今回は、今読み途中の『問題は躁なんです 正常と異常のあいだ』(春日武彦 著)という本の感想。
現在書店の
健康、医学の
コーナーに行くとこれでもかというほどに大量に鬱に関する
書籍が並んでいる。現在では誰もがある程度の知識と理解を持っている鬱に対して躁についてはあまり知られていない。そのあまり知られていない躁に関する本である。
精神科医であるこの本の著者は精神病(もしくはもう少し軽度の精神疾患)の原因の一つとして
ストレス状態に対する防御反応というものを挙げている。そのように考えた時に、躁というものは鬱状態になっても解決不能なより多大なストレスに対する防御反応として表れてくるのではないかという。つまり、簡単に言ってしまえば鬱より躁の方が深刻な精神疾患であるということ。
その根拠は詳しくは説明しないが人間ストレスに対する反応は躁よりも鬱の方が自然なのではないかということ、このあたりは文中それほど詳しく書かれておらず根拠もいまいちあいまいであった。
ところで、俺が以前からブログでも何度か書いている
スーパーサイヤ人というのは、いわゆるこの躁状態に非常に近い、もう少し正確には躁状態を意識的に作り出すこと、理想を言えば躁状態を継続させること、さらにはそれを特に優れた一部の人間だけでなく普通の人間でも可能にする
メソッドについて研究しているのだが、残念ながら未だその答えは見つからない。おそらく見つけるのは不可能なのではないかという思いを抱きながらも未だ研究を続けている。
で、まあこの本の中に興味深い文があったので引用してみる
「軽躁的な人生は、「躁」から覚めない限りはなかなか楽しいものだと思う。ただし金銭的に逼迫してくれば、どうしても覚醒を促される。ポール・Nはハイジャックを以って「しらふ」に戻ることを拒否し、しかし結局は刑務所で我に返ることになった。躁のまま人生を逃げ切るのは至難の業と思われる」
ここで書かれているポール・Nという人物は戦後アメリカの映画界ででマネージャー等で活躍した日本人である。後に業界で干され様々な詐欺行為をはたらきながら生計を立てていた。軽躁的な人物の(非常に派手な)例の一つとして紹介されていた。
「こんな大きな仕事の話があるんだ」
「じつは何々って女優と寝ちまったんだよ」
様々なほらを吹きまくって派手で豪勢な暮らしをしていたが、最終的には金も運も尽きヤケになってハイジャックをして男である(何故かこの本にはやたらハイジャック犯の話が出てくる)。
「ただし金銭的に逼迫してくれば、どうしても覚醒を促される。」
もし仮に躁状態がただ純粋に明るく楽しくハイな状態だとするなら、その状態は悪くないかもしれない(筆者は実際にそうではないと考えている)、もしそうだとしても躁状態に付随しやすい悪い性質もいくつか存在する、金銭に対するルーズさや、一つのことに打ち込む根気強さ、特定の作業、行為を完成させる持続的な意思等の欠如である。
躁状態の人間は一見非常にエネルギッシュに見えるが、一般的に飽きっぽい傾向があり、一つのことを完遂する意志の強さに欠けることが多い 、そのためにエネルギッシュでありながらも何事も大成せずに終わることがほとんどである(別に躁でない人間と
比較して大成しにくいと言っているワケではなく、非常にエネルギッシュな割には集中力に欠け結果的にそれほど成功しやすくもならないという意味である)。
もう一つ、躁状態にある人間は金銭的に破綻し易いということ、何故か?簡単な原因をいくつか挙げると世俗的な欲求が強すぎるために見栄やのために使うお金が多すぎるということ、同じく世俗的な欲求が大きすぎるために自分の身の丈に合わない大きな事業を成し遂げようとすること、飽きっぽいために地道な仕事を継続しにくいこと等だろう。
とにもかくにも、一定以上の躁的な傾向は人生を破綻させやすくする 。
調子の良い時は気分上々であっても、ほとんどの場合自分の人生がどうにもいかなくなっていることに気づくと同時に夢見心地から現実に引き戻されることになる。
「人生の破綻とは何か?」
とは、一言で言えば
「個人の経済的破綻」
である。現代であればよほど特殊な状況を除いて、金さえあれば衣食住は満たされる。であるならば、根気や集中力を必要とする作業(多くの場合仕事)から完全に解放されストレスと無縁でありながら、ほぼ確実に経済的に破綻しないような生活であれば、一生躁状態のままでいられるのだろうか。
実際に分からないが、俺はこの答えは「イエス」なのではないかと思う。 ところでこの 「根気や集中力を必要とする作業(多くの場合仕事)から完全に解放されストレスと無縁でありながら、ほぼ確実に経済的に破綻しないような生活」 というような状況はあり得るのだろうか?
その答えもイエスと言えるかもしれない。「金持ち父さん貧乏父さん」を書いたロバート・キヨサキの提唱する経済的自由というのはまさにそのことである。
そのような状況にある人物の例としてネットワークビジネスで大成功した人物にいつて考えてみる。 ネットワークビジネスは自分のグループの規模が一定以上の大きさになればほぼ何もしなくても金が継続的に入ってくる。
そして、ニューウェイズやアムウェイのような大手企業であれば、
倒産のリスクも低いだろう。となると一定以上の規模の組織を作ってしまえばかなりの額の不労所得が確保されることになる(ただし、もちろん永遠に収入が保証されるわけではない)。
この段階においては、通常では人生を破滅させかねないような躁状態においても経済的破綻を逃れることができる。見栄のための浪費も、事業の失敗における金銭的損失も不労所得がカバーしてくれる。巨額の収入と浪費が精神的高揚つまり躁状態を招くかもしれないし、経済的破綻により現実に引き戻されることもない。ネットワークビジネスで成功した後に
セミナー、講演、執筆等で活躍する人間の多くに感じる薄っぺらさのようなものの背景はこの躁状態にあるのではないかと思う。
躁状態においては、普通の人が
「そんなの何回も本で読んだり聞いたりしたよ」
というようなありきたりな情報でも、まるで世界で最も重要な秘密であるかのように喜々として話すことがある。話している当人にとってはありきたりな話ではないのだろう。
ネットワークビジネスで成功した人間にセミナー屋が多い理由の一つはこの躁状態ではないだろうか?例えば、何か外から得た知識があれば
「自分はこのメッセージをより広く普及させ、世の中をより良くしよう。それが自分の使命だ」
と思うかもしれないし、自らの思索の末に得た思想であればまるでそれが天啓であり自分を神の代理人のように感じるかもしれない。
周りの人の中にも、一見非常に元気でエネルギッシュな躁状態の人を見て魅力を感じるかもしれない。何しろセミナーも儲かる
ビジネスの一つである。金が入り、ファンは神のように崇めてくるさらに躁の状態が強化される条件が整う。
セミナー屋、自己啓発屋はこう言う
「私の教えに従えば、私のように明るく楽しい豊かで健康的な生活が送れるようになります」
実際には、天性の躁的性質に加え、躁状態の継続が許されるような環境に置かれているに過ぎないということも多い。
なんだかまとまりの無い文章になってしまったが、セミナー屋の躁的性質と、躁状態と環境との関係性について書いてみた。
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