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2013年12月01日

左翼言論及びポストモダン言論のつまらなさ・・・

 最近、また中韓の反日行為がエスカレートしており、国内で再び自称保守系の言論商売人たちが、アベノミクスブームに次いで、今度反中、反韓ブームで一儲けしてやろうと色めき立っているとか・・・あいも変わらず下らないことに精を出す連中だなぁとうんざりする気分になりながらも、結局、こういった時流に乗って次々と薄っぺらい言論を発表する人間をもてはやす連中が一定数存在する以上、彼らはこんなくだらない言論商売を延々と継続し続けるのだろうなと、まあある意味で諦めの境地のようなところに至っています。

 ほとんど、ネット上のゴシップ誌のようなメディアのガジェット通信で『新聞の社説――現在「知る権利を守れ!」 3年前「尖閣ビデオ流出は許せない!」』(http://getnews.jp/archives/462748)と題する記事が紹介されたかと思うと、翌日には、自称愛国保守青年のKAZUYAチャンネルを運営するKAZUYA氏が、『3年前→「尖閣ビデオ流出は許せん」現在→「知る権利ガー」』と題する動画コンテンツを発表して大好評、ゴシップ誌の記事を丸パクリしてアップすることで、愛国者だと賞賛されるのであれば、なんとまあ愛国者という言葉の重みをずいぶんと軽くなったものだなと、まあなんとも言えない気分になってしまいます。

 そして、ここから本題になるのですが、左翼言論やポストモダンのつまらなさという話題。左翼と、ポストモダンはまあ同じものではないのですが、とりあえず二つの思想や言論に共通する大きな特徴の一つに、両者とも、現代、あるいは近代という時代の大きな潮流に異を唱えることを決してしないというところにあります。言うまでもなく、左翼は進歩史観、つまり人類の歴史は進んでいくにつれ、より良い段階へとステージアップしていくという歴史観であり、一方のポストモダンは大きな物語の終焉ということで、そもそも近代における大きな時代の潮流というものの存在自体を否定します。

 結果、彼らが掲げる言論がどのようなものになるかといえば、非常にマニアックでつまらない取るに足らない問題を取り上げて延々と下らない議論を展開することになります。中野剛志さんや柴山桂太さんは「現代の言論人が吐く言葉は、あまりにも我々の身近な生活の実感からあまりにも切り離されているのではないか?」ということを問題にしていますが、我々の身近な生活の実感や、人生、社会というものとは関係のない分野の細々とした問題を延々議論しようとする彼らが、その生活と言論の切り離しに一役買ったことはほとんど間違いないでしょう。

 一つ、典型的な例を挙げると、やはりTPP問題に関する左翼言論と(比較的まともな部類に属する)保守言論の違いに見られました。保守派の言論人の多くは、日米関係や、戦後レジーム、あるいは国家主権や、安全保障といったかなり大きなテーマからTPP問題を論じる人間が多かったのですが、一方で左翼系の言論人が大きく問題として取り上げたテーマが、「TPP参加でコミケが今後どうなるか?」という問題です。

 中野剛志さんの影響で、TPPを非常に深刻な問題としてとらえていた私などは、「はぁ?ふざけてるのかコイツらは?」といった印象しか持たなかったのですが、このふざけてるとしか思えない問題について大の大人が大真面目にネット番組などで討論している様子を見て、呆れるほどのバカバカしさと多少の薄気味悪さを感じました。

 しかし、大きな物語を必死になって否定しようとする彼らにとっては、あえて、そのような下らない問題に真面目になって討論する、あるいは真面目に討論している振りをすること自体に意味があるのでしょう。それにしても、大きな問題と決して切り離せないTPPという問題に対して、必死になってそれをあえて矮小化するような姿勢を見せることはあまりにも気持ちが悪いし、おそらくは本当は心のどこかで「どうでもいい問題だろう」と思っているであろうコミケ問題というものに、必死なって真面目に討論している振りをするのはさぞかし疲れるだろうし、本音を必死になって覆い隠す彼らはいつか気が触れて精神が崩壊するのではないかと心配してしまいます。

 おまけに、彼らは「大きな物語はなくなった、小さな物語を、皆でそれぞれに語るのだ」などと考えながらも、結局のところ、言論商売人に過ぎないがゆえに、本当に自分勝手に自分の興味を持った小さな物語を語るのではなく、皆でみんなが関心も持ちそうな流行の小さな物語に飛びついて、本来なら取るに足らないつまらない問題を、左翼のお仲間を引き連れて皆で真面目ぶって討論するなどというなんとも滑稽な様子を披露することになったのです。もし、彼らのうちの誰かと話をする機会でもあれば、ぜひともこのような滑稽さにつていどの程度自覚的であるのかと問うてみたいです。

 そして、最後に保守論壇について一言いうならば、彼らのうちの多くもまた結局同じ穴の狢だと思って良いでしょう。中野剛志さんが、ある講演で、「結局、保守も左翼も戦後日本を肯定しているという意味では、どちらも自己愛的な歴史観なのだ」という事を言っていました。左翼は日本は戦後民主を実現して良い国になった。保守は戦後の焼け野原から日本人は復興を成し遂げた素晴らしい民族なんだと考える。結局のところ、保守であろうが左翼であろうが、戦後民主主義やビジネス文明に疑問を挟めるだけの懸命さを持ち合わせることが出来なかったということです。

 だからこそ、保守の論客も、概ね正しい時代の流れに対して、ほんの少し間違った方向に行きそうな部分を修正するという程度の問題意識しか持てません。民主党から自民党へと政権が交代した時に、「これから日本は良くなるのだー!!」などとバカ騒ぎ出来たのも、その良い証拠でしょう。結局、政権交代の時点で、その後の暗い将来をある程度正確に予測できたのは、中野剛志さんや西部邁さんといったごく少数の近代主義批判を行う保守の論客に限られていました。

 最後に、本題のテーマに戻って言えば、左翼やポストモダン言論は、(少なくとも日本においては)実に下らない言論しか展開出来ていないということであり、また同時に、ほとんどの保守を自称する論客も同様に下らない言論しかできていないという状況にある。特に保守論客に関しては、近代の流れをほとんど概ね肯定し受け入れているという現代に姿勢において保守を掲げるという矛盾を自覚しない限り、どうにもならないのではないか、そのような問題意識は必ず持つべきだし、持たなければならないのではないかと思います。




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posted by 古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会 at 11:46 | 神奈川 ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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