おう、久しぶりだな?どうした?」

「あのさ・・・金貸してくれない?」

「はあ、お前、俺から借りてる金はまだ何十万も残ってるんだぞ?!普通はそれを返してからだな・・・」

「すまんな、でも今度の小説は当たりそうな気がするんだ・・・そうすれば」

「お前は、いつもそればっかりじゃねーか!!」

結局、太田は金を貸してくれた。しかも、アシ代がない俺のためにわざわざ家まで持ってきて・・・

さっきやってきた妙な男とスイッチの話も太田にしてみた。なんとも荒唐無稽な話に思えるが、小学校時代からの幼馴染の太田は、俺の周りでよく妙な出来事が起こることをよく知っている。

「そうか、じゃあ、なんでお前はスイッチを押さなかったんだ?」

「ああ、たしかに、金がないと俺が死ぬかなとも思ったんだけどさ・・・もし仮に、死ぬなら、俺が死んでも、俺の知らない奴が死んでも、まあどっちでもいいかとも思ったからな」

「何言ってんだ?最初から金を借りる気満々だったくせに・・・」

「まっ、それもあるかもな(笑)」

俺が、ボタンを返してから、1週間が経った。さて、どこかで、俺の知らないどこかの誰かが死んだんだろうか?

 もしかしたら、俺より以前にボタンを受け取って、押した誰かかもしれない。しかし・・・もし、誰もスイッチを押さなかったらどうなるのだろう?誰も押さなければ、誰も死なず、何も起こらないまま、あの男は次々にいろんな人間の家をぐるぐる回っていくんだろうか?

 あの青白い顔をした男が次々にいろんな家を回っては、ボタンを押すことを勧めるものの、誰も押さずに誰も死なない様子を考えるとあまりにもシュールで想像するだけで少し笑ってしまった。


第二話⇒http://achichiachi.seesaa.net/article/389532483.html

 久しぶりに、短編小説っぽいものを書いてみました。昔は結構書いていたのですが、ネタ切れになって以降全然書いていなかったので、物凄く久しぶり。まあ、相当に稚拙な文章ですけど、まあなんとなく楽しんでもらえればと思います・・・( ̄▽ ̄;)


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雑記・・・

 えー、たまには政治とか経済とか哲学とかのネタじゃなく普通に日記っぽいこともかいてみようかと思ったので、今回は雑記です。思えば、このブログって、俺の個人的なことってほとんど書いていないなぁと思ったので、今回は本当に個人的なことを少々・・・

 先日、好きだった女の子に恋人が出来ました。去年の春頃にSNSで知り合って、それ以降毎週2人でダンスの練習をやってたんですけど、11月くらいから、「すいません、予定が合わなくなってしまって・・・」と言われ、あまり会わなくなって、それで先日LINEをみていたらプロフィール写真が男の人と一緒に写ってるプリクラ画像に変わっていて、「○○ちゃん彼氏できたのー?」とチャットを送ってみたらビンゴ。

 凄く可愛くて、性格も良くて、ダンスも上手くて、いっつも笑顔でニコニコしてる子で大好きだったんですけどね、何気に週1でやるその子とのダンス練習が毎週の楽しみだった。

「やっぱり、もうこれから一緒にダンスの練習とか無理なのかな?」と最後に(未練がましく)チャットを送ってみたものの既読スルー・・・。彼氏と写ってる写真の笑顔が物凄く幸せそうで、もうこれ以上関わっちゃダメなんだなーと思って胸が痛くなりました。

 なんか、俺は昔から、好きな子が出来て仲良くなってくると、毎回、「もう、今後、この子より好きな子は一生現れないだろうな・・・」と思うんですけど、今回も例に漏れず、「もうこの子より好きになる子は一生現れない!!」と思うくらいに好きになってました。つか、もう27だしなぁ・・・マジで、もうこの子より好きになる子は出てこないかも・・・

 先日、内閣府の調査では現在、男性のうち5人に1人は生涯独身になっているそうです。「ああ、俺はもしかしたらこの5人のうちの1人に入るのかもなぁ・・・」などと思うと寂しい気分になりますが、じつはこの調査では生涯未婚率は人口学で50歳時点の未婚率と定められているのです。

 そこで、現在の若者世代の結婚率を計算し直して、現在の20代の若者が50歳になった時点の生涯未婚率を割り出すとなんと男性では35%にも達するとか・・・(『生涯未婚率は男35%、女27%にも:少子化対策無力』http://blogos.com/article/65014/)。

 おお、ここまでくると3人に1人は生涯未婚なわけで、これはもうあまり寂しくもないなと、むしろ逆にポジティブになれるような(笑)「ひとりでいるときの孤独より、群衆に紛れた中で感じる孤独こそが苦しみなのだ」などと言われますけど、これはもう「孤独の中で、孤独を共有することで感じ取る連帯感」と言っても良いのではないでしょうか?(笑)

 まあ、こんな下らないジョークを言ってみたところで、悲しさも寂しさも紛れないので、「むしろここは悲しみと絶望に浸ってみよう・・・」と思い、先日「絶望は死に至る病である」という有名な文句から始まるキルケゴールの『死に至る病』という本を買って読んでみたのですが、これが予想以上に内容が難解で、読んでみてもさっぱり理解できない。

 ああ・・・俺は、文学によってとことんまで絶望を味わうだけの知性もない半端者なのか・・・と別の意味で絶望してしまいました・・・


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2014年02月19日

宮台真司の愚民社会論批判・・・そのA

 前回の記事(『宮台真司の愚民社会論批判・・・』http://achichiachi.seesaa.net/article/388977016.html)では、宮台真司の日本の愚民社会論の基本を、現代の日本の問題を近代への努力を怠った、前近代的な日本人に原因を求める考えにあると説明し、その考えは間違っているのではないかということについて、中野剛志さんの言葉を引用し、その思想の根本にあるのは、丸山眞男的な、日本の農村共同体や大家族主義といった前近代的なシステムが戦前戦後の様々な問題を引き起こしたという典型的な戦後左翼的な考え方にあるのではないかということについて解説しました。

 前回は、このような考え方を典型的な戦後左翼的思想であると説明しましたが、今回は、現在このような「日本的な共同体システムを破壊すべきだ!!」という思想が右派の論客にも相当多く見られるということについて、再び中野剛志さんの言葉を引用しつつ解説してみたいと思います。

 最近の新自由主義的な保守派は「左翼はけしからん」と言っているけれども、新自由主義者の言っていることは「自立した個を作って、束縛から解放する」ということ。その意味で左翼が言っていることと同じで、「束縛」の中身も、農村共同体がどうの、日本的なしがらみがどうの、日本的な慣習がどうのと言っている。結局彼らが言っていることは「保守」を名乗っているけれども、丸山眞男の手の平の上で飛び回っているだけ。丸山眞男が望んでいたことと同じことをやっているにすぎないのです。「現在の日本は、左翼はいなくて総保守化、右傾化している」などと言われているけれども、ぜんぜんそんなことはなくて、みんなが左傾化している。日本的なものを壊そうとしている左翼ばかりになっている。
(『まともな日本再生会議』P135)


