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2013年12月21日

1万円札の隠された真実・・・

 今回も、当ブログに書き込まれたコメントを題材にアレコレ考察してみようかと思います。今回取り上げるのは、私の記事に対して好意的な評価をしてくれている方のコメントです。

 要はこういう事ではないでしょうか。カツトシさんや私(少なくとも私)は「我々の社会生活上必要なことをしてくれる人や、それを維持管理してくれる人に対して公的な支援をし、その人の生活を安定させることでひいては我々の社会基盤を維持するようにして何の問題があるのか。」と柔軟な思考を持っているのに対して、かの人は
“税金で仕事を回してもらう人間=悪、淘汰されて当然 であり、 絶対にそれは正しいのだ これを疑う事は許さない”と潜在的に思っているのではないでしょうか。


 一応、ここまでの議論を知らない方のために説明をすると、このブログではここ数日に渡って、ケインズ主義的な主張をする筆者、及び当ブログの読者と、市場原理を信奉する方とコメント欄で壮絶なバトルが繰り広げられておりました。そして、このコメント者は、市場原理主義的な主張をする方の考えがおかしいのではないかということでこのようなコメントを書いているのです。

 ここのコメントで、まず最初に指摘したいのは、このように「市場原理に則って稼ぐのは正義!!」「税金や、その他の既得権に乗っかって稼ぐのは悪!!」という考えを抱いている人というのは、非常に教条主義的であるということです。近いうちに、「市場原理主義は正しい正義で、共産主義や計画経済は間違った悪なのだ!!」という主張が論理的に間違っているという説明をしようと思っているのですが、今回はコメント投稿者の主張に沿ったカタチで、この考え方に批判を加えてみたいと思います。

 この方は、最後に
 もちろん、こんな人に「金を稼ぐと言っても、その通貨を創っているのは政府ではないか。『自分の力で稼いだ』ように見える人でも、結局政府依存ではないのか。」などという質問をしてもご乱心されるのが関の山でしょう。
と指摘しているのですが、これもまた本質を突いた議論であるように思えます。

 脳機能学者を自称する苫米地英人氏は、著作の中でたびたび「お金や資本主義の観念に自分の脳みそが支配されるのが嫌であるなら、まずアナタが持っているその1万円札を燃やしてみろ!!」と述べています(もちろん、私自身はそのアドバイスに従ったことは一度たりともありませんが・・・)。

 ここで、氏が主張している論点は明確で、実は皆が1万円の価値があると信じていう1万円札は、実際には福沢諭吉の顔が印刷されているただの紙切れに過ぎないということです。このただに紙切れに1万円札の価値を付与しているのは、当然その紙の材質やデザインの芸術性によるものではなく、単純に日本政府がその紙に1万円の価値があるということにして、その仮定に日本国民(及び全世界の人々)が合意をしているからに過ぎないのです。

 氏は、実際に1万円札を燃やしてみることで、「この1万円札には1万円の価値があるのだ」とほとんどの国民が素朴に信じている事実を揺るがし、この1万円札に付与されている1万円の価値は一種の壮大な仮定、あるいはフィクションに過ぎないのだということを確認し、金銭至上主義的な観念の呪縛から現代人を解き放ってくれるのだ!!と述べているのです(が、果たしてその因果関係は不明ではあります)。

 ともあれ、この議論で非常に重要な論点は、日本においては、政府が定めた1万円札には1万円の価値があるという仮定に対して、国民がなぜ合意しているのか?という点、そして、なぜ日本ではその1万円の価値が非常に安定的であり、ある時は1万円でスニーカーやジャケットが買えたのに、数日経つと、1万円ではうまい棒1本すら買うことが出来ないというような自体に陥る事がないのか?という問題です。

 一つには、それは極端な供給不足によるインフレを起こさせないだけの国家や企業の持つ生産能力であり、そしてもう一つ非常に重要な要素が安定的な政治的、社会的基盤が確保されているという点です。例えば、たびたび戦争を起こし、その度に生産設備が破壊され極端な物価変動が発生するような国家では、人々が皆安心して紙幣を信頼することはできませんし、突然なにかしらのトラブルによって突然政府が国民の財産を接収したりするような国家や、まともな生活インフラが整っておらず、一定以上の生活水準を望むものが次々に国外に脱出するような国家においてもやはり人々は安心して紙幣の価値を信頼することが出来ないのです。

 つまり、安定した貨幣経済において重要な要素は、一つには産業の安定であり、次に政治や社会の安定が不可欠なのです。つまり、これらの安定がなければ、貨幣経済そのものが成り立たなくなり、資本主義も、そして、市場原理主義者が愛してやまない市場それ自体も成立せず、これまた市場原理主義者が大好きなホリエモンやビルゲイツといった人々も存在し得ないワケです。

 それでは、そのような産業と社会と政治を安定させる役割をどのような人々が担っているのかといえば、第一に国民の税金によって生計を立てている政治家や官僚であり、さらには公的サービスに従事する全ての人々であるわけです(もちろん、そこからまたさらに辿っていけば究極的には全ての国民ということになりますが)。

 つまり、どれだけ、市場原理主義者が「税金で飯を食っているような連中はけしからん!!市場原理に則って稼いでいる人間こそが正義なのだ!!」と叫んでみたところで、所詮彼らは、その税金で飯を食っている連中が長い時間をかけて築き上げてきた産業的、社会的基盤の上に乗らない限り、そのような市場原理主義を勝ち抜くための能力を発揮できるフィールドすら与えられないわけです。

 このような問題に関して、19世紀のスペインの哲学者オルテガは『大衆の反逆』の中に非常に明快な指摘をしております。

 大衆的人間は、自分が利用している文明を、自然発生的であり、ひとりでに生じたものだと思っている。

 さらに、日本語訳の解説にはこのようにあります。

 文明といい文化といい、すべては変幻極まりない現実をなんとか安定させようという試みであり、その仕掛けであり、その結実である。だが大衆人はそれらをあたかも空気や水のように無償の恵とみなしてしまう。

 つまり、オルテガに言わせるならば、このように自らが、「過去の先人たちが築いてきた安定的な社会基盤、産業基盤に乗っかることで、初めてゲームに参加することが可能になるのだ」という自覚を欠いたままに、ひたすらふんぞり返っては、「俺が税金を払っているおかげで、お前らのような人間がなんとか暮らしていけるのだ!!」などと威張り散らしている連中こそが、最も典型的なエリート足り得ぬ大衆人の典型的な姿であるということでしょう。

ASREADさんに記事寄稿しました!!こちらもよろしくお願いします!!⇒『なぜ「嫉妬」が世の中をおかしくするのか?』http://asread.info/archives/250




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posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 15:47 | 神奈川 ☀ | Comment(2) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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