久しぶりに、橋下以外の話題かと思いきや、やっぱり橋下批判だったりする。この人は、意外と色んな角度から切り込めるというか、まあ、日本の問題である構造改革やらデフレレジームやらポピュリズム政治やらの典型的、かつ象徴的な人物であるので、やはり批判すべき点が多いのだろう。
今回も橋下のツイッターでの書き込みを参考にしてみたい。
限られた財源を本当にサポートが必要な人に回すことができる。今の農家、中小企業の方を全員保護することなどできない。農家以外の分野でも日々、倒産、起業、転職の繰り返し。中小企業でも同じ。その業をしっかりと支えることと、今その業をやっている人を守ることは別。
その業を自立してやっていける人に、その業を任せれば良い。じゃあ今仕事に就いている人は?業態を変えるか、自立できる人と組むのか、職を変えるか。ここのサポートはすべきだ。今のままでとにかく保護するというわけにはいかない。
これを必要な改革と呼ぶのか、新自由主義と呼ぶのか、グローバリズムと呼ぶかは自由。でもやらなければならないことはやらなきゃならん。
現代社会において求人率の高い仕事はたくさんある。そういうところに人が移ることをしっかりとサポートする。日本の血管の詰まりを正し、血の質を上げる。そこで最初のひと押しで血を流し込む。必要な公共事業はある。しかし今公共事業でデフレギャップを埋めにかかると血は身体全体を巡らない。
現代社会において求人率の高い仕事はたくさんある。そういうところに人が移ることをしっかりとサポートする。日本の血管の詰まりを正し、血の質を上げる。そこで最初のひと押しで血を流し込む。必要な公共事業はある。しかし今公共事業でデフレギャップを埋めにかかると血は身体全体を巡らない。
突っ込みどころはいくらでもあるが、まず、下の二つの書き込みからデフレの問題を全く理解していないという事が容易に理解出来るだろう。
>公共事業でデフレギャップを埋めにかかると血は身体全体を巡らない。
などと、書いているが、これは明らかにデフレの問題を理解していないからこそ書ける台詞である。デフレの問題は複数存在するが、第一には通貨の価値が上がるので、通貨を保有し続ける事が有利になるために、皆が消費や投資にお金を使わなくなる事にある。つまり、デフレそのものがカネ(橋下の言うところの血)が巡らない原因になっているワケで、デフレギャップを埋めてもカネの循環が良くなることは無いという認識は、それ自体が根本的に間違っている。
と、まあわりあい一般的な批判をしたところで、ここからは本題として、カール・ポランニーの『大転換』から、一部引用して一連のツイートに対して批判を行ってみたいと思う。
労働という名のもとに人間が、そして土地という名のもとに自然が、ともに販売の為に用意された。労働力の使用は賃金という名の価格でいたる所で売買の対象となり、また土地の使用は地代という名の価格で交渉の対象となった。労働にも土地にも市場が存在し、両者の供給と需要はそれぞれ賃金と地代の多寡によって調整された。労働と土地は販売の為に生産されたのだという擬制が一貫して維持された。労働と土地のさまざまな組み合わせに対して投資される資本は、いろいろな部門間における利潤の自動的な平準化という要請を受けて、ある部門から別の部門へと自由に移動することができたのである。
たしかに理論的には、生産をこのように組織することができるのであるが、土壌と人間の運命を市場にゆだねるということはそれらを抹殺するに等しいことであり、商品擬制はこの事実を等閑に付すものであった。 『大転換』
そもそも、供給過剰のデフレの状況で、雇用の流動性を上げたり、人の配置を変えるだけで、雇用問題が解決するのか?という根本的な問題点はあるが、それをさておいても、当然ながら、橋下の一連のツイートに関しては、ここで引用したカール・ポランニーの提起した問題が必ず浮かび上がってくる。
上のツイートから見るに、橋下にとっては、農業も人間の職業も全て市場のメカニズムによって決定つけられるべきものであると考えているのは明確である。しかし、現実には労働は明らかに人間の生活、人生の一部であり、土地とはこの地球上の自然そのものである。当然ながら、それらは市場で販売され取引されるために生み出されたものではないし、そうされるべきものでもない。つまり、これらの要素は販売を目的とした純粋な商品とはなり得ないという意味で、ポランニーは(これらから、さらに貨幣を加えて)疑似商品と呼んだ。
結局、橋下がやってることって、まさにカール・ポランニーが批判した疑似商品の商品化なのである。人間の労働や土地、特に農場というものを市場で流通し、簡単にやり取りできる商品であるとしか捉えられていない。しかし、現実にはポランニーの言うように「土壌と人間の運命を市場にゆだねるということはそれらを抹殺するに等しいことで」ある。労働とは、人間の生活の一部であり、能力の問題や技能、経験、職場に対する愛着、忠誠、様々な要素が絡みながら、その人間の一部となる。その労働を「それが、市場の原理からすると効率的だから」などという理由で、移動、取引させることは人間性の完全なる無視であり、ポランニーに言わせればそれは抹殺なのである。土地にしても、特に農場に関しては、一度農家が失業して、休耕地になってしまえばそれらを回復させるのは何年も、下手をすれば何十年もかかるかもしれない。これもやはり土地を抹殺したと言えるだろう。それを自覚しながら良しとしているのか、そんなことにまで考えが回らないのか?それは良く分からない。しかし、一つ分かるのは、彼の発言、思想、理論の中には一切血が通っていないという事。彼は、散々に「学者先生のやってる事は現場を知らない無責任な連中の勝手な議論、発言だ!!」というが、先の発言からして、さまに自分が批判している机上の学問に橋下自身が陥っている。
それから、先の農業に関しての認識について言えば、これは、なんとなく、ピーク時にだけ原発を稼働すればいい言った氏の発言を思い出させる・・・
「必要な時に、必要な分だけ調達すればいい」
一見合理的に思える発想だが、現実には土地は一度使われなくなれば荒廃するし、原発だって、そんなに簡単に稼働したり停止させたり出来るワケではない。ここでも、現場の現状を理解せずに、ただ、頭の中で、それが効率的だろうと考えて、思い付きで発言しているに過ぎない。
それから、同じような発言は他の場面でも見られる。
>藤井教授の震災復興の著書が、現実の政治・行政を預かる僕の心に全く響かなかったby橋下ツイッター
↑これまた、俺としては非常に気に障る発言であるが、この発言について、一つには、こういった解釈が可能なのではないだろうか?
