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2013年12月14日

『善悪の彼岸』(ニーチェ 著)を読んで

 すべての深い思想家は、誤解されることよりも理解されることを恐れる。誤解されることに苦しむのは、恐らく彼の虚栄心であろう。しかるに理解されることに悩むのは、彼の心情であり、彼の共感であって、この共感は常に言う、「ああ、何故に君たちも私と同じようにあれほど重苦しい思いをしたがるのか」と。
(『善悪の彼岸』ニーチェ 著 岩波新書 P347)


 最近、少しずつ思想や哲学の本を読むようになって、色々と考えるのですが、なにかこう、やはり哲学の知識と経済学の知識は種類自体が全然違うな、といった印象を受けます。私の主観的なイメージでは、経済学の知識は粘土の塊で、経済について勉強することはその粘土に手を加えていったり修正を加えていくことで、少しずつ現実の経済のカタチに近づけていくイメージであり、一方、哲学について勉強は、地下へと続く迷宮をどんどんより深い地中へと掘り進んでいくイメージです。

 一体、何が違うのかといえば、やはり経済学は(たとえ、それが不可能であるとしても)、現実の経済とピッタリと正確に認知するという終着点へ向かうという目標があるのに対し、哲学は、どこまで奥深く掘り下げられるのかがさっぱり分からず、どの方向にも掘り下げられるわりには、その方向に掘り下げることが果たして正解なのかも分からない、さらに言えば、正しい掘り下げ方が存在するのかすらよく分からない状態の中で、それでも黙々と掘り下げていかなければならない。そのような性質の違いがあります。

 おまけに、これだけ混沌としてる状況でありながら、何かもっと掘り下げたところに何か良いものが埋まっているのではないかという期待感を抱かずにいれらない魅力があり、それを真に望む者は、ほとんど強迫観念のようにそれを求め続けるであろうと思える程度の魅力を備えています。

 もっとも、このように何が正しいのかも分からないという不安の中で、ほとんど強迫観念のようにある行動を追求することに夢中になるというのは、もうほとんどノイローゼの一歩手前であって、まあ、日本の著名な文学者がことごとく自殺するのも無理がないなと最近は思えたりもします。

 また三島由紀夫は、優れた文学についてこのように述べています。

 文学はよいものであればあるほど人間は救われないということを丹念にしつこく教えてくれるのである。
(『若きサムライのための精神講話』)


 先に引用したニーチェの言葉や、この三島由紀夫の言葉を読めば、まあ、どうやら私はまだまだ深い思想に至っていないものだということが見て取れ、おそらくこの先にあるのは絶望か虚無ではなかろうか、という確信に近い予感を感じ取りながらも、それでも学習者の心の内にこの先にある深い真理を感得したいという思いを抱かせる程度の魅力が、思想や哲学という学問には備わっているようです。

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posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 13:47 | 神奈川 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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