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2014年01月25日

『まともな日本再生会議』(中野剛志×柴山桂太×施光恒)を読んで そのB〜学術的考察と政治的決定の関係性について〜

 先日、山形浩生と飯田泰之の対談動画(山形浩生×飯田泰之 もう一度「一般理論」に挑戦する http://www.youtube.com/watch?v=lUoMcsZFxC0)を見たのですが、この対談以上に、この対談に関するある視聴者のコメントが面白かったので、今回はそのコメントについて紹介&解説してみようかと思います。

 ケインズの一般理論なんて、論証すべきことを数学使っていない時点でおわってんだよ。

 なんというか、私はこのコメントを見て「あー、やっぱりこういう人っているんだなー」と思いました。私にも、一応理系の友達はいるのですが、やはり理系の人と人と話をしてみると、彼らは(当たり前ですが)かなり数式化にこだわる傾向が強いことがわかります。おそらくは、数式化しないと論文が認められないからなのでしょうか、中には、「数学が使えない文系の学問って何のためにあるの?」というような発言をする人もいます。

 まあ、この質問対して、私なりに答えていうなら、「世の中には数式化出来ない問題だっていくらでもあるから」ということになります。ミルトン・フリードマンの弟子である経済学者のゲーリー・ベッカーは、結婚の問題をミクロ経済的側面から捉え、結婚の効用が最大の時点で結婚し、効用が一定以下の水準まで低下した時点で離婚するというような説を立てているようですが、これもはっきりいっておかしいのではないでしょうか?仮にベッカーの説明するように、公用や、満足の上下によって人が結婚や離婚を決定するとしましょう(私は、この前提自体が大いに疑わしいとは思いますが・・・)それでも、結局、それはそれを計測する男女の結婚の効用以外の様々な条件、例えば、その男女の住んでいる国が結婚を奨励しているか、一夫多妻制の制度か、一夫一婦制の制度であるか、あるいは、その男女が自分自身の年収や学歴や家柄を偽らずに正直に相手に伝えているのか、もしくは虚言癖があって平気でパートナーに嘘をつくような人間であるか、あるいは、男女のルックスはどうか、男女の生活している地域では男女の交際や結婚において容姿にどれだけ重きを置く風習があるか等々、本当に無数に存在するような条件が全て一定であるという前提のもとにしか成り立たないでしょう。

 もちろん、経済の問題や、効用や満足といった条件が男女の結婚において一定の役割を果たすであろうことに異論はありませんが、それでも、経済学では経済の問題、効用や満足の問題以前の前提条件プリセットのようなものは計測しえないという問題があります。

 そこで、先の
>ケインズの一般理論なんて、論証すべきことを数学使っていない時点でおわってんだよ。
というコメントについて話を戻しますが、私は、このような考え方は大変問題であると考えます、まず、第一には、数式化できないような問題はまともな学問として認めるべきではない、という考えは、先に述べたような現実に存在する様々な数式化不可能な複雑であり、かつ現実の問題解決において重要な要素を全て切り捨てることになるので、学問と一般の生活者の感覚の乖離、あるいは両者の断絶を深める結果になるのではないかという問題です。一度、この断絶が深まれば、一般人は学者を「わけのわからん空論を振りかざす人たち」であると感じて敬遠することになり、学者は学者で、「どうせ、あいつら一般人には俺の研究していることは理解できまい、だから彼らに理解してもらおうなどとは思わないことにしよう」と考えて、ますます一般の生活者の実感から離れた空理空論を打ち立てることになりかねません。もちろん、最新の物理学理論などは、私たち一般人にとっては到底理解し得ない世界であって、科学者がそれらの世界の理論について一般人の生活感覚と接近させようなどとする必要はあまりないかもしれませんが、文系の学問では問題でしょう。現実に社会が抱える問題について改善していくことを目標とする文系の学問において、あまりにも国民や生活者の一般感覚、常識感覚からかけ離れた理論を打ち立てて、悦に浸るのはあまり感心できる態度ではないように思えます。

 それから、次に、このような考えをとった場合、「まずは数式化が可能な問題から取り組んで、数式化が困難あるいは不可能な問題は後回しにしよう」と考える学者が増えてくるのではないかということです。特に、これは経済学者において問題だと思うのですが、たとえ、経済学者が数式化しやすい問題から優先的に取り組んでいたとしても、現実の世界で発生する問題は、数式化して計算できる問題ではないかもしれません。仮に、いつの日か、経済学がありとあらゆる現実に発生する経済の全ての問題を数式化して分析できるほど完璧な学問と化すことが出来たなら、それでも構わないかもしれませんが、残念ながら、現実の世界は学問の発達を待ってはくれません。ならば、とりあえずは、現在発生している問題に対して、現在手元にある使えそうな問題解決手段を用いて問題解決に取り組むしかないでしょう。そして、現在の問題の解決にケインズ経済学が役に立つのであれば、仮にそれが「論証すべきことを数学使っていない」としても、それが役に立ちうるという理由で活用すべきだと思います。

 おそらく、30〜40年前の政治家や官僚は、たとえはっきりと意識せずとも、直感的にそのようなことについて理解していたのでしょう『まともな日本再生会議』で、中野剛志さんはこのように述べています。

 空理空論を言いまわすような経済学者なんてものは、30〜40年前までは、「理論はわかっているかもしれないけど、現実には役に立っていない」というのが政治家、官僚、ビジネスマンのプラクティカルなセンスでした。このため、空理空論を言いくりまわすような経済学者は30〜40年前には表には出てこなかった。学者のセンスをバカにするようなプラクティカル、実践的なセンスが弱まってきたから、ダメになってきたのでしょうね。こういった経済学者はかつてのように無視するしかない。(P 98)

 現在においては、ほとんどの人間が一定の知識量を得て、それなりに理屈の部分を理解できるようになっています。このような状況は一方では、一定の知識がワクチンのように作用し、経済学者の空理空論に騙されないような論理的思考を可能にするかもしれませんが、一方で、ミイラ取りがミイラになるという言葉のように、実践的なセンスを養うことなく理論のみを学べば、今度は本来プラクティカルなセンスを必要とする分野の政治家や官僚までは、空理空論を振りかざすエセ知識人のような人間になってしまう危険を抱えています。あるいは、現在の空理空論を言いくりまわすような経済学者の台頭は、このようなエセ知識人的な官僚や政治家が彼らと結託した結果として生じているのかもしれません。


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posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 17:53 | 神奈川 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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