保守見習い補佐代理心得・・・

 前回の記事(『日本再興のためにどうすればいいのか?』http://achichiachi.seesaa.net/article/249092154.html)で、なかなか面白いコメントをいただいたので、俺の回答と合わせて紹介してみたい。


↓コメントはこちら


>はじめまして、中々面白そうな話を書いているなと思ってこの記事を読ませていただきました。私は名前の通り海外在住なのですが、その点から思ったことを書かせて頂きます。
私が思ったことというのは管理人さんの言うことはある種正しいけども、少なくとも時代の流れにはそぐわないことになっているということです。
理由を書かせていただきます。それは一言で言うなら世界規模で「個人の力が容易に生かされる環境」が生まれてきているからです。中途半端な説明ですが、ある程度優秀な人材であればその人の国籍がある国で仕事を探すよりも海外で仕事を探したほうがやりがいのあり、経験もつめる仕事が簡単に見つかるということです。
以前ならば日本だけの話でも世界を又に駆ける人材というは研究者でもごく一部、普通の仕事をする人なら商社マンくらいでしたが、今は簡単に仕事が世界にわたっています。そう規模の話が世界全体で起こっており優秀な人材が気軽に海外に移動するという時代がやってきているということです。
その視点で考えると、「皇室」であるとか「日本を憂いる気持ち」というのは日本人として非常に共感は出来るでのですが、あまり意味がないと思っています。なぜならその論法は日本という国をサイズでみた全体論にすぎず、そういったものが重視される時代ではなくなりつつあるならばあまり意味がありません。
その点から伺います。管理人さんに質問したいのですがなぜそこまで日本に拘る必要があるのでしょうか?日本が多くの問題を抱え悩ましい国であるのは事実ですがならばより良い環境を自分で作り出したり、または探す為に外に出るという方法の方が最近は健全かつ現実的だと思います。それほどまでに世界規模では「個人の力が容易に生かされる環境」が生まれてきています。
少なくとも最近私はあまり日本という国そのものに関しては仕事上の理由、自分の能力(日本語が使える)という以上の意味で関心がなくなりつつあります。
そんな中で国策として又は精神論として日本人のアイデンティティを追求する理由をよければ教えてください。
Posted by 海外在住の怠け者 at 2012年01月30日 01:55


↓そして、俺の回答

>>海外在住の怠け者 さん
 そうですね、結構難しいというか保守的な思想を考える上で根本的かつ本質的な質問だと思います。

 まず、第一に言いたい事は海外在住の怠け者さんは現実に「日本より良い環境があるから日本を出る」という考えを実際に実行した方だという事です。正直言ってこのような方を批判するつもりは一切ありません。もちろん、日本を思う気持ちを大事にして欲しいとは思いますが、それ以上の事を求めたり、非難したりすることは不可能です。

 しかし、現実には日本国内で先人たちの築き上げたインフラや安定した社会的、経済的システムなどの恩恵を被りながらも、バカみたいに
「日本はダメだ!!」
と言い続けるキチガイ言論人やら、公務員でありながら、日の丸、君が代に反対するバカが日本には大勢います。このような人間を非難する事は道理に適うのではないでしょうか?

 それから、もう一つには東北の復興を例にしますが、例えばこれまで(というか今でも・・・)散々に海外の活力を取り入れるんだ!!と言って海外から人間や資本を取り入れてきました。しかし、現実には東北の震災後にそういったグローバルに移動する資本や人材はあっという間に逃げていってしまいました。このような状況で復興を成し遂げるのには必要なのは、むしろグローバルに身動きが取れない、地元に職場や住居を持つ人間であったり、この地から離れたくないというようなそういうその地にとどまる他ないような人間の発揮する
「自分達の地域をもう一度立て直すんだ!!」
という活力のようなものだと思っています。

 もちろん、海外在住の怠け者のような国家の枠に縛られず自分の力のみで運命を切り開くような生き方を支えるのも活力だと思っていますが、また同時に自分の生まれたこの国を宿命のように受け入れて、
「なんとか少しでもこの国を良くしよう。そしてこの地で自己実現を可能にする生き方を目指そう!!」
という気概もまた活力の源であり、当然
「どちらが大切か?」
といえば、それを判断するのは個人の自由です。しかし、戦後に行われたこの国の教育や、この国家の全体的な価値観があまりにも後者の活力を軽視し過ぎたのではないだろうか?というのが私の考えなのです。

「最近の若者は活気が無い!!」
なんて、いう年配の方などは沢山います、
「うるせーよ、お前らが生きてきた時代とは全く状況の厳しさが違うんだよ!!」
と言い返したく気持ちがある半面、確かに、現在の若者の無気力は本気で取り組まなければならない問題であるのは確かです。それで、それで古くからある伝統的な価値観の中にも、まあそんな問題を解決するヒントの一つになるかなぁと思っているというのが、一つの回答です。

 他にもまあ色々理由はあるんですけど、参考になればと思って、このような回答をさせていただきました。
Posted by 管理人 at 2012年01月30日 03:01


 なんというか、一応回答した後に思った事は・・・
「こんなに簡単に知ったような調子で回答していいのか?!」
という事。基本的には中野剛志さんの「忠国心」という思想をもとに考えた回答だが、そもそも、こんな本質的な問いを簡単にまとめてしまっていいのだろうか?



中野剛志「私も、先ほどから出てますように、『さようなら戦後保守』だと、また表現者スペシャルだったっていうので、そういった話をちょっと考えてたもんですから、それを申し上げますと、あの、私は一応表現者にも書いてありますし保守を目指していると、で、保守っていうのは私にとってどういうイメージかというと、簡単に言うとですね「経験を積んだ大人の知恵」みたいな、そういうイメージなんですね。で、そうなりたいと。

 で、私はまだ、そんな年いってないのでですね、あの、保守見習いなんですね(笑)だから、もうちょっと加齢臭が出ないと、ああ、すいません(笑)あの「保守になれないな」と。で、それが何かっていうと、人間も社会もすごく複雑、そのわりには人間の能力には限界がある。特に理性には限界があるから、色々試行錯誤で経験を積んで、やっと、大人になって「ああ、こうだったのか!!」と分かるものがある、それを身につけたいっていう、単純に言うとそんなイメージなんですね。

 そうすると、保守の人っていうのは、実際に保守と言われる立派な先人たちは日本でも外国でもそうですけど、もう卓越している。一回読んだだけでは、もう全部理解できなくて、歳取ってもう一回読み直すと、また分かるみたいなですね、超一流の人しかいないんですね。メチャクチャ頭が良くて色んな経験を積んでて表現力が豊かと、これが保守だとするとですね、なんか日本に保守って言ってる人は多すぎる。ちょっとあまりにも多すぎるってのが問題で、そんな簡単に沢山出てきてもらっちゃ困るんですね。

 靖国参拝をしたから保守だとか、日教組と対決してるから保守だとかですね、それは「保守」じゃなくて「馬鹿」なんですよね。で、単純な理屈を繰り返すマッチョで自己愛的なバカがですね、保守って呼ばれてるのが・・・私一応、保守になりたいと思ってるので、そういう人たちが保守って言われてるのが、物凄く嫌だと、で、別にあの媚を売ってるワケじゃないんですけど、そういう意味では保守っていうのはやはり老人が保守であるべきで、若い時結構やんちゃだった人でも、歳取ってくると、段々面白くなってくる。

 だから、保守っていうのは老人のもので、若者は革新なんですが、この国ではですね、なんか老人のくせに若作りして「改革」とかですね、まああの、寺脇先生とかいらっしゃるから役人で言うと、いい歳こいて脱藩官僚の会とか、そういうガキみたいな連中がいっぱいいるんですね。それが物凄く嫌だと・・・イメージとしてはそういう感じで考えてます」


↑またまた、書き起こしなのだが、上のような考えは一応まがりなりにも武術をやっている身としては物凄く理解の出来る話で、普通は武術をやっている人間でも自分の事を「武術家だ!!」と堂々と言う人間はあまりいない。

 例えば老人の武術家なんかが、他の武術家を称して「真の武術家」なんて事を言う場合の武術家ってのは達人クラスの技術とその技術に見合うような高潔な人格なんかを備えた人物の事を言うのであるが、中野剛志さんにとっての保守思想家ってのは多分そういうレベルの重みを持っているのだろうと思う。

 俺は非常に中野剛志さんの事を尊敬しているが、それでもこの人は自分は「保守見習い」であると・・・では一体俺は?バカ保守か?うーむ・・・まあ自分をバカ保守というのはあまりにも自虐が過ぎるので・・・「保守見習い補佐代理心得」とでもしておくか・・・

 まあ、そんな事を考えつつ、先の問いの回答について考えるなら、「国家とは?」などという類に近いこのような質問はまさに保守思想の核心をつく問いの一つであって、まあ、一応現時点で説明できる範囲で答えたとしても、結局保守というものを目指すのであれば、一生考え抜く必要のある問いなのではないか?そんな風に思ったわけである・・・


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posted by TAKA at 04:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他

日本再興のためにどうすればいいのか?

 今回も、中野剛志さんの討論での発言の書き起こしから。この発言を行った当時は震災からわずか一カ月後の発言だが、震災から現在に至るまでの一連の世論の流れを恐ろしい程正確に言い当てている・・・



「私はこの震災は、実は・・・こんなところで言ってもアレなんですけど、かなり精神的に私自身ショックを受けまして、それは何がショックかというと非常に日本の運命をマズイ方向に・・・もともと行ってたんですけどダメ押しになってしまったと。

 私は、あの、そういう意味では今日の皆様方の中では一番悲観的でありまして、物凄い危機感を持っております。それに比べてですね、自分が、まあしょうがないんですけど若輩の口舌の徒だっていうのがですね非常に、その、虚しいというかですね、それが一番強いですね。あの水島社長は行動派ですので、非常に行動されてるんですけど、私はそういう事も出来ないですし、で、非常にまずい方向に日本が行くと思ってるんです。

 で、それを簡単に申し上げますと、今日諸先輩方がおっしゃった日本の底力、団結力、それから復興に向けての契機となす可能性については、全く私もそれは思いました。思うんですけれども、なおかつそういう意味じゃ日本人のポテンシャルや客観条件、経済的な条件、田村先生や藤井先生がいつもおっしゃってるような国債の問題とかも含めて、かなり良い復興へのチャンスの条件はある、客観的にはあるんです。だけれども、客観的な条件や日本人の特質を生かすのは、政治であったり、その政治の背景にあるイデオロギーでありますが、これがデタラメなんですね。だから、その客観的条件は生かせないだろう、って思うわけです。

