民富論D

今回の記事に副題をつけるとしたら、
「誰も不思議に思わない「貯蓄はなぜ可能か」」
となる(まあ、これも例の本の章題なのだが・・・)

「すべての企業が儲け、かつすべての個人が貯蓄を増やすには条件があります。しかし、多くの人は、まじめに働けばおのずと儲かり、節約すれば必ず貯金できると思い込んでいます。経済入門書にも、儲けと貯蓄の仕掛けを簡明に説明した例を見たことがありません。「貯蓄はなぜ可能か」という素人的かつ基本的視点が欠落しています。(中略)
@なぜ企業は儲かるか?それは消費者に原価より高く売るから
Aなぜ消費者は貯蓄できるか?それは給料より少なく買うから
しかし、この2項は矛盾します。共に相手から余分のカネを得るつもりです。これで儲けと貯蓄が同時に成立することは不可能です。」(『日本を滅ぼす経済学の錯覚』堂免信義)

日本人の多くは給与所得者であり、給与所得者が貯蓄するには支出を給与所得より少なくしなければならない。一方、給与は企業の売上かあら支給される。
売上の一部から支給される給与の、さらに(貯蓄を除いた)一部しか消費に回らないとすると、企業の売上は減り、給与の支払いも減ることになり、継続的貯蓄は不可能になる。

企業間の取引においても、全企業が原価に利益を上乗せして販売するなら、その金額は誰かが負担しなくてはならない。原価分のカネは企業から外に流れているので、原価で誰かが買ってくれる可能性はあるが、利益分の金額は最終的には消費者が負担しなくてはならない。ところが、その消費者の多くは企業から給与を支給されている。ここに矛盾が存在ると堂免氏は指摘する。

「一般にいって、いわゆる働き盛りといわれる年齢の人は、一生懸命働いて貯蓄します。(中略)このため、働き盛りの人がたくさんいる社会は貯蓄がたくさんあることになります」(『竹中教授のみんなの経済学』竹中平蔵)

この文章を引用し堂免氏は「著者は貯蓄がなぜ可能であるかについて疑念を抱いていないようにみえます。」とやんわりと批判している(何故か堂免氏はこの竹中平蔵の文章を何度も引用しては批判を繰り返している、おそらく嫌いなのだろう・・・)。

以前書いた記事(http://achichiachi.seesaa.net/article/102177147.html)に示したように、単純な商品のやりとりだけでは、社会のカネの量は増えないし、個人の自発的な意思による自発貯蓄は経済を縮小させると説明した。

しかし、現実に日本人は延々と貯蓄してきた。ではいったいこの貯蓄の源泉は何なのだろうか?その答えを堂免氏はこのように説明する。

「企業の儲けと個人の貯蓄は成立しません。個人が貯蓄すれば、企業は赤字になります。個人貯蓄ゼロでも企業の儲けの合計はゼロです。ある企業が巨額の利益を上げれば、多くの企業が赤字になるのです。全企業が黒字になるためには個人の貯蓄を取り崩す必要があります。要するに、誰かが儲かれば、その分誰かが損するのです。(中略)
ところが、赤字企業が1社もなく、個人も貯蓄を減らさず、全企業が儲ける方法があります。それが投資です。(中略)
ある企業、たとえばA社が過去に蓄積した資金または銀行からの借入金を利用し、100億円のビルを建てるとします。ビル建設に必要な技術、資材、労力はすべてこの社会内部で調達可能とします。これが重要な前提です。
ビル建設にかかった費用は、期首早々の設計開始から、A社から社会に流れていき、A社以外の社会の貨幣残高が少しずつ増えていきます。期末直前に完成したとすると、A社以外の社会全体では、
期末の貨幣残高−期首の貨幣残高=100億円
となり、これが企業貯蓄と個人貯蓄に分配されます。すなわち、
企業貯蓄+個人貯蓄=100億円
が成立するのです。この100億円は、どう使われても社会の中を移動するだけであり、消滅することなく誰かの貯蓄になります。
この式は、社会に100億円分の富が増えたことを意味します。」(前掲書)

つまり、めちゃくちゃ簡単に説明すると、A社からはビルの建設費の100億円のお金が出ていくが、100億円分のビル(資産)が新たに手に入るので、A社の富の量は変わらない、しかし、A社の使った100億円はA社の属する社会に分配されるので、社会全体で見て100億円の富が生み出されたことになる。

そしてこの100億円こそが貯蓄の供給元であるということである。


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posted by TAKA at 01:48 | Comment(2) | TrackBack(0) | その他