 このような指摘を受けてみると、前回も紹介した、「1990年代はリベラルを名乗っていたが、2000年代になると天皇主義に基づく思想を展開する。解放的関心の強烈な「左」と条理によって条理の限界を見極める「右」は論理的に両立可能、と主張する。」という宮台真司のプロフィールも相当に疑問に思えます。結局のところ、左に行ったり、右に行ったりしたところで、結局は丸山眞男の手の平の上で踊らされていたに過ぎないのでは?と。

大塚 本当は「空気」を読むのではない形での共同体と共同体の間の利害調整とか、共同体内の合理的な利害調整が、近代依然の社会になかったのかといったら、あったはずなんです。ぼくの専門ではありませんが、民俗学では例えば水利権とかですね。ムラの中でどうやって水を再配分していくのか、村落共同体の中と、更に対立する村との間でどうやって利害調整していくのかについてはかなり合理的なシステムや、協議の具体的な痕跡が残っているので、そういうノウハウはあったわけです。
ただ、そうしたノウハウを「近代」の中で、近代的個人や新しい公共性としてつくり変えていうことしないで、村落共同体が経済共同体として崩壊していくとともにその課題が持ち越されなかったということですね。
(『愚民社会』)


 一見、正しい批判に思えますが、この点に関しても私は疑問を覚えずにいられません。たしかに、集団内あるいは集団間の利害関係の調整システムは、共同体の崩壊と共に潰えていくに任せることは許されず、共同体の倫理、あるいは論理としての調整システムとは一定程度切り離されたカタチでより設計主義的なシステマチックなシステムが必要とされることは当然でしょう。しかし、結局、日本はそのようなことを実際にやってきたと思います。国民皆保険のシステムなどは典型的ですし、より緩やかなカタチでは慣習的な終身雇用や年功序列といった雇用形態もそうでしょう。つまり、やはり80年代までは、実際にはいろいろな問題があったけれども、なんとか色々と工夫してきた。私は、必ずしもバブルの時代がそれほど素晴らしかったとも思いませんが、それでもやはりあれほどの反映した時代を築いたことにはそれなりの理由があるわけです(実際に、80年代は世界中が日本型の経営を礼賛し、そして熱心に研究していました)。

 近代的個人というものが何を意味しているかは定かではありませんが、少なくとも、個人間の利害関係の調整システムの形成には成功したわけであり、一方で、農村共同体から、企業の共同体的経営への転換という世界でも希に見るシステムの転換すらも成功させたわけです。このように考えるなら、やはり、日本の主要な問題点は、古い集団の共同体的なしがらみへの執着ではなく、そういった共同体への破壊的傾向にあったのではないでしょうか?

 昔のドラゴンボールのアニメで、人造人間が街を徹底的に破壊しながら「この街や建物も作るのは大変だったんだろうけど、壊すのは一瞬だな」と言うシーンがあったのですが、結局、共同体のあり方も同じで、旧来の日本的な共同体を破壊しつつ、新しい公共などというスローガンを掲げてみたところで、そんなものが一瞬で新たに作れるわけがありません。

 人間は機械ではなく、社会はそのロボットならざる人間があつまって形成されているのです。人間には、それぞれ、人付き合いや集団形成のスタイルというものがあり、そのスタイルを無視し、どこかの大学教授が、「日本はこれからこいうったカタチの人間関係と共同体の形式を取るべきだ!!」などと言ったところでそれは無理な話なのです。社会の状況があって、それぞれの人びとの慣習が存在する、その中で落ち着くべきところに落ち着くのが所詮人間なのであって、どこぞの学者が「こういった共同体がどうして作れないんだ?!」などと叫んだところで、無理なものは無理なのです。しかし、ここでもやはり作るのは難しくても破壊するのは案外簡単で、「日本的な共同体のあり方は間違っているのだ!!」と散々に喚き散らし、現実にそれを破壊していくような実際の政策が取られたことによって、日本の共同体の破壊は相当に深刻化しました。

 結局、こうなった責任は誰が取るのでしょうか?学者や知識人は、言論の自由を行使しただけです、政治家や官僚も学者や言論人の言っていることを、民主的なプロセスに則って行ったに過ぎません。有権者?有権者は、ただなんとなく、「この政治家が良さそうだ」あるいは「この党が良さそうだ」と思って投票しただけでしょう。さて、もう2度と再生できないであろう共同体を破壊した責任の所在は、一体どこにあるのでしょうか?


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2014年02月18日

宮台真司の愚民社会論批判・・・

 先日、宮台真司と大塚英志の「愚民社会」と題する対談を見たので、今回はその感想について書いてみようと思います(ちなみに、私自身は宮台真司のファンでもなんでもなく、同題の対談本は読んでおらず、かなり大雑把な批評になるのでご了承の程を・・・( ̄▽ ̄;))。

 基本的には、適当に好き勝手ベラベラ喋る感じの対談であまり中身の詰まったものではなかった(と少なくとも私にはそのように感じられました)ので、何を主張していたのかについて簡単にまとめると、現在の日本は近代化が済んでおらず、近代への努力を怠ってきたツケが、今この社会を襲っているということです。特に強調していたのが、旧来のムラ社会の集団の論理に縛られ、個としての自立的な思考能力を欠いた多くの田吾作的日本人が、現代の悲惨な状況を引き起こした、ということでした。

 たしかに、分かりやすい論理展開ではありますが、一方で、中野剛志さんや西部邁さんのような保守派の言論人の人たちの言説に普段から接している私としては大いに違和感を覚えました。はっきり言うと、この両者の論理は全く真逆の主張なのです。西部邁さんは、現代の日本を非常に近代主義的な国家であるとし、特に日本人の過剰適応的な特性は、元来ヨーロッパの知識階層が有していた近代化への懐疑を無視し、ひたすらに近代化へと突き進んでいった結果、近代国家の元祖である欧米を超えて近代主義的な傾向を有するに至ったのだと主張します。

 一方で、先に説明したように宮台真司は、現代の日本の問題を近代への努力を怠った、前近代的な日本人に原因を求めます。これについては、どちらが100%正しいと断言することは不可能です、当然ながら、日本には一部には、前近代的な傾向を残していますが、誰もが理解しているように近代主義的な技術開発の分野では欧米に並び、あるいは分野によっては欧米を凌駕しています。しかし、それでも、私は全体的な傾向としては、やはり日本は前近代的であるという考え方よりも、西部さんの言うように日本人は過剰適応によって、ある意味で欧米以上に近代主義的な国家となったのだという説が正しいのではないかと考えています。

 では、何故、宮台真司は、このようにいとも簡単に、日本の問題点を日本の前近代性に求め、それを断定することができるのでしょうか?こういった問題について中野剛志さんは『まともな日本再生会議』の中で非常に分かりやすい説明をしています。

