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2014年01月04日

安倍首相の靖国参拝について・・・そのD〜特攻隊と日本人としての精神性〜

 前回、前々回と紹介した川端さんの靖国問題に関する記事(『「国家の輪郭」としての靖国神社 − 首相の靖国参拝に求められる「論理」について』http://asread.info/archives/332)で、特攻隊に関しても触れられていました。

 ここで、少し参考になると思うので「特攻隊」に触れておきたいと思います。
 靖国神社は『英霊の言之葉』という、戦没兵士の遺書や遺詠をまとめた冊子を発行しています。私は19歳か20歳ぐらいの頃に、当時刊行されていたものには一通り目を通しましたが、どうしても「特攻」で死んだ兵隊の遺書には特別な重みを感じてしまいます。
 特攻で死んだ兵隊が、たとえば満州で戦病死した兵隊よりも偉いかというと、単純にそうは言えないでしょう。ではなぜ特攻隊はこれほどまでに強い印象を我々に与えるのでしょうか?
 ここで私は、靖国神社が「国家の輪郭」をその二面性の境界において鋭く表現しているように、特攻隊というものは、「国家を形成して生きる動物」としての人間を引き裂くさまざまな「葛藤」を、その境界において最も鮮やかに象徴する存在なのではないかと思うのです。
 たとえば、特攻隊が「志願」によって組織されたのか「強制」によって組織されたのかは、二者択一的に解釈できるものではありません。人間の精神はもっと複雑にできていて、自発性と強制性はそう簡単に区別できないのです。「あれは志願制とは言っていたけど、実質的には強制だった」とよく言われますが、「単純に強制することもできたはずなのに、一応は志願制という建前を取らなければならなかった」という点に重みがあるとも言えるわけです。特攻という出来事が特筆に値するのは、そこに「個人の自由意思」と「国家による強制」の葛藤が最も激しい形で顕れ、衝突して火花を散らしながらも、最後には一つの決意として昇華されたからではないでしょうか。
 また、特攻隊は「非合理的」な精神主義の産物だったと思われていますが、考えてみれば、人間が操縦して敵艦に爆弾を当てるというのは、当時の手持ちの兵器の範囲内でいえば極めて「合理的」な発想であったと言うこともできます。特攻は、「精神主義」と「合理主義」の衝突を鮮やかに描き出す出来事でもあったのです。
 さらに言うと、特攻機に乗って出撃したパイロットは「人間」的であると同時に「機械」のようでもあるし、「勇敢な決意」とともに「センチメンタルな感情」を書き残してもいるし、「私的」な感情としては死にたいわけがないのに「公的」な使命に身を捧げて死んで行った人たちなのでした。
 「特攻」とは、人間精神が持つこうした「二面性」が、最も過酷な形で顕れた瞬間だったのであり、だからこそ我々はいつまで経っても、特攻隊のことが気になって仕方がないのだと思います。


 私は、この川端さんの文章を読んだ時に、ふと政治学者の佐藤誠三郎さんの次のような文章を思い出しました。

 個人として当時の政府の戦争政策にいかに反対であろうと、いったん戦争が始まったら、「国民としての義務の限り」では戦争に協力するというのは、まさに健全なナショナリズムではないか・・・。ある国の国民であるということは、その国と運命をともにするということであり、したがって政府のやったことに否応なく連帯責任を負わざるをえないということを意味するのである。それは政策決定がどの程度民主的であったかどうかとは、とりあえず関係ない。・・・
 私はもし10年自分が早く生まれ、学徒出陣という事態に直面したら、どのような選択をしたであろうかと考えることがある。臆病な私のことだから、喜び勇んで出陣することはなかったであろう。しかし仮に出陣を避ける方法があったとしても、それを利用して兵役を免れることには強いためらいを感じ、最終的には出陣したに違いない。そして特攻隊のような、きわめて危険な任務に応募するようにいわれたならば、第一番に応ずることはないにせよ、三番目ぐらいには志願したに違いない。・・・そして私はこのような態度が、官僚的国家主義に毒された間違ったナショナリズムとは考えない


 私的な感情として、戦争に反対であったり、学徒出陣という事態に直面し、喜び勇んで出陣する気にはなれなかったりしながら、また公的使命として、一定の強制性として国民として国家と運命を共にし、連帯責任を負い、特攻隊のような危険な任務にも三番目くらいには志願する。もちろん、特攻隊の人々は様々な想いを抱いてその任にあたったのでしょうが、やはり現実には多くの人は、保守の人々が絶賛するように、国家のためには命も惜しまぬ完全な高潔の士として死んでいったのでも、左翼の人々が批判するように、国家の強制により死にたくないと思っている人々を無理やり特攻隊の任務につかせたのでもなく、このように様々な葛藤に苦しみながら最終的な決断にたどり着いたのでしょう。

 そして、同時に、この公的使命と、私的感情は、簡単に二分出来るものではなく、思想史学者の河原宏先生が、特攻隊の任務に就く前に終戦を迎えてしまったことに対し、「死に場所を失った」と述べ、また三島由紀夫が、健康上の理由で兵役に就かず、終戦後には、自分の仲間たちの多くが戦争で数多く亡くなったにも関わらず、戦後の日本社会の中でのうのうと生きていたこと自分自身に対し、死ぬまで負い目をもって生きていたということを考えると、やはり高潔の士として生き、あるいは死ぬという非常に公的使命であるように思える理想主義的な志向もまた個人の私的な感情に内包されている、あるいは少なくとも内包されうるのだと考えて構わないでしょう。

 私が、最近このブログでも頻繁に述べているテンプレ保守の問題点の一つは、やはりテンプレ化し陳腐化した考えでは、このような複雑に入り組んだ人間の精神性等を上手く解釈したり、描いたりすることがほとんど不可能であるということです。

 私自身としては、特攻隊に関して、明治の開国以降、どんどん西洋の思想や学問や精神性が流入し、どんどん日本人としての精神性、使命感、高潔な理想といったものが失われていく中で、最後の最後、日本人が日本人として生きて死んでいくのだと決意した人たちの絶望的なあがきのようなものだったのではないかと思っています。

 福沢諭吉は、敵に対して勝算がない場合でも、力の限り抵抗することが痩我慢であり、これこそが武士の気風なのだと述べ、そして小林よしのりは特攻隊とは究極の痩せ我慢であると称しましたが、やはりこの特攻隊の行動は、日本人の精神性の究極的な発露であったと言えるでしょう。

 内村鑑三は『代表的日本人』の中で、このように書いています。

 これをみても、私どもの国が四方を海や大陸で囲まれて、世界から隔離され閉じ込められていたことは、摂理の賜物であったとわかります。定められた時に先立ち、貪欲な連中がたびたびわが国に侵入をたくらみましたが、日本は頑固に開国を拒みつづけました。それはまったく自己防衛の本能からでた行為でありました。世界との交流が生じたとき、世界に呑みこまれて、私どもが、真に自分のものといえるような特徴を持たない、無形の存在にされないため、わが国民性が十分に形成される必要があったのであります。

 続けて内村鑑三は、明治維新を称して「二つの明らかに異なる文明を代表する二つの民族が、たがいに立派な交際に入る、世界史上の一大転機」と述べていますが、現実には、西洋の世界との交流の中で、日本のその独特の文化や精神風土を急速に失っていきました。

このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである

 三島由紀夫はこのように述べていますが、やはり、現実には内村鑑三の思惑とはうらはらに、明治の開国以降の歴史は、西洋との交わりとともに、日本と日本人の国民性、文化、精神風土が急速に失われていった歴史なのではないかと思います。

 現在、保守の論客の中には、最近の若者の中から、「しっかりした国家観や国家の歴史性をしっかりと意識するような若者が出てきている!!」というようなことを述べる人もいて、一面ではそのような意見に同意するものの、私の中で、そのような「われこそ愛国者なり!!」と自称する若者たちをイマイチ信用しきれない理由があって、それは、やはり、若い頃から英語が大事だのなんだの言われ、腹が減れば近くのマックでハンバーガーをぱくつき、西洋的なマニュアル化された体系的なカリキュラムの中で学問を学び、大学では、アメリカ流の経営学部や経済学部でビジネス手法や経済の考えを学んでいるような人間、つまり手段の次元においてありとあらゆる西洋的な手法を用いておきながら、一方で、日本人としての誇りや精神性を語る若者、さらに言えば、そのような矛盾に対して極めて無自覚で鈍感な感性しか持たない若者に対して、「一体何を期待しうるのか?」という疑問が浮かばずにはいられないからなのであります。


ASREADさんに記事寄稿しました!!こちらもよろしくお願いします!!⇒『安倍首相の靖国参拝に反対する理由』http://asread.info/archives/329




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posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 17:35 | 神奈川 ☁ | Comment(1) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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