 一つ、やっぱり一番思うのはですね、今回先ほどから出ましたように日本人の団結力とか示されたわけです。でも大石先生がおっしゃってましたけれど、これまではどちらかというとその、国家とか国民の団結力を軽視する方向に来てたわけですね。それどころか、こうだったワケですよ。構造改革から平成の開国に至るまでの基本的な精神的な、その流れというのは、日本はもう少子高齢化で成熟社会で人口減少で衰退するんだから内需はもうないので、外需を取りに出て、国際的にもっと打って出て、で、海外の活力、アジアの活力を国内に取り入れていかなきゃいけない。こういう論調でずっと来てそれに誰も反対しないで、あ、私は反対しましたけど、皆で賛成したわけですよ。

 それがですね、今回地震で、でも実際には逆の事が起きてるわけですね。地震が起きて海外から取り入れるマネーとかですね。そういった人材とかってのは皆逃げてってるワケですよ。もちろん金が来てますけど、あれ投機マネーですからね。したがって、こういった、その国の危機になった時は、その国境を軽々と越えるグローバルな人やモノほどですね、軽々と逃げてっちゃうんですよ。むしろ、逃げられない人が「自分の、この国をどうにかしなきゃいけない!!」って立ち上がるところに活力が出てくる、で、そういったところが結局団結なんですけど、それを逆の方向にずーっと来てたわけですね。

 それを、つい最近まで、地震の起きる前日までですよ?それを皆で賛成してたワケですよね。で、地震が起きて、一瞬ですね、それと逆の方向を見せられたと、で、見せられてそれを称賛してそれを本当に反省するんだったら、構造改革から平成の開国までを全部反省するなら契機になりますよ。だけど、そんな可能性はあるかどうか分からないですよ。どうしてかって言うと、今の被害を見て一瞬そう思っただけで、思想的な一貫性を求めないで単に精神分裂していて、地震がひと段落したら、また平成の開国みたいな事を言いだすか、あるいは偽善ですよ。その可能性があるので私はですね、あの、そこまで根本的に考え方を直すのであれば、いいんだけれども分からないと思う。

 で、実際直らない可能性ってのがあって、何故か?証拠があるんですよ。1995年に阪神淡路大震災があったわけですよね。ところが、その後じゃないですか、構造改革の流れが加速し、それで金融危機になったら、小泉内閣になって、もっと加速し、それからリーマンショックが起きたら今度は政権交代やって、で尖閣の問題とか色々ヤバい問題が起きて、こうやって危機が起きれば起きるほどもっと加速してるんですね。

 今回のこの地震も危機ですよ。だけれども、今までずっと加速してきたと、もしここで日本人の良さとか団結力で反省して変える、良くする転機になるんだったら、阪神淡路の時どうして変わってなかったんだ?って、逆なんですよね、そのところを相当考えたいと思いますね。」

↑結構長い書き起こしになってしまったが、ここで重要な論点を簡単に整理すると

1 日本は復興を成し遂げるための経済的条件や技術的条件等の客観的条件は非常に良いものを持っている
2 しかし、そのような有利な客観条件を現実に生かすのは政治や、その政治の背景にあるイデオロギーであり、日本はそこの部分がデタラメである
3 よって、日本はこの有利な客観条件を生かせないであろう
4 すでに、それは1995年の阪神淡路大震災以降の危機に対応により経験的に実証されている

このように問題点を整理した時に、まず考えなくてはいけないのは「何をするべきか?」ではなく「何をしないべきか?」が重要なのではないかと思う、何故なら、てんでデタラメになっている政治やイデオロギーの面を一瞬で魔法のように良い方向に持っていくのは困難であり、まずは一つ一つ問題点を整理しながら、何が間違っていたのか?をしっかりと検討する必要があると考えられるからである。

 そこで、当然最初の出発点として問題整理を行うにあたって、客観条件を生かす事を邪魔している政治や、そのイデオロギーとは何か?について今後検討していきたいと思う。

 しかし、今回はそのような問題意識や問いから少し視点を変えて、あえて、今現在の状況から過去を振り返った時、「一体、日本国家はどうすべきだったのか?」という問題について考えてみたいと思う。

 最近このブログで、書いているように現在の日本の問題点は政府の実行する政策の問題でありながら、やはりその根底にあるのは日本人の精神と知性の劣化であると俺は考えている。そこをどう立て直すかと考えた時に、参考になると俺が思っているのが戦前、戦中派の日本人が書いたいくつかの唄なのである


 人知れず海の藻屑と消ゆるとも国の為にはおしまざりけり 相川清司

 これは相川清司という20歳の青年が特攻隊として出撃する直前に残した唄である。実はこの唄は以前書いた記事(『政治家に求める資質とは?』http://achichiachi.seesaa.net/article/155919539.html)でも紹介したのだが、小林よしのりの書いた『いわゆるA級戦犯―ゴー宣SPECIAL』で紹介されているのを見た時はえらく感動したものである(もっともそれを紹介した小林よしのりはとんでもなく落ちぶれてしまったのは残念極まりないがw)。

 国の為ならば、自分の命も名誉すらも一切惜しくない。このような境地に達するまでには様々な疑念や葛藤もあったことだろう。全く無いのであれば、もうそれは血の通った人間ではなくサイボーグかフランケンシュタインと同じである。彼らの中には、出撃の前に酒におぼれ、自暴自棄になり、自分にこのような運命を強要する国家を憎み、それを口にした者もいるのかもしれない。しかし、彼らの多くはそのような苦悩や葛藤を乗り越え、他者の為に自らの生命すらも捧げるという人類史上もっとも至高の価値を体現したと思っている。かつて坂口安吾という小説家は、
「特攻隊には戦略的問題も、道義的問題も確かに存在しただろう。しかし、もし彼らの精神性までをも疑い否定するならば、戦後の日本に先は無いであろう・・・」
といった趣旨の事を書いたという。では、果たして戦後の日本人は彼らを国の為に尽くした英雄であると評価したであろうか?多くの戦後日本人が、彼らを国家権力と運命に翻弄された哀れな犠牲者としてしか評価しなかったのではないだろうか?そのような事をよくよく考えておきたいのである・・・


 願わくは 御国の末の 栄え行き 我が名さけすむ 人の多きを 重光葵

 第二次大戦の最後、日本の降伏文書に調印した重光葵は当時の心境を表したこのような短歌を残した。これもどうやら以前に書いたブログ記事で紹介していたようで(『反日売国ジャーナリスト「田原総一郎」を許すな!!』http://achichiachi.seesaa.net/article/159677945.html)まあ今から読み返すと、俺は当時から相変わらず色々な事に憤りを感じていたのだなぁというのが分かるw

>いつか再び日本が繁栄し降伏文書などにサインした自分の名をさげすむ人が多くなることを願う。ここまでの覚悟で重光葵は降伏文書にサインしたのだ。当時の日本は日清、日露、第一次大戦と、連勝を重ね、第二次大戦は国家としては初の敗北を意味した。この初の敗北時に降伏文章にサインする事は軍人、あるいは政治家としてこれ以上ない汚名を残すこととなる。そのような状態の中で悲痛な思いで調印を行ったのが重光葵なのである

 果たして、これほど真摯な思いで政治を行う政治家は現在存在するのであろうか?


 よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ

 (意味 四方の海にある国々は皆兄弟姉妹と思う世に なぜ波風が騒ぎ立てるのであろう)

最後に、これは明治天皇の御製であるが、昭和天皇は対米戦争決定の御前会議で奉唱されたのである。このような精神は今のような危機の時代にこそ真に必要とされるものなのではないかと俺は考えている。以前、チャンネル桜の討論で水島社長が
「皇室を護持されている事が日本が残している希望である 天皇のもとでの家族のような国家こそが日本のあるべき姿である」
と言い、それに対して、中野剛志さんが
「皇室にそこまで期待するのは失礼である、皇室は偉大なものであるが、それは日本人の努力によって護り継いでいくべきものだ!!」
と答えた。中野剛志さんの主張が完全に正しい事を認めつつも、俺はやはり社長の主張ももっともであると考えていて、今現在の日本の問題を考えた時に、社長が言うのような「皇室を中心とした家族のような国家」というものを実現することが出来れば、ほとんどの事が実現できるのではないかと思っている。中野剛志さんは財源論などという下らない議論を延々続け、遅々として復興が進まない状況を嘆いているが、仮に先のような国家を実現すればそのなバカバカしい事態に陥る事はまずないだろう。自分の家族や兄弟が大けがを負った時に、最初に財布と相談するバカはいないし、怪我をする前に戻すだけではダメで、どのような治療方法が最も創造的回復の為にベストであるかなどと本気で議論するバカもいない、とにかく医者に頼んで急いで処置してもらうだけである。

 さらに、経団連の問題などもそうで、自分達のビジネスが行いやすくなるために、国民の要求に逆らってでも特定の政策を行うよう政府に圧力をかけるなど言語道断である。ビジネスとは、与えられたルールや条件の中で可能な限り、利益を求めたり、価値を創造することが目的であり、そこで定められた条件が気に入らなければご退場いただくのが筋である(そもそも「グローバルに人モノ金を動かせるようにするべきだ!!」という主張と、なんとかして国内でビジネスがし易くなるように必死になって政府に圧力を掛ける経団連の姿勢は全くもって矛盾してはいないだろうか?)。このような問題を皇室の制度が全て解決してくれると考えるのは甘いのだろうか?しかし、少なくとも、天皇を尊重する精神が十分に残っていれば、もう少し日本の状況はマシなものになっていただろうと俺は思っている・・・

 今回もえらく長い文章になってしまったのだが、先に紹介した唄などの奥にある精神を維持し続ける事だ、戦後日本人には重要だったのではないだろうか?「だったのでは」とあえて過去形にしたのは、もちろんもうすでにそのような精神はとっくに消え去ってしまったからである・・・

 もちろん、突然一夜にして奇跡のように皇室の権威を回復させることも、精神構造を変革するためだけに戦争をもう一度行う事も現実には不可能である。では、どうすればいいのか?当然、そんな事が俺ごときに明確に分かっているハズもなく、そのような問題について少しずつ考えて、至高のプロセスをこのブログなどで表現していきたいと俺は思っている・・・


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posted by TAKA at 03:07 | Comment(7) | TrackBack(0) | その他

震災亡国論・・・A

  今回は、俺が以前ツイッターで書いたツイートから・・・

KATSUNAMA レモン入りかったん(*≧∀≦)ノ☆・゚*
 世界で一番お金を貯め込んでるくせに、東北の被災地の本格的な復興を1年近く放っておける美しい国、日本!!