 戦後すぐに丸山眞男を筆頭とした連中は、こう論じていた。日本が大東亜戦争などというバカげた戦争に突き進んだのは、日本には西洋みたいな近代合理主義、個人主義がないからだ。その理由は前近代的な農村共同体があって、大家族主義があるからだ。自立した個が育っていないからだ。この古い日本的なものをぶち壊せ。これが進歩主義といわれた戦後の左翼でしょう。第二次世界大戦前後の歴史はよく知らないけれども、私の理解では、戦争が始まって総力戦になったからファシズムのようなことになったにすぎません。実際には、むしろ日本の農村共同体が壊れかけたから、社会秩序が動揺して、戦争に進むことになったという面もあるわけです。昭和恐慌などで農村が破壊されて、農家の若者たちが、食えない。娘や妹が身売りされるのを見て、「この国を悪くしたのは誰か?財閥だ」となって、「軍隊に入って、社会を改革しよう!」というメンタリティに駆り立てられて、それが軍国主義的・全体主義的な動きにつながっていったという側面が強かったのでしょう。
 もし、前近代的な農村共同体が強固なものとしてあったのならば、全体主義のようなことはむしろ起きないはずなんです。全体主義は前近代ではなく、近代の現象です。しかし戦後の左翼はそこをうまいことをすり替え、マッカーサーたちの占領軍のロジックに乗っかった。左翼は反米的な立場のように見えるけれども、アメリカと同じロジックの上にいるんですね。(P133)


 Wikipediaで宮台真司の思想・活動・発言の欄をみると、「1990年代はリベラルを名乗っていたが、2000年代になると天皇主義に基づく思想を展開する。解放的関心の強烈な「左」と条理によって条理の限界を見極める「右」は論理的に両立可能、と主張する。」とありますが、結局、基本的な認識のあり方はいわゆる典型的な戦後左翼的な思想がベースになっているんですね。その戦後左翼的な認識を基本ベースに現代社会の問題を分析するとどうしても、先のような日本の前近代性が現代の日本の問題を引き起こしているというありきたりな認識になってしまうわけです。原子力問題に関して言えば、「原子力ムラという村社会の論理が、合理的、民主的な判断を狂わせている」というような認識、言説が典型でしょう。これなど、現代の問題を、そのまま先の戦後左翼的な認識の色眼鏡で覗いた結果の最たるものです。

 結局、赤い眼鏡で、世界を眺めれば、あらゆるモノが、そして世界自体が赤く見えるというわけです。

 また、このような、先入観や、その人物が思い描く主要なストーリーが、問題認識を歪ませるという例を宮台真司の師匠である小室直樹にも見ることができます。小室直樹は資本主義講座と題する講演(http://www.youtube.com/watch?v=u8GoJ7SDvB0)でおおよそ次のようなことを述べています。

 日本は、世界で唯一成功した社会主義の国である。しかし、現在は、その日本も経済的に苦境に陥っている。それは、日本の経済の社会主義的傾向が悪い方向に作用しているからだ。各産業について見てみればそれは明白、製造業のように積極的に競争させ、資本主義的な論理を優先させた分野は未だ競争力を保持し、逆に徹底的に保護し、社会主義的な論理を優先させた金融や農業といった分野は非常に弱ってしまっている、と。

 これなども、一見わかりやすいように思えますが、少し細かく検討してみると、次々に疑問が浮かんできます。たとえば、農業は、どうしても気候や土地面積といった日本固有の事情によって海外との競争で勝てなくなっているという面が強く、単純に社会主義的な論理を優先させて徹底的に保護してきたから農業は弱くなったという論理はあまりにも一面的、かつ短絡的です。実際、それほど広大な農地面積を必要とせず、しかも鮮度が非常に重要となる果物や野菜では、日本の作物の競争力が高いのです。

 それから、金融に関しても、アメリカの不動産バブルの崩壊に見るように、ハイリスクハイリターンで勝負するアメリカの金融ビジネスが優れているとは必ずしも断言できません。さらに、金融の分野は、国内の産業あらゆる産業に様々な影響を及ぼすことを考えると、やはり金融機関の採算性や金銭面から見た生産性のみで優劣を決めるのは間違っているでしょう。むしろ、国内の産業構造の中でどのような役割を果たすべきか?といった問や文脈の中でそのあり方は問われるべきでしょう。その意味では大変な世界的金融危機を引き起こす原因の一つを作ったアメリカの金融業が、日本の金融業より明らかに優れているというのは、物事を一面的に捉え過ぎであると言えます。

 さらに、そもそも論として、政府から保護された産業が弱くなっているのか、それとも国内の弱い産業分野を政府が積極的に保護しているのか、先の説明だけではわかりません。場合によりますが、私は、保護された産業が弱くなっていくというより、まず先に弱い産業を積極的に保護するという政策があるのだと考えるべきだと思います。

 それでは、なぜ小室直樹という非常に優れた学者であるはずの人物が、これほど簡単な論点を見落としてしまっているのでしょうか?それは、おそらく先ほど述べたように、先入観や色眼鏡の問題であると思います。つまり、戦後、社会主義のソ連は崩壊し、冷戦終結と同時に資本主義のアメリカが勝利しました。ここで、多くの人が、「社会主義はダメで資本主義は良いシステムなのだ!!、正しいのだ!!」と考えました。その多くの人びとが思った一般化された思い込みから、この優れた学者も逃れることができなかったのでしょう。このように、社会主義=悪 資本主義=善 という思い込みを基本認識に置き、その基本的な認識をベースにしながら、日本の社会主義的な傾向を見て取った結果として、先程のようなあまりにも短絡化されているように思える議論に飛びついてしまったのでしょう。

 このように、基本的な認識の枠組みというものは非常に重要なのです、それによって、同じ日本の社会問題を見ても、ある場合は、日本の近代の過剰に原因があると分析し、また別の場合には日本の前近代性が問題だという真逆の認識に陥ります。また、ある場合には、それは非常に優秀な学者や研究者をして、あまりにも単純で一面的な物の見方に落ち込ませるような危険性も秘めています。

 藤井聡さんは、この認識の枠組みを、常により良いものへと変化、あるいは洗練させていくことを解釈学的循環と読んでいますが、知的作業において、常にできる限り自分自身の認識の枠組みを客観的に把握し、さらにそれを柔軟に運用していくことは非常に重要であると思います。


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2014年02月17日

下流階級を再定義する

 クルーグマンの『中流階級を再定義する』(http://econ101.jp/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%80%8C%E4%B8%AD%E6%B5%81%E9%9A%8E%E7%B4%9A%E3%82%92%E5%86%8D%E5%AE%9A%E7%BE%A9%E3%81%99%E3%82%8B%E3%80%8D/)という記事が面白かったので、それをパク・・・いやオマージュして、下層階級について定義してみようかなと思います。

 身近に良い実例があるというのは、どうにも幸運なことで、今回も東電社員処刑というハンドルネームでキチガイじみた妄言を垂れ流している人のコメントを参考に下流階級について考えてみたいと思います。

お前天下り公務員だろ
国民の敵は殺されて当然なんだよ
Posted by 東電社員処刑 at 2014年02月15日 19:14


 前回の記事では、このような知性と品性の欠片も感じさせない妄言を撒き散らしような下劣さと、

公務員=国民の敵であり悪

国民の敵である公務員は殺されて当然

という短絡的思考しか出来ない哀れな思考能力を指して「下流階級である」と定義したわけですが、どうやら、それに納得いかない人もいたようで、次のようなコメントが書き込まれてました。

外資系の研究職が下層というのはまったくわけがわかりません
クルーグマンが下層といってもフリードマンはそうは言わないでしょうし最も重要な世間一般の考え方としては中流以上なのは間違いないでしょう


