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現在、評論家古谷経衡氏 倉山満氏等を中心とする言論人グループと係争中です。
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多額の弁護士費用とかかりますので、どうか、もしよろしければご支援の方よろしくお願いしますm(_ _)m

2013年05月25日

前回のブログ記事についてツイッターで勝間和代さん本人からご意見承りました・・・

 どうやら、前回書いた勝間和代さんの批判記事をなんと本人が書いていたようで、ツイッターでリプライが送られてきた。面白かったので今回はやりとりを全文掲載。

 以下、ゆるふわ入りかったん(*≧∀≦)ノ☆・゚ ‏=管理人 勝間和代=勝間和代さん公式アカウント です。





























 田中秀臣といい、俺は本当にリフレ派の人達からは愛されるなぁ・・・とw

 ちなみに、後日勝間さんのツイートを見たらここのやり取りは消去されていた。余程他人にここのブログ記事を読まれるのが嫌だったのか、それとも単に素人ブロガー(しかもアンチw)に売名されるのが嫌だったのか・・・?


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2013年05月24日

やっぱり信用できない勝間和代さんの言論商売について・・・

 最近、勝間和代がツイッターでしきりに自分のキンドルの著作を紹介しているので、先日どんなコンテンツで、評判はどんなものなのだろう?と疑問に思いAmazonで検索をしてみた。

 最初に見てみたのは勝間和代の最新の著作である
『あなたも本を書いてみよう (1コインキンドル文庫第6巻)』http://p.tl/uxjs

以下レビュー

5つ星のうち 1.0 買う価値なし, 2013/5/15
"高慢でいるとやがて没落する"
レビュー対象商品: あなたも本を書いてみよう (1コインキンドル文庫第6巻) (Kindle版)
どう考えても出来そうもないことを人に勧めて金を取る、
これがこの本の内容です。忙しい方はここまでで大丈夫です。

電子書籍が焼き直しや何度も使い古されたコンテンツを
リサイクルするためのものとは知りませんでした。

そんなものに未来があるのでしょうか?
pdfファイルで提供される怪しげな商材とどこが違うのでしょうか?

100円だから勝ったけれども、買うだけの価値は無いように思います。
だから、決して勧められるようなものではありません。

ああ、私塾へ勧誘する広告が入っています。これって必要ないですね。
過去の100円広告の広告(ややこしいですね)も出ています。
お金出して広告を買わされているようで、気分が悪かったです。

世間に名の出たいわゆる有名人の実力って、こんなもんなんでしょうか?
少なくともこの方はイマイチ程度が低いと思います、粗悪品乱発みたいな。

買う価値は無い、と思います。

”1冊でも多くの良書が世に出回ることを心から願っています”って
1冊たりとも良書を世に出してない方から願われても困るのですが.....。

困った方が書いた困ったテキスト(+広告)でした。困った。


 ここで書かれているように、この本は100円で販売されている。他のレビューを見ると、100円なら値段相応であるなどと書かれていたりもするのだが、そもそも他人からお金を取るコンテンツで「料金が安いから」などという理由で手抜きの文章を売りつけるなどあり得ない話だと思ってしまうのだが・・・ちなみに、他のレビューによるとまともに校正もされておらず「です・ます調」が入り混じっているらしい。現在プロアマ問わず多くの人が、かなり質の高い文章や情報をブログやメルマガなどで無料でネット上に掲載していることを考えると、あまり誠実とは言い難いその手法に辟易させられる人も多いのではないだろうか?