藤井聡さんの、列島強靭化10カ年計画は、最初に東北復興5カ年計画から始まる。実は、ここでいきなり、橋下の思想と矛盾が発生してしまうのだ。どんな矛盾か?それは簡単に言えば、
「震災で被害に遭った東北の人々をとにかく今すぐにでも助けたい!!」
という、日本人であれば誰もが抱くであろう、人間的な当たり前の感情、つまり人間性と、橋下(あるいは彼のブレーン)が重視する市場原理との矛盾である。市場の原理とは一言で言えば、「一番儲かるところに投資する」ただただコレに尽きる。しかし、では現実的に考えて、現在ボロボロになっている東北に投資することは儲かる話であろうか?効率的で、市場の原理にのっとっているのだろうか?もちろん答えはNOである。
つまり、市場原理と人間性とは真っ向から衝突する概念であるのだ(人間性を「概念」と呼ぶのはふさわしくないかもしれないが)。ここで、市場の原理にしたがう事は、同時に人間性の破壊を意味する。ポランニーはこのような市場が破壊を引き起こすメカニズムを悪魔のひき臼と呼んだ。
>藤井教授の震災復興の著書が、現実の政治・行政を預かる僕の心に全く響かなかったのは、藤井教授の政府の実態分析の弱さ、そして組織を動かした経験のないことに起因する。
彼のいう、実態分析とは投資効率でしかなく、組織とは利潤を上げる事を目的とした組織なのである。現実には藤井聡さんは京都大学レジリエンスユニット長であり、その意味ではあきらかに、京都大学レジリエンスユニットという組織を動かす立場にある。
さらに、藤井聡さんの列島強靭化論は、また地方の活性化、地域コミュニティーの維持、商店街の活性化等々の見地からも書かれている。当然ながら、インフラの投資は人口の多い大都市に行うのが最も効率が高い。理由は極めて簡単、同じ公共施設を同じ費用をかけて作れば、人口の多い土地の方が利用者が多いため、
費用対効果が高いのだ。
ならば、効率性を最重視する市場原理の信奉者は、どう考えるか?当然ながら、彼らは、人口の多い大都市への投資を好む。そして、その結果どうなるかと言えば、
人口の多い大都市への公共投資の集中⇒大都市の生活利便性の向上⇒さらなる大都市への公共投資の集中
という無限ループである。当然ながら、逆に地方の過疎地域から見れば
公共投資の削減⇒生活利便性が向上しない⇒人口流出⇒雇用の現象⇒さらなる人口流出⇒さらなる公共投資の削減
とこちらも無限ループである。なんとも、酷い話だ・・・と思われるが、結局現在の日本の過度な人口の大都市への集中現象は、これらのループが延々繰り返された結果なのである。
ある人は
「地方への公共投資は無駄だ!!熊や鹿しか通らない道路なんて作ってどうする!?」
と叫ぶが、これも「何言ってんだ?」という話で、(本当に熊と鹿しか通らない道路があるのかは別にして)このように地方の過疎現象を引き起こした重要な原因の一つがまさに、公共投資をしなかった事であり、そのような過去を無視して、「こんな過疎地域に公共投資するなんてカネの無駄だ!!これは国民の血税だぞ!!」などと叫ぶ、偽善も甚だしいところである。とわいえ、こんなインチキな言説がまかり通り、さらには、このようなデタラメな社会的コンセンサスによって日本の行政は運営されているのが日本の悲しい現状なのだ・・・
一方で、藤井聡さんは、このような言説に、まさに真っ向から異を唱える。
公共投資を活用して、地方分散を図るという考えである。先の地方における悪循環の全く逆のプロセスを積極的な公共投資を中心に図っていこうという事だ。コレには、当然第一には今後、高確率で発生するであろう、関東直下型地震と、西日本大震災に備えたリスクヘッジであるが、それに劣らぬ重要な論点が地域社会の存続である。藤井聡さんは国家や社会を一つの有機体、生物であると考えている。そのような観点からすれば、地方の地域コミュニティーも、また生物であり、どのような理由であれば、それが消滅することは、コミュニティーという有機体の死であると捉えられる。
一方で、橋下が重視する市場の論理でいえば、存続不能なコミュニティーの消滅は、そのコミュニティー内の人間の移動に過ぎず、むしろ適材適所が進む格好の機会であると認識される。仮に、国家を利益を生み出す事を目的としたロボットであると捉えるなら、そのようなコミュニティーはそもそも無駄であり、無駄なパーツがそぎ落とされて効率化された程度の認識にならざるを得ない。
まあ、これだけ真逆の認識を有するのであれば、藤井聡さんの列島強靭化論が橋下の心に響かないのも当然であろう。むしろ、藤井聡さんが唱えるような具体的な政策や、その根底にあるイデオロギーは市場原理の活用や効率化障害でしか無く、まさに自分たちの思想に敵対する危険思想なのである。
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