 かつて「日本は、老人が金を貯め込んでるから若い人間がビジネスを起こしにくい云々・・・」なんて言ってた連中がマスコミで、もてはやされてたけど、「老人が貯め込んでるお金を政府が借り受けて被災地の復興に使おう」という至極まっとうな意見はマスコミに黙殺されてますね・・・

 多分、若い人間がクリエイティブなベンチャービジネスを立ち上げてイノベーションを起こしてグローバルな競争に勝ち抜く事の方が、たった今苦しんでる被災者を助けるより事より重要なんでしょうね。どうやらマスコミの頭の良いエリートの人たちが考える事は俺の理解を超えているようです・・・

 なんというか、ここで言いたかった事は、今の日本人は何が大切なのか?という事が分からなくなってきているのではないか?という事である。先日行われた中野剛志さん×柴山桂太さん×萱野稔人の3名で行われたトークセッションでは現代のデフレ状況におけるイノベーションの構造的な問題点を説明していたが、そのようなテクニカルな説明を受けるまでもなく、人命や人々の生活の存続に関わる復興の問題と、イノベーションを起こして成功者を輩出することの重要性が同等に語られて良いわけもない。良いわけもないのだが、実際に現在のマスメディアで行われている議論を見ればどうだろう?イノベーションを起こし成功した企業家を輩出することに関しては諸手を上げて賛成しているのに、同様の手法によって東北の被災地の復興を進めよう!!などという議論は全く行われない・・・もうこの国で行われている議論事態が、狂っているのだ。

 とある評論家が鳩山の体たらくを見て一言
「常識はお金で買えない」
と言ったそうだが、これは何も鳩山に限った事ではない。日本人は世界的にも有数の経済大国でありながら、「1000年に一度の被害に見舞われた同胞を助けたい!!」という良識、常識を失ってしまったのである。

 もちろん、「こんな異常な状況は、異常な政権である民主党政権下での、異常なマスコミ報道故である」と言いたくなる気持ちは分からなくはない・・・しかし、それなら、何故多くの人々がフジデモの参加者を冷笑した?何故彼らは、韓流ゴリ押しや偏向報道と同時に、被災地復興の前に財源確保が大切だというイカレタ議論に対して抗議しなかった?

 何故か?一言で言ってしまえば、東北の被災者を助けるのに必要な数十兆というお金がもったいなかったんじゃないのか?だからこそ、東北の被災地を復興するためにはまず財源の議論から始めなければいけませんね、というイカレタ論理に疑問も怒りも抱かず納得してしまったのではないか?

 俺は以前、このブログで「革新の愚かさと、保守の敗北!!」(http://achichiachi.seesaa.net/article/246296807.html)というタイトルで記事を書かせてもらった。比較的長文であったために、「保守の敗北」とはどういった意味で書かれたのかが理解しにくかったかもしれない。では、あえて分かりやすく簡潔に書いてしまうと、それは
「保守の人間は日本の権力が腐敗している!!よって、その腐敗した権力を打倒すれば良き日本が実現するのだ!!」
という思いが打ち砕かれたということだ、つまり、腐敗していたのは権力ではなく、保守の人間が愛してやまない日本人そのものだったという事である。

 あまりにも、過激で思想であり、過酷な現実でもあるのだが、近年の政治、社会情勢を見るにつけ、そのような現状認識からしか何も生産的なモノは生まれてこないのではないかというのが前回からの記事における俺なりの結論なのである・・・


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posted by TAKA at 02:34 | Comment(2) | TrackBack(0) | その他

震災亡国論・・・

 昨日は久しぶりに友人(であると俺は信じているが、向うからしてみたら多分ただの知り合い程度なんだろうなー、まあ知人ってのも寂しいし、友人って事で紹介させてもら(以下ry)の古谷経衡さんが初の単著を出版したという事で、応援と宣伝を込めて久しぶりにニコニコ生放送をやってみた。

古谷さんの初出版本『フジテレビデモに行ってみた! -大手マスコミが一切報道できなかったネトデモの全記録』を応援する放送(*≧∀≦)ノ☆・゚:*

PART1 http://live.nicovideo.jp/watch/lv78410090?ref=community
PART2 http://live.nicovideo.jp/watch/lv78415256?ref=community
PART3 http://live.nicovideo.jp/watch/lv78419753?ref=community

↑プレミアムのアカウントを持っている方はタイムシフト(録画)で視聴できるので、まあ暇があれば見てみてほしい。

 それで、まあ昨日は久しぶりに配信したという事もあって、色々な事を喋ったが、その中で東北の被災地復興が遅々として進まない現状に関して、このような批判を行った。

 去年1年間を振り返って、国内では3月に大震災が発生し、すぐにでも予算を確保し、復興に取り組まなければならなかったのに、6月からは財源の議論を始め、さらには復興債も10年償還か25年償還かで揉めて、しまいには10月から東北の農家を確実に苦しめるであろうTPPに議論を開始・・・これはあまりにも狂っていると・・・。

 これは、逆の状況を想像すれば容易に分かる事で、もし仮に首都直下型地震が発生し、国会議事堂が使いものにならなくなり、最近出てきたキチガイ(by中野剛志)こと橋下市長率いる維新の大阪の会が大活躍している大阪に国会等の政策決定機関が移動したとする。そうなった時に、とにかく首都圏のインフラを整備しなければいけないということで、東京の人間は「財源の議論なんて後でいいからとにかくインフラの復旧を始めろ!!」と声を上げるだろう。そうなった時に、大阪で議論をしている連中が、さも賢そうなフリをして
「いやあ、まずは財源の議論から始めないと・・・何しろ日本は現在財政危機ですからね。それから子孫にツケを残さないためにも復興の為に発行する国債は全て10年償還にするのがいいでしょうねぇ・・・」
などと言っていれば、
「ふざけるな!!バカかお前は?!頭がイカレテルだろう!!いま困ってるんだから、今すぐに金を出せ!!」
と思うのが当然だろう。

が・・・現在このようなイカレタ人間が国家を牛耳っているのが、この日本の悲しい現状なのである。

 と、まあここまでが放送で喋った内容なのだが、このように考えると、もっと非常に恐ろしい予想も出来てしまう・・・

 東北の復興予算の問題で、今現在「財源の確保がー」「子孫にツケを残すのかー」とか言ってる連中は、今度自分達の住んでる地域に災害が起きて、いざ復興しなきゃいけない時になっても、助けてもらえないかもしれないということだけは覚悟すべきである。何しろ、1000年に一度の大災害が起きて、1年近く東北の被災地の本格的な復旧を放置しているのだから・・・

 例えば、数年後に首都直下型地震が起きて、「とにかくインフラの復興をしなきゃいけないから、財源なんて後でいいから、すぐに予算を確保しろ!!」という正論を東京の人間が言った時に、「だって、あなた達は東北の被災地を1年以上放置しましたよね?今さら何言ってるんですか?」と言われたら何と反論するのだろうか?「東北の復興なんかより、首都のインフラ復興の方が大切に決まってるだろ!!」とでも言うのだろうか?

 しかし、これはまだ東北の復旧がある程度進んだ状態での首都直下型地震が起こったという課程での話である・・・しかし、首都直下型地震はいつ来てもおかしくないような状態であって、当然東北の復興が全然進んでいない状況で起きる可能性だって十分に考えられる。

 そうなった時に、東京の人間は「東北の復興を後回しにしてでも、首都圏のインフラの復旧を迅速にスタートさせろ!!」とでも言うのだろうか?

 もちろん、経済合理性を考えれば、それが正しいのかもしれない、しかし、先に被害を受けた経済的貢献度の低い東北の復旧をほったらかして、経済的な貢献度の高い首都圏のインフラを先に復旧するなどという判断をした瞬間に、もうそれは人としての道徳や尊厳を全て放棄することになるように思えるのだろうが如何だろうか?

 今の日本と世界の現状は言うまでもなく危機である。そして、この危機を乗り越えるのはもう、知識とか知性とか、創造性とか、そんな薄っぺらなものではなく、もっとより人間の本源的な力、他人を思いやる気持ちだとか、自分が損してでも他人を助けようと思う心とか、最新の何々理論を学ぶのではなく、もっと自分の頭で徹底的に考え抜いて、その結果としてたどり着いた信念を貫き通すとか、そういうある意味でプリミティブな力なんじゃないか?という気がしている。

 そんなわけで、今回は最後にもう一度中野剛志さんの講演会での言葉を引用して終わろうと思う・・・

中野剛志「で、もう一つあるのはですね。もうちょっと、その細かい経済的な話ではなくて、もっと単純に考えるべきなんですよ。何を単純に考えるか?よく「財政出動は無駄だ」とか「内需はないんだ」とかそう言うんですけど何を言っているのか全く理解できない。

 震災があったんですよね?あれだけの震災があったら早く復興しないと、ずーっと被災地に放っておかれたら、すでに仮設住宅で老人の孤独死が増えてるって言いますけど、ああいうマズイ状況になるので、どんな国だって、あれだけの大災害があったら、すぐに復興のお金を出して、復興に取り組むんですよ。そうしないと時間が経つと取り返しがつかなくなるから。そうですね?後遺症が残っちゃいますよ、東北がこのままなら。

 ところがこの国は、8月になっても二次補正がたったの2兆円。未だに、本格的にやってないわけですね。もう10ヶ月くらい放置してるわけです。凄いですねこれは・・・本当に凄い事です。本当は西田先生が仰られたように、財政危機でも何でもないんですけど、仮に財政危機がある。仮に経常収支が赤字で外国から金を借りてる国だって、例えばハイチ、そういった国だって、こういう震災が起きたら外国から借金をしても、国民を救うためにいの一番でやりますよ。で、その借金を返すためには、「国民みんなで負担だ」って、こうなるわけですよ。

 だけど、この国は外国から借金なんかする必要ないんですよ?外国にお金を貸してるんだから、世界で一番貸してるんだから!!それなのに、この国は財政出動をする代わりに6月から財源の議論を始めたんですよ。信じられますか?その間、東北はずーっと放置。で10月くらいになったら、今度は震災なんか無かったかのようにTPPの議論を始めたんですよ?震災っていう大きな事象の変更があって、しかも農家が多いんですよ東北は、なのにTPPの議論、今は消費税の増税の議論をやっている。狂ってるんですよ!!

 これは、財政が大蔵省が理解してるとか、マクロ経済を理解してるとか、そのレベル以下なんですよ!!凄い事で、私は「国力とは何か」という本で、冒頭「国力というのは、こういう震災があった時に、東北の人たちがアカの他人でも見捨てない事だ」っていうふうに書いたんですけど、本当は見捨てるだろうなって思って書いたんですけど、やっぱり見捨てたんですよ。つまり、この国はですね、危機が起きたら目が覚めて立ち上がる国じゃないって事が今年証明されたされたんだと、この国はもうダメなんですよ!!「期待しろ」とか「希望を持て」とか言うけど、ダメな事を証明したじゃないか!!1000年に一度の危機が起きたのに見捨てたじゃないか!!そうでしょ?