誰かの言説を用いて煙に巻くのはやめたほうがいい、だから経済学はくだらないだとか言い訳学問だとかバカにされるのでしょう

下層民のルサンチマンを批判しながら職業で中流だと分けるのはあなたのいう下層民と同じ思考体系に陥っていることに気づいたほうがいいですよ
Posted by at 2014年02月16日 23:34


 このコメントも、全体の文脈を見れば、明らかにバカバカしいと理解できるのですが、まあ一応反論しておこうと思います。

「クルーグマンが下層といってもフリードマンはそうは言わないでしょう」とありますが、私は、クルーグマンの定義では下層であると説明しただけで、それ以上のことは何を言っていないんですね、ですのでフリードマンはと言ったところで何の反論にもなっていないわけです。同様に「誰かの言説を用いて煙に巻くのはやめたほうがいい」というコメントも全く的を得ていません、なぜなら別にクルーグマンが言っているから正しいとも言っておらず、煙に巻くのではなく、明確にこのようなクルーグマンの新しい定義においては中流とは認められないと説明しているのですから。

 さらに、前回の記事を記事(『既得権をぶっ潰せ派のバカバカしさ・・・』http://achichiachi.seesaa.net/article/388677370.html)を読めば理解できるように、私は職業によって下流、中流を定義しているのではなく、むしろ品性や言葉使いによって判断するべきだと主張しているので、「下層民のルサンチマンを批判しながら職業で中流だと分けるのはあなたのいう下層民と同じ思考体系に陥っていることに気づいたほうがいいですよ」という批判も全く的外れであります。

 あとは、前々回の記事(『茂木健一郎「東京、だせー。」』http://achichiachi.seesaa.net/article/388153085)で匿名の方が、東電社員処刑という人のコメントに対して的確に反論しているので、それを紹介したいと思います。

>加害者が得をしていることに対する弁明がありませんね
当たり前です、私に弁明などさせられなければならない謂れはありませんから、勝手に人を色眼鏡で見て自分に都合のいい存在に仕立て上げないでくれますか?
序に言うとアナタのあまりに酷い妄言に思わずコメントをしてしまった行きがかり上お付き合いして差し上げているだけですので。

アナタは自分を正義だと仰いますが笑わせないでください、他人様のブログのコメント欄で自分勝手な妄想に基づく醜悪な文章を書き散らすだけ、ブログ主が地道に築き上げてきた場と閲覧者数にタダ乗りしたいだけの寄生虫のくせに。

>経済に良い効果があるから、加害者を優遇する
頭が悪いにもほどがあるでしょう?経済が悪くなるということは全ての労働者の所得が減少するということです、なんで何の罪も無い、東電とは関わりの無い者まで不幸に巻き込むことが正しいと思うのですか、これは人殺しを捕らえるために、偶々周りにいた関係ない人たちまでまとめて銃撃するような行為だとなぜ判らないのですかね。
アナタが信じる正義のために不幸になりたいなら、アナタ一人で勝手に不幸になって下さい。

だいたい東電社員を加害者呼ばわりしていますが、アナタが勝手にそう決め付けているだけでしょう、日本国民の何割が総体としての東電社員を加害者だと認定し、何割を越えれば国民の総意として東電社員を加害者だと認定されるんですかね。
勝手にそう決め付けているだけのくせに、そんなことに誰が共感しますか。
付け加えるとアナタは自分の置かれた境遇に不満があり、それはこの世のどこかに自分を不幸にする加害者がいて、自分はその被害に遭っているんだとでも思いたいのでしょう、それを自己責任と認識できずに。
そしてマスコミや馬鹿な人間が公務員や東電を叩いているのを目にして、この人たちを加害者に個人的に認定したにすぎないんでしょうね。

偉そうに正義だなんだと言っていますが本当は自分が幸福になるために他人を不幸にする、自分が裕福になりために他人の所得を奪いたい、それを正当化するための理屈を都合のいいスケープゴートを見つけて喚いているだけです、それが自己欺瞞でしかないことをアナタ以外の全ての人はお見通しでしょう。
甘えたってだめですよ?

アナタのコメントの後半部分は、無知による事実誤認と勝手な思い込みのオンパレードなので一々指摘して訂正しません、相手にするのも馬鹿馬鹿しいです。
全ての認識は、製薬の研究職と同様正しい知識が無ければ正しい結論・成果にいたることは不可能です、それを生業にしているはずのアナタが何故その自明の道理を無視してあのような出鱈目を書き散らかされるんでしょうね?
まあ私は信じてませんけどね、アナタの自称職業w

このコメントに対してもアナタからの醜いコメントが多々寄せられるでしょうけど私の方から一方的に終了させていただきます、お互いブログ主さんからキチガイと呼ばれてしまいましたので。
Posted by at 2014年02月15日 14:55
一応これだけは言っておきますか。
私は税金を取って公務員給与としてばら撒くほうが良いとは一言も言っていませんが?公務員給与を減らしても国民が不幸になるから意味がないといっているだけです。
減らすなと言っている事を勝手に増やす話にすり替えないでくれますか。
ギリシャやその他の国が不況なのは税金をとって支払った公務員給与に比較して国内の供給力(付加価値を創造する能力)が低いということで説明できます。
日本とは全く状況が異なりますからね、あとは自分で勉強して下さいw
Posted by at 2014年02月15日 15:17


 最後に、私は、個人としてはネットは大好きで、ブログもツイッターもニコニコ生放送もやっているのですが、社会に及ぼす影響に関してはかなり悲観的です。あるいは、個人においても短期的な楽しみを満たすだけであり、長期的には精神や思考能力に深刻な悪影響を及ぼしかねない麻薬のようなものなのかもしれません。ASREADの記事(『情報社会における情報の欠乏というパラドクス』http://asread.info/archives/465)でもネット社会の問題について解説していますが、正直に言って、西部邁さんが言っているように、今現在毎日インターネットをやって過ごしているような連中はいつか皆精神病になるのではないかとも思っています。

 なにも、この東電社員処刑という人の精神異常が、「ネット社会がもたらした弊害に違いない!!」という気もありませんが、おそらくは今後このような人物は増えていくでしょうし、今現在、現に増えてきているでしょう。

 藤井聡さんは、思考や言語が、生の原理や、大地とのつながりから乖離した時、人は気が触れたような状態になると説明していますが、もうすでに現代人の多くは生の原理からも大地からも深く断絶されているのではないでしょうか?