 そして、どうやら最後に有料メルマガ(月980円)と勝間塾(月4,800円)の宣伝広告も入っているらしいのだが、これまた、さすがかつて「私は、本を書くための努力よりも売るための努力を5倍行う」と言い切った現実主義的かつ実利主義の勝間和代さんらしいところと言えるだろう。

 その他、内容について触れると、どうやら本の出版において何が一番大事かというところでは、タイトルだと言い切ってるらしい。そりゃあそうだ、本を書くための努力を売るための努力の五分の一しか行わない勝間さんのような人物からすると、
「本の出版において1番大事なのはタイトルなどと言っているのはおかしい!!」
といくら文句を言われたところで、一笑の付して終わるのがオチがせいぜいだろう。

>”1冊でも多くの良書が世に出回ることを心から願っています”って
1冊たりとも良書を世に出してない方から願われても困るのですが.....。


↑このレビューは最後にこのような辛辣な一言で締めくくられているが、一応勝間本を数冊読んできた俺としてはほぼ同意であると言わざるを得ないところである。


 次に見たのはこちら
『アベノミクスで学ぼう、上手に生きるための経済学 (1コインキンドル文庫第4巻)』http://p.tl/Eauj

5つ星のうち 1.0 勝ち馬にのるという愚行 2013/4/10

例によって、メールマガジンをまとめただけの安直なテキストです。
サポートメールであって、メールマガジンではないという方がいますが
同じです。どういう形であれ一度世に出たものの焼き直しです。

これは100円です。6秒でダウンロード出来ました。

ちなみにレ・ミゼラブルは0円、ダウンロード時間は2分弱です。
長ければ良いというものではないが、何と価値の無い100円でしょうか。

「リフレ派祝勝会」などと言って我が世の春の著者ですが、2010/6/24に
「国民の選択勝間の視点」という本を出しております。この本は前年に
民主党が圧勝して政権をとり、翌年大方の予想通り参院選にも大勝した
直前に書かれたものです。著者は「仕分け人」もしておりました。これは
事実です。

ところで「リフレ派祝勝会」って、リフレ派は何に勝ったの????

それがこの低落です。低落というのは私の感想です。往々において勝ち馬に
のるという愚行を普通にやってのける著者ですが、これはあまりにも酷い。

著者は「安倍氏を首相にする会」の発起人だそうです。そういうアピールも
書いてあります。これをどう思いますか?私はこういう人嫌いです、私は。

著者はこのテキストの中で、2009年頃からしつこく民主党の経済政策を
批判したと書いてありますが、

この人この頃民主党の「仕分け人」でした。

しかもこのテキストの中では民主党政権の失敗は「事業仕分け」だったとまで
書いてあります。大事な事なので2回書きますが、

著者は「仕分け人」でした。

かつて世話になったり、利用したりした人に対して手のひらを返すように
攻撃なり批判なりをする人を私は信用出来ません。

電力会社、原子力発電、民主党、事業仕分け、国産バイク、ロングブレス
ダイエット、ゴルフのレッスンプロ、本当にかわいそうです。自分が当事者
だったらと思うといたたまれません。

LEAFはロハだから批判できないと思いますが、いつか批判してテスラが最高!
とか言い出すのでしょうか。提供したメーカーさんの心中お察します。
 
おいおい、誰の賃金が上がって、どこの設備投資が始まっているの?
ごく一部の事象を全体のトレンドのように言うのは良くないでしょう。
まだまだ全体としては停滞ムードからの脱却が進んでおりません。
景気の頭と尻尾のタイムラグを考慮して欲しかったです。自分が頭に居るから
分からないのでしょう。景気の尻尾にあたる人の事などお構いなしです。
ですから、リフレ派祝勝会などと言えるのでしょう。

インフラが脆弱ですか?震災や笹子の事故の後ですから何とでも言えますね。
防波堤作ったってダメですよ、津波は絶対に止められません。海行ったこと
あります?あの場所に立って海を見ると、どんな土木技術者でも無力感に
押しつぶされます。あの場所で海を見て何とか出来ると言える人は無知で
傲慢な人です。インフラについては、本来使われるべきところにお金が
使われていないだけだと思います。つまり維持費の他所への流出です。
そのような使用目的を意図的に間違えたお金のおこぼれを貰う人が、安全な
ところで何を語っても説得力は無く共感もありません。土木の何を知っているのか?