 いい加減「日本を信じよう!!」なんてふざけた事を言うのを止めろよ。もう財政とか、細かい議論じゃないんだ!!そういう事だと思いませんか?相当ヤバいですよこれは・・・と思われます。」


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posted by TAKA at 18:28 | Comment(2) | TrackBack(0) | その他

他者批判と自己批判・・・

 実は、俺は以前から高岡英夫という人物の大ファンで、彼の提唱する身体意識というもの関しても、非常に強い関心を持っている。

 身体意識の概要について、ここで詳しく説明はしないが、ごく簡単に説明すると、それはいわゆるセンターや正中線、丹田等と呼ばれるものが代表的であるが、身体と精神に存在する中間領域のような意識の形態であり、いわゆる気と呼ばれるモノのように、形状や性質を有している意識の事なのである。

 もちろん、このブログの読者に、この身体意識というものの存在を認めるように押しつけることも、それの存在の有無について議論するつもりもない。ただ、まあ「そんなものが存在するという考え方もあるのかー」程度に思いながら読み進めていってほしい。

 今月発売された武術雑誌『秘伝』誌(非常にマニアックな雑誌のように思われるだろうが、一応武道武術の愛好者の間ではおそらく最もポピュラーな雑誌の一つであるw)で、その高岡英夫という人物が、去年亡くなられたIT界の巨人、スティーブ・ジョブズの身体意識を分析しており、そこ解説の中で「ああ、なるほど!!」と納得してしまうような個所があったので、今回は、それについて少し解説してみたい。

 スティーブジョブズと言えば、彼自身が創業したアップル社を様々な事情のもとに追放されたエピソードが有名である。彼はその後、再びこの会社のトップとして戻ってくるのであるが、とにかく一度は栄華を極め、コンピューター業界のトップにまで自らの手で成長させた会社から追放されたのである。とんでもない話であるが、彼はそれに落胆し絶望するのではなく、その後自分でまた一から別の企業を作り上げようとする。

 これは、一つの表現としては、自分の現在と過去を完全にスパッと断ち切ることの出来る見事な能力であると言えるだろう。そして、高岡英夫はこのスティーブジョブズには、何かをスパッと断ち切るための身体意識(彼はそのような身体意識にスライサーという名を与えている)が非常に強く形成されているという。このスライサーは、もちろん現在と過去をスパッと断ち切るためだけに存在するワケではなく、身体意識の領域において、また違うものも断ち切ち、それは現実の現象面にも反映される。では、現実の世界で、このスライサーという身体意識が何を断ち切るのかというと、それは一つには他者である。例えば、使えない人間を思いきって首にする、上手くいかないと分かったプロジェクトを打ち切る、そしてコレは俺の推測だが、おそらくはアップルという会社の本社が有している必要のない機能も、この身体意識によって、まさにスパッと断ち切ることで徹底的にスリム化され、合理化された経営を可能にしたのではないだろうか?

 彼は、周囲の人間からは、やはり「冷酷な人間」という印象も少なからず持たれていたようである。しかし、この分析を行った高岡英夫は、
「ジョブズは実は切り捨てられた人間達から、そこまでは恨みを買っていなかったのではないか?」
と書いている。それは何故か?彼が言うには、その理由はジョブズの持つ身体意識にあると言い
「彼は冷酷さや薄情さから、表面上の現象としてのみ、他者を切り捨てていたのではなく、身体意識を用いて他者や他者の大事に扱っていたプロジェクトなどをばっさり切り捨てるがゆえに、まさに自分自身をもその身体意識の領域で切り刻んでいたのではないか?」
と解説する、つまり、
「他者を切り捨てる度に同時に自分自身をも切り刻み、まさに自分の意識の持つ深い領域において、痛みを共にしていたのではないか?」
と、切られる側もそれを意識してか、もしくは無意識的に感じ取っているからこそ、かれの一見冷酷とも思える決断を受け入れる事ができ、かつそれほど他者から恨みを買う事がなかったのではないかと、そう説明するのである。

「はー、なるほどなー」
なんて感心しつつ、このような説明を聞いて、真っ先に思いだしたのが、実は、またもや中野剛志さんの言葉だったのである(笑)

 以前、中野剛志さんの書いた記事(『優秀な人間の自己批判能力』http://achichiachi.seesaa.net/article/244169509.html)で、中野剛志さんがニコニコ生放送の公式放送での対談で語っていたこのような台詞を紹介した。

中野剛志「僕らが頭にくるのは、一般の市井の人たちが、「何を言ってるのか分からないのはきっと高尚な事だろうから任せておきましょう」というので黙ってるのを良い事に「経済学の最先端の理論ではナントカ定理ってのがありましてベラベラベラ・・・」ってデタラメな事を言ってる奴ら。アレにだけはなりたくない!!(中略)
 そういう意味じゃ、正直に言っちゃうと僕なんかは、役人やってた時なんかは、今でもそうだけど、やっぱりコンプレックスってのがあって、それは現場を知らないって事で・・・もしかしたら俺は小賢しい理屈だけを喋ってるのかもしれない。そうなったら、もう絶対にそいつって最低ですよね?そういう奴って、ほらドラマとかでも嫌な奴じゃない、殴られる奴じゃない(笑)それにだけはなりたくない。でもね・・・」

↑この他にも、中野剛志さんは、別の討論で水島社長と自分とを比較し、「自分は社長のような行動家ではないので、(このような日本の危機的状況で)具体的に何か行動を起こす事は出来ない・・・」と言っていたり・・・とにかく、中野剛志さんは自分自身を徹底的に批判し、常に自己の在り方というモノを自分に問いかけている人間なのだと思う。このブログの読者の方はご存じのとおり(知らない人はこの記事を読んでね(笑)⇒『中野剛志さんのチャンネル桜年末討論の発言の書き起こし&俺なりの考察』http://achichiachi.seesaa.net/article/244310239.html)中野剛志さんは震災後、あるいはそれ以前の平成改革期以降の日本人の在り方を徹底的に批判し、しまいには「自分勝手で、冷酷で、愚かな日本人に、偽善っていう事まで加わったのか」と喝破している・・・

 普通なら、ここまで言うような人間には反発心を起こし
「そこまで、批判しているお前は一体何様なんだ!?」
となっても全くおかしくないが、実際にTV、あるいはネットで中野剛志さんのこの発言を聞いた時に、ほとんどの人は、ガーンと頭を殴られたような衝撃を受け、同時に日本人としての自らの在り方を深く反省したのではないだろうか?

 クソ生意気そうなガキがいきがって
「日本なんて、クソだよ。これからは世界に打って出なきゃ!!」
などという時の事は、もちろん。いかにもインテリぶった評論家が、
「日本は、○○と比べて、こういったところがだめですね。海外に見習うべきですよ・・・云々かんぬん」
言っても、おそらくこのような感覚が沸き起こる事などまずあり得ない・・・

 では、何故中野剛志さんの言葉がこれほど深く心に突き刺さるのかといえば、まさに中野剛志さん自身が徹底的に自己批判をおこなっているであろう事を、その台詞を聞いた人間がなんとなく直感的に理解しているからではないだろうか?さらに加えて言えば、上のような発言はまさに日本人の在り方そのものを「切っている」と表現できるわけだが、この中野剛志さんの発言は、何も人事のように自分以外の日本人を切っているのではなく、まさに「中野剛志さんは、同じ日本人である自分自身をも同時に切っているのだ」という事を感覚的に理解したからこそ、「なんだと!?」と反発するのではなく、「そうか!!」と自分達の問題点を気付かせ、同時に深い反省を多くの人に促したのだろう。

 そう、つまり一見、日本人を切り捨てているように思えるこの台詞の真の意味は
「自分達の在り方を共に反省し、日本人として一緒に頑張ろう!!」
という事なのだ。もちろん、中野剛志さんは
「別にそんなつもりは無いし、これを聞いた人が何かを感じて努力しようが、すまいが、私は自分のやるべき事を今まで通りやるだけだ」
と言うだろう。しかし、中野剛志さんがどのような意図で、このような言葉を吐いたにせよ、それは日本人を貶めるための台詞ではなく、本気で日本の行く末を憂いている言葉である事を聞いた人間は感じ取ってしまうのである。

 結局、このような事は東北の被災者を励ます言葉にも表れており、俺はこれまた以前書いた記事(『中野剛志さんのチャンネル桜年末討論の発言の書き起こし&俺なりの考察B』http://achichiachi.seesaa.net/article/245251557.html)で、中野剛志さんの年末討論の最後の台詞の真の意味は東北の被災者に対する「頑張れ!!何があっても努力するんだ!!」という応援のメッセージだったのだ。ということを解説したが、このように東北の人間の応援言葉でも、年越し蕎麦でも食いながら、何故か韓国人タレントが何組も出演している「頑張ろう東北」をテーマにした紅白歌合戦を見ながら
「あー、そうだなー、東北の人たちには頑張って欲しいなー」
なんてつぶやく人間のそれとは全く重みが違う。

 東北の人びとの痛みを我が身の如く思い苦しみ、そして自分のフィールドで東北の人たちの為に出来ることを必死で考えて活動する。そして、自らも必死の努力をしながら、細心の注意で言葉を選びながら
「頑張ってくれ!!」
と伝えた。

 もちろん、あの討論の最後の台詞を、東北の人々への応援の気持ちを表したメッセージだとするのは、俺の勝手な解釈かも知れないし、「そんな事、考えもしなかったな」という人も多いかもしれない。しかし、それでもあの人の言葉に多くの人が心を動かされ、
「自分達は一体何をすればいいのだろうか?」
と真剣に考えさせられただろう。中野剛志さんの非常に力強い言葉の裏には、このような真剣な思いや、中野剛志さんの自己との対話、それからさらにこの人の生きる姿勢そのものが込められてるではないか?そんな事が今回言いたかった事なのである・・・


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革新の愚かさと、保守の敗北!!

 今回も、中野剛志さんの講演動画の書き起こしから。最近は、この人の発言の引用ばかりで申し訳ないが、正直最近この人が発言している事は、本当に重要な事なので、何度でも繰り返し検証して、その内容を出来る限り深く掘り下げる価値がある話だと思うので、何度も引用させておもらっている。



中野剛志「で、もう一つあるのはですね。もうちょっと、その細かい経済的な話ではなくて、もっと単純に考えるべきなんですよ。何を単純に考えるか?よく「財政出動は無駄だ」とか「内需はないんだ」とかそう言うんですけど何を言っているのか全く理解できない。

 震災があったんですよね?あれだけの震災があったら早く復興しないと、ずーっと被災地に放っておかれたら、すでに仮設住宅で老人の孤独死が増えてるって言いますけど、ああいうマズイ状況になるので、どんな国だって、あれだけの大災害があったら、すぐに復興のお金を出して、復興に取り組むんですよ。そうしないと時間が経つと取り返しがつかなくなるから。そうですね?後遺症が残っちゃいますよ、東北がこのままなら。

 ところがこの国は、8月になっても二次補正がたったの2兆円。未だに、本格的にやってないわけですね。もう10ヶ月くらい放置してるわけです。凄いですねこれは・・・本当に凄い事です。本当は西田先生が仰られたように、財政危機でも何でもないんですけど、仮に財政危機がある。仮に経常収支が赤字で外国から金を借りてる国だって、例えばハイチ、そういった国だって、こういう震災が起きたら外国から借金をしても、国民を救うためにいの一番でやりますよ。で、その借金を返すためには、「国民みんなで負担だ」って、こうなるわけですよ。

 だけど、この国は外国から借金なんかする必要ないんですよ?外国にお金を貸してるんだから、世界で一番貸してるんだから!!それなのに、この国は財政出動をする代わりに6月から財源の議論を始めたんですよ。信じられますか?その間、東北はずーっと放置。で10月くらいになったら、今度は震災なんか無かったかのようにTPPの議論を始めたんですよ?震災っていう大きな事象の変更があって、しかも農家が多いんですよ東北は、なのにTPPの議論、今は消費税の増税の議論をやっている。狂ってるんですよ!!