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2014年02月15日

既得権をぶっ潰せ派のバカバカしさ・・・

 このブログで、定期的にやってくるタイプの人間、これまた香ばしい感じの人が来たので、紹介というか、晒し上げというか、まあ紹介してみます(^_^;)

なんだこのイカれたブログ主は。

この自由世界に於いて金儲けするな、競争するな、民主主義ハンタイ、などゴチャゴチャと暗い考えでイジイジ屁理屈をこねるとは。

保守とは下らない屁理屈のバカ思想か。

それなら金儲けしたほうがマシ。

ほんとうにエセ保守(実態は政府依存のケインズ左翼)は屁理屈だけの無能で「実社会の役に立たない能無し」ですね 橋下さんが正しいね

使えないバカ学者、役に立たない「エセ文化人」、経済効果を生まない「怠け者」、非効率な「クズ産業」は仕分けして韓国に流罪。

日本は努力して頑張って稼ぐ人だけが住めばいい。無能な税金生活者とクソ官僚、糞土建屋は出てってくれて結構。

大衆万歳。金儲け万歳。世界のグローバル潮流に背を向けて金儲けをそしり、才能を憎む「思考停止の馬鹿保守」のせいで経済破綻。

競争否定の馬鹿保守だけが貧乏になるなら歓迎だが土建馬鹿ケインズ馬鹿政策で貧乏人なるのはか弱い庶民。イギリスのケインズ馬鹿政策破綻で2度も証明済み(腐りきったケインズ思想人なる者はサッチャーが努力して働けと言うまで努力も労働もしなかった。ケインズはヒトラーよりも酷い)
Posted by 東電社員処刑 at 2014年02月12日 13:35

公共事業で経済成長などという「政府主導の統制経済=共産主義政策」を唱える右のアカ田母神、

姉がナマポ受給者と公言して恥じない汚職ハゲ舛添、

生粋の社会主義者・鬱の宮




まともなのは中道の細川さんだけだが、リベラル構造改革断行によって既得権を奪われることを恐れた矮小で卑劣な東電社員と官僚貴族が既得権マスコミを使ってバッシング。

細川さんに投票しない奴は愚民。東京も日本も財政破綻・株暴落・大不況になって苦しんで欲しい。そうならないと税金無駄遣いバラマキと官僚主導ケインズ共産主義の土建屋公務員ウハウハ自民党「反市場主義」キチガイ政権の愚劣さが理解されない。

Posted by 東電社員処刑 at 2014年02月12日 13:40


 反原発以外の一切の政策を提示しなかった細川が中道でまともって・・・まあ、もう面倒なんで基本的に相手にしないんですけどね・・・一応、他の方が反論コメント書いてくれたので紹介します。

凄い妄想ぶりだな・・・
よほど仕事が上手くいってなくて鬱屈が溜まっているんだろうけど、
多少マイルドになったとはいえ今のような極度な市場原理主義下でその体たらくなら、
いくらこの人が理想とする社会が訪れても、この人が報われることは無いだろうに
Posted by at 2014年02月12日 14:52

アナタの給料は誰が決めてるの?国が決めてるんですかね
市場において求人と求職のパワーバランスで、アナタのような何ら取柄のない勤労者が完全敗北して、いいように買い叩かれて今の待遇に甘んじてるわけでしょう?
市場原理主義そのものじゃないですか

公務員や東電社員の待遇をいくら羨ましがって、その人たちの待遇を引き下げろと主張したところで、仮にその主張どおりになったところで、アナタの待遇が改善されるわけは無いですよ?
Posted by at 2014年02月13日 14:34


>アナタのような何ら取柄のない勤労者が完全敗北して、いいように買い叩かれて今の待遇に甘んじてるわけでしょう?

僕は外資系製薬の研究職ですけど。


>公務員や東電社員の待遇をいくら羨ましがって、その人たちの待遇を引き下げろと主張したところで、仮にその主張どおりになったところで、アナタの待遇が改善されるわけは無いですよ?

違いますね
資源は天から降ってくるわけではないですから公務員や東電社員が儲かるということは税金払ってる民間労働者の取り分が減るということです。

例えば公務員給与を1兆円減らして1兆円減税することができます EUでは普通にやってます
(公務員平均給与>全労働者平均給与 なので馬鹿の一つ覚え「消費性向ガー」も論破w)


また、仮に税金を搾取して肥え太っている側を引きずり下ろすことで金銭的利益を受けないとしても、それの何が悪いのでしょうか?

あなたは言い分は、「加害者を死刑にしても被害者は帰ってこない。死刑反対!」と言っている意味不明な弁護士と同類なんですよ。

憎しみや怒りで加害者(税金搾取者)を引き摺り下ろすのは正義なんです。

いいですか、東電社員は特権階級で搾取者で加害者なんです。

金を毟り取られる被害者が、加害者を憎むのは自然の心情であり 正義 なんですよ。
Posted by 東電社員処刑 at 2014年02月13日 22:35


 なんで、このテのタイプの連中って常に思考レベルと言語レベルと品性の程度が同じなんですかね?
「アナタのような何ら取柄のない勤労者が完全敗北して、いいように買い叩かれて今の待遇に甘んじてるわけでしょう?」
という質問に対し、
「僕は外資系製薬の研究職ですけど。」
で、答えになっていると思っているのが意味不明であって、まず、第一に、日本の外資系のように不安定な雇用は、クルーグマンの定義では、中流とは認められないんですね。

ここで言う「安全」とは,人生にありがちな緊急事態がいざ起きてしまってもそれでどん底に転落しなくてすむだけの十分な資源と支えのことだ.つまり,それなりの健康保険にかかっていて,ほどよく安定した雇用があって,さらに,自動車やボイラーの買い換えが危機にならないだけの十分な金融資産をもっているってこと

こういう安全や機会をもちあわせていないなら,キミがおくってるのは中流の生活じゃあない.車を1台もっていたり,アメリカ人の大半がほんとに中流だった時代には出回ってなかった電子ガジェットをいくらかもっていたりしても,キミのふるまい方がどんなにていねいで厳格で賢明であっても,安全と機会がないなら中流じゃない
(中流階級を再定義する http://econ101.jp/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%80%8C%E4%B8%AD%E6%B5%81%E9%9A%8E%E7%B4%9A%E3%82%92%E5%86%8D%E5%AE%9A%E7%BE%A9%E3%81%99%E3%82%8B%E3%80%8D/


 さらに、付け加えると、「キミのふるまい方がどんなにていねいで厳格で賢明であっても,安全と機会がないなら中流じゃない」とクルーグマンが述べているように、振る舞いや言葉使いなどというものは、中流たりうるための当たり前の前提条件なんですね。そういう意味では、この東電社員処刑さんは、こんなキチガイじみたハンドルネームや文章を書き連ねている時点で、どんなに頑張ったところで底辺中の底辺であるわけです

 それから、「既得権を破壊しろ」系の言論も基本的には下流民の思想です。中野剛志さんが指摘しているように、この既得権を潰せという種類の言論は、甘い汁を吸っている人間を引きずり下ろして、自分たちが楽になりたいと願う、まさに下層民の思想であり、基本的にはルサンチマンを抱えた下層民と、その下層民を煽り立てるアジテーターの二つの種類の人のみが持つ思想なわけです。

 基本的に、社会科学の優れた思想というものは、社会の平静や調和を志向するものでありますが、このように単一の市場原理や、既得権破壊論を振りかざすのは、ほとんど全ての事象をユダヤの陰謀に起因させる愚かな陰謀論を信じるきわめて分裂病的な妄想的陰謀論者となんら変わらないわけです。


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2014年02月13日

自称“武田信玄の末裔”『小悪魔ageha』モデル・武田アンリ逮捕 カーテンなど万引き 色々まとめ

1 名前:ぽてぽんφ ★:2014/02/10(月) 14:17:43.55 ID:???0
女性ファッション誌モデルを逮捕、カーテンなど万引きか
東京・瑞穂町のショッピングモールで万引きしたとして、28歳の女が警視庁に逮捕されました。女は、女性ファッション誌『小悪魔ageha』で活躍したモデルでした。

窃盗の疑いで現行犯逮捕されたのは、モデルの武田アンリこと、鈴木千里容疑者(28)です。鈴木容疑者は今月6日、瑞穂町のショッピングモールで、30代の女とともに、数十万円相当のカーテンや雑貨などを万引きした疑いが持たれています。

警視庁によりますと、鈴木容疑者らは、店員にその場で取り押さえられ、容疑を認めているということです。

鈴木容疑者は、『武田アンリ』という芸名で人気女性ファッション誌『小悪魔ageha』に掲載されるなど、
モデルとして活動していました。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20140210-00000029-jnn-soci
「小悪魔agehaモデル、信玄末裔はウソ」 武田家関係者の団体が公式に否定
http://www.j-cast.com/2013/02/26167069.html

(痛いニュース http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1787891.html


abdd6c96.jpg

 昔の同級生とかが見たら、「ちょ・・・鈴木さん何してんの?www」って感じなんですかね?なんとなく面白かったんで取り上げてみました。

33: 名無しさん@13周年 2014/02/10(月) 14:21:37.22 ID:Ru7bTP7U0
>>1
>数十万円相当のカーテンや雑貨などを万引きした疑いが持たれています。
略奪だろこれw

34: 名無しさん@13周年 2014/02/10(月) 14:21:40.13 ID:fOzJHpdEO
数十万円って万引きという表現を明らかに越えてるだろ
窃盗団レベルやん


 ちなみにWikipediaで万引きを調べると、
万引きは日本の刑法235条の窃盗罪の構成要件に該当する犯罪行為であり、その中でもある手法に対する世俗的通称
とあります。まあ、要は、店頭にならんでいる商品を盗む窃盗罪の一種の俗称のことなんでしょう、金額の多寡によって区分けはされないようです。

111: 名無しさん@13周年 2014/02/10(月) 14:28:45.67 ID:oTdKZrCw0 数十万円のカーテンをパクるって事自体 相当セレブに憧れてる貧乏人って事がよく伝わってくる・・・。 相当痛てえ奴だなコイツ。

 ちなみに、別のまとめサイトでは「オシャレ泥棒だな」というコメントもありました・・・。

 他のサイトを回ってみるとこんな情報も・・・

武田アンリが武田信玄の末裔か?という話から、経歴詐称が見つかり、
ブログの画像パクリ疑惑へと発展していったんですね。



経歴詐称については

武田アンリには旦那がいた?子供や本名は?小悪魔アゲハは信玄末裔? http://torepichi.com/603.html

を参考にしてみてください。



で、武田アンリが運営していたCROOZブログは
都合の悪い記事をどんどん削除していって
最終的にはブログ自体が無くなったんですが。



トップ記事はこんな感じ。

takedaanri11.jpg

いろいろあるパクリ画像疑惑の中で
飛び抜けて問題なのが、この最初に
写っている女性です。



武田アンリ本人ではなく、Larisa Angelaという
モデルさんです。
不自然な文字での加工がありますよね。

takedaanri12.jpg

元画像はこちら

larisa.jpg

一流モデルさんを自分の写真として載せているんですよ。
他人の画像を自分のように見せかけるのはかなりひどいです。


バレないと思ったんでしょうか?
よく見せようとするにしても、
自分の写真を加工すればいいのに・・・
(武田アンリ嘘のブログ画像!虚言はまとめて全部ネタだった!? http://torepichi.com/656.html


 文字の上からハートマークって・・・雑な加工だなぁ( ̄◇ ̄;)

武田アンリのブログには、普通の日記が
書かれているんですが、どうやら画像を
そこら辺で見つけてきて、後から適当に
付け足しているかのように見えます。

takedaburogu.jpg

しかもこれ、値札までついているんですよね。
アンリってハートで隠してますけど。
元画像はこれ


http://shop.plaza.rakuten.co.jp/maison-du-marche/diary/detail/201203010000

なお、武田アンリ以前は、本名の鈴木千里でした。
その頃のブログを発見。

25才女社長のハッピーライフ http://plaza.rakuten.co.jp/chirinon0702/


すでに社長という肩書きで、3店舗経営している内の1つ、川越のガールズバーNOWらしきもの?が写っています。



ちなみにそのテナントのビルには、現在は
歯医者と別の名前のキャバクラやレストランが入り
存在していないようです。


偽装したモデル写真と比べると、随分と違う顔ですが
この頃は、素の自分で勝負していたようですけど。
どうして、武田信玄末裔になったのか?と疑問です。


 最後に、こちらの記事へのコメント⇒http://torepichi.com/603.html

鈴木千里
2013年2月26日 2:08 AM
インチキすぎて面白いので、1年ぐらいコイツの動向見てます。
前あったアメブロはアカウント削除済みですが、生活保護不正受給もカミングアウトしていましたよ。自称「年商1億円ぶっとびセレブ」の鈴木さんが突然武田アンリになってウケましたw美容皮膚科の処方箋として載せた画像はズームしたら新宿ALTAで万引きして捕まったときの誓約書でした。川越の住所も丸見えw(画像保存済)
他人のクローゼットや高級車やモデルルームを自分の所有物として載せます。自家用ジェットとか。まず、ブログのトップの黄色いパンプスの女性が明らかにコイツじゃないし!
たまに自分で作った汚い料理や貧乏臭い部屋も載せるところが面白い。見栄を張るなら徹底すればいいのにw
Facebookは2アカウントあって、埼玉県立狭山ヶ丘高校→慶応大学卒だったのが突如青山学院大学卒に変更。誕生日も1月と5月です。


 最近では、「全聾(ろう)の作曲家」「現代のベートーベン」こと佐村河内守とか、少し前では偽iPS細胞の森口尚史とかも話題になりましたし、今後は、こういう病的な虚言癖の連中が世間を騒がせるような事件が続くんじゃないですかね?『サイコパス 秘められた能力』とか『自己愛過剰社会』といった本では、アメリカにおける病的な嘘つきや虚言癖の人間のもたらす害悪なんかについて警鐘を発しているのですが、だんだんと日本も、そのアメリカの悪い面を後追いしているんでしょうね・・・政治的にも経済的にも社会的にも、日本は常にアメリカの悪い面ばかりを頑張って後追いしているような気がします(ーー;)

 中野剛志さんが言うには、ヨーロッパで、「アメリカでは〜〜〜」という話が出てきた場合、悪い話が後に続くというのですが、日本では大抵良い話が持ち出されますね。戦争を終えて60年以上経つのに未だに日本人はアメリカコンプレックスからは脱却しきれていないようで・・・


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2014年02月12日

茂木健一郎「東京、だせー。」

 今回も茂木健一郎のツイートについてアレコレ書いてみる。基本的にはここのまとめのコメントの引用で・・・⇒http://togetter.com/li/627739#c1376190




 このツイートに対する反応・・・

いい加減、茂木健一郎は思い通りにいかないと癇癪を起こす自分の脳を科学したらいいんじゃないかと思うんだ。
kAssy0121 2014-02-09 22:31:57

自分の思いどうりにならないとキレる脳学者も『アハ体験』が足りない。
mayukookada 2014-02-09 23:32:36

この無脳科学者さんには、「ダサいのは自分だった」と気づくアハ体験が必要とみた
返信 h_nattousai 1


どうやら他人に勧める前にご自身にアハ体験が必要なようで・・・( ̄◇ ̄;)

「脳しか言わない日本人」茂木健一郎は、ピント外れの社会的発言はもういい加減やめて、お得意の脳小噺だけしてろよ。 watakino

こ れ は ひ ど い。個人的に今回の都知事選は何か人の醜さがばっかり浮き上がったなあってかんじです。 返信 kerotaka

「東京ダセーな人」には、テレビに何度も出演していると、自分は特別だと思ってしまうプロセスについての脳科学的考察を、是非自身を標本として説明してもらいたいものだ。 返信 florestan854

「人類を、次の未来に導く価値観やヴィジョンを出せず」←細川や小泉の主張が未来に導くビジョンに見えるなら、脳科学言う前に自分の脳を何とかしたほうがいいよ。 返信 801jun1 3

原発事故から数々のバカ発見器が成果をあげてきたから、もう出尽くしたろうと思っていたら、新型の「細川護熙」は強力で、新顔が大量に見つかった。でもバカ処分場がないのが困りもの。 返信 cine_sal 4


 どうやら、日本に本当に必要なのは核廃棄物の処分場ではなく、バカの処分場だったらしい・・・




歴史上の人物に、自分にとって都合のいいことをしゃべらせる「イタコメソッド」ですか…。どこぞのカルト宗教と変わらない感じですね。
返信 togetoge10

「東京からは、日本は変わらないよ。幕末の幕府みたいなもんだから。薩摩よ、長州よ、立て!」 「人類を、次の未来に導く価値観やヴィジョンを出せずに、過去の時代にうだうだこだわっている国家自体が、ださい。」 古い時代に拘ってるのは誰だよとw
thinking_m


 「何かあると、すぐに幕末維新の喩えを持ち出すやつにはロクな奴がいない」という中野剛志さんが発見した法則は、ここでも生きているようですね。こういう連中を、まとめて「幕末バカ」もしくは「維新バカ」と名付けたいと思います(例 維新の会共同代表 橋下徹大阪市長 奇兵隊内閣 菅直人 平成維新の会 大前研一etc・・・)。

 なにやら噂によると、日本で最も有名な脳科学者の二人、苫米地英人と茂木健一郎の両氏はどんなに調べても発表した論文が出てこないようで・・・「科学者なのに論文が一つもないってどういうことなの?」と思いますけど、まあ要はただの芸人なんですね。まあ、ロンブーの淳が政治の分野にしゃしゃり出てくるのと対して変わらないワケです。


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2014年02月11日

都知事選所感と保守の課題・・・

 舛添要一がトップで、田母神さんは61万票で4位。まあ、終わってみればこんなものか、といった感じもしますが、当初泡沫候補扱いであった田母神さんが選挙終盤では主要候補の一人になり、61万票を獲得したのはやはり凄いことであったと思います。

 田母神さんを支援していたボランティアスタッフの方々もお疲れ様でした。今現在、若者が右傾化しているだの、日本全体が右傾化しているだの言われていますが、やはりそれでも、未だに公に「私は田母神さんを支持します!!」と表明するのは相当な抵抗感があるのが実情なのではないでしょうか?そんな中で、はっきりと田母神支持を表明することは相当勇気のいることであっただろうと想像します。

 自民党の支援を受けて無難に戦った舛添や、脱原発と弱者救済を訴えていた宇都宮健児、あるいは派手なパフォーマンスで若者ウケを狙っていた家入一真等と比較すると、やはり、まだまだ田母神陣営=なんとなく怖い右翼といった印象が一般的なのかもしれません。もちろん、そのような状況でも、頑張って田母神さんを支援してくれた沢山の人々がいたということは素晴らしい事だと思いますが、一方で、三橋貴明さんが言っているように、選挙に勝つという現実的な目標を掲げる上では、マジョリティーであるノンポリ層を取り込む必要があるように思います。

 また、言論においても、保守はより多くの人びとを取り込めるようにするべきであったように思います。確かに、現状において、わゆるネトウヨと呼ばれるような層も増えていて、実際にこの層が選挙の結果に一定の影響を及ぼすような規模にまで増加していることも事実ですが、一方で未だに、
保守=右翼 ネトウヨ バカっぽい
というような印象が残っているようにも思えます。

 書籍を読んだり、動画で話をしているのを聴いてみれば、実際にはいわゆる自称中道左派の革新派といった言論人の主張は内容がペラッペラで(まあ、それもマルクスと共産主義といった思想的バックボーンが完全に崩れているという現状を考えればある意味当然かもしれませんが)、むしろ、保守の言論人の方が現実的かつ、一定の密度を保った内容の情報を発信していることも多いのですが、一度なんとく定着してしまった 保守=ネトウヨ バカっぽい という印象を覆すのは、そう容易ではありません。

 では、「具体的にどうするればいいのか?」となると、なかなか難しいので、少し抽象的な話をしてみると、たとえば、中野剛志さんは、戦後保守について、一貫して主体性を持たず、単なる戦後左翼の裏返しとしての運動や言論に終始していたと説明ししています。つまり、左翼が社会主義なら、保守は資本主義。左翼がインターナショナリズムなら、保守はナショナリズム。そして、左翼が小賢しい理屈を述べれば、逆に保守は感情論や実力行使に走るといった具合です(もちろん、戦後において左翼も様々な変遷を経ているため必ずしも戦後一貫してこのような図式が当てはまったわけではありませんが)。

 この中でも、特に 保守=バカっぽい という印象をつけてしまう原因になったのが、左翼の小賢しい理屈に対し、保守の側が感情論や実力行使に出てしまったことなのではないかと思います。もちろん、感情論や実力行使が必ずしも悪いとは言いませんが、やはり一方でもう少しスマートなやり方もあったのではないでしょうか。

 例えば、左翼が小賢しい理屈で勝負しようとするのに対し、保守の側は、整合性の取れた論理に加えて、人間の感情や社会をシステムとしてばかりではなく、有機体としても捉えるような重層的かつ包括的な視点、あるいは、未来志向の左翼に対し、未来も視野に入れつつ、より深い過去の歴史性や時間性を踏まえた奥深い論理を持って対抗するという手段も有り得たでしょう。いや、むしろ、合理主義的なマルクス思想、共産主義思想が現実世界で破綻した時、「これだから頭でっかちな合理主義的思想はダメなのだ」として安易に論理を放棄するばかりではなく、合理主義的思想の不合理性を超越するような理論体型を構築する絶好の機会、あるいはその必要性が保守の目の前に突き出されたのではないでしょうか。

 左翼思想が衰退していく中で、知的エリート層は、実学、いやもっとありていに言えばビジネスの世界にのめり込んでいきました。金銭によって、あらゆる価値が測定されるビジネスの世界において、教養はその意味を失い、同時に品性すら、無用の長物と化しました。唯物論のマルクス思想が放棄された時点で、より即物的な価値観が蔓延したのは皮肉なようでもあり、しかし実感としては、「まあそうなるよね」と妙に納得いくのも事実です。

 IT技術の進歩による情報社会化と、株主資本主義へのビジネス文化の変化は、ビジネスを人びとの生活や人生と密接不可分な生業から、エリートの知的遊戯に変化させました(実際には、世に喧伝されるほどに、この知的ゲームの勝者は多くなく、ほとんどの人間が惨めに破れていったワケですが・・・)。

 このような知的エリートのビジネスブームへの傾倒というのも、一つには、やはりそれまでエリート層の知的好奇心を満たすような、あるいは、それを活用し、また競い合うような知的フィールドがどこからも与えられなかったことに原因があるのではないでしょうか。

 もしかすると、真に重層的かつ、包括的で深い内容を持った思想が日本で現れれば、このような気持ち悪い即物的なビジネス至上主義、金銭至上主義的な空気を多少まともにしていくことができるのではないかと私は、考えていて、元来、保守思想にはそのような可能性を秘めているのではないかと思っています。

 ところで、ビジネスブームや学生起業ブームすら完全に下火になってしまった現在、彼らは一体どこで何をしているのでしょうか?意識高い学生や社会人をやってるのか、ただ自堕落に毎日を過ごしているのか、自分の能力や知性を活用する場が存在しないことを嘆き無気力な毎日を過ごしているのか、あるいは、自分だけの真理を追求すべく密かに勉学に励んでいるのか・・・うーむ、謎ですσ(ーー*) ン-...


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2014年02月10日

茂木健一郎批判と東京都知事選についてアレコレ・・・




 本当は、東京都知事選のことを書こうと思ったんですけどね・・・なんというか、この茂木健一郎氏のツイートが突っ込みどころがあり過ぎて、とりあえず、このツイートに突っ込んでいくだけで、ある程度都知事選のことについて書けると思ったんで、今回は、このツイートに全力で突っ込んでいく記事にしようかと思います( ̄◇ ̄;)

 まず、「一本化すれば勝ってた」というのは、おそらく脱原発についてでしょう。確かに、舛添211万、票宇都宮健児98万票、細川95万票という得票数を見れば、共に脱原発を掲げていた宇都宮健児か細川のどちらかが出馬しなければ、脱原発をはっきりと掲げた都知事が誕生した可能性はないわけではありません。

 しかし、少し考えてみればわかりますが、細川は、脱原発を掲げたことによる得票に加え、小泉純一郎が応援していたことが得票数に大きな影響を与えたように思えます。さらに、そもそも当選した舛添も脱原発であったことを考えると、仮に細川が出馬していなかったとしても、今回細川に入った票が全て、宇都宮健児に入ったと考えるのは無理があります。

 さらに、そもそも論を続ければ、東京には一つも原発は設置されていないですし、現状の原子力にエネルギーに関する法律では、原発が置かれている自治体の許可さえ取れば稼働が可能であるため、確かに脱原発派の人間が都知事になれば、一定程度国家のエネルギー政策に影響を与えるであろうことは認めますが、それでも、実際上の停止や可動に関する権限は存在しないため、まあそれほど大した影響力は及ぼさないでしょう。

 それから、東京を中抜きして、世界に繋がるという発想についてですが、これは何もまったく新しい発想ではなく、もう10年以上も前、いや、私が知らないだけで、もしかしたら何十年も前から言われていたアイディアなのかもしれません。東京とは、いうまでもなく日本国家の中枢であり、その国家の中枢を経由せずに世界に繋がるという発想は、いわゆる随分と昔に言われたグローカル(グローバルとローカルを合わせた造語)そのものです。

 現在、グローカルという言葉は完全に死語となっていますが(というか、覚えてる人いるんですかね・・・?)、現在にもその発想自体は存続していて、その思想の片鱗を道州制の理念の中に見出すことが可能です。

 施光恒さんは、三橋貴明さんのメルマガの記事で、道州制の問題点についてこのように説明しています。

しかし道州制導入の結果、財政的にやっていけるのは東京州、東海州、中央日本州(関西ですよね)の三つだけです。他は、赤字になります。

赤字に陥った六つの道州は、道路などの社会的インフラの補修や整備もうまくできなくなります。福祉など社会保障のほうでも、各道州の間に格差がでてきます。

財政状態の芳しくない道州は、「貧すれば鈍する」で財政悪化を緩和するために、無茶な政策も厭わなくなります。たとえば、作品中で描かれているように、社会的インフラや公共サービスの運営・管理の権利を、グローバル企業に売りさばいていくようなことは、現実にも十分起こりうると思います。他にも、外資を呼び込んできやすくするように、要不要にかかわらず各種の社会的規制を取っ払うなどの政策がとられる恐れもあります。
加えて、道州制に関し作品中で懸念されているのは、「国民」としての連帯意識が薄れ、道州間で助け合ったり譲り合ったりする精神がなくなってしまうのではないかということです。この懸念も、杞憂とはいえないでしょう。社会的インフラや社会保障の整備の度合いで大きな差が生じてくれば、また各道州の「自己責任」が強調されるようになれば、国民としての一体感が徐々に喪失されていくことは大いにあり得ると思います。
(【施 光恒】予言の書… http://www.mitsuhashitakaaki.net/category/seteruhisa/ より)


 このように、国家による適切な援助や規制を欠いた状態で、地方の独立性や自己責任という論理を追求していくと、各地域は、経済や財政上の必要に迫られ、海外と結託することとなります。

 国際政治では、自国と利益関係を有する他国同士を仲違いに仲違いさせることは外交上の基本戦略です。たとえば、アメリカにとっては日本と中国が揉めることは、日中が結託してアメリカに対抗することを不可能にし、さらに日本と中国両方がアメリカからの協力を求めるような状況を作り出しやすくするため、大変な利益になります。同様に、中国にとっては日本とアメリカが仲違いすることが中国にとっての利益となります。このように、自国にとって潜在的な敵対関係を持った、他国同士を仲違いさせることはその国にとっては国益となるわけです。

 このような観点から見たとき、日本と潜在的な敵対関係にある中国にとっては、たとえば日本国内で中央と地方が仲違いしていれば、それは中国にとっては利益であり、さらに日本の地方が中央と仲違いした状態で、経済的あるいはその他の面で中国に何かしらの投資や支援を求めるようような状況は、中国にとって非常に素晴らしい状況であると言えます。逆に、このような状況を回避するためには、国民の団結意識や、それぞれの国民や地域同士、あるいは様々な中間団体に間で健全なコミュニケーションが図られ、良好な関係性が維持されている必要性があります。

 つまり、国防上のリスクや、国民国家の運営に必要な国民の連帯意識等を破壊するなどのデメリットから、とっくに否定された各地域が国家を飛び越えて直接的に海外と連結するというアイディアを、さもこれからの国家や地域が目指す新しい道であるかのように勘違いしているわけですねこの無脳科学者は。

 かつて、中野剛志さんは、橋下大阪市長を批判する文脈の中で、彼の改革案に対し、
「維新八策などと大層な名前を付けているが、どれも20年前の三流学者が考えていたアイディアだ」
と指摘していましたが、まさに、現在の有名な言論人(というより、できれば言論商売人と個人的には呼びたいのですが・・・)の多く、というよりほとんどは、20年以上前にくだらない三流学者が考え出したアイディアを、さも新しい独創的な改革案であるかのように喧伝しているワケです。

 おおよそ、ほとんどの下らない(特に日本に多いのですが)評論家のアイディアは、八割が20年前に喧伝された四流のアイディアに、その時期に流行したアイディアを二割ほど付け加えたものになっているのが現状です。


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