震災の時何していました?ここでは書きませんが、著者はそんなに威張れない
と思います。教習所やネイルやスポクラ、楽しかった〜。はぁ。(後略)


 かつて民主党政権時代に「仕分け人」をやっておきながら、民主党政権の失敗は「事業仕分け」だったとまで書いて平然としていられるのはおろか、自分自身は2009年頃からしつこく民主党の経済政策を批判したなどと得意になって言い出す始末。そして、安倍総裁(当時)が選挙で勝ちそうだと見るや否や、「安倍氏を首相にする会」を発足し、リフレ政策を礼賛し出す。全くもって厚顔無恥であり、このような人物がたとえ一時であっても、時代の寵児として持ちあげられ、現在でものうのうと言論活動を続けている様子を見ると全くもってバカバカしくなってくる。

 もっとも、本の内容の質を高める努力を、本を売る努力の五分の一しか行わないような勝間さんに、言論活動における誠実性を求めるなど、あまりにも酷な要求であろう。

 まあ、せいぜい彼女に期待できるのは、お得意の会計とマーケティングとプランニングの知識と技術を生かして7、もう一度有名人の座に返り咲き、「本のタイトルや売ることよりも、どのような文章を書くかの方が大切だろう!!」と騒ぎ立てる人物を高みから見下ろして、「ふふん、そんな考えだからアナタはいつまでも負け犬なのよ」と鼻で笑い続けてもらう事くらいだろうか?まあ、俺としてはそのような彼女の言論活動いや、もとい言論商売が今後も繁盛するように心からお祈りする次第である。


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2013年05月23日

『自由貿易の罠』(著 中野剛志)を読んで・・・A〜目的と手段の流動的関係性について〜

 以前、書いた記事(『自由貿易の罠』(著 中野剛志)を読んで・・・http://achichiachi.seesaa.net/article/358123496.html)でも紹介したこの本、TPP参加問題が浮上する以前の2009年に書かれた本であるが、現在TPP交渉の動向が注目される中で、自由貿易に対する基本的な考え方について、実にタイムリナーな話題が豊富に含まれている1冊である。時事問題や最新の政治情勢について知りたいと思っている方も、あまり古い本だと思って敬遠せずに、むしろ現代の政治情勢、経済情勢を考えるためにも是非読んでみて欲しい。

 しかし、今回の記事は自由貿易に関する問題がテーマではなく、この本の後半部分のテーマであるプラグマティックな問題解決方法について、この本の内容を参考にしながらアレコレ考察してみたいと思う。

 この場合、政策の目的は政策手段は政策手段を決めるものであるが、政策手段は仮置きの「展望目的」であるため、政策手段の執行の結果次第で、政策目的が変更されうる。政策目的が政策手段を左右すると同時に、政策手段もまた政策目的を左右するのである。
 デューイは、このようなプラグマティズムの政策論を、マルクス主義の計画経済と比較している。マルクス主義では、政策目的はマルクス主義が普遍の真理と信ずる唯物史観が示す社会の実現であり、この政策目的は不動の地位を占める。そして、このマルクス主義の政策目的から演繹的に政策手段が導き出される。それゆえ、いかなる政策手段も政策目的によって正当化されることになる。政策目的を実行した結果次第で、政策目的が変更される事はない。
 例えば、マルクス主義の理想の実現という政策目的に従って、計画経済という政策手段が採用される。そして、この計画経済がどんなに悲惨な結果をもたらしたとしても、政策手段を実現するためもやむを得ない犠牲とみなされるだけであり、政策目的やマルクス主義が反省される事はない。社会主義体制が抑圧的なものとなったのは、このためである。社会主義国の反自由主義的体制の背景には、理論から導き出された政策目的を不動のものとみなし、目的と手段を相互依存的なものとは考えない思考様式があったということだ。
 しかし、目的と手段の完全分離という過ちを犯しているのは、マルクス主義だけではない。すでに見たように、主流派経済学もまた、政策目的と政策手段を相互依存的なものとは考えず、政策が執行された現実社会を見て、政策目的やその理論を変更しようとはしていない。(中略)
 主流派経済学が、プラグマティックな産業政策を正しく理解するのは困難を極めることになるだろう。なぜなら、主流派経済学では、目的は固定的であり、手段は目的の達成度によって評価されるためである。このため、主流派経済学は当初の目的を達成しなかった産業政策には、失敗の烙印を押すだろう。しかし、プラグマティズムにとっては、当初に設定された目的は、現実社会に関する実践的知性を獲得し、問題解決の方法を模索するための手段なのである。そして、当初の政策の失敗によって現実社会に関する知見を得ることや、その知見に基づいて当初の目的に変更を加えることも、問題解決に向けた探求の中の重要な機能である。
 このため、主流派経済学が失敗とみなす産業政策の多くは、プラグマティズムにとっては、決して失敗ではなく、むしろ社会的知性の発展のために必要ですらあるのである。(p185)