 これは、財政が大蔵省が理解してるとか、マクロ経済を理解してるとか、そのレベル以下なんですよ!!凄い事で、私は「国力とは何か」という本で、冒頭「国力というのは、こういう震災があった時に、東北の人たちがアカの他人でも見捨てない事だ」っていうふうに書いたんですけど、本当は見捨てるだろうなって思って書いたんですけど、やっぱり見捨てたんですよ。つまり、この国はですね、危機が起きたら目が覚めて立ち上がる国じゃないって事が今年証明されたされたんだと、この国はもうダメなんですよ!!「期待しろ」とか「希望を持て」とか言うけど、ダメな事を証明したじゃないか!!1000年に一度の危機が起きたのに見捨てたじゃないか!!そうでしょ?

 いい加減「日本を信じよう!!」なんてふざけた事を言うのを止めろよ。もう財政とか、細かい議論じゃないんだ!!そういう事だと思いませんか?相当ヤバいですよこれは・・・と思われます。」



 中野剛志さんは、チャンネル桜での討論ではこのように言っていた
「司馬遼太郎ってのは、そこが巧みだったんですよ。司馬遼太郎は、さっきから出てるように左翼史観、マッカーサー史観に、すごくフィットするんですが、一方で、右派、保守派の人たちからも、すごくファンが多い。

 何故か?簡単なんですよね。司馬遼太郎の言い方ってこうなんですよ。色々桎梏とか、悪い軍部とか、官僚とかあったんだけど、本当の日本人の歴史を調べるととても合理的だったんだ。明治とか戦国時代とか、とういう時ってのは、日本人の本当の合理性が出てきた時なんだ。何かが覆いかぶさってるから、本当の日本人の素晴らしさが出てないんだけど、それさえ取っ払えば良くなるんだ。構造改革と同じですよね?何かが邪魔をしている。誰かが、悪い既得権益を持ってる構造があるから、それを取っ払えば本当の日本人は合理的に活動できるし、戦略的なんだ。

 これは、非常に左翼的な考え方ですね?文化を背負ってるから、それを取っ払えば合理的だ。でも、ここに保守系の人たちの、司馬遼太郎に惹き付けられる保守系の人たちの陥穽があるワケですよ。つまり「本来、日本人は合理的で素晴らしい歴史を持ってたんだ!!」この点に関して左翼の人たちと同じなんですね。従って、右も左も構造改革に賛成したってところがあると思うんですね。そこの罪深さが非常にある。」

↑ここで、中野剛志さんは構造改革の礼賛した人間の愚かさを指摘したのだが、始めの引用と合わせれば、彼らと寸分違わない愚かさが、いわゆる構造改革を批判し、国民運動を主導するような保守層にも内在しているという事が容易に見てとれる。

 つまり、国民運動の持つイデオロギーの根本にあるのは、草の根の日本人は立派であり、そんな立派な草の根の国民の力を抑圧しているのは、マスコミや教育などによる情報の流通、愚かな政治家や、省益と自分の利益しか省みない官僚。そういうったモノを「草の根の国民の力で打破するのだ!!」という思想である。

 しかし、1000年に1度の大災害という危機に置いて、露見した日本人の本質とは何か?震災直後の僅かばかりのボランティアや義捐金、そして東北の被災地の忍耐を称して、「日本人は素晴らしい!!」「利他的に尽くす事が出来る立派な民族だ!!」などと自己陶酔的に礼賛し、しまいには去年1年の言葉を「絆」と・・・

 そして、その内実はと言えば、上にも書いた通り、世界一の金持ち国家でありながら、震災復興の僅かばかりのお金を出すのもケチり、
「将来の自分達の子や孫にツケを残せないから・・・」
などという理由で、今現在確かに苦しんでいる東北の被災者の為の復興予算もまともに確保できない。「ツケを残したくない」ではない「ツケを残せない」のだ、彼らは自分達の子や孫の経済状態などという身勝手な理由を、さも道徳的な議論化の如くすり替えてしまう。さすが、東北の為に借金の負担も出来ないクセに、ぬけぬけと今年の言葉を「絆」などと言ってしまえるだけの事はある。

 確かに、敗戦の影響は非常に深刻であった、GHQや左翼によって、戦前の日本人の精神を根底から支えていた天皇、国家、家族といった伝統的な価値を徹底的に否定するよう洗脳されたのだから・・・

 確かに、最初は悲劇であった、しかし、これが適切なたとえかは分からないが、加藤諦三先生は神経症者の事を称してこのように言う
「確かに、神経症の人間には、神経症になってしまうだけの可哀想な事情はある。しかし、一度神経症にかかってしまうと、とにかくずるい行動をし始める、その行動が彼の問題をどんどん大きくしていってしまう」と。

 結局、戦後日本人にも似たようなところがあったのではないか?始めは確かに精神的な支えを奪われ、尊厳も失わざるを得ない悲劇に見舞われた。しかし・・・その後の日本人は徹底的にずるく立ち回った。

 米軍基地の負担は、沖縄に押し付けた。朝鮮特需で潤って、経済的に「うまくやった」とほくそ笑んだ。「子供たちが可哀想だから」などと言って、自分達の子供を徴兵制度にも反対し国防の義務を放棄した。憲法9条を盾に自分達の自主的な国防をおろそかにしながら、しまいには「憲法9条を持つ日本国家は素晴らしい」などと言って、自分達の心の奥底にあるやましさを偽善によって糊塗してしまった・・・

 日本人は、口先で上手く困難な課題を避け、ずるく立ち回り、「上手くいった!!」と心の中でほくそ笑むたびに、心の領域では借金をしていった。どんどん、まともな精神性を失い。しまいには、自分達の同胞の大災害を放置して、被災者達を見捨てても、何も感じられない程に心が壊れてしまった・・・何も感じられないだけならまだいい、彼らは自分達の1年の言葉「絆」だと言って、またしても偽善的に振舞った・・・

 だから、もうこの国は根底からおかしくなってしまったのだ。三島由紀夫は正しかった。いや、それどころか、もしかすると三島由紀夫ですら、これほどどうしようもなくなるとは考えていなかったのではないか?

 もう、財政だとか、効率性だとかテクニカルな話だとか、そんなことをしてもどうしようもなく、もうここまで来れば、日本人一人ひとりの生き方、考え方を根底から考え直さなくてはどうしようもないというところまできてしまっているのだ。

 そういう意味で、真正保守を標榜する行動派の人間は、今回の危機でその運動は新たな、そしてとてつもなく困難な局面を迎えざるを得ない時点に来てしまっている。まさに、彼らは「草の根国民の運動」を標榜しながら、草の根の日本国民一人の生き方考え方、生きる姿勢までを徹底的に批判し尽くさなければならないのだ・・・

 その時には、「俺は経済の分析が専門なんで・・・」とか「地政学を専門に学んでいます・・・」なんて言い訳は許されない。もう人類の英知のありとあらゆる知識を総動員し、それこそ、政治学や歴史から哲学、心理学、社会学、人類学、宗教といった、まさにありとあらゆる角度から、徹底的に日本人一人ひとりの在り方を根底から考え直す必要がある。

「そんな事、出来るわけがない」と言われるかもしれないが、もはや事態は絶望的で、その不可能と思われるような事をしない限り、たとえ、地理としては地図上に、「日本」という国が残ったとしても、真の意味での日本の復活はあり得ないのである・・・


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posted by TAKA at 18:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他

近代合理主義批判・・・

 先日、チャンネル桜の討論「表現者スペシャル〜震災後の文明転換論」を聞き返して、ようやく西部邁さんの近代合理主義者や企業人の批判の意味が分かった気がしているので、今回はそれについて俺の考えをまとめてみたい。

 それについて説明する上で、少し昔の話から少々・・・実は俺は以前自己啓発セミナーなるものに通っていた時期があった。いわゆる
「人生ポジティブに考えれば、うまくいく!!」
「不労所得を得て、経済的自由を手に入れよう!!」
「自分が幸せだと思えば、幸せなんだ!!」
みたいなアレである。実際にはもうちょっと上手い表現をしていた気がするが、まあ、そんな細かい事はいい、とりあえず「薄っぺらい事をベラベラ語っていましたよ」という事さえ伝わってくれればw

 俺が通った自己啓発セミナーでは、講座の時間の他にも休憩時間や、アフターでの食事会などで講師と話をする時間も結構あったので、受講生は講師から、少しでも何か良い教えを引き出そうと色々な事を質問していた。そんな時に一体どんな質問をしたかは覚えていないが、講師の人がこんな事を言っていた
「人の悩みってのは、ほとんどがお金か恋愛にまつわるもので、この二つさせ満足すれば、ほとんど全ての悩みから解放されるんだよ」
と、その時は「あー確かにそうかもな・・・」などと納得してしまったが、今、その言葉を思い出して、それについて検討すれば、また違った思いを抱く・・・その思いを簡単に表現すればこんな感じだろうか
「もしかしたら、それは真理なのかもしれないが、少なくとも俺はそんな身も蓋もない事を、得意げに、さも自分が人生の真理を突いているかのような口調で偉そうに語るほど薄っぺらい人間にはなりたくない・・・」
と。

 このような、俺自身の昔エピソードから、最初の近代合理主義批判の話に戻ると「人の悩みってのは、ほとんどがお金か恋愛にまつわるもので、この二つさせ満足すれば、ほとんど全ての悩みから解放される」と言い切った自己啓発家や、そんな言葉を感心しながら聞く大人たちこそが、まさに近代合理主義に完全に捕われた人間の姿なのであって、「例え、金持ちで美人と結婚できたとしても、ああはなりたくないな・・・」と思うのが、近代合理主義に対するアンチテーゼなのだろう。

 西部さんは、「現代人のほとんどが、近代合理主義の呪縛から逃れ難い存在なのだ」と言っていたが、先に書いた事をふまえれば、かつてホリエモンが言った「金さえあれば女はついてくる!!」という言葉に何故世間があれほど反応したのかも分かってくる。結局、ホリエモンの「金さえあれば女はついてくる!!」という価値観こそ、近代合理主義から逃れ難い現代人が、心の奥底に密かに抱いている価値観なのであって、それを身も蓋も無い言葉ではっきりと突き付けてしまったホリエモンに対して、ある人は共感して、ある人は感情的に反発したのだろう。

