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2014年01月29日

宗教家が一般公開の場で話をする意義と危険性

 最近、仏教に関心を持ったこともあり、苫米地英人や上祐史浩などの話をよくネットを聞くことがあります。しかし、どうしてもこの宗教的な話題について、一般人が気軽に聴けるような場で宗教家等が話をすることが果たしてそれほど良いことなのだろうか?と疑問に思ったので、今回はそのことについて私なりの考えを書いてみようかと思います。

 まず、最初に、宗教家、特に仏教者が一般人の前で話をすることの良い点を考えてみたいと思います。まず、第一には、仏教自体が非常に優れた宗教であるということ、特に、現在の西洋の合理主義や、主体的な意思を最大限尊重するマッチョな思想に対して、仏教は、東洋的な受容や悟りの宗教であります(これは、あくまで私自身の解釈ですが)。現代のグローバルな競争重視の時代においては、西洋的な合理主義的な思想や、自分自身の主体的な意思を尊重するマッチョな思想が優位になりがちではありますが、今後おこるであろう、あるいはすでに起こりつつある貧富や社会的地位における格差の拡大、あるいはそういった格差の固定化といった現象を前にして、おそらく、東洋的な需要や悟りの思想が再び見直されるような時代が来るでしょう。当然、敗北主義的な思想として、惨めな人間が自分を慰めるため、あるいは、強者が格差を正当化するための根拠としてそういった思想を持ち出すことは明確に悪であると思いますが、一方で社会の改善において、可能な限りを手立てを尽くすという前提のもとで、精神的なセーフティーネット、つまり社会的な敗者が、金銭面、生活面のみならず、精神的にもどん底の状態に陥らないための手立てとしてそれを持ち出すのはある種の必然性を持つのではないかと思います。

 それから、もう一つ宗教家が一般人の前で話をすることの意義として、宗教に関する話に慣れるという点が挙げられます。日本人はほとんど大多数の人が積極的な信仰を持たないため、多くの人は、宗教についてあまり真剣に考えることがありません。なので、そのような人の中には、巧みな話術を持った宗教家の話を聴いて簡単に信じてしまって不健全な、あるいはカルト的な宗教に引っかかってしまう人もいるでしょう。そうならないためにも、普段から宗教の話を耳にしておくことが、もしかしたら、そのような悪質な宗教のセールストークに対する耐性を付けるワクチンのような効果を持つ可能性もあります。経済学者のジョーン・ロビンソンは
「経済学を学ぶ目的は、経済問題に対する出来合いの対処法を得るためではなく、そのようなものを受け売りして経済を語る者にだまされないようにするためである」
といったセリフを残しています。要は、「経済学を学ぶのは、経済学者に騙されないためだ」ということでしょうが、これは、場合によっては宗教にも当てはまります、つまり、「宗教家に騙されないために」宗教について学んでおくことにはおそらく一定の意義があるでしょう。

 しかし、そうはいっても「ミイラ取りがミイラになる」などという言葉もあるように、もしかしたら、「自分は宗教家に騙されないために宗教を学ぶのだ」と思って宗教に触れているうちに、何かの怪しげなカルト宗教に嵌ってしまう可能性もあるでしょう。次に、宗教家が一般人の前で話をすることの危険性について考えたいのですが、やはり、あまりカジュアルな雰囲気の中で、宗教家が話をするのは場合によっては危険であるように思います。最近では、元オウムの幹部で、麻原彰晃の一番弟子であった上祐史浩が、ロフトプラスワン等の、非常にライトなサブカル系のイベント会場等でトークイベント等を開催しているそうです。しかし、あまりにもライトな、いわば宗教っぽくない場で、そのような人物が話をするのもどうなのでしょうか。例えば、かつては、オウム真理教の麻原彰晃が何度もTVに出演したり、多くの言論人が絶賛していることで、多くの人びとの信用を獲得し、たくさんの人が、「あんなにTVに出てるのだから」あるいは、「知識人の○○さんが絶賛しているのだから信用できるだろう」と思って入信しました。あるいは、幸福の科学は、一般的な自己啓発本やスピリチュアル本のようにみえるような本を大量に出版することで勧誘の手段にしました。

 このような、あまり怪しげな宗教色というものを薄めたカタチでの勧誘は、最初に気軽に関わっていって、だんだんと深く引き込まれていってしまったというような人を増やしてしまう危険があります。中には、それほど害のない宗教も多く存在するのでしょうが、例えば、出家制度を重視するオウム(現アーレフ)の分派であるひかりの輪の代表の上祐史浩のような人物が、あまりライトでカジュアルなトークイベントで積極的に著名な芸能人とトークライブ等を頻繁に行うのは、社会通念上あまり好ましい自体ではないのではないかという気がします。

 特に、出家制度は、その人の一生に大きな影響を与えますし、仏教のような現代の一般常識的な価値観から、ある意味でかけ離れた価値観を持つ宗教は、そうそう簡単に入れ込むべきではないかもしれません。現在は、オウム事件の記憶も薄れつつある時期でもあり、宗教の持つ危険性についても十分に注意喚起されているとは言い難い状況でしょう。このような状況において、あまりにも一見ポップでカジュアルなファッション的思想であるかのような装いで、上祐史浩のような人物が多くの人の前で話をするのは一定の危険性を持つのだという認識、あるいは注意喚起はやはり必要でしょう。


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posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 05:21 | 神奈川 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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