 随分長い引用になってしまったが、ここ述べられる政策論の要点は広く、我々の生きる人生を考える上でも参考になるのではないだろうか?などと考えて引用させてもらった。

 中野剛志さんは、この文章で目的と手段が共に流動的に変化し得るプラグマティックな産業政策論と、固定的な目的に対して手段が従属する固定的な政策論とを対比させている。

 世の中に数多く存在する知性に対する定義の中の一つに、「ある目的を達成する能力」というものがあり、この定義について俺自信も含め多くの人はそれほど違和感を覚えることもないであろうが、このような硬直化した目的意識、目的設定は、目的と手段が相互に影響を与え柔軟な関係性を持つプラグマティックな思考を妨げる危険性が存在する。

 目的が硬直化した思考様式においては、目的設定そのものは知性との関係性の中で問われる事はなく、もっぱらその手段にのみ焦点が当てられる。一方、プラグマティックな思考様式においては、ある目的を達成するための手段と同様に、あるいはそれ以上にその手段よって達成させられるべき目的は何であるのか?ということそれ自体が問題となる。

 このような観点から物事を考える時、あまりにもありきたりで無内容に思える
「人生に無駄な事など何もない」
というような言葉も、また違った響きを持つ。

 人は何事かを達成しようと真剣に努力しはからずもそれが挫折した時、深い失望感に囚われる。そして、中にはそれまで行った努力や経験の全てが無駄になったと感じ、自暴自棄になる者もいる。もっとも、かくいう俺自身がまさにそのようなタイプであって、かつてさまざまな物事に挑戦しては挫折し(空手、ネットビジネス etc・・・)、そのたびに、それまで過ごした努力が全て無駄だったように感じ、「ああ、あの時に費やした時間と金と努力をもっと違う事に費やしていたら・・・」と嘆くようなことが多かった。あるいは、誰か友人や恋人等と別れたり、絶縁したりした際にも、それまで過ごした楽しかったハズの時間までもが全て無駄だったように感じなんともやりきれない気分に浸ることがしばしばあったのである。

 このような時に、大抵は今現在取り組んでいる物事に対して、「あれをやって無駄な時間を過ごしていた時期からこれに取り組んでいれば・・・」などと思うことが多いのだが、先に述べたプラグマティックな思考様式からすると、このような考え方は間違っている。

 人間誰しも、自分自身の持つ才能や個性、あるいは長期的な人生の展望などを完璧に捉えることなど不可能なのであって、そもそも最初から自分自身の才能や適性を正確に把握した上で全ての物事を決定することなど不可能なのである。

 だからこそ、「これこそが自分の天性の才能なのだ!!」「俺は自分の生涯をこれに費やすのだ!!」あるいは、「この人こそ自分の運命の人なのだ!!」などと思っても、その後、様々な経験、成功や挫折を体験していく中でその考えが、どうやら見込み違いであったようだ、などと気付くこともある。その時に、ある人はそれにしがみついて人生をメチャクチャにしたり、またある人は心の中でそれに対する執着を断ち切り、新しい目標に向かって進んでいく。

 この新たな目標へと進もうとする決意こそが、ある手段の執行の結果によって目的が変更されるという事なのだが、重要な事は新たな目的を設定するためにはそれに先立ってある手段の執行というプロセスが不可欠であったという事実である。つまり、先に書いたように、硬直的な目的意識に囚われた人間にとっては、ある手段の遂行の結果が思わしくなかった場合、それは単に挫折以外の何物でもないのであるが、目的と手段が相互に影響を与えあうプラグマティックな思考様式にあっては、この手段の執行は新しい目標を設定しそれに向かって突き進むための欠くべからざる必須のプロセスなのである。

 例えば、童話作家として有名なアンデルセンの悲劇の障害においては、数々の失恋と、文学者として挫折の二つが語られる事が多い。しかし、これらを単純な挫折して捉える見方はあまりにも一面的なモノの捉え方であると言わざるを得ないであろう。数々の失恋は彼の作品の表現に深みを与え、そしてなにより文学者としての挫折は彼を童話作家という真の才能へと導いた。

 もちろん、ほとんど全ての人間はアンデルセンのような偉大な才能を隠し持っているワケではないが、まあこのような物事の捉え方は、ある意味では完璧ではあり得ない自分自身の人生の在り方を考える上で、ある種の慰めやホッとした癒しを与えてくれるのではないだろうか?


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2013年05月12日

『サイコパス 秘められた能力』(著 ケヴィン・ダットン 訳 小林由香里)を読んで・・・

 この本は、サイコパス(精神病質者)について解説した本である。無慈悲、大胆不敵、カリスマ的、道徳に無頓着、一点に集中できるといったいくつかの性質によって特徴づけられ、最悪の犯罪者(連続殺人鬼 等)のイメージと結びつけられることも多い一方で、社会的に非常に成功している一部の人間の中にもサイコパスが存在するという事実等、サイコパスの持つ多様な側面とその影響について説明しており、非常に面白い内容の本なのだが、今回はあえて、少しこの本のメインテーマ以外の箇所の記述について解説したい。

 一九五四年、社会学者のウィリアム・H・ホワイトは「集団思考」という言葉で、密接に結びついた集団が外部の影響から切り離され、規範的に「正しい」立場に急速に収斂し、集団全体が批判に対して鈍感になる仕組みを概念化した。集団の外の反対意見に無関心で、集団内部の意見の相違を嫌い、自分たちはまったくもって完璧だとかつてないほど自信満々になるのだ。集団思考の実証的分析の大部分を行った心理学者のアーヴィング・ジャニスは、集団思考のプロセスを「人が結束の強い仲間集団に深くかかわっている場合、成員が全員の合意を求めるあまり、とるべき行動の代替案を現実的に評価しようという気になれない思考様式」と説明している。それは必ずしもいい意志決定をうながすとはかぎらない。

 スペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故がいい例だ。立ち止まることが許されない大きな政治的圧力のもとで(議会は当時、NASAの予算を大幅削減しようとしていた。問題が相次いでチャレンジャー号の発射が延期されていたことも、存在価値をアピールしたいNASAの焦りに拍車をかけた)、NASAの科学者や技術者は、同僚のひとりが発射のわずか二四時間前にブースターロケットのOリングについて懸念を示しても、そろって受けつけなかった。何度か電話会議まで開いてその問題を詳細に話し合ったものの、結論は、あとから振り返れば不可解だが、続行するというものだった。要はさっさと仕事にかかれというわけだ。
 結局は、それが惨事につながった。調査の結果、事故の元凶として浮かび上がったのは、Oリングだけでなく、より感染力があって、癌のように知らないうちに進行する「共犯者」の存在だった。かび臭く息の詰まるような心理状態だ。事故原因究明のためにロナルド・レーガン大統領が設置した特別委員会「ロジャーズ委員会」の発表は、世界じゅうの社会心理学者が口には出さないが抱え続けてきた懸念を裏づけた。それは、NASAの組織文化と意志決定プロセスが悲劇の発生に重要な役割を果たしたというものだ。周囲に同調すべきだという圧力、軽んじられた警告、自分たちは無敵だという感覚以上すべてが関係していたのは一目瞭然だった。(p114)


 これは、以前書いた記事(『民主主義といじめの構造の類似性について・・・』http://achichiachi.seesaa.net/article/355989066.html)とも非常に似た内容であると思う。一部の超人的な精神力の持ち主や、異常な思考の持ち主を除けば、人は皆多数派の意見に寄り添って生きていく。これが、酷くなれば、先の記事で書いたように、多数派が少数派を弾圧するというイジメの構造になるワケだが、それがなくとも、多数派に寄り添おうとする硬直的な思考は、往々にして行き詰る。特に、それが顕著になるのは危機の状況である。

 アインシュタインは、かつて「我々の直面する重要な問題はその問題を作ったときと同じ考えのレベルで解決することはできない」と言ったが、残念なことに、多くの平凡な人間は、往々にして危機的な状況に陥れば陥る程に、まさに「その問題を作ったときと同じ考えのレベル」にしがみつく。なぜなら、その考えのレベルを飛び越えて新しい考えを採用することそれ自体が不確実性を増すからである。新しい考えの妥当性を検討するには膨大な時間と労力がかかる上に、なによりその考え方は皆と違うからだ(ちなみに、この本の中では、このような不安に打ち克ち、皆と違った意見を堂々と主張する事が出来る能力の持ち主としてサイコパスの例を挙げている。サイコパスは、普通の人間と比較して不安やストレスに強いため、このような状況において他者と違った意見を述べる事が出来る)。

 ここに、俺がいわゆる民主主義的な政治的意思決定の欠陥や、議論の不毛さを感じるのである。民主主義的な考え方においては、出来るだけ多くの人間が議論を行い政治的意思決定に関わる事が最良の選択に近づく手段であると考える。しかし、現実には、このシステムはそう上手く作動してくれない。

 多様な意見を集約しながら、議論を行っているつもりが、(それが正しいか、間違っているかに関わらず)結局のところ多数派の意見に段々と集約していき、最終的に、それがどれだけトチ狂った意見であったとしても、一方向に議論は振れていき、皆で間違った方向へと突き進む。さらに、民主主義のような、多数決の人気投票で政治家が決定する制度においては、その傾向はますます顕著となる。なにしろ多数派の支持を得なければ、そもそも政治家になる事すら不可能になるのだから。

 「危機と発想の転換のパラドクス」とでも言うべきか、危機の時ほど、発想の転換が求められるにも関わらず、現実には危機による不安や恐怖が、多くの人々の考えを硬直化させ、ますます発想の転換を困難にする。それのような状況においては、少数の天才的な能力と精神力の持ち主が危機を打破する思想的大転換を果たすか、もしくは、その民族全体が衰退していくかの二択を迫られる。


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2013年05月01日

『自由貿易の罠』(著 中野剛志)を読んで・・・

 この『自由貿易の罠』は、TPP問題が起こり、中野剛志ブームのような現象が発生する前に書かれた1冊。『TPP亡国論』で書かれていた内容の理論的骨子であると言ってよいが、『TPP亡国論』ではTPPの内容や、過去にこれまでアメリカが結んできた貿易協定、経済連携協定について非常に具体的に書かれていたが、この本では、より根本的に、そもそも関税を出来る限り引き下げ、国境間の障壁を取り除きヒト、モノ、カネの移動をより容易にする事をほぼ無条件に良しとする自由貿易の考え方そのものに疑問を呈している。

 そういった意味では、同じように保守系に属しながらTPPに反対している上念司、倉山満両氏と、中野剛志さんとの自由貿易やTPPに対する考え方の違いが分かって面白い。同じTPP反対派でも、中野剛志さんと、上念、倉山両氏のTPPに対する考え方は全く違う、両氏は基本的に自由貿易は望ましいと考えながら、TPPに関しては、その条約や交渉の内容が劣悪であるために反対するべきだ、という論調であるのに対し、中野剛志さんは、いかなる状況でも自由貿易は正しいと考える主流派経済学の研究者が陥りがちなドグマそのものに疑問を呈している。

 本書は、保護貿易について論じて欲しいという、青山社の今岡雅衣子さんからの依頼を受けて、書かれたものである。保護主義については以前から関心があったが、正直に告白すれば、一冊のまとまった本として論ずることが出来るか否かは、依頼を受けた時点では自信がなかった
 しかし、実際に検討を開始してみると、保護主義を説得的に擁護できる議論が、予想以上に存在することが分かった。逆に、自由貿易の原則を信じるに足る理論的根拠は、ついに見つからなかった。
(あとがき より)


 TPP反対派の人の中には、「どちらも反対はなんだから別に良いじゃないか」という人もいるが、一見微妙に見えるこのような差異は、今回の安倍さんの交渉参加表明に対しての姿勢にその違いがはっきり出たと思って良いだろう。結局のところ、上念、倉山両氏のような、基本的に自由貿易礼賛の主流派経済学のドグマに寄り添った思考では、TPPなど数ある外交交渉上の細かな案件の一つに過ぎないという認識しか不可能なのだ。

 このような認識のもと、彼等は、現在のところおおむね上手くいっている(ように表面上見える)安倍政権の政権運営に対し、強烈な批判を加える論者に対し、「偽装コミンテルン」だの「シナポチスパイ」(「偽装コミンテルン」「シナポチスパイ」の具体的な意味内容についてはよく分からないし、ハッキリ言って知ろうとも思わない)だのと様々なレッテル貼りを行っているが、残念ながら(?)俺には、両者の主張を比較してみたところ、彼らより、安倍政権の批判者により分があるように思われる。

 その根拠の一つは、TPP参加に対する批判であり、さらにこの世界的な経済危機の状況において、一切の貿易その他経済的、社会的な悪影響に対する障壁を撤廃することに対しての警戒心の無さであり、そして、もう一つは、上念倉山両氏が、実体経済と、金融経済の両者を区別せず、どちらの経済の拡大をも、GDPの拡大であるとして一緒くたにまとめてしまっているように見える点である。

 言うまでもなく、現在のアベノミクス景気は、金融経済の肥大化であり、実体経済にその影響は未だほとんどない、つまり、公平な視点においては、まだその効果は不確定であるとして、判断を保留にするのがフェアであると思うのだが、金融経済の肥大化と実体経済を一緒くたにGDPの拡大、資産価値の拡大と解釈するなら、現状分析は、
「せっかく、非常に上手くいっている安倍政権の運営を、ほとんど無意味な批判をする事で足を引っ張ったり、保守の分断を図っている馬鹿がいる!!」
というものにならざるを得ないだろう。

 結局のところ、彼等は論点の数が足りないのだ。いや、足りないというのは不適切な表現かもしれない、彼等は物価の推移に対しては過剰なまでに厳密な定義付けを行い、非常に細分化して分類する事で、やたらと細かい(しかし、残念ながら俺にはあまり重要であるようには思えない)論点を数多く持ち出してくる。なので、より正確には、彼等は非常に重要な論点のいくつかを見落とす(あるいはあえて目隠しをする)事で、あまり適切とは言い難い判断を下してしまっている(ように少なくとも俺には見える)。

 この表現すら不適切ならば、歪なカタチに歪んだ眼鏡を通して安倍政権の運営を眺めている。重要な論点は彼等には小さく見え、それほど大した重要性を持たない論点を非現実的なまでに拡大して見せる事で、ちょっとした事で大騒ぎしてガキのように大絶賛してみせる。

しかし、残念なことに、彼等が、取るに足らないことに喜んで馬鹿騒ぎしているあいだに、その歪な眼鏡によって非常に小さく見ていた、あるいは視界に入ってすらいなかった、それでも非常に深刻な問題は着々と深刻化し、今や取り返しのつかないところにまで来ようとしている。

「安倍政権は、このままでは取り返しのつかない過ちを起こすぞ!!」
と警鐘を鳴らす論者に対し、彼等は、浮かれていたところに冷水を浴びせられたような気分になりながら、非難を繰り返す。

 どうにも、下らないし、「バカバカしくて、不毛だなぁ・・・」と感じつつも、このような下らない出来事が、現実に一定の影響を与えてしまう。逆にいえば、現実は、これほど下らない出来事に影響を受けてしまうという事実に、俺個人としては、どうにもうんざりさせられるのである。


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