 この言葉に対して、多くの知識人の反応が、「いや、金があっても女がついてくるとは限らない。世の中金に釣られるような女ばかりじゃない!!」などというものだったが、これこそまさに、近代合理主義の価値観にどっぷりとはまり込んでいる人間の典型のような反応であって、これに対して、僅かでも近代合理主義を客観的に眺められる人間であれば、たった一言こう反論すればいいだけだったのだろう・・・「金と女にしか価値を見いだせない薄っぺらな人間に、だけはなりたくないものだ」と。

 ただ、こんな事を言えば、決まって出てくる反応は「じゃあ、金より女より、大事なモノって何だよ?具体的に説明してみろよ?ww」というものだ、近代合理主義者は、おおよそそういった価値観しか持ち得ない人間であるが、結局「金より女より、大事なモノ」とは何か?なんて問いの回答は具体的に一言で、「コレだ!!」説明できるものではないのだが、こちらが説明できないがゆえに、彼らは「なんだよ、ただの僻み根性じゃねーかww」と笑いながら、ますます自分達の合理性を再確認するのだろう・・・

 これは、俺の勝手な想像に過ぎないが、三島由紀夫が自殺する直前に「口もきく気になれなくなっている」と言った人間とは、まさにさっき言ったような価値観の持ち主なんじゃないかと思う・・・

 先にも書いたが、この「金より、女より大切な何か?」ってモノは具体的な物質ではなくて、直接に目に見せたり、「コレだ!!」と説明することが不可能でなのあって、それを説明するには間接的な表現しか出来ない。だからこそ西部さんは「政治を論じ、経済を論じ、核を論じ、尖閣を論じ、福島を論じ、手を替え品を替えなんとか説明するしかない」と言ったんだろう。つまり具体的に「コレだ」と説明できないからこそ、何か別の事柄を通して説明する以外にはない。もちろん、これは直接的には説明が出来ないがゆえに、様々な事柄について語りながら、間接的に説明し、その輪郭を少しずつ、少しずつ浮き上がらせていく他ない。

 これは、もうとんでもなくしんどい作業なのであはるが、この事実を「自分個人の経験として言えば、実に面白い!!」と言った西部さんの姿勢を見習いつつ、俺も同じことに挑戦してみたいと思っているw




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posted by TAKA at 20:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他

中野剛志さんのチャンネル桜年末討論の発言の書き起こし&俺なりの考察B

 またまた今回も、中野剛志さんの発言の書き起こしから・・・最近、中野さんの関連の記事が続くが、正直この討論での中野さんの発言は、まさに今日本が必要としている思想を非常に上手く表現できていると思うので、できるだけ深く掘り下げていきたいと思っている。



中野剛志「確かに震災の直後に、その、被災地の人たちが助け合って秩序を守ったっていうことが、称賛されたんですけど。あれ、でも日本人に限らないらしいんですよ。『災害ユートピア』っていう本がある。で、世界中で、まあそうじゃない国もあるかもしれませんけど、妙な事にああいう災害とかが起きると、咄嗟にですね、わりと助け合って生きるって現象がですね起きると、だからわりとその、日本人がっていうより人間の本能として、社会的人間の本能として、わりとそういう事はあるらしいんですね。

 それが一つと、あの社長の話を聞いてて思ったんですけど、自分が被災地の被災者だったとして、やっぱり考えられるのは、今助け合って、それは手元のもので助け合うと、だけど、やっぱり本格的な復興とかは国とかが出番として出てこないと、そりゃ、やっぱり無理なので、数か月、自分達の力で、まあ100日とか「自分達で耐えれば、援軍が来るだろう」っていうことで、気の張りがもつ事があるワケですね。

 ところが、今まさに、さっき社長がおっしゃったように、最初はそれで頑張れたものが、来なかったので崩れ始めてるっていう事なんですよね。だから、そこのところがやはり非常に気になると・・・」

↑前回の記事(『中野剛志さんのチャンネル桜年末討論の発言の書き起こし&俺なりの考察A」http://achichiachi.seesaa.net/article/244996536.html)で、中野さんの「忠国心」つまり一切のメリットや希望を伴わずとも、自分自身の意志のみに依存する動機について解説したが、前回の説明した事を踏まえたながら、今回、上に書き起こした発言について考えると、物凄い事を言っているという事に気付く・・・

 中野剛志さんは、
「東北の人たちは完全に見捨てられた」
と言い、さらに、この討論の最後には
「客観的に状況を分析した結果、どうにも絶望的な状況なんていくらでもあるんです」
とこう言い放った。その上で、
「たとえ一切の希望のない、絶望的な状況であって頑張るんだ!!努力するんだ!!行動をするんだ!!」
と言った。

 これは、おそらく、甘え切った、ひ弱な大多数の日本人に喝を入れる言葉であると同時に・・・東北の人たちへのメッセージでもあるのだ・・・つまり
「あなた達は見捨てられた。もはや日本政府も日本人も、自分勝手で、冷酷で、愚かなで、偽善的なですらある最低な民族にまで堕ちてしまった。きっと、あなた達が期待していたであろう援軍も来ないだろう・・・だけど、それでも頑張ってくれ!!」
という事を伝えるための・・・

 中野さんには最初から東北の人々が、見捨てられるであろうことを始めから予測していた。しかし、予測通り見捨てられた人たちの実情を考えれば、とても軽々しく
「もはや、政府は今後も援助してくれないが、頑張れ。一切の希望が無くても、とにかく頑張るんだ!!」
などと言う事は出来ない。それでも、東北の人々を元気付け、勇気付ける言葉はないかと、真剣に考え、慎重に練り上げた言葉こそが、この
「一切の希望が無くとも、行動するのだ」
という言葉なのだろうと思う。

 おそらく、中野剛志さん本人に
「あれは、実は東北の人々を励ますための言葉だったんじゃないですか?」
と聞けば、
「いや、違う」
あるいは
「自分ごときに、東北の人々を元気付けることなど、出来るわけもない」
と言うだろう。

 しかし、この人の言葉の意味を深く考えれば、考えるほどに、この人がどれだけ東北の人びとの事を想い、胸を痛め、そして同時に東北の人々を見捨てた日本人に怒りと絶望感を抱いているかが伝わってくる。

 もう、いい加減日本人も、高学歴で一見頭脳明晰で、利にさとく莫大な富を稼げるような人間ばかりをもてはやすのは止めていいんじゃないだろうか?「自らの豊かな才能や能力、そして努力を、他の誰か、あるいは何かの為に惜しみなく費やす事の出来る」そんな人間こそが真のエリートなのではないか?と、この人を見れば思わずにはいられない。

 ここぞとばかりに復興チャリティーや、「今年の言葉が絆です」などと言ってしまえる偽善者ともこの人は全く違う。終始一貫して東北の事を想い、発言を続けてきた。

 中野さんは、かつて
「今でもそうだけど、やっぱりコンプレックスってのがあって、それは現場を知らないって事で・・・もしかしたら俺は小賢しい理屈だけを喋ってるのかもしれない。」
と言っていた。

 もちろん、俺ごときが、こんな事を言ったところで、なんの励ましにもならないことは分かっているが、それでもこう言いたい
「アナタは、小賢しい理屈を並べ立てるだけの理屈屋なんかとは、全く違いますよ」
と・・・


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posted by TAKA at 00:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他

中野剛志さんのチャンネル桜年末討論の発言の書き起こし&俺なりの考察A

今回も、中野剛志さんの発言の書き起こしから・・・



中野剛志「えっと、山村先生もおっしゃった地道っていうところが、僕も一番大事だっていうのいうのが根底にあります。で、今の小選挙区制うんぬんかんぬんって話も出ましたけど、やっぱり、これも冷戦が崩壊しました後に・・・今日冒頭申し上げたように、「これから日本はどうするべきか?」っていう時に、まず政治改革から始まったわけですね、構造改革は。

 で、小選挙区制になって、で今おっしゃってたように選挙制度を変えちゃったら、それで政治家が選ばれて、その人じゃなきゃ選挙制度を変えられないってなるので、悪いけど、ここでもう日本って詰んじゃっていて、その後もうボロボロなんですけども。

 私は今年は、そのテレビなんて出ちゃって、変なことになっちゃってるんですけども、あの、まあ色々発言なんかすると、色々「お前の話は暗い!!」とかですね「もっと明るい見通しや、希望が無いと生きていけないじゃないか!!」なんて事を言われるんですけど、私は、それこそが戦後の司馬遼太郎を読みつくした人たち固有の価値観であって・・・だって考えてくださいよ?戦後、復興があって成長して、で、バブルやって、と90年代初頭まで。それで、その間阪神淡路大震災まで地震も無かった。大きな地震が無いなんてのは、日本の歴史上珍しいことだそうですね。その時期に経済成長したと、で、アメリカに守ってもらえてと、僥倖みたいなもんだったワケですよ。

 こういった、固有な特別な時期の、極々パラダイスな時期の価値観なんですよね「明るい未来が無いと、生きていけない」とかですね。だけど、歴史上、日本の歴史もそうだし、世界中どこ見たって、今だってソマリアとかですね、イラクとか、アフガニスタンとか、いくらでもあるワケですよ。

 日本だって、今回の3.11に生まれた子供だっているワケでしょ?つまりですね、今置かれた自分の状況で、どう考えたって、明るい未来なんか無い状況に生まれる人間なんて、この世に山ほどいるのに?「明るい見通しが無いから生きていけない」なんて?その甘え自体が、ふざけるなって話でね、何を言ってんだ?って話ですよ。

 そういう事ばっか言ってるから、現状の客観的な分析も出来ない。でも客観的に状況を分析した結果、どうにも絶望的な状況なんていくらでもあるんですよ。なんでそれをしちゃいけないのかが分からないってのが、一つ目ですね。だから、まず客観的な分析をするとですよ、もう話は出てますけど、軍事問題は潮先生がおっしゃった通りでしょうし、経済問題だって2012年の経済は間違いなく2011年より悪いんですよ。で、日本は客観的情勢としては色々良いモノを持っているのに、20年間もバカをやり続けたワケですね。

 もちろん、「それでも他の国に比べたらマシだ!!」それはおっしゃる通りですよ。でも、これまた世界の歴史上でですね、色々良い条件を持っていて滅びなくていい国が、20年以上バカをやり続けて滅びた国なんてゴマンとあって、日本は、それを20年間やり続けてですね「日本だけが、そこから逃れられる!!」なんて、そんな偉大な民族なんかじゃないですよ、この国は悪いけど。

 だから「今の客観情勢とか、これまでの先人たちの積み重ねたモノが、どんなに立派だったって滅びる事はあるんです」っていう事なんで、じゃあそっからどうやって生きていくかってのは、特にチャンネル桜のような国民運動っていうのは、運動していかなきゃいけませんから、そこでどうやって、じゃあやっていくかなんですけど、私も「じゃあ、どうすればいいんですか?」って言われるんですけど、何でそんな質問が出るのかも分かんないですね。それは、どういう意味かっていうと、明るい見通しがあるかどうか?とか、希望かあるかどうか?がアナタの動機なんですか?って、私には、それが全く理解できない。

 私の行動のモチベーションは「正しいか、間違ってるか?」であって、「結果が良く出るか、悪く出るか?」じゃ無いんです。じゃあ、聞きますがと「どう頑張っても勝てないような戦で、正しいけども、勝てないんだったら、じゃあアナタやらないんですか?」「どう頑張っても、正しい意見が通らないんだったら、正しい意見をおっしゃらないんですか?」何を言ってるのか全く理解できない(笑)

 別に、何が正しいか、間違ってるか考えてやって、結果が出ないかもしれない事なんて、そりゃ山ほどありますよ。私だって結果なんか出たこと無いですよ悪いけど。TPPだって、負け戦だって最初から知ってましたよ。でも、何でそういう風なね「希望があるから」とか「希望が無いから」とか「日本は素晴らしいんだ!!信じよう!!」とか、それがモチベーションなのか分からない。

 司馬遼太郎ってのは、そこが巧みだったんですよ。司馬遼太郎は、さっきから出てるように左翼史観、マッカーサー史観に、すごくフィットするんですが、一方で、右派、保守派の人たちからも、すごくファンが多い。

 何故か?簡単なんですよね。司馬遼太郎の言い方ってこうなんですよ。色々桎梏とか、悪い軍部とか、官僚とかあったんだけど、本当の日本人の歴史を調べるととても合理的だったんだ。明治とか戦国時代とか、とういう時ってのは、日本人の本当の合理性が出てきた時なんだ。何かが覆いかぶさってるから、本当の日本人の素晴らしさが出てないんだけど、それさえ取っ払えば良くなるんだ。構造改革と同じですよね?何かが邪魔をしている。誰かが、悪い既得権益を持ってる構造があるから、それを取っ払えば本当の日本人は合理的に活動できるし、戦略的なんだ。

 これは、非常に左翼的な考え方ですね?文化を背負ってるから、それを取っ払えば合理的だ。でも、ここに保守系の人たちの、司馬遼太郎に惹き付けられる保守系の人たちの陥穽があるワケですよ。つまり「本来、日本人は合理的で素晴らしい歴史を持ってたんだ!!」この点に関して左翼の人たちと同じなんですね。従って、右も左も構造改革に賛成したってところがあると思うんですね。そこの罪深さが非常にある。

 そういう意味では、私なんかは客観的に分析して、この大震災で酷い目にあったのに半年間も放置して全然関係無い議論を続けた、許し難い。許しがたいんだけれども、じゃあ許し難いって言ったって、どんなに日本人が嫌いだって、ここに生まれた以上、こっから出ていけないんですよ。

 だから、私はですね、誤解を恐れずに言えば、愛国心と言いますが、私は国なんぞ愛しておりません。こんな酷い国はないと今年思いました。国なんて愛してませんが、じゃあ何で動いてるかっていうと、愛じゃなくて忠義なんですよね。愛国心じゃなくて、忠国心っていうかなぁ、もっと古くなっちゃいますけど、忠義っていうかロイヤリティなんですね。ラブじゃなくてロイヤリティで、この御国に尽くすのは義務でありまして、愛してるか愛してないかってのは、私にとってはあまり関係無いんですよ。だから、まあやるしかないと。

 さっきも潮先生とか、国防の義務って、義務っておっしゃいましたけど、義務って辛いものだけど、やらなきゃいけないって事なんですね。それを、「日本を愛してます」「愛してません」って、そういうひ弱さがそもそもの間違いで、もう止めてほしいんですけど、私ごときにですね「先生、日本はこれからどうすればいいですか?」って、私に聞いてくるそれ自体が間違いじゃないかって、私ごときに聞くのは間違いでございます。というワケで皆さん頑張ってくださいって(笑)(中略)

 でも、僕はね、天皇陛下に、そんなに期待したら失礼だと思いますね。というのは、確かにおっしゃる通りで、天皇、皇統っていうのがあって、それは誇るべきものだと思うんですけど、福沢諭吉が言っていたのですが、彼も尊皇論者なんですよ。尊皇論者なんだけど、「天皇、皇統が断絶してないから立派なんじゃなくて皇統が断絶してないのは、日本人が頑張ってるからなんだ。って、考えないとダメだ!!」っ言ううんですよ。皇統があるから頑張らなくても大丈夫ですって言うんだったら・・・だけど、そんな事言ったら、世の中、日本より立派じゃない歴史を持ってる国なんて、山ほどあるでしょ?例えば、メキシコのようにですねコルテスだか、ピサロだか忘れたけど、ヨーロッパ人に犯されて出来たような国だってある。でも、彼らはイラク戦争でアメリカに反旗を翻した立派な国ですよ。」


 ちなみに、討論での上の発言部分を見た直後にツイッターで書いた俺の考察は、こうだった。


KATSUNAMA レモン入りかったん(*≧∀≦)ノ☆・゚*
 チャンネル桜の年末討論の最後に中野剛志さんが言っていた「私は国なんて愛してないですよ。私が何で国のために働くのかというと、愛ではなく忠義。お国のために働くのは愛ではなく義務でありまして・・・」という言葉の意味について俺なりに考えてみた・・・(以下 アカウント名省略)

 中野剛志さんのネットに上がってる動画はほぼ全てチェックして、本も何冊も読んだ俺は、中野剛志さんがどれほど「国家」というモノについてどれほど深く、真剣に考えているかを少しは理解しているつもりで、その中野さんが先のような事を言うのを見て「えらく偽悪的な事を言う人だなぁ」と思った

 しかし、よく考えるとこの発言は単なる偽悪ではなく、ある種のレトリックである事に気付く。ではその意味は一体何なのかというと、結局「たとえ、愛国心があろうとなかろうと、日本人としてこの国に生まれた者の義務として、日本ために働かなくてはいけない」という事

 つまり、ここで重要なのは「愛国心が無い」という事ではなく、「自分はより強く自分自身の存在意義に深くかかわり、強力な強制力を思った忠義によって動かされている」という事だろう

 例えば子育てで言えば、「私は自分の子供が素晴らしくスポーツ万能、成績優秀で容姿端麗であるから、愛するし子供の面倒を見るんです」という親がいれば、多くの人は「嫌な親だなぁ」と思うし、何より気味が悪い。

 何故なら、多くの人が「親が子供を愛したり、子供の面倒を見るのは、自分が生んだ子供だからだ」と考えているから、条件付きで子供を愛したり、面倒を見るという考えに違和感を抱く

 つまり、話を国家と人間の関係に戻せば、中野さんからしてみれば「日本は厳しい時代を乗り越えて、万世一系の皇室の伝統を守り抜いた素晴らしい国だから、私は日本を愛するし、日本の為に尽くします」というのは筋違いで・・・

 たとえ、どんなに野蛮で品もなく、どうしようもない国家であっても、自分がその国で生まれた以上、その国のために働くのは当然で、逆に言えば国のために働く理由などたったそれだけで十分であるという事でもある

 いわゆる、お花畑の戦後左翼の連中が聞けば発狂しそうなロジックだし、グローバル化した現在の世界においては「古臭い考えだな・・・」と思われるかもしれないが、結局そういうモノが無ければ、人間の人生いうのはフワフワと浮ついて、どうにも頼りないものになってしまうように思える・・・

 まあ、なんとなく俺は「人間と人生の関係にも同じ事って言えるのかなぁ」などと考えていて、「自分の人生には希望も将来の展望も何も一切無い・・・」などという状況でも、自分の運命を放棄することなんて出来るわけもなく、自分に与えられた条件でなんとか頑張るしかないわけで・・・

 そりゃー誰だって、スポーツも勉強も仕事も何でも素晴らしくこなせて、お金も沢山あり、しかも容姿も良く、さらに人間関係でも素晴らしい人たちと良好な関係をもって生きていけたら、いつでも楽しく前向きに頑張っていられるだろうが・・・

 そんなパーフェクトな人生を送っている人なんて、世の中には一人もいないし、むしろ「自分の人生には全く良いところなんて無い」と感じてる人だっているワケで、それでも、そんなものは努力を放棄する理由には全くならない。結局与えられた条件でなんとか頑張って生きるしかない・・・

 まあ、なんというか『考えるヒントで考える』なんか読むと良く分かるけど、中野剛志さんは宿命だとか、悲劇だとかをすごく重視する人で、知的だけど実は物凄くロマンチストだったりするw


↑と、まあこんな感じだったが、こう書き起こしをしながら、この言葉の意味を更にじっくり考えると、すごく色々な深い意味がある事に気付く。例えば、上に書いた直後の感想では、あくまで中田剛志さん自身の行動指針であるとしか捉えきれていないが、実は、これは前回の記事(『中野剛志さんのチャンネル桜年末討論の発言の書き起こし&俺なりの考察』http://achichiachi.seesaa.net/article/244310239.html)で書き起こしをおこなった個所での最後の問い。

>特にそういうったところから立ち直ろうとすると、保守系は難しい立場に置かれますよね?日本人はどうしようもないってところを、愛国心っていうのを重視する人たちがそう見据えるかって問題っていうのは、まあ左翼がダメだってのは、とっくに明らかですから(笑)保守系の人たちが、こっからどう立ち上がっていくか?ってのが大変だなあって、そんな風に思いました

↑これの回答である事に気付く。つまり、
「日本人は、本来は素晴らしい民族なんだから、そこに希望を見出して、明るい将来を信じて頑張ろう!!」
などという、お気楽な幻想を抱いていれば、あまりにも厳しい現状の客観的分析が不可能になる。

 無論、左翼のように
「現代はグローバル化の時代であって、日本を良くする事より。もっとグローバルな大きな視点で考える事が大切だ!!」
等と言ってる人間は国益を考える上では、完全に論外。ちなみに、かつてホリエモンは
「中国や韓国といった低賃金労働の国家に雇用が奪われた場合、日本やアメリカといった先進国では非熟練労働者の雇用が失われ格差が拡大するが、逆に中国や韓国といった国家では質の高い仕事が増えて賃金が上昇するので、グローバルな視点で見れば格差は縮小する」
などと、ドヤ顔で言っていたような気がするが、果たしてグローバル化で中国人の労働者は豊かになったのだろうか?結局、中国も雇用が再び先進国に戻る事や、さらに低賃金であるベトナム等に雇用を奪われるのを恐れて、為替レートも、労働者の賃金も引き上げられず、ずっと貧困のまま放置されているのが現状だろう。グローバル化初期の段階ではこのような幻想を抱きたくなる気持ちも分からなくもないが、いい加減現状を見て、このようなお花畑的幻想が間違いであった事を認めて欲しいものである。つまるところ、中国への資本の移転で得をしたのは、先進国の投資家と、中国で運良く流れ込んだ資本を上手く懐の入れる事が出来たエリートのみである。

 すこし、話が逸れてしまったので、もとの話題に戻ると、この日本の絶望的な状況に置いては、左翼は論外で、愛国心を重視する保守も、どうしようもなく「自分勝手で、冷酷で、愚かな」で、なおかつ偽善的ですらある日本人ばかりになってしまった日本において、どう立ち上がっていくかという非常に難しい問題に直面している。

 実は、この問題に対する中野剛志さんの回答こそが、まさに「忠国心」なのである。つまり、「自分勝手で、冷酷で、愚かな」で、なおかつ偽善的ですらある、過去と比較して完全に劣化しきった日本人と日本であるが、それでも、あえてその日本のために忠義を尽くして行動をする。そこには、もう
「過去の歴史を振り返れば、日本人は素晴らしく合理的で立派な民族だったのだから・・・」
「世界中で最も長い歴史を持つこの国は・・・」
「この国を、ダメにしている元凶を取り払えば・・・」
などという理屈など必要なく、ただ
「やるべきだからやる」
「正しいからやる」
これだけなのだ。

 同時に、これはとんでもなく厳しい思想でもある。例え、忠義を尽くす対象が、どうしようもなく愚かで冷酷なものでも、それに尽くす事で何も良い事が無くても、成果も無く、「いつか、きっと成果が出るのだ!!」などという希望すら無くても、それでもやるのだという決意であって、やらなくてはいけないのだ。

 こう考えると、何故愛国心を重視したり、「日本人は素晴らしい民族なんだ!!だから頑張ろう!!」などという考え方を「ひ弱である」と断ずることが出来るのかが理解できる。

 結局、ありとあらゆる理由付け、つまり
「過去の歴史を振り返れば、日本人は素晴らしく合理的で立派な民族だったのだから・・・」
「世界中で最も長い歴史を持つこの国は・・・」
「この国を、ダメにしている元凶を取り払えば・・・」
「頑張れば、きっと成果が出るのだ・・・」
などという、理屈は全て外部環境依存のモチベーションでしかないのである。まさに、中野剛志さんからしたら
「希望が無ければ努力しないのか?」
「もし、日本が素晴らしい歴史を持っていなかったら努力しないのか?」
という話なのである。

 それに対して、中野剛志さんの説く「忠国心」というのは、ただ、自分自身の「やるのだ!!」という決意のみに依存する、自発的、主体的動機なのである。そのような決意を持つからこそ、何らかの理由付けを必要とする行動意欲を「ひ弱である!!」と断ずることが出来るのだろう。

 ちょっとや、そっとでは変更されない意志や決断を称して、よく不動の意志、固い決意などと言われるが、まさにこの外部環境、客観状況に左右されないこのような意志こそが、真に不動の意志と呼ぶべきものなのでないだろうか?


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中野剛志さんのチャンネル桜年末討論の発言の書き起こし&俺なりの考察

 今回も、中野剛志さんの発言の書き起こしから・・・最近ますますこの人の言論はキレが増してきている気がする・・・



中野剛志「今日のタイトルが、『戦後ニッポンか?日本か?戦後日本総決算!』というタイトルなので、まあこれに従って、今後話をしていきますが、大変よろしいタイトルだなぁと今年一年間つくづく思いまして、おいおい話していきますが、私は1971年生まれですので、まあ生まれた時にはすでに三島由紀夫は腹を切っておりまして、そういう歳の者から見ると、もう戦後60年70年も経って、いつまで「戦後、戦後」言ってるんだろうという気もしていたんですが、確かに戦後日本の桎梏っていうものがあるなぁ、とつくづく思わざるを得ません。

 で、戦後というのは、おそらく冷戦が崩壊した時にひと段落つけるべきものだったんですが、その時もそういう認識があった。ところが、日本が政治的にも経済的にも混乱し、社会的にもおかしくなり始めたってのは、この20年間。つまり冷戦後の20年間ですね。

 冷戦が終わった時に、我が国はバブルが崩壊したし、これから主体的にこう日本を変えていかなきゃいけないって運動が、盛り上がって、この様ですので、これ何を意味しているのかというと、日本人がですね、自分達の国を上手く創る能力が無い事を如実に証明した。いや、まあ紅白の裏番組なんで見てる人少ないと思うので、ハッキリ言えば「もう日本人はダメだ・・・」という事を20年間で証明してきたワケですね。

 実際、10年以上デフレを放置してる国なんて、戦後どこにもありゃしなくって、デフレをずっと放置して治せないと、むしろ悪化させてるってのは、日本人が国民経済の運営において世界最低水準にある事を示しているところにですね。2011年は、えー、日本人のダメさ加減が徹底的に証明された時期で、「本当は日本人は素晴らしいんだ!!本当は良いモノはあるんだ!!」と言ったところでですね、この1年間の震災の後の動きは、もう根本的に日本人がダメだってことを証明したと・・・これを、真正面から見据えないとですね、いつまでも、その「日本人は本当は素晴らしかったんだ!!民主党がおかしいだけだ!!」なんて言っていても、あのー、問題、自分達の病状から目を逸らしてるだけだと思います。

 というのはですね、あのー、ちょっと長くなってアレですけど、震災の直後に番組を出させていただいた時に、私は、その・・・「この震災を契機に皆一致団結して」って中で、「それは違うだろう」と「これは東北は絶対見捨てられるに違いない」と言っておきましたけれども、その通りになってしまいましたね?

 6月になって、「震災復興のためになんとかしなきゃいけない」って時に、財源の話から、この国はしだしたんですね、財源の前に助けなきゃいけないのに、財源の話からしだしたんですよ。これ自体驚いたんですけど、8月になっても何もしない。二次補正はたったの2兆円。で優先順位として、2兆円しか出してないのに、その先に来たのはですね、再生可能エネルギーの買い取り法なんですよ。こんなもの東北の被災地の復興となんの関係も無い。

 で、もう6ヶ月経っても10カ月経っても、何もしようとしない。で、被災地には農家が多いのに、9月に入ったら何とTPPの議論をですね、皆でしだしてですね・・・何か、震災など無かったかのようにですね、完全に忘れたかのようにやって・・・で、今になったら消費税の議論をしてるんですね。

 で、この間ずっと放置されているので、こういう大きな大震災があった時にですね、で、これを助けようとしない。つまり、日本人は非常に冷酷で、身勝手で、利己的で、現状の分析もちゃんと出来ない民族だって事がですね、まあ証明されたワケですね。で、この間ずっと、まあ政治をどうにかしなきゃいけないってのに大阪のダブル選挙は、ああいうふざけた調子で終わったわけですね。

 で、「今年の言葉が絆です」と・・・これを見た瞬間に、私は「自分勝手で、冷酷で、愚かな日本人に、偽善っていう事まで加わったのか」と、まあこう思ったと、ここまで落ち込んでったところから見据えないとですね、いつまでも自己愛的にですね「日本人は本当は素晴らしかったんだ」と「過去の歴史が素晴らしかった」過去の歴史は関係ないんですよ。

 歴史ってのは、過去いくら素晴らしくても、「今生きてる俺達がどうするか?」で勝負は決まるので、親父の遺産が素晴らしかったって褒めちぎったってしょうがないワケですよ。そういったところから、特にそういうったところから立ち直ろうとすると、保守系は難しい立場に置かれますよね?日本人はどうしようもないってところを、愛国心っていうのを重視する人たちがそう見据えるかって問題っていうのは、まあ左翼がダメだってのは、とっくに明らかですから(笑)保守系の人たちが、こっからどう立ち上がっていくか?ってのが大変だなあって、そんな風に思いました」

↑まあ、正直、「愛国心を重視する保守系の人間の誰も薄々考えてた事をズバッと言っちゃった感じだな・・・」と思った。例えば、最近では、政府の震災対応のまずさと、被災地の人たちの立派な態度なんかを比較して、「日本はエリートはダメだけど、草の根の一般市民は立派だ!!」というような事が良く言われはしたのだが、おそらく実際には保守的な考えを持っている人々の中にも「政治家もマスコミも学会も財界も官僚も全部ダメ!!でも日本人の一般庶民は立派!!」というような話に少なからぬ違和感を持っていた人も多かったのではないかと思う。

 現在は、三橋貴明さんや上念司さんなんかが、さかんに
「財務省の官僚は自分達の出世や天下り先の確保のために、日本経済を破滅に導く増税を目論むなど言語道断である!!」
といった感じで財務省および、同省の官僚を批判しいているワケだが、ここで一つ疑問を提起したい
「果たして、とても素晴らしい日本人の中で、本当に偶然に財務省にばかり冷酷で、不道徳な、輩が集まったのだろうか?」
と・・・まあ、普通に考えればそんな偶然は有り得ないワケで、そうなるともしかしたなら・・・
「日本人は非エリートの一般庶民に属する環境では立派に振舞えても、状況が変われば、つまり「官僚という職業にいる」という環境に置かれれば、彼らも同様に利権や天下りの確保を最優先の行動原理にする」
かもしれないと考えるのが妥当ではないだろうか?

 さらに、消費税増税の問題にしても、何も財務省の人間のみが賛成しているのではなく、一般市民であっても約4割は賛成している。

 ここで、当然に予想される反応として
「いや、それはマスコミがきちんと情報を伝えないから、間違った情報が与えられた状況での判断なんだ!!」
というものがあるが、であるならば、財務省の官僚ですら
「彼が、財務省の官僚ではなく、利権に一切関係ない職業で、しかも正しい情報が与えられれば」
おそらくは、消費税の増税に反対するだろう。であるならば、立派な草の根市民と、不道徳な官僚とを分けるものは、単なる立場の問題だけなのかもしれない。

 ならば、今の官僚全員首にして、あたらしく草の根市民を官僚のそれぞれの仕事に従事させた瞬間に、彼らも、それまでの官僚とほとんど同じ行動を取る可能性は大いにあり得る。

 ここまで考えて、なお自信を持って
「政治家もマスコミも学会も財界も官僚も全部ダメ!!でも日本人の一般庶民は立派!!」
であると言い切れるだろうか?

 つまり、結局は、少なくとも「日本のエリート層の劣化」は「日本人の質の劣化」と分かちがたく結びついている。と結論せざるを得ない。というのが俺の考えである・・・


 最後におまけで・・・
「というのはですね、あのー、ちょっと長くなってアレですけど、震災の直後に番組を出させていただいた時に、私は、その・・・「この震災を契機に皆一致団結して」って中で、「それは違うだろう」と「これは東北は絶対見捨てられるに違いない」と言っておきましたけれども、その通りになってしまいましたね?」
という発言について、ニコ動にその時の中野剛志さんの発言のみを集めて編集した動画があったので紹介しておきたい。この討論は震災の1カ月後の4月に行われたものだが、今見れば、当時の中野さんの予想が怖いほど当たっているのが確認できる




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posted by TAKA at 03:12 | Comment(1) | TrackBack